第三十五話 この夢は続いていく物語なのです。
冬が終わって、春を迎えた。
結婚の準備でフォルカーが退寮することになり、結婚後もローゼマリーは月に三回程、お菓子と料理を習いに来るらしい。『貴女の好きなようにすればいい』というフォルカーの口癖を、開き直ったローゼマリーはさまざまな場面で120%以上に活用している。
「……この護符と魔法石を使えば、どんな馬鹿でもあらゆる物を凍らせることができる」
別れ際、見送りに出た私にフォルカーが魔法陣が描かれた紙を数枚渡してくれた。護符は繰り返し使える便利品。
「ありがとー! これで、お屋敷まで氷を貰いに行かなくて済むわ!」
「お、お前、来るつもりだったのか!?」
フォルカーが驚愕の顔で一歩後退した。
「冗談よ。お幸せに」
にっこりと笑うと、フォルカーは笑っているのか困っているのか微妙な顔をして、銀縁眼鏡の中央を指で押し上げた。
「ああ。……弟子たちの食事をよろしく」
「胃袋の方は任せて、まとめて面倒見るわよ! じゃあねー!」
ひらひらと手を振れば、フォルカーは微かに頭を下げて馬車へと乗り込んだ。
◆
大人たちの夕食には、ジークとサタルーシュとサリア、グスタフに私が席についていた。エーベルハルトとミリヤムは弟子