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南北の海峡 -The Split Fate-   作者: 伊東椋
第一部 2つの日本
11/63

09 過去の罪


 2014年11月22日

 津軽海峡 白神岬沖12km―――



 北の海から一匹の小さな鯨が流れる波間の間を行く。

 室蘭港から出港した潜水艇『美幌』は美瑛型小型潜水艦の二番艦として竣工した北日本の小型潜水艦である。

 工作員や兵員の輸送を目的とし、特殊作戦用に開発された新型の小型潜水艦だ。本来は南日本へ侵入する工作員の輸送、回収を主な任務としているが―――今回もまた似たようなものだった。

 北日本の小型潜水艦は南への工作浸透活動や来たるべく南との大規模戦争に備え、それぞれ浸透用や戦闘用に特化した小型潜水艦の開発に積極的だった。

 彼らが乗る本艦は浸透用に特化した艦だった。南側に気付かれずに近付くには、北日本国内においては美瑛型が最適だった。

 そして遂に南日本との境界線である北方軍事境界線―――通称、41度線を越え、隠密の内に本州の陸地へと徐々に近付いている。

 さすがは北の人民の叡智―――して、その中身は如何程のものだろうか。

 そんな内部はお世辞にも広いとは言い難く、むしろ狭い印象を十二分に植え付ける構造だった。人一人が通るのに精一杯な通路、その先には艦橋、居住区、便所、機械室が所狭しと備え付けられている。

 その艦内に乗員客人と二十数人が居るのだから、窮屈感と暑さは同居人として追加され放題である。しかし彼らはそれにも文句一つ言わず、狭くて暑苦しい艦内の中で数日間を共にしながら、与えられた任務のために身を焦がす。

 そんな最悪の環境下に置かれても、興梠璃乍上級兵士も異臭と蒸し暑さにじっと耐え続けていた。

 まるで小動物のように身を包まっている彼女のそばには、同じくその息苦しい空気の中を必死に耐え抜く選ばれた兵士たちが佇んでいた。

 彼らの向かう先は、南日本・東北地方青森県沿岸―――

 「……………」

 隅の方でじっとしていた璃乍は、首元にさげたペンダントを小さな手に包む。そっとペンダントの蓋を開き、中身に入っている写真を眺めていた。

 「わあ、きれーな女の人ね」

 「―――!」

 突然降りかかった声に、璃乍は驚いてペンダントを庇った。見られてしまった―――璃乍は焦燥を過ぎった。

 視線を向けた先に、一目見てもわかる外国人の少女―――彼女の着る戦闘服の黒さが、一際彼女の白すぎる肌と髪を眩しく強調していた。

 少女の碧眼に見据えられた璃乍は、ペンダントを庇ったまま金縛りのように動けなかった。そんな璃乍を見て、少女はくすりと笑った。

 「そんなに驚くなんて、可愛い所があるのね」

 「……………」

 陰湿な艇内に似合わない笑顔を浮かべている顔の形や瞳の色、真っ白な肌の色や髪は外国人そのものだが、それでも土屋イリーナは外見に寄らない流暢な日本語と共に自身を日本人であると強く断言している。

 個人情報に謎が多い兵士たちが集まった第803部隊の中でも、彼女の存在は様々な意味で特に異質だった。

 「リサは元から可愛いけどね。 なのに803の中では凄い優秀で……そんなギャップも溜まらないわ~」

 「……………」

 そして別の意味で部隊の中では同じ異質である璃乍に対して、イリーナは何かとよく絡んでくる人間だった。部隊の中でも他の兵士と比べ、イリーナは何故か璃乍にばかり構ってくる。

