23 別の思惑
登場人物紹介を設けました。ぜひそれを参考に、本作のキャラクターたちを把握してください。
2014年11月29日午前9時13分
日本帝国・帝都東京・首相官邸―――
半世紀ぶりの火蓋となった北日本による奇襲攻撃から明日で一週間が経とうとしていた。あの日以来、日本列島の南北情勢は緊迫化し、テレビや新聞は毎日のように南北の情勢を報道している。あの戦闘以来、南北の間に特に変化はない。当事者の南日本を始め、米国などの世界各国が北日本の行動を批難する声明を発表したが、言ってしまえば結局それだけで事態の拡大化は見られていない。
国連の決議の下で北日本に対する何らかの制裁が検討されたが、世界各国は南北日本の情勢悪化を望んでおらず、事態の収拾に向けた方針が進められた。
あの日を境に、日本は変わった。日本というよりは列島を取り巻く情勢の中身と言うべきか。
北海道戦争以来、相手が北日本に限らずどの国とも直接的に戦火を交えたことがなかった南日本にとって、今回の事態はいきなり熱湯を浴びせられた結果となった。
第二次大戦の結果、日本が南北に分断され半世紀―――その間、幕末以来の内戦となった北海道戦争、その後もベトナム戦争、湾岸戦争、そして数多の紛争が世界中で起こったが、南日本が自国を当事者として直接的に相手国と戦火を交えたことは北海道戦争以来今までに一度もなかった。
南日本と相反して様々な戦争の当事者であった超大国の米国は、安保同盟国の南日本を基地としてベトナムや中東といったアジア各地の戦場に軍を送り込んだが、その後方には南日本の姿も見られるも、それはあくまで矛を持った米国の後ろに立っていただけだった。
「お疲れ様です、総理」
記者会見の場となった大理石の床から踏み心地の良い絨毯が敷かれた総理室に戻った葛島は、高品質の椅子にどっかりと座りこんだ。毎度のように責め立てる記者たちの質問に、カンペに用意していたような解答を機械的に答え、帰ってきた葛島の疲労は既に蓄積されていた。
あの日からロクに寝ていない葛島は、北日本との関係悪化により引き起こされた数々の面倒事に引っ張りだこにされていた。ある方からは、事態を招いた責任をも追及され、葛島の立場は決して定まったものではない。そんな境地に立たされている葛島の立場を、総理秘書官は同情し、出た言葉だった。
事件から6日目となったこの日、葛島は総理大臣として対国民談話を発表した。一国の総理大臣として国民の生命と財産を守れなかった責任を痛感すると述べると同時に、北日本の軍事行動に対する政府の立場と方針を明らかにした。
北日本の行動に対する批難、強硬的対策方針―――しかし攻撃を受けた南日本にさえ国内から批難が飛んだ。
あの事態を招いた責任は、南日本側にもあるのではないか―――
北日本軍による攻撃の要因は、軍事境界線付近で実施した南日本軍の演習に対する反発だと、北日本側も説明している。
最初に挑発をしたのは、南日本であると言うことである。
攻撃を受けた南日本側の被害は大きなものとなった。各地の軍事施設、市街地の一部まで被害を受け、攻撃の翌日には民間人の犠牲者も確認された。民間の犠牲が確認されると、北日本側からは『民間人に犠牲者が出たというのが事実であれば、誠に遺憾』と声明が発表されるも、直接的な謝罪はない。むしろ民間人を守れなかった政府や軍に批難が集中した。
相手より身内の罪を責めるのは如何にも日本人らしい―――葛島は呆れながらそう思った。
「今日も来ていますね……」
総理室の窓から外に視線を向けていた秘書官の呟きに、葛島は溜息を吐きたい面持ちになった。
首相官邸の門前には毎日のように市民団体が集まり、プラカードや弾幕を掲げ声高に叫んでいた。彼らの持つプラカードや弾幕には、『戦争反対』『平和的解決を』『民間人の犠牲を許した総理は辞めろ』などの言葉が見られた。
「毎日よく来るものです……」
「身内に対しては強気な所も日本人らしい……が、彼らのような人間たちは、国内でしかそういう活動ができないのが特徴的だ」
秘書官の隣から、葛島がいつの間にか同じく門前に集まる市民団体を見詰め、ぽつりぽつりと言葉を並べていた。その横顔は、やはり疲労感が垣間見える。
「私個人としては、北日本には軍ではなく彼らを平和特使として送り込んでやりたいね」
