第四話 筋肉質な腕枕は硬いのです。
汚部屋とは言い切れない程度の乱雑な光景に溜息一つ。収納場所が少ないのに物が多過ぎて壁が埋まっているのと、あちこちへ無造作に置かれた酒瓶と木皿、積まれた服がヤバさを醸し出している。
「これから私もここで生活するのよね?」
入口とは別の扉の中は洗面台とシャワーとトイレと思しき設備。別室なんて望めなさそう。
「一緒に住んでくれるのか!」
ジークは、何故かきらきらとした期待の眼差し。
「別室って用意してもらえるの?」
「両隣は同僚の騎士の部屋だ。……どうしてもというのなら、部屋を用意してもらうが……女の一人部屋は王と王子が合い鍵を持っている……」
その言葉に背筋がぞわりとした。どんな王と王子なのか知らないけれど、たとえ美形でも知らない男が夜這いに来るのは絶対に嫌。
「じゃ、ここでお願いします」
意味ありげに肩に置かれたジークの手を払いのけ、見た目でわかりやすい酒瓶と木皿を物の山から引っ張り出す。
「うわ、やっぱカビてる! ちょっと、これって、どのくらい放置してるの?」
黄色や緑に茶色のガラス瓶は、どれもこれも、内部に謎のもこもこした物体が発生している。もこもこは白だったり、緑だったり、黒だったりで怖すぎる。
「……酒が許されてからだから……三年分だな。外で飲むことが多いから少ない方だと……」
「言い訳はなしよ! 量に関係なく、こんなの部屋に置いてたら病気になるわよ!」
木皿の一部にも、何とも言えないカビと染み。
「……私の知り合い、部屋でキノコ生やしてたのよね……」
それは私に借金を押し付けた元友人。学生の頃からずっと有機系の汚部屋で、時々救援要請が来ていた。最初は数名の友人が片付けを手伝っていたのに、最後は私一人だった。
騙された私を馬鹿にする知人もいた。他人を助けて快感を得る傲慢な人間の末路とも言われたこともある。
ただ、私は目の前で困っている友人を黙ってみていられなかった。借金の保証人を頼まれた時、もし逃げられても三十万は手切れ金だと覚悟して承諾した。子供の頃からの友人だったから、まさか騙してくるなんて思わなかった。
……部屋の片づけをする夢は、忘れていた過去を思い出して整理する為なのだろうか。
「黙って見てないで、瓶洗って!」
おろおろとしているだけのジークに指示をして、浴室で瓶を洗ってもらう。瓶はリサイクルするだろうけど、カビが発生したまま返すのは気が引ける。
酒瓶は約六十本、木皿が二十三枚発掘された。次に衣類を発掘していると、物で埋もれた壁には窓があることが発見された。窓ガラスは半透明で、巨大な鱗のような模様が美しい。
「窓があるじゃない! ずっと使ってなかったの?」
「ああ、久しぶりだな」
鉄枠の窓の前に積み上がっている荷物に膝をついて窓を開くと、金属が軋む音が部屋に響く。
「これ、ガラスじゃないの?」
指で触れると、ガラスの硬さではなく樹脂っぽい。
「オオトカゲの鱗だ。ガラスより高価だが火や水に強いから、城や砦には使われている」
「トカゲ? ちょっと待って。これが鱗一枚なのよね?」
両開きの窓のサイズは縦横九十センチある。鱗一枚が縦九十、横四十五センチ以上となると、トカゲサイズとは思えない。
「ドラゴンの間違いじゃないの?」
「竜とは違う。竜の鱗は貴重な薬の材料として使われるから、窓に使ったりはしないな」
「へー、そうなんだ」
扉と窓を開けると風が吹き抜けていく。どことなくどんよりとしていた部屋の空気が一気に明るくなって、心も軽くなる。
二人で空き瓶を抱えて城の酒蔵室に返却し、大量の洗濯物を洗濯室へと依頼。何度も往復して、部屋の半分が片付いた頃には、日が傾きかけていた。
「へー。異世界でも夕日は夕日なのねー。月の位置は変わらないの?」
夕焼けの中、赤と緑の巨大な二つの月が場所を変えずに空に存在している。
「ああ。フランとフラムは、常に空に浮かんでいる」
「月の満ち欠けはないの?」
「フラムには満ち欠けがある。夜になると空に昇る白い月だ」
月が三つ。何というファンタジー世界。
◆
夕食は騎士の食堂へ。夜は塩辛い料理のオンパレード。巨大な皿の上に山積みされる超厚切りステーキと、申し訳程度に添えられた焼き野菜、ハーブ漬けの巨大なゆで卵等々。すべて手づかみなのがツラい。
「人、少なくない?」
「まだ夕食には早い時間だからな」
厚切りというより、もはや肉の塊のステーキを手づかみで食べる姿は豪快。美形補正はすさまじく、不快感はないから不思議。細長いパンをかじりつつ料理をつまんでいると、騎士バルベがやってきた。
「よう、ジーク! 婚約おめでとう! 良かったな! 逃げられなくて!」