 異質同士――――と言うことなのだろうか。

 「ねえ、さっきのペンダントの写真。 写っていた綺麗な女の人って誰なの?」

 「―――!」

 璃乍はびくりと反応した。やはり見られていた―――璃乍は高鳴る鼓動を抑える。

 そんな璃乍の反応が珍しくて、イリーナは自身の問いが如何に彼女にとってタブーだったのかを思い知る。

 「あ……」

 璃乍の心情を察したのか、イリーナは複雑な表情を浮かべた。

 「ごめんね……言いたくなければ別にいいわ。 ここにいるってことは、そういうことだし……」

 「……………」

 棺桶のような空間に押し込まれたように固まるものは、人だけではなく個々の露にできないような事情も含まれる。

 ここにいる人間は皆そうだ。それぞれの過去を抱え、その過去を償うためにこの部隊にいる。

 「私もね……見ての通り、私自身が異常だから。 なんで外国人が、って思うでしょ……?」

 璃乍が顔を向けると、初めて見せるイリーナの寂しそうな表情があった。

 イリーナは、自分の償う過去を明かす。

 「私はね……スパイの容疑で捕まっちゃってさ……部隊ここに来るまではずーっと寒い牢屋にぶち込まれてたのよね」

 「!」

 イリーナは目を細め、遠くを見詰めるように語り始める。その碧眼が見詰めるものは、己の過去だった。

 「ロシアのスパイなんじゃないかって……ね。 私、移住道民なの」

 「移住道民……」

 現在、300万の人口を有する北日本。南日本との戦いで荒れ果てた道内各地を復興させるため、北日本政府は、主に東側諸国を対象とした諸外国からの移民の大量受け入れを始め、移住民を投入しての復興事業を実施した。

 復興後、北日本への居住を望んだ外国移民は北日本の国籍を取ることを許され、北日本国民として居住を続けた外国人は移住道民と呼ばれた。北日本政府は彼ら移住道民を国民として迎え入れることを正式に認め、南日本に劣る人口の数を移民導入で補おうとした。

 現実問題、階級社会を抱える北日本においては移住道民に対する差別や摩擦が深刻化しているのが実情で、今となっては移住道民の外国人たちは北日本政府のお荷物と言っても過言ではなかった。

 「あたしのおばあちゃんは戦争中に共和国に渡ってね……戦争で生き残って、国に帰らないでそのまま居続けることにしたの」

 「祖国解放戦争……」

 半世紀前に、南北の日本の間で起こった一度きりの戦争。第三次世界大戦の危機をも匂わせた極東の列島で起きた軍事衝突は、日本人にとって忘れられない歴史の記憶だった。

 「驚くかもしれないけど、日本解放戦争に派兵した当時のソ連軍にはごく普通に女性兵士が存在したの。 あたしのおばあちゃんはその一人だった」

 「……!」

 イリーナの祖母が兵士としてあの戦争を戦った。その事実が璃乍に衝撃を打たせた。

 「なんで戦争を戦い抜いたおばあちゃんが、そのままあの国に残ったのかはわからない。 あたしが小さい頃に、亡くなったし……」

 「……………」

 「でもね、きっと何か理由があったんだと思う。 それがどんな理由かはわからないけど、あたしはそれをいつまでも探してみたいな、って思ってた……」

 イリーナは一瞬、悲しそうに瞳を揺らすと、璃乍から見えないように顔を下げた。しかし璃乍はその顔を覗こうとはしない。イリーナがどんな表情をしているのか知っていたから。

 「でも……あたしは家族もろとも、おばあちゃんに居続ける決意をさせた国に何もかも奪われた。 あたしの人生は、未来は……あの国では認められなかった……」

 「イリーナ……」

 「……あは、初めて名前で呼んでくれたね」

 顔を上げたイリーナは―――笑っていた。

 少し、無理っぽく。

 「……あのね、イリーナ」

 「なぁに、リサ」

 璃乍はあるものを込めた手を、イリーナにそっと差し出した。イリーナが見守る中、その手がゆっくりと開かれる。

 その手のひらには、ペンダントにはめられた女性の写真があった。

 「リサ、これ……」

 イリーナの言葉に、璃乍はコクリと頷く。

 「この人、私の……お母さん、なの……」

 「そ、そうなんだ…! すごく綺麗なお母さんだね……!」

 イリーナは先程とは打って変わっての笑顔を咲かせた。璃乍が初めて自分に心を開いてくれたこと、色々なものが織り混ざって、イリーナの感情を浮かれさせた。

 「(……あれ? でも、この人どこかで見たような……)」

 イリーナがふと、写真から浮かんだ微かな違和感に疑問を抱く。その時、ペンダントの中の写真を見せる璃乍の小さな口が、ぼそぼそと呟いた。

 「私も……イリーナと、一緒……だよ……」

 「え…ッ?」

 ぽかんとしたイリーナの目の前で、璃乍が意を決したように顔を上げた。

 「私のお母さんの名前は、興梠璃絵……私のお母さんは、民主活動家……だったの」

 