「果たして彼らは喜んで行ってくれますかね」
「逝ってくれるさ。 そのまま自然が豊かで食べ物が美味しい北海道でそのまま楽しく暮らしてくれれば尚良しだ」
相変わらずマスコミの目や耳がない所では言いたい放題の総理である。しかし今の時代、所構わず馬鹿な事を言う輩もいるからまだ全然マシなのだが。
「奴らを送り込んで平和的に解決すれば、国など必要ないがね」
それを言ったきり、葛島は彼らに興味を失せたように背を向け、二度と窓の外に興味を示すことはなかった。それに倣うように、秘書官も葛島の方に視線を向ける。
「それより伏見宮の陽和殿下だ。 北は、一体どういうつもりだ?」
陽和の存在が行方不明になっている原因は、既に北日本にあると確定されている。彼女が連れ去られる直前まで同行し、負傷した帝国海軍軍人から聴取した情報、そして南日本の諜報機関である情報局の得た情報、それらを複合した結果、陽和を誘拐した犯人は北日本の特殊部隊であることが判明した。
「今の段階では何も言えませんね」
彼女を拉致した理由は何なのか―――いくら考えても、その答えは一向に出てこなかった。
「聴取した佐山大尉から聞いた限り北日本側は帝国の皇族と知って、殿下を拉致したのでしょう。 何らかの目的を持っての行動でしょうから、簡単に危害を加えるような真似はしないと思います……しかし、もう一人に関してはそうとは限りません」
拉致されたのは陽和一人ではない。もう一人いるのだ。
陽和と共に護衛用として同行していた近衛兵―――しかしその近衛兵すら北日本側に連れ去られたようだ。
「軍や近衛兵まで付いていながらこのザマだ。 あの北国が一人の兵までVIP扱いするとは思えないが」
「しかし他の警備兵を殺し、佐山大尉が負傷し、何故その近衛兵だけが殿下と共に連れ去られたのでしょう?」
「北の思惑なんて私が知るわけがない」
そう、彼女だけが目的だったのならわかるが、何故一人の近衛兵まで彼らは拉致したのか。人一人を誘拐するだけでも手間が掛かるはずなのに。しかも他の兵を殺害し、一人を負傷させた状況の中で、何故その近衛兵だけが―――ますますそんな不審な点が際立って見える。
「兎も角、何としてでも……この事態を隠しながら、円滑に解決させなければならない」
この事実だけは国民に公表されていない。政府の中でも一部が知るのみだ。この事が公になれば国内に留まらず、南北情勢が更に緊迫の一途を辿ることになる―――
しかし―――誰が、何の目的で?
「……今になって、北日本軍による軍事行動と、殿下の拉致……この二つは関連性があるのか」
葛島は感じていた。北日本軍による奇襲攻撃と、並行するように起こった陽和の拉致事件。当然のように関連性が疑われた。そして葛島は一つの推測を立てた。
まさか、拉致が本当の目的で、軍事行動はただの陽動―――?
あれほどの大規模な軍事行動が、皇族を誘拐するためだけに実施されたことなのだとしたら、これを提案、指示した人間の余りの大胆さに驚かされる。
しかし―――
「これらも日共の党首の思惑なのでしょうか―――」
「……本当に、そうなのだろうか」
呟いた秘書官は驚いた表情で葛島を見た。
「本当にあの党首が指示したのだとしたら、何故今になってそんな事をする? 我が帝国の皇族を誘拐して、あの党首にどんな利益があると言うんだ」
「それは……」
秘書官は思い悩むように口を閉ざした。そして少し思慮した末に、重たそうに口を開いた。
「やはり後継問題と関連があるのではないでしょうか……あの党首は病弱し、もう長くないと聞きます。 自分の死期を悟って、そのような指示を今になって下したのかも……」
「それが自然として考えられることかもしれん。 だが、私にはどうも腑に落ちないんだ……」
以前までの北日本軍の活発化する行動を、党首の後継に絡んだ内外への圧力だと推察されてきた。しかし葛島はどうしても今回の事ばかりは同じ理由としても納得がいかなかったのだ。
「あの党首がそこまで大胆な男だったら、とっくに日本列島は火の海になっているはずだ。 全く別の人間の仕業と考えた方がしっくり来る」
「しかし北日本では軍の最高司令官は党首自身となっています。 党首の意向なしで、軍を動かせると思いますか?」
「……そもそも、党首はまだいるのか?」
