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南北の海峡 -The Split Fate-   作者: 伊東椋
第二部 運命の交叉路
17/63

15 動乱

 


 2014年11月23日午後18時13分

 日本帝国・帝都東京・首相官邸―――



 ミサイルが降った青森から700km離れた東京も慌しい雰囲気に包まれていた。

 北日本軍による大湊を始めとしたミサイル攻撃の報を知った政府は直ちに対策に動き出した。帝国議会での野党との質問合戦の後に駐日インドネシア大使館での晩餐会に招かれていた葛島は、北日本軍の奇襲攻撃を知るや晩餐会をキャンセルして官邸に引き返した。

 葛島が官邸に戻った頃には、既に大湊への攻撃を聞き付けたマスコミの集団が押し寄せている状態だった。葛島はマスコミの次々と迫り来る質問も無視し、足早に官邸へと入った。

 攻撃から10分後には、ほとんどの報道機関が国民に速報を報せ、国内は騒然となっていた。


 葛島は官邸に戻るや、危機管理センターの設置を指示。内閣の全閣僚を招集した。


 「被害の規模は? 市民の避難はどうなっている」

 官邸内に設置された危機管理センターの席に座った葛島は、秘書官に質問を投げかける。

 「北日本軍のミサイル攻撃により、主要の航空基地、港、関連施設等に甚大な被害が報告されています。 まだ具体的な被害内容は未確認ですが、地方司令部も攻撃を受けた模様。 これらの北日本軍からの攻撃に対し、三沢基地のF-2が出撃致しました」

 秘書官は緊張した色を顔に表しながらも、届いた出来る限りの情報を伝えようと必死だった。

 「市民の避難が行われていますが、現場は相当混乱しているようです。 未確認情報ですが、市街の一部にも被害が及んでいると言う情報も……」

 「……!」

 煮えたぎるような思いが葛島の胸中に沸いた。

 分断した向こう側との国境が引かれている海峡を前にした大湊は帝国の最前線である。が、そんな最前線のすぐそばには一般市民の生活が溢れる市街もある。民間の被害は、攻撃を仕掛ける側にとってもデメリットが大きいはずだ。何せ、善良なる一般市民に手を掛けることはその者の大義名分を損なうことになるのだから。

 だから差ほど危惧はなかった。それに地元民たちは故郷を離れる気はなかったから、過去の政府もあまり強く退去を推進することもできなかった。市民の支持を失いたくない。そんな政府の体たらくが上乗せし、長きに渡る最前線の居住を許してしまった。

 「防衛大臣が到着されました!」

 官邸に呼び出された閣僚の内、官房長官の次に到着した防衛大臣が危機管理センターに入った。

 「防衛大臣! 軍は動いたか。 何でも良い、知っていることを教えろ!」

 防衛大臣の顔を見るや、葛島は立ち上がって言葉を投げた。

 相当慌てて来たのか、首元のネクタイを緩ませた防衛大臣が汗を流しながら口を開く。

 「軍は直ちに応戦を開始致しましたが、初期における敵の攻撃による被害が余りに大き過ぎました……陸海空軍が周辺地域に最高非常警戒態勢を発令し、対処に当たっていますが―――」

 「―――兎も角! 市民の安全を最優先にしろ。 民間人だけは救わねばならん!」

 葛島の怒声のような声が響いた。その葛島の姿に、彼の焦りが見られた。

 「市街にまで被害が及んでいると聞くじゃないか。 実際の所、どうなんだ。 軍は何をしている!?」

 「北日本軍のミサイル攻撃は、帝国空軍の釜臥山かまふせやまのレーダーサイトが最初に道東から飛来するミサイルを確認。 直ちに陸上からの迎撃を実施しましたが、敵ミサイルの物量を前に防ぎ切れず……」

 「防ぎ切れなかったのでは意味がないじゃないか! 君たちは何のために馬鹿高い武器を持っているんだッ?!」

 葛島の怒声は続く。防衛大臣はそれに対しては何も言えず、ただ情報を伝えることに終始した。

 「大湊地方司令部を始め、港や関連施設、航空基地等も攻撃を受けましたが、帝国海軍では先の訓練に参加した艦艇を含め、停泊していた艦艇を緊急出港させています。 陸軍でも東北方面隊の各部隊が出動し―――」

 葛島は防衛大臣のおどおどとした報告に苛立ちを募らせていた。

 彼が防衛相に就任した当初、沖縄における在日米軍とのいざこざや軍の認識に絡み、彼の国防に対する知識不足が表沙汰にされて話題に上がったことがある。その時は“今の”閣僚にはよくあるちょっとした認識の不一致として世間の目からやり過ごしたが、その在職に対する不適合さがこのような事態に置かれ、初めて痛手となっている。

