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南北の海峡 -The Split Fate-   作者: 伊東椋
第二部 運命の交叉路
13/63

11 追憶の海


 津軽の海は天気晴朗なれど、波は高かった。

 駆逐艦を中心とする実弾訓練は無事に終了した。演習を見守り続けた御召艦『尾張』は針路をむつ湾へと向けた。

 高い三角波が山のような戦艦の鋼板を打ち付ける。どんな荒波も動じない戦艦の獰猛しい存在感を直に感じられるのは現代となっては貴重な体験かもしれない。夏苗は艦上の訪れる感覚を、航跡の波を見据えながら、その肌に当たる心地良い潮風の感触と共に味わっていた。

 しかし、ただ大きいだけの戦艦は現代の戦術、戦略的に見ても有益を齎すことは少なく、逆に金ばかり食うお荷物に成り下がってしまった。半世紀前は国家の力を具現化した存在として世界に君臨し、大日本帝国が身を削りながら養った国宝ではあったが、戦争や兵器に対する人間の技術の進歩とそれに伴う価値観の変化が時代の転換として変わってしまった。

 今や世界のどこを探しても、未だに時代遅れにも程がある戦艦を運用しているのは南日本だけだろう。そしてその世界最後の戦艦も、もうすぐ姿を消えようとしている。

 「ここにいたのですね、中尉」

 声がかかる一寸前、ちりんと鳴った鈴が彼女の訪れを夏苗に知らせていた。

 軍用の防寒着を着た陽和が、小首を傾げてにこりと微笑んだ。

 「殿下……」

 「何をしていたのです?」

 髪飾りの鈴を鳴らし、歩を刻む陽和が夏苗の方へ近付いた。

 「少し風を浴びながら……海を眺めていました」

 海の方に視線を向け、隣にやって来た陽和に言う。陽和も一緒になって海を眼下に見る。

 「今日は波が高いですね。 こんなに晴れているのに」

 11月の冷たい空気が、津軽海峡の青空にぴっしりと張り付いていた。

 夏苗が陽和の言葉につられてふと空を仰いでいると、隣から突然陽和の素っ頓狂な声が上がった。

 「―――って、かなちゃんッ! 上、着ていないじゃないですか!?」

 「え……?」

 突然のように声を上げた陽和を前に、夏苗は不意を突かれたような顔をしていた。あまりの驚き様に、建前上の呼称から愛称に変わっていることも気にならなかった。

 「何故そのような格好で外に出てるんですかっ? 風邪ひきますよ!」

 「だ、大丈夫です殿下……私のことは気になさらないでください」

 「そういうわけにはいきませんッ!」

 「ッ!?」

 夏苗の両手が、陽和の暖かい手の感触に包まれる。

 夏苗は目を丸くして、陽和の方を見た。夏苗が見た陽和の顔は、少しだけ怒っているような真剣さだ。

 「身体は大事にしないといけません! 海の風を舐めると、痛い目を見ますよ?」

 ぎゅう、と強い力で両手を掴まれる。しかしそれは痛くなく、むしろどこか心地良い感触だった。

 「……殿下?」

 「……………」

 むっとした陽和が、無言で夏苗の背後へ回り込む。夏苗は陽和の意図が読めず戸惑いを少しばかり感じている間に、夏苗の背後に突然重みが加わった。

 「あ……」

 耳元で大きく鳴り響いた鈴の音。同時にふわりと耳に触れた髪。彼女の温もりと匂いが、すぐそばから感じられた。

 「で、殿下……」

 陽和が夏苗の背後に抱きかかり、夏苗は捕縛されたように身体の前まで手を回され、陽和のそばから離れられなくなった。陽和の着用する防寒着の分厚い感触が夏苗の背中に重なり、陽和にホールドされたことで人工的な暖かさが夏苗の身体を包んでいた。

 「これなら少しは暖かいはずです」

 何故かふふん、と自慢げに言った陽和の言動に、夏苗は驚きの後に―――クスリと笑っていた。

 「申し訳ありません、殿下。 お心遣い、感謝致します……」

 「そう思うのでしたら、何故そのような格好で外に出ていたのかお聞かせ願えますか?」

 「……はい、勿論です」

 夏苗は自分の胸の下辺りにある陽和の手に、そっと重ねながら口を開いた。

 「ちょっと、この海にいた頃を思い出していまして……あの時も、この海は寒かったですから」

 重ねた手が、ぴくりと動いた。

 しかし黙って聞いてくれる彼女の優しさに、夏苗はもう少し甘えさせてもらった。

 「この海の冷たさを感じることも、そうそうありませんから……自分でも何故なのかよくわかりません。 ですが、忘れたいはずのあの頃の記憶を、思い出していたい自分がいるんです」

 あの時の自分―――あの時の海―――

 国境を通過する直前、追ってきた警備艇。目の前で殺されていく人々。両親を失い、そしてあの冷たい海で最愛の弟を失い―――自分だけが生き残ってしまった。

 守ると誓ったものを目の前で失った記憶。守れなかったと言う現実。あの頃の無力な自分を思い出し、手を掴むことができなかった大切な人を想う。

 それが、ここに来た自分のせめてもの償い。どれだけ謝罪しても許されないことだと思っているけど、それでも想わずにはいられない。

 「……………ッ」

 零れそうになった涙を抑える。泣いてはいけないと思った。自分のためにも、ここで失った大切な人たちのためにも、彼女のためにも―――

 「……ごめんなさい」

 「―――!」

 その声に、夏苗は驚愕した。すぐ背後から聞こえる彼女の微かに震えた声が、夏苗の耳元に直接届く。

 「貴女をこんな場所へ連れてきてしまって……ごめんね……」

 「……………」

 彼女が謝ることではない。彼女が謝る要素なんてどこにある。

 無意識に、夏苗の手は強く握られていた。

 「……申し訳、ありません……ッ」

 噛みしめるように言葉を振り絞る。彼女にそんな言葉を言わせてしまった自分の不甲斐無さ。優しい彼女なら、自分がこの海に馳せる想いを打ち明けてしまったら結果は見えていたはずなのに。