葛島の言葉に、辺りの空気が一瞬にして固まった。秘書官がおそるおそる口を開く。
「それは、つまり……」
「君は最近、あの党首の姿を見たことがあるか? 何年か前の病気で倒れた時以来、あの党首の姿は以前ほど見られることが極端に少なくなった……そして今となっては、ほとんど見られない。 あの党首の生死など、我々には分かり切れるものではない」
葛島の推理に秘書官は顔を青ざめた。それが事実だとすれば、北日本の内部は自分たちの想像する以上に複雑なものになっている。北日本の内部事情は袂を分かった南日本としては他人事では済ませられない。
「もし、総理の仰る通りだとして……では誰が」
「党首の代わりをしている奴がいると言う事だ。 そいつが今の北日本を動かしているんだ……」
総理室に広がる沈黙。
やがてそんな空気に耐えかねたように、秘書官が口を開く。
「殿下は、どこに?」
「情報局が掴んだ情報によれば、殿下は札幌に移送されたらしい」
北日本の首都。北海道が自治体であったなら、道庁所在地になっていただろう都市。更に日本の都市としては四番目の人口都市となっていただろう、それ程の大都市だった。
「……軍を動員するんですか?」
現在、帝国陸海空軍は常時第一種戦闘態勢として待機している。再び北日本軍の軍事行動が起きた時は、いつでも対処できるような態勢にある。
「そうなれば北日本との全面戦争だ。 架空戦記によくある第二次北海道戦争を現実にしたいとは思わない」
架空戦記をよく読む葛島としては、あのような事は空想の中で充分だと思っていた。そもそも政治家の使命は戦争を起こさないことである。
だから、せめて全面戦争が起こらないような対処を考えなければならない。今の時代、国同士の戦争は始めることさえ難しい仕組みになっているのだ。
「実はここだけの話だが……既に殿下救出の案が軍の中で練られている」
やはり何もしない事にはならない。しかも拉致されたのが皇族軍人の家系である伏見宮の皇族だ。特に帝国海軍の皇族軍人である陽和が捕らわれたのであれば、帝国海軍は躍起になるのも致し方ないだろう。
「やるのは陸軍の第一特殊旅団だがな。 作戦は陸海軍共同だ」
南日本の特殊部隊―――第一特殊旅団。その存在は帝国における精鋭の特殊部隊として有名だった。
「関東軍の置き土産がようやく役立つ事になれば良いが、これしかない」
対ソ戦として満州で作られ、今度はかつてのソ連の申し子である北日本を相手に投入することになるとは―――皮肉な運命である。
北海道戦争では当時の第一機動旅団が札幌の市街戦に参加したと聞くが、どちらにせよ彼らはすっかり対北日本専用の特殊部隊としての活動しか記録されていない。
それは帝国精鋭の特殊部隊として、幸なのか不幸なのか―――
「あとは殿下の無事を、祈るばかりだ……」
葛島は呟き、秘書官は心中で共に拉致された近衛兵の事も付け加えておいた。
彼女らは、今、どうしているだろう―――
同じ日本でありながら、異国の地―――そんな複雑な場所にいる彼女らの心情を想像し、二人は外に広がる蒼い空を見詰めた。
同時刻
日本人民共和国・首都札幌・札幌某施設地下―――
そこは地下でありながら綺麗に整備された所だった。どこぞの司令部の牢獄のような地下とは異なり、まるでホテルのような快適性まで感じられる。そんな場所に足を踏み入れた陽和は帝国ホテルの内装を思い出した。
彼女の身には何も縛るものはない。両肩の背後に兵が二人監視しているだけで、陽和自身を直接縛り付ける要素は見当たらない。しかし彼女の目の前を歩く男の強烈な威圧感がまるで陽和を抑えつけていた。
「どこへ連れていくのですか?」
陽和は自分たちをここまで連れてきた特殊部隊の指揮官である彼―――八雲浩に言葉を投げかけた。
「この先で、ある人物に会ってもらう」
廊下に響く足音がやけに大きく聞こえる。その足音を長く聞いている内に、長かった廊下が遂に終わりを迎えるように扉が目の前に現れた。
「入れ」
浩は扉を開けると、続くように陽和に促した。扉の向こうに足を踏み入れた陽和の目の前には、赤い絨毯が敷かれた、ホテルの一等客室のような部屋が広がっていた。
余りに快適そうな部屋の内装に驚いていると、陽和の背後で扉が閉められた。同行していた兵は部屋には入ってきていない。おそらく扉の前で見張りに立っているのだろう。