 こんなことがまさか本当に起こるとは思わなかったが―――市民の一人も護れないで、何が軍隊か。演習に纏わる先の一件を軍の連中に任せてしまったことは間違いだったのだろうか。

 「―――失礼致します!」

 突然飛び込んできた彼の声に、その場にいた全ての者が彼に注目した。血相を変えた彼は、宮内大臣だった。

 宮内大臣は葛島の前にいた防衛大臣を見つけるや、大股で近付いてきた。

 「防衛大臣! 貴方に今すぐにお訊ねしたいことがある……ッ!」

 「な、何でしょうか宮内大臣……私は今、総理に―――」

 宮内大臣の迫力に押され、引き気味だった防衛大臣が言い終わる前に、切迫した様子を顔に表した宮内大臣が防衛大臣の両肩を捕まえる。まるで彼を逃がさないように。

 「陽和殿下の事を現地の帝国海軍から何か聞いていないか―――!? 今日の演習のために、殿下が大湊へ行かれているはずだ!」

 「………え?」

 宮内大臣の言葉に、彼らの間に沈静が訪れる。その反応を目の前にし、宮内大臣は絶望の色を一瞬過ぎらせた。

 「……お願いだ、防衛大臣。 帝国海軍の一軍人で在らせられる殿下の安否を知りたい。 宮内省われわれの方からでは、連絡が取れなかったのだ……」

 「……………」

 宮内大臣の口から漏れる悲愴の声に、両肩を掴まれた防衛大臣はただ無言を弄ぶことしかできなかった。

 沈鬱した空気が辺りを包む。それを破るように、葛島が口を開いた。

 「……防衛大臣、直ちに殿下の安否を確認してくれ。 宮内大臣、殿下の事に関して君の今知っている限りのことを教えてほしい」

 葛島の言葉により、あたふたと携帯を取り出して離れていく防衛大臣を尻目に、宮内大臣が入れ替わるように葛島の前に立った。

 「今日の南北軍事境界線付近における演習のため、伏見宮陽和殿下が今月18日に大湊基地に発たれました。 殿下護衛のため近衛兵一名を同行させておりましたが……北日本軍奇襲の報を機に連絡が付かなくなり……。 本来、殿下は演習に参加する将兵への激励と演習の視察を目的に6日間の現地滞在を予定されていました……」

 皇族で唯一軍に籍を置く伏見宮家の皇女―――彼女が、この戦乱に巻き込まれた可能性が高いと言う事実。

 帝国君主を中心とした皇族の存在は、帝国において無くてはならない存在だった。皇族の血を受け継ぐ者が一人でも敵の手に掛かったとなれば、国威に関わる。特に皇族軍人の宮家の皇女である彼女を失うとなれば、軍は希望の光を失うことになる。

 彼女を護ること―――それは、帝国を護るに同義なのである。

 「……宮内大臣」

 連絡を終え、携帯を懐に仕舞った防衛大臣が戻ってくる。しかしその表情は明るくない。

 「……誠に申し上げにくいのだが、敵のミサイルが司令部を襲った後、殿下を乗せた輸送車が補助司令部に向かう途中、通信が途絶したらしい。 よって現時点では、殿下の安否は不明であると―――」

 「何を言っているんだ、防衛大臣……それはどういう意味だッ!?」

 顔の色を変えた宮内大臣が責めるように防衛大臣に詰め寄った。だが、それ以上の返答が防衛大臣の口から出ることは叶わなかった。

 「落ち着け、宮内大臣!」

 「………ッ!」

 葛島の一喝に宥められ、落ち着きを取り戻す宮内大臣。しかしその表情は苦渋に満ちていた。

 「すみません、お見苦しい所をお見せしました……」

 「いや……無理もない。 宮内大臣の気持ちはわからんことでもない」

 「……………」

 北日本による奇襲攻撃。殿下の安否。最悪な事態が続け様に葛島の内に飛び込み、葛島自身もまた悩みの種を膨張させていった。

 何故、自分が総理の時にこんな事が―――葛島の心中は、あの小説に登場した総理大臣と同じ心境だった。

 「……私もまた、あの小説の日本の総理大臣と同じということか……」

 「総理……?」

 一国の首相が立ち止まること、思考を停止させてしまうことは極めて愚行であり、ひいては全ての国民を不幸に陥らせる結果に繋がる。

 長く微温湯に浸かってきた点は同じだ。しかしあの小説の日本と違う所は、自衛隊と言う架空の組織よりは動かしやすい軍を持っていると言うことだ。

 国を護る兵隊は、公務員ではなく正規の軍人。戦力の破棄を唱えた夢の如し憲法は存在しない。存在するのは、不幸な行き違いとなった同胞に対し、帝国を護り続けた誇り高い軍隊。