 「……ありがとうございます、殿下。 私はもう平気です」

 彼女の手に触れながら、夏苗はそっと離れる。夏苗の手に触れられた陽和の手が、自然と夏苗の身体を解放した。

 「これ以上ここにいては、殿下のお体にも障ります。 私なんかのために、殿下まで体調を崩すようなことは決してなりません」

 「私の身体なんかどうでも良いです。 でも、かなちゃんと一緒なら」

 陽和は夏苗の手をきゅっと握り締めた。夏苗が視線を向けた先には、自分と同じように頬に涙の跡を作った陽和の優しい笑顔があった。

 「さ、暖かい所に戻りましょう。 かなちゃん」

 「はい、殿下……」

 互いに引かれ合うように、二人はどちらともなく一緒に艦内へと戻る。その間には、二人の手がしっかりと握り締められていた。



 


                      ●




 現時点においては順調と言っても良かった。

 敵のレーダー網に引っ掛からないかひやひやしたが、41度線の通過は無事にやり過ごし、上陸の痕跡も綺麗に除去した。

 これで敵は、自分たちが潜入したことさえ知らないはずだ。

 周囲が森林に囲まれた雪積もる山中で、冬季迷彩に身を染めた武装集団がまるで自然と一体化するように身を潜めていた。事前に与えられた地理的情報から行動の原理を構築し、如何なる現地の目に触れられない配慮に心掛ける。

 自分たちの本当の任務はまだ始まってすらいない。作戦を開始する前に敵に勘付かれては元も子もない。

 彼らは幾重にも重なる過酷な訓練を乗り越える過程で得たものを使い、任務の達成を目指している。特殊部隊最強の部隊と呼ばれているだけに、その能力は推薦した国防大臣の予想すら超えている。

 「同志八雲上尉、全ての携行品の確認を終了。 異常はありません」

 必要と思われる範囲に持ち寄った全ての武器の状態を担当の兵士が報告する。海の上の晴天に反して厚い雲が太陽の光を遮る薄暗い中、腕時計を見詰めていた浩は「そうか」とだけ答えた。

 兵士はその返事だけで自分のいる意味はなくなったと理解し、すぐにその場を離れた。

 「……………」

 浩は双眼鏡を手に、木々の先を見渡した。自分たち以外に、人の気配はないことを確認する。

 そしてもう一度自分の左手首に付けたスイス製の腕時計を見る。脳内が、作戦開始時刻と現在の時刻を比較する作業を行った。

 「同志上尉!」

 偵察に向かわせていた二人の兵士が足元のものを上手く避けながら駆け寄ってくる。浩の前に辿り着くと、彼らはぴしりとした敬礼を掲げた。

 「指示のありました方向を見張っていた所、目標がむつ湾の方へ向かっている姿を視認致しました」

 「そうか。 予定通りだな」

 海峡の方へ見張りに立たせていた兵士たちの報告を聞き、浩は改めて今の流れが順調であることを確認した。

 「よし、移動だ。 全員、準備しろ」

 次の段階に踏む頃合いを掴む。浩の指示通り、兵士たちが的確に動き始めた。

 「同志上尉、少しばかり気が早くないか? もう少し慎重になっても良いのではないかと思うのだが」

 政治将校の沙希が、少し怪訝気味に言葉を投げかけた。しかし浩は物ともせずに自分の携行品を抱えながら答える。

 「事前に定めた作戦内容より若干早めているぞ」

 「同志中尉、所詮上の者たちのやっていることは机の上で妄想を書いているだけに過ぎない。 現場での状況における判断が一番だ」

 「この作戦自体、党中央からの命令だぞ? 同志上尉は党に逆らうと言うのか」

 「同志中尉、俺たちの司令官は誰だ?」

 浩の問いかけに、沙希は強い気迫を静かに浩へ向ける。浩はそれを真正面から受け止めながら、沙希の唇が動くのを待った。

 「敬愛する党首同志だ。 他に誰がいる」

 「党首は俺たちに何を命令された? 同志中尉は党首から何か聞いているのか」

 「何を血迷ったことを。 党中央の命令は、すなわち党首同志ご自身のお言葉だぞ」

 「俺は札幌で党首から、狐を12月1日までに札幌へ連れてこいと命令されている」

 それは党中央等と言う欺瞞な連中からのルートではない。

 最も『党首のお言葉』を伝えることが出来る人物からの―――

 「……………」

 無言になった沙希を前に、浩はこれ以上のやり取りは不用と判断し踵を返した。


 足場に積もった雪を踏みしめ、彼らは銃を手に、見知らない地を進む。


 彼らの存在は、未だ気付かれていない。


 彼らの存在を知るのは、もう少し先のこと―――


 その時、南北の日本の間に激震が走ることになる。


 それは前代未聞の作戦。軍による大規模な行動さえ『助力』として達成できることだった。

 

 彼らの『狐狩り』が始まろうとしていた―――


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