 璃乍は札幌で生まれ育った。日本人民共和国の首都である札幌に住むことは上級道民に許される。

 共和国には階級制度と言うものが存在し、国民は党への忠誠度に基づき『上級道民』『中級道民』『下級道民』へと分類された。

 祖国に最も忠実で大きな貢献を齎すとされた上級道民は主に首都での生活を義務付けられている。札幌での生活は北日本国民にとっては勝ち組なのだ。

 上級道民は党員や解放当時からの労働者などが多いが、璃乍の両親は解放後に高等な教育を受けた知識人の家系だった。

 父親は北大の教授、母親もまた父と結婚するまでは講師をしていた。

 璃乍は、父と母は性格が正反対だったことを強く印象に残している。穏やかで優しい、内気な父。同じく優しく、璃乍にとっても大好きなお母さんだったが、活発で何事も自身の考えを貫き通す強い女性だった母。

 璃乍はそんな両親の下に産まれ、暖かい家庭の中で育った。幸せな家族。しかしそんな家庭の違和感に気付いたのは璃乍が小学校高学年の頃だった。

 璃乍の母はよく外に出て、誰かと会うことが多くなった。最初は単なる違和感だった。璃乍は子供なりに親の不審さに気付いていた。

 毎週のように家に来る手紙や分厚い封筒を、慎重に扱う母の姿も見られた。母が何をしているのか、その頃の璃乍にはまだわからなかったし、父に聞こうとも考えなかった。

 母の怪しい行動が明らかになったのは、とある事件がきっかけだった。民主化運動のために広場に集まった群衆を、事前に情報を掴んだ秘密警察が一斉に検挙。学生、弁護士などの市民と秘密警察が衝突し、大勢の人間が逮捕された。

 北日本において民主化運動など元から認められないものであり、この事件も珍しいものだった。

 政治総省による厳しい監視体制の下で民主化運動など自殺行為に等しいものだったからだ。必ずどこかで目論見が知られる。元から出来るわけがないのだから、実行に移す者は過去にいないほどだ。

 だが、それでも璃乍の母は―――彼らは実施すら不可能な民主化運動をやろうとした。そうまでして母は何を訴えたかったのだろうか―――璃乍は今でもその答えを見つけることが出来ていなかった。

 

 秘密警察に逮捕された母は事件の主犯として網走刑務所へと投獄された。残された璃乍と父親も自宅までやって来た秘密警察に『事情聴取』として連行された。

 何事であれ祖国に逆らった行為を犯した罪は―――当然のように家族にまで及ぶ。二人は離ればなれになり、各々で『事情聴取』が始まった。

 「わ、私……何も知りません……ッ」

 事務机を挟み、秘密警察の人間を前に、パイプ椅子に座らされた璃乍は厳しい事情聴取を受けた。逃げられないようにするためか、扉の前と璃乍の肩の後ろにも秘密警察の人間が立ち、璃乍は恐怖の中で必死に抗弁を続けていた。

 「我々は国家や党に仇名す反乱分子を洗い出すのが仕事だ。 決してままごとなんかではないぞ、小娘?」

 目の前の男は子供の璃乍であっても容赦はなかった。男の鋭い視線は怯える璃乍の隅々を縛り付け、決して逃がそうとはしない気迫があった。

 「貴様の母親は通常ならただの主婦だ。 その子供なら、親が何をしていたのかわかるはずだろう」

 男は璃乍の震えを見て、口元を嫌らしく歪める。

 「本当のことを言った方が、身のためだぞ?」

 「私……本当に、何も知らないんです……ッ!」

 ありったけの勇気で叫んだ璃乍に対し、男は不機嫌気味に口を閉ざし、璃乍のそばに立っていた別の男に目で合図した。その直後、璃乍は突然胸倉を掴まれ―――何もわからない内に、男に顔面を殴り付けられた。

 「が……ッ」

 パイプ椅子が倒れ、璃乍の小さな身体が吹き飛んで壁に叩きつけられた。壁を背に、璃乍は痛みと共に口の中に鉄の味が広がるのを感じた。そこでようやく、殴られたと言う事を自覚した。