「ようやく会えましたね」
部屋の奥から届いた声に、陽和は視線を向けた。その先には、スーツを着て柔和な笑みを浮かべた長身の男が立っている。
軍人―――には見えなかった。皇族である陽和は、彼が政治家であることを一瞬で見抜いた。
「ようこそ日本人民共和国へ、ようこそ札幌へ、と言っておきましょうか」
千歳に降り立った時も浩に同じことを言われたな、と思い出していた陽和は、そばに立つ浩を一瞥した。
「貴女に会えてとても光栄です。 よくここまでご足労をかけて頂きました」
柔らかい笑みを浮かべる男は、嘘のないような素直な雰囲気で言葉を並べた。彼の笑顔の意図が読めなかったが、とりあえず陽和は相手のもてなしに相応の礼儀を返そうと決めた。
「私も貴方とお会いできたことは光栄に思います―――と、言いたい所ですが、誠に遺憾です。 もっと別の方法で出会っていれば良かったと思います」
ここに来るまでにどれだけの犠牲があったことか。陽和は決して忘れていなかった。
しかし浩も全く表情を変えず、目の前にいる男も動じていない様子を見せ付ける。
「仰る通りですな。 しかし、我々にはこうするしかなかった」
「……………」
陽和はあからさまな敵意を表さなかった。粛々と、かつ毅然に、落ち着きを持って相手と対話する。冷静に相手の内側を分析し、状況を理解することを優先していた。
「どうぞこちらへ。 そんな所で立ったままではゆっくりと話す事も出来ないでしょう」
「お気遣いなく―――」
拒む意志を表そうとした陽和だったが、突然襲い掛かった悪寒に身を震わせた。ハッと視線を向けると、そこには浩の鋭い瞳があった。
有無をも言わせないような威圧感―――陽和は、浩の視線をぐっと堪えて受け止めた。
「……わかりました」
男は笑みを浮かべ、歩み寄る陽和を迎える。高級そうなソファーに座らせ、男も向かい合うように反対側のソファーへ腰を下ろした。
やがて二人の間に挟んだ木造の机に、秘書と思われる女が二人分の紅茶を運んできた。それぞれの前に置くと、女はさっさとその場から立ち去っていった。
部屋に残される三人に広がる沈黙。最初に口を開いたのは男の方だった。
「まずは自己紹介と行きましょうか」
男は運ばれた紅茶を口にすると、それを置いて―――自分の事を話し始めた。
「私は共和国の国防大臣を務めています、間取と申します」
「……!」
陽和は驚いた。政治家とは思っていたが、まさか国防大臣とは予想していなかった。国防大臣の間取と名乗った男はにこりと笑みを浮かべた。
「御察しの通り、国防大臣とは南で言う所の防衛大臣と同じ役職です。 共和国と党を守護する人民軍を置いています」
「はい。 国防大臣の役職に関しては存じています……」
陽和は冷静に対話に応じながらも、警戒は解いていなかった。
国防大臣自らが会う―――その意図は?
「何故、私と会おうと?」
「貴女とこうしてお話がしたかったからですよ。 皇族軍人、立派じゃあないですか。 上の者も兵と一緒に戦場に立つなんて、党中央の人間にも見習ってほしいものです」
陽和は間取の言葉に違和感を覚えた。国防大臣と言う役職にいる者が、果たしてそこまで言って良いものなのだろうか。一党独裁体制の国の大臣にあるまじき発言である。陽和の思う部分を察したのか、間取はああ、と軽く笑った。
「安心してください。 この部屋には盗聴器はないので政治総省にバレることもありません」
「いえ……あの……」
陽和はチラリと浩の方を見た。しかし浩は直立したまま微動だにしない。
「彼は私の同志ですから、密告される心配もありませんよ」
そう言った間取は、まるで可笑しそうに笑った。
陽和は真剣な眼差しを向け、口を開いた。
「どういうことですか? 貴方は一体……」
「ああ、失礼しました」
間取は困惑した色を見せる陽和を前に、紅茶を啜った。そして一拍間を置くと、ゆっくりと口を開いた。
「そうですね、私は……」
間取は陽和の方を見据え、少女に対する優しげな笑みを浮かべるような表情で言った。
「“北日本の良心”……とでも、言っておきましょうか」
間取の言葉に、陽和はますます理解が及ばなかった。微かにうろたえる陽和を目の前にして、間取は優しげな笑みを変えず、陽和が落ち着くのを待ち始めた。