第九話 魔女の口紅は濃い色です。
ジークとサタルーシュの二人に挟まれて、おとなしく街並みを見ながら歩いていて思い出した。
「そうだ。化粧品が欲しいけど、売ってる店知ってる?」
カバンに入っているのは、ミニサイズの基礎化粧品と口紅のみ。家政婦といえども仕事をするのなら、最低限の化粧はしたい。
「あー、それじゃあ雑貨屋だねー。トーコも化粧するんだー?」
サタルーシュが、楽しそうな声を上げる。異世界人が何を見てどう反応するのか観察するのが楽しいというのは本当っぽい。
「するわよ。今はあんまり濃くはしないけど」
借金を背負うまでは、化粧フリークだった。百貨店のカウンターやドラッグストア、ありとあらゆる化粧品を試して買い集めていた。全部ネットオークションで売ったけど、開封した化粧品はブランド物だろうと何だろうと、二束三文にしかならなかったのは苦い思い出。
ブランド物の基礎化粧品を買うのをやめて、昔からある素朴な基礎化粧品にしてから肌の調子が物凄く良くなったのは衝撃だった。
連れて行かれた小さな店には、壁の棚一面に緑色や青色、赤色の瓶が並べてあった。カットする前のいろんな色の石けんの塊が机に置いてあったり、とにかく可愛い。花や果実のいろんな匂いがしても、人工的な匂いじゃないから快適で心地いい。
店内には手編みのショールや手織りの布で作られた鞄、いろんなハンドメイド品のセレクトショップの雰囲気。
「うわー。噂は聞いてたけど、魔女の薬と化粧品。初めてみるよー」
サタルーシュは青や緑の瓶を手にとっては目を輝かせていて、ジークはそわそわと目を泳がせていて落ち着かない。
化粧がやたらと濃い水色の髪の女性店主に説明を受けながらさっぱりタイプの化粧水と乳液、香料の入っていないハンドクリームを選んだ。買う予定はなかったけれど横にあった口紅やらアイシャドウに元・化粧フリークの血が騒ぐ。
「うわー。真っ赤っかー」
小さな平たくて丸い木の容器に入っていた口紅はクリームタイプ。赤い。果てしなく赤い。オレンジ色や血色の赤、オペラピンクもあるけれど、淡いピンクやベージュはない。何故か濃い紫色と青黒く光る玉虫色も口紅としてあった。誰が使うんだろ。
「グロスとかないわよねー。そりゃそうよねー」
物凄く粒子が細かくて、きれいな発色だけれど、とにかく色が少なくて寂しい。
「これなら、指で軽く色を乗せてはちみつ塗る……かな」
口紅もアイシャドウも全てクリームタイプで筆塗りが基本らしい。これなら私は指で塗ると言ったら、店主が目を丸くして実演して欲しいと言われたのでみせる。
「こうやって、指で軽く叩くようにして色を乗せます。最初は薄く、濃くしたい場合は何度か繰り返します」
「これなら、ずいぶん節約できますね!」
店主の感想が随分ずれているような気がするけれど、毎日べったりと塗っていれば減りも早いだろう。店主の目の上の緑色のアイシャドウと赤い口紅はチューブから出した絵の具をべったりと塗りつけたように見える。
「あ、日焼け止めはありますかー?」
そう聞いて出てきたのは、緑色の瓶に入った乳液だった。
「日焼け止めは、初めて売ります」
店主が苦笑する。
「え? 売れないんですか?」
「魔女ミサキの作る化粧品だから預かっているのですが、着けても透明になるし何に聞くのかさっぱりわからなくて。それでいて、それなりのお値段なので誰も買わないんです」
「いやいや、日焼け止めは必須ですよ。たとえ白粉を付けなくても、これは必要です」
「そうなんですか?」
「……古いんじゃないですか?」
「これは三日前に納品された物ですから大丈夫ですよ」
魔女の作る化粧品かー。何か効きそうな感じがいい。
いろいろ買いたくなるけれど、服を買い過ぎたので自重する。化粧水と乳液、ハンドクリームと日焼け止めで赤銅貨八枚。赤銅貨千枚で金貨一枚だから、ずいぶん安いと思う。
金貨を出そうとするとジークが替わりに払ってくれた。どうやら金貨でお釣りをもらおうとするのは大変らしい。過剰な包装をされそうになったので、手近にあったエコバッグに似た袋を買って入れてもらうだけにした。服の時もこうすれば荷物も少なく済んだのに。ちょっと気が付くのが遅かった。
「ありがとー。後で返すわね」
店を出てお金を出してくれたジークにお礼を言う。
「返さなくていい。服も俺が金を出すぞ?」
「いらないわ。変態から巻き上げたお金だから、ぱーっと使っちゃいたいのよ」