 「うぇ……ッ、あぐッ」

 そんな璃乍を、事情聴取の男が胸倉を掴んで引き寄せた。璃乍の目の前に、歪んだ笑みを浮かべた男の顔があった。

 「身体に教えてやっても良いんだぞ? 小娘」

 「私……私……」

 瞳から涙をぼろぼろと零し、腫れた頬に流れる。身体は震え、璃乍の頭の中は恐怖でぐちゃぐちゃになった。

 「別の部屋では父親も我々の事情聴取を受けている。 本当のことを吐かないなら、貴様ら生きて家に帰れんぞ? 母親のように……な」

 璃乍は目の前の恐怖に、ただ身体を震わせることしかできなかった。






 「……それから、私たち家族は滅茶苦茶になった。 母は投獄されて二度と帰ってこなかったし、父は大学を追放されて、お酒に煽るようになって死んだ。 残された私は……軍に入るしか道はなかった」

 繰り返される同じ質問と、肉体的な尋問。父親と共に釈放された璃乍は精神をずたずたに引き裂かれていた。

 国家に対する反逆的な罪を犯した者は社会から追放される―――それは周囲の人間や家族も同様だった。

 冷戦末期、大規模な民主化運動で転覆した東側諸国の例を見た日本共産党は、1990年代から更に民主化に対する規制を強化した。立ち上がった民衆によって滅んでいった盟友たちの二の舞には決してならないと、政治総省は国民への監視体制を極めていった。

 現在、再び民主化の波が中東を発祥に世界中に広まりつつある。国民に圧政を強いる北日本も国際社会の批判の的になるのは想像に容易い。故に『民主化』と言うのは、北日本にとっては大きなタブーだった。

 「リサ……」

 目の前にいる彼女は、何を思いながらその過去を自分に明かしてくれたのだろう―――イリーナは、璃乍の心情を想った。

 「……!」

 イリーナはそっと璃乍の頭を抱いた。イリーナの手が、璃乍の頭を優しく撫でた。

 「話してくれて、ありがとう……」

 「……………」

 母親が投獄され、自分自身も尋問を受けた璃乍の苦しみ―――イリーナもスパイ容疑で捕まった時、璃乍と似たような苦しみを経験した。だからこそ、イリーナは過去に受けた璃乍の苦痛がわかっていた。

 「……おあいこ」

 「え……?」

 「……あなたも、さっき話した。 だから、おあいこ……」

 イリーナの腕の中で、頬を朱色に染めた璃乍はぽつぽつと呟いた。それを聞いたイリーナの胸の中で、心地良い暖かさが広がった。

 「リサ、大好きよ」

 「……知らない」

 嬉しそうに璃乍の頭を抱き寄せるイリーナ。顔を赤くする璃乍。艇が目的地に着くまでの、少女たちの穏やかなほんの一時だった。



 見えない境界線が引かれた海面の下深く潜り抜けるように、彼らはいよいよ“脱北”を果たした。一軸のプロペラスクリューを祖国に向け、北日本最精鋭の特殊部隊を運ぶ小型潜水艦が息を潜めるように進む。彼らは北の人民がまだ足を踏み入れたことのない島をただ目指した。


■解説



●階級制度

北日本は祖国解放戦争休戦後、党への忠誠度に基づいた分類を国民に定めることで国家運営をめぐり対立勢力を大粛清した。粛清は党幹部や政府高官に留まらず、一般市民にまで及んだ。階級は『上級道民』『中級道民』『下級道民』の三つに分類し、状況次第では政治総省の監視網の基盤としても利用されている。



●日本解放戦争

旧ソ連、ロシア側の北海道戦争(祖国解放戦争)に対する名称。正確には、大戦末期にソ連軍が大日本帝国に対し宣戦布告した戦闘を『第一次日本解放戦争』、義勇軍を派遣した北海道戦争を『第二次日本解放戦争』と分けて呼ぶこともある。



●小型潜水艦『美幌』

美瑛型潜水艦の二番艦。特殊作戦用に開発、建造されたために浸透用に特化している。北日本が開発・運用する全長35メートルほどの新型の小型通常動力型潜水艦。北日本軍は現段階で約12隻を保有しており、今後も増産されると分析されている。



●網走刑務所

北日本最北の刑務所。凶悪犯や政治犯が収容されている。




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