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南北の海峡 -The Split Fate-   作者: 伊東椋
第一部 2つの日本
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08 神の子

 白く染まった大湊の飛行場に降り立った伏見宮陽和は臣下の八雲夏苗近衛兵団中尉を引き連れ、北方軍事境界線の警備を司る帝国海軍の大湊基地へと訪れた。近々行われる軍事演習に対する視察が目的だった。



 「こんな時期に演習と言うだけでも微妙であるのに、殿下をそんな危険地帯に向かわせるなんて上は一体何を考えているのでしょうか」

 ここに来て改めて今回の陽和の視察に夏苗は不満を漏らした。

 昨今の北方軍事境界線での緊張をお上が理解していないはずがない。何せ、この演習に対して相手から直接文句を言われているのだ。

 国防のために行う演習自体に不満があるわけではない。北の言うことに同調するわけでもない。

 ただ、タイミングが気に入らない。そこへ親愛なる彼女を行かせると言う意図が怒りを感じさせた。

 上のくだらない思惑や都合の結果が導いたもの。それが今回の演習と陽和の視察を決めた原因だった。

 「こういう所はまだ子供なんだねぇ……」

 隣で夏苗と同じように扉に背を向けた佐山が、ぽつりと呟くように言った。そこに本人に聞こえない気配りなど皆無だった。

 「私は殿下の身を案じているだけです」

 冷静に、しかし内側に込められた強い気は、佐山には筒抜けだった。

 「過保護だね」

 「……………」

 夏苗は無言で佐山に睨み付ける。それを受け止め、佐山は肩をすくめた。

 「殿下のご準備が整いました」

 扉の向こうからの声に、夏苗と佐山は扉から離れ、迎える体勢に入る。夏苗と佐山の目の前で、扉がゆっくりと開かれる。

 開いた扉から、ちりんと聞こえた鈴の音。それは彼女の存在を表す音だった。

 二人は頭を下げた。二人の君主が、ゆっくりとした足取りで部屋を出る。

 顔を上げた夏苗は、目の前に立つ少女の姿を視界に入れ、胸をどきりとさせた。美しい皇女の和を具現化した正装は、まるで日本の神話から降り立った女神のように神々しい。現代は無き現人神の子孫としては充分な存在感を構築している。

 その細い端正な顔立ちを見れば、まだ少女と呼べる幼さがあるのだが、それさえも神格化してしまう程の美しさが彼女を調和していた。

 やはり自分とはまったく違う―――彼女は別世界に生きる存在なのだ。それは届かない、高い世界。

 「どうですか、中尉。 一応既に確認はして頂いたのですけど、どこか変な所などありませんか……?」

 陽和の言葉にハッと我に返る夏苗。取り繕うように切り替え、口を開く。

 「いえ、相変わらずの御美しさを更に極められておられます。 殿下」

 「八雲中尉の言う通りです。 よくお似合いですよ、殿下」

 「ありがとうございます、お二人とも」

 「殿下の御美しい姿を目の前にすれば、さぞや将兵たちもお喜びになることでしょう」

 「もう…ッ、言い過ぎですよ大尉」

 照れ臭そうに微笑む陽和と、優しく微笑みかける佐山。客観的に観ても、二人が親しい間柄であることは明白な光景だった。

 「……………」

 それを見て、ちょっと妬いてしまう自分がいることを、夏苗は理解していた。

 「中尉」

 「―――!」

 呼びかけた夏苗に対し、優しげな微笑を浮かべる。夏苗は表情を引き締め、「は」と短く応対した。

 「また、見守っていてください」

 女神のような―――いや、天使のような微笑みで、陽和は言った。

 夏苗はそんな君主の命を、親友としてのお願いを、当然のように受け止めた。

 「行ってらっしゃいませ、殿下」

 外では、集まった大勢の将兵たちが彼女を待っている。佐山に連れられそこへ向かう彼女を、夏苗は頭を下げて見送った。


 大湊基地へ訪れた伏見宮陽和皇女殿下は、大湊基地所属の将兵たちの前で演説し、北方軍事境界線を警備する彼らを、演習に参加する彼らを、帝国の最前線に立つ全ての将兵たちを激励した。古来より皇族軍人の家系として海軍に籍を置く伏見宮の皇女の存在は、最前線を任地とした将兵たちにとってはこれ以上とない励ましとなった。