「あ、なるほどねー。買いっぷりが豪快なのはそういうことかー」
サタルーシュが納得したというように手を打った。
その後、鞄や靴、生活に必要な物を見て回る。浮かれながらの買い物だったので、あっという間に夕方になった。
◆
夕食は別の食堂に案内された。早い時間だからか、人はまばら。ジークが頼んでくれて味付けされていない肉料理が出てきた。
「……何、このワーム肉」
大きな皿に盛られているのは、十センチ厚、直径三十センチの木の切り株のような形状の肉のステーキ。昔ゲームで見た細長いワームの輪切り肉にそっくり。
「おいしいよー?」
サタルーシュが指でちぎって口に入れている。
(そうか、ナイフもフォークもないんだった)
「ちぎろうか?」
ジークが手を伸ばしてきたけれど、ぺちりと叩き落す。
「結構よ」
ちょっと冷たかったかなと思ったけれど、他人に肉を手でちぎられるのは抵抗ある。少々の罪悪感と共にジークの顔を見れば、叩かれた手を撫でながら目をきらきらさせているので問題はなさそう。
(……っていうか、何故喜んでいるのかわからない。可愛いけど)
肉の繊維を見ながら手でちぎると結構な塊に。細かくするのも面倒になって、おもむろに噛みついてみる。
「美味しい!」
形状はアレだけど、味は高級和牛。添えられた塩と胡椒を少しだけ振るとさらに美味しい。
パンと焼き野菜と肉でお腹がいっぱい。食べきれなかった肉はジークがぺろりと食べきった。ふむ。魔術師は普通の人並みだけれど、騎士の食事量は半端ない。肉は二枚半、スープに焼き野菜は三人分、パンは十個食べている。
食事を終えるとお酒が出された。
「これ、美味しー!」
淡いオレンジ色ですっきりとしてフルーティ、油っぽい肉料理に合う。どうせなら食事の途中で出して欲しかった。食事の時に添えられるのは水替わりのリンゴの発泡酒だけだった。
「ああ、特産の葡萄酒だ」
ジークが笑って空にしたグラスに注いでくれる。
「ワインなの? この世界の葡萄はオレンジ色なの?」
「オレンジもあるし黄色もあるよ。他の国では紫とか黄緑色が多いけど」
サタルーシュは黒ビールに似た発泡酒を飲んでいる。一口もらうとそのコクと複雑な味に驚く。
「この世界の料理はあわないけど、お酒は最高ね!」
思えばお酒も久しぶり。私の窮状を知って、頻繁におごると言ってくれた友達もいたけど、流石に友達に集るようなことはできなかった。ジークと二人でボトルを一本空けて店を出た。
◆
サタルーシュと別れてジークの部屋に戻ると買った荷物が届けられていた。必要最低限の衣類を出して、先にシャワーを浴びてベッドに潜り込む。
久々に沢山歩いたのもあるけれど、夢の中なのに、石畳を歩くのは本当に疲れた。あ、これは目が覚めたら足がつるという予告なのかも。
脚をマッサージしていると、ジークが浴室から出てきた。下履きだけで上半身は裸で、首にガーゼのようなタオルを掛けている。私の方は買ったばかりの袖なしで裾の長い綿の夜着。
「ジーク、明日はお仕事何時から?」
「明日も休みをもらう」
「は? 働きなさいよ」
「婚約の時は二日間の休暇がある。給金は減らないから大丈夫だ」
「あ、そう」
有休休暇ってことか。その辺りが、きっちりしているのは妙に安心できる。
「……トーコ……本当に魔術師寮で働くのか?」
「働くわ。王都に出るより安全でしょ?」
行き交う人々も店の雰囲気も明るくて童話のような街でも、路地の奥にはヤバそうな空気が流れていた。スリの少年もいたし、異国人の女一人で歩いて平気な街ではないと思う。夢とはいえ、危険は避けたい。
「それはそうだが……」
黙って伏目がちになるとジークは色っぽい表情になる。美形だから絵にはなるけれど、私の好みは情けなく眉尻を下げる表情。
「……俺は……」
「ストップ。キスも行為も結婚してからよ」
ジークが放つ妙な甘い空気を感じて、私はぴしゃりと言い放つ。
「トーコ……」
ジークはまさに待てを喰らった大型犬の表情で、ぞくぞくして気持ちいい。自分の性癖が痛いとは思っても、夢なんだから好き勝手してもいいだろう。
「おやすみ、ジーク」
そっと囁いて、頬に軽くキスすると、私の頬に優しいキスが返ってきた。
「おやすみ、トーコ」
優しい声と、葛藤が混じる吐息がくすぐったい。
眠るのがちょっとだけ惜しいかもしれない。
……眠ったら、この夢、覚めちゃうのかな。




