番外 氷の魔術師の苦悩
私の運命があの女によって変わった。
感謝……しなければならないのだろうが、魔法で氷を作らされたり魚や果物を凍らせるように命令されたりと、最大限にこき使われた思い出ばかりが脳裏に浮かぶので、どうしても素直に感謝はできない。
あの女が振り回していた生魚が顔に直撃した日は、時間がなかったので顔を拭うだけで王城へと向かうしかなかった。……そういえばあの生臭さのお陰で、迫ってきた第二王子妃が逃げて行ったこともあったか。
今の私は、侯爵家の応接室の一つを、結婚準備の部屋として占拠している。私が婿入りすると同時にリッケルト侯爵は引退して田舎の領地に向かうことになっていて、屋敷全体が浮かれている。
引退は早いのではないかと意見してみたが、義父になるリッケルト侯爵は、引退後の釣と狩り三昧の日々を夢見て準備に余念がない。義母は花園を作ると意気込んでいて、引き留めようがなかった。
ソファで並んで座っているローゼマリーがドレスの見本画を見ながら迷っている。困った顔や恥ずかしそうな顔、全て可愛く思えて悶える。必死に冷静な仮面を被ってはいるが、許されるなら抱きしめて撫でまわしたい。
「フォルカー様、どちらのドレスが良いと思いますか?」
ローゼマリーが二枚の見本画をテーブルに並べて、私の方へ上半身を向けた。
「貴女の好きな方に決めればいい」
顔が緩みそうになるのを堪えながら、いつもの言葉を掛ける。ローゼマリーが望むなら何でもいいと思っている。
ローゼマリーが突然、その大きな青い目を吊り上げた。とはいえ、全く迫力はなくて可愛らしい。
「わかりました。トーコさん推薦のエロエロ悩殺セクシードレスに致しますわ!」
そう言って、避けた見本画の一枚を手に取った。
「それは待ってくれ」
画を見て愕然とするしかなかった。彼女が掲げた見本画に描かれたドレスは、布が極端に少ない。エンジ色で前が紐で編上げられていて、背中が大きく開いている。彼女の肌を、他の男に絶対に見せたくない。
「じゃあ、どちらがお好みですか?」
にっこりと笑って言われて、改めて見本画を見比べる。
片方は私の髪の色と同じ淡い紫を基調に、膨らんだ袖とスカート部分が濃い紫へと色が変化するドレス。片方はローゼマリーが好きなオフホワイトの清楚なドレスだ。どちらもローゼマリーに似合う。
「……両方良いと思う。二着頼もう」
「え?」
「屋敷で一度、町の広場で一度、二度結婚式を挙げることはできる……広場なら誰でも参加してもらえるだろう」
貴族が揃う中にあの女たちを呼んでも堅苦しいだけだろう。誰もが参加できる広場でなら、ローゼマリーも自由に振る舞うことができる。
「嬉しいですわ、フォルカー様!」
ローゼマリーが頬を紅潮させて抱き着いてきた。勢いづいてソファに倒れ込む。
のしかかられて脳が沸騰しそうになるが、全身全霊を投じて冷静を装う。
「そろそろ私の名に様を付けなくてもいいのではないか?」
甘い香りが漂う柔らかい体を抱きしめながら囁くと、ローゼマリーがびくりと震えた。
「……フォ、フォルカーさ……フォルカー。……では、わたくしもローゼとお呼び下さい」
ローゼマリーの声で名前を呼ばれると心地いい。
「ローゼ」
そっと囁いた途端、ローゼががばりと身を起こした。
「わ、わ、わたくし、お、お菓子を持ってきますわ!」
顔を真っ赤にして、ローゼが叫んで扉から飛び出して行った。
突然置いて行かれて呆然としたが、顔を赤くして叫んだローゼの表情は、初めて見る顔で可愛らしい物だったと反芻する。
部屋に積まれた贈物の中、例のハートが描かれた箱が目に入った。添えられた封筒を見ると裏にあの女たちの名前が書かれている。封筒は開けることはできないが、箱は封がされていなかったので開けてみた。
箱の中にはエンジ色の布と紐……あのエロエロ悩殺セクシードレスとかいう物に違いなかった。
人前では論外だが、私と二人きりの時に着てもらえないだろうか。
想像した瞬間に少々不都合な反応を体が示した。若干前屈みになりながらソファへと戻って、目立たぬように座る。
冷静にならなければと思えば思う程、焦りが産まれる。ローゼが戻ってくる前に理性を取り戻さなければ。
とりあえず、あの女の暴虐の数々を思い出そう。