 夏苗は、将兵たちを激励し公務に励む陽和をずっと見守り続けた。確かに遥か高みの届かない世界に彼女は生きている。だが、それでも彼女を守るのが自身の使命であり、意志だ。本当なら泥沼の底で這いずりまわっていたはずの自分がここにいられるのは、彼女のおかげなのだから。







                  ●







 春の陽気に照らされる革命大通広場は、札幌の象徴であると同時に市民の間で人気の広場でもあった。特に休日には子供連れの家族がピクニックに訪れる姿も見られる。左右から無機質なビル群に囲まれた大通広場は、緑が生い茂る広い公園のようでもあった。

 「コウ、ちょっと来てみて」

 こうして夏苗姉さんと二人で遊びに来ることも珍しくなかった。屋台で焼きトウモロコシを買った俺と夏苗姉さんは、道の隅にあったベンチへ腰かけた。

 焼きトウモロコシを食べていた俺たちのそばへ、広場の鳩が寄ってくる。その数はすぐに増えていった。

 「あげてみようか」

 そう言って、夏苗姉さんは自分の焼きトウモロコシの欠片をぱらぱらと鳩たちの前に落とす。鳩たちは群がるようにして集まり、夏苗姉さんからの頂き物を夢中になって食べ始める。

 「コウもあげてみたら?」

 夏苗姉さんが買ってくれたものを野生の鳥たちにあげると思うとあまり良い気分にはならなかったが、夏苗姉さんの優しげな笑顔に負け、俺は結局目の前の卑しい鳩たちに自分の分を少し恵んでやってしまうのだ。

 「本当、自由で良いよなお前ら……」

 群がる鳩たちを見て、俺は何気ない一言を呟いた。

 その時、隣で夏苗姉さんが複雑そうな表情を浮かべたことを、俺はふと気付いてしまった。

 何故、夏苗姉さんはあんな表情を浮かべたのか。その時の俺にはまだわかっていなかった。

 夏苗姉さんの――――蒼い瞳が悲しげに揺れた意味を、俺は知らなかった―――



 暗い部屋のベッドで浩は目を覚ました。

 また姉の夢―――南日本が絡むと、特に思い出す過去の記憶。

 浩は隣で眠っている女を一瞥する。部隊では兵士たちの恐れる政治将校である彼女だが、夜のベッドの上では一人の女だった。

 浩は自分と同じように一糸まとわぬ姿で眠っている沙希を起こさないようにベッドから離れた。

 机の上には、ベッドに向かう前に彼女と飲んだ酒が入ったビンとグラスがそのまま置かれている。浩はグラスを手に取ると、冷蔵庫から天然水を取り出し、グラスに注いで飲み下した。

 喉の渇きを潤した浩は、床に無造作に投げ捨てられた自分たちの衣服を避け、家族の写真立てのそばにずっと置いてある辞表の封筒を取った。

 新たな任務。それは過酷で、簡単で、そして浩にとっては今までで一番の嫌味だった。

 「……………」

 失った家族の写真を見詰める。そこに写る目つきの悪い子供。そのそばで優しく微笑む、蒼い瞳の少女。

 浩は写真を抜き取ると、辞表の封筒と一緒にライターの火で炙った。それは火を前にすれば、どちらともただの紙だった。

 オレンジ色の炎に浸食され、黒く染まりながらじわじわと消えていく昔の自分と家族を、ただ見詰めるだけだった。


 燃えていく辞表―――燃える端から、南日本を表す文字が炎に呑まれ、そして消えた。


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