「逃がす訳ないだろ」
バルベの余計な一言へ、余裕の笑みを浮かべるジークに苦笑する。
「今日は酒を飲みにいかないのか?」
「ああ。もう飲みに出ない」
「そうか、それなら、ここで飲むか」
「待て、明日の職務が……」
「毎晩、外に飲みに行ってたヤツが、今更何言ってんだ。おい、皆、飲もうぜ!」
バルベの呼びかけで、食事途中の騎士たちも寄ってきて、突然酒盛りが始まった。
「ジークの婚約を祝して!」
「おめでとう!」
そう言われると断れない。私はジークと一緒にお酒を飲むことにした。
◆
夕方に始まった酒宴は深夜にまで及んだ。
バルべや他の騎士たちが酔いつぶれる程飲んだというのに、ジークは平気な顔で飲み続けていた。
「そろそろ部屋に戻るか。付き合わせて悪かった」
「いいわよ。とても美味しいお酒だったし」
料理は塩辛くても、お酒は美味しかった。祝い酒を断るのは悪いと思ったし、騎士たちに飲まされそうになっても、ジークが替わりに飲んでくれたので助かった。無理のない酒量で、ほわほわと気分が良い程度の酔いが回っている。
酔った騎士たちを従者や従僕に任せて部屋に戻った後、浴室の説明を受けた。流石、夢の中。壁の模様に触れるとお湯のシャワーが出た。しかも体と髪の自動乾燥機能もある。一瞬でほどよく乾くのが素晴らしい。この乾燥機、うちにもあったら便利なのに。
タオルはガーゼを何枚も重ねたようなものだった。乾きやすくていいかもしれない。夢とはいえ、細かい設定お疲れ様です。シャワーを浴びてから、鞄の中に入れている携帯用の化粧水とクリームを薄く塗る。
ジークから借りた寝着は、ボタンのない被りタイプのキナリ色のシャツ。オーバーサイズで、袖は長いし足首まで隠れる。ふと思いついて、洗った下着を手に持って自動乾燥機能を使うと、からりと乾いた。
交代でジークが浴室を使う間、ベッドの横に座って考える。
夢だからと言っても、出会った当日に体の関係を持つのは不安。夢だからと何でも許してしまう勇気は無かった。
シャワーから出てきたジークは、上半身裸で下穿き姿。私好みのごつごつし過ぎない筋肉質な体と、溢れる色気で眩暈がしそう。ぐらぐらと揺れる理性が落ち着かない。
ゆっくりとした足取りで、ジークが近づいてきた。その容姿も動きも好み過ぎて、本当にどうしようもなくて、心臓が早鐘を打つ。
「トーコ……」
ジークの指が、私の頬に優しく触れる。その緑の瞳に捕まったような気がして目が逸らせない。
「ストップ。キスも行為も結婚してからよ」
唇が重なりそうになった時、お酒の匂いで我に返った。危ない危ない。これを許したら、きっと行為に及ばれてしまう。どうせなら、綺麗な部屋でお願いしたい。
ジークは完全に待てを喰らった犬のような表情で固まっていて、可愛い。
「掃除して疲れたし、寝る。ちょっと腕枕して」
どうせ夢なら、この筋肉質の腕枕も試しておこうと思った。甘い雰囲気をぶち壊す為に、わざと命令口調でジークに声を掛ける。
「う、腕枕?」
「知らないの? ほら、寝転がる! 腕伸ばす!」
「……あ、ああ」
戸惑うジークに指示をして腕枕を試してみると、滅茶苦茶硬くて寝にくいことを知った。
「かったいわねー。あー、筋肉か。やっぱりいらないわ。お休みー」
筋肉の多い腕枕は硬すぎて、首が変な角度に曲がるから諦めた。
「お、おやすみ」
美形の優しい囁きは耳に心地いい。
布団ではなくて、布を肩まで掛けられて、私は目を閉じた。
◆
朝の光が顔を直撃して目が覚めた。
「んー、カーテン閉め忘れ……じゃなくって! まだ夢の中っ?」
飛び起きようとしたら、動けなかった。がっちりと抱き枕状態。
「起きなさいよ! 離せ!」
叫ぶとジークが目を見開いた。
「うわっ! 何だ? ……うわわわわわわ!」
ジークは驚きの声を上げつつ、ベッドから転がり落ちるようにして部屋の壁に背を付けて張り付いた。
「この夢、まだ覚めないのかしら」
もしかしたら、結婚まで続く夢なのか。それにしてもリアル過ぎて驚きの連続。
「……俺も、実は夢じゃないかと疑ってる」
「そうなの?」
寝起きのジークの微笑みは柔らかで、何となくほっとする。少し悪戯をしてみたくなった。
ベッドから出て、壁に貼り付いたままのジークに近づいて、頬に軽くキスをして離れる。
「え?」
驚きの表情で固まるジークも可愛い。
「これは挨拶。ここまでならOKよ」
我ながら、大胆過ぎると思う。余裕のある表情で笑ってみても、内心は心臓ばくばく。
頬を赤くするジークが可愛くてたまらない。
……この夢、もう少し見ていたいな。