 「……陛下からまつりごとを任された時から、私にはこの国と国民を護る義務があるのだ」


 如何なる国難も乗り越えてきた帝国を、今度は我々が護り通す番なのだと強く自覚する。

 「北日本軍の攻撃に対し、帝国陸海空軍は総力を以て対抗してくれ。 国民の保護を最優先にしつつ、殿下の安否の確認を急げッ!」

 ―――自分が出来ることは、せいぜいこの程度である。

 この東京も安全である保証はない。北日本がどこまで仕掛けてくるかは未知数だ。

 だが、たとえ戦争がどこまで事を大きくしても―――

 最後まで帝国を護る決意を、葛島は宮城に向かって誓った―――



 



 2014年11月23日午後18時31分

 日本帝国・青森県・大湊地方司令部南南東3km

 


 空を明瞭に染めていた太陽は既に姿を消し、闇が降りたはずの地上は燃え盛る炎を灯りに煌々と輝いていた。

 ここまで辿り着くのに幾人の命を引き換えにした。敵の襲撃を受ける真っただ中、集中する銃弾の中を強行突破した代償は大きかった。

 盾の輪に身を呈してくれた警備兵は二人を残して道中に倒れ、久しい現場を駆けた司令官も重傷を負い、一人で歩ける状態ではなかった。

 森の中に逃げてからどれだけ時間が経ったのか。追ってくる敵の気配はなかった。

 奴らは必ず追ってくる。おそらく、敵は長けた特殊部隊だ。簡単に逃げられるとは思っていない。

 辺りを囲む木々は自分たちをかくまっているというよりは、近付く敵の姿を隠しているように感じられた。通った道に血痕を残しながら、ずるずると引きずるように前へ進む一団はただ逃げるしかない。

 「………ぐっ」

 佐山に支えられながら歩いていた司令官の足が躓く。彼の重量が佐山を強く押した。

 「司令官……ッ」

 「……ッ、私はもう駄目だ……私を置いて、君たちは先に行ってくれ……」

 司令官の言葉に、辺りの空気がざわつく。肯定も否定もできないもどかしい時間が一瞬でも過ぎたことは、彼らの絶望感を煽った。

 「何を言うんです……置いていけるわけがないでしょうッ!?」

 「私は足手まといだ……このままでは、いずれ敵に追いつかれてしまう……そうなれば、殿下の盾となってくれた彼らの死が無駄になってしまう……それだけは、避けねば……ぐ……ッ」

 息も絶え絶えに、言葉を紡ぐ司令官の容態は誰が見てもこの場から逃げられる状態とは思えなかった。だからと言って、見捨てられる勇気を持ち得ることは難しかった。

 「行け……私に構うな……」

 「しかし……」

 二人のやり取りを、他の者たちは苦渋の中で見守るしかなかった。

 「……こんなことは、大尉が提案した時から予想の範疇だったのだろう? そして、その提案を了承した時点で、私も同じだ……」

 「司令官……」

 最後の力を振り絞るように、佐山から離れ、そばにあった木に背中を預ける。彼はそのまま腰を落とし、誰の手も寄せ付けない気を放った。

 「……………」

 一時の沈黙の後―――佐山は無言のまま、敬礼を捧げた。

 それに続くように、警備兵や、陽和を脇に支えた夏苗も敬礼を彼に捧げた。

 彼は微笑を湛えながら、答礼する。

 「殿下を……宜しく頼む」

 「は……」

 敬礼を下ろした佐山は彼に背を向け、その場から歩を刻み始めた。

 自分の意志を受け継ぎ、往ってくれる誇り高い兵たちを満足そうに眺めた彼は、最後に彼女の方に視線を向けた。

 騎士から離れ、彼女自身の力で、自分の方へ一人歩み寄る彼女の姿を、彼は眩しそうに見詰めた。

 「……随分と、貴方には世話になりました。 中将」

 彼女の儚い声が、最期の時を目の前に見た彼の心を水面から掬った。

 「伏見宮陽和個人として、貴方に心から感謝致します」

 彼は彼女の背景に光を見た。それは眩しく、そして彼女の姿をより一層の美しさを顕現させた。

 「……勿体無きお言葉です。 どうか、ご武運を……」

 その言葉を最後に、途切れた彼を見送った陽和は、悲しげな瞳を伏せ、一礼した。

 穏やかな寝顔を浮かべたままの彼を一瞥し、陽和は背を向ける。

 「……行きましょう」

 「……は」

 眠った彼を残し、一同は再び前に進み始める。

 そんな彼らを、最前線の司令官として生涯を捧げた彼の英霊が見送っていた。



  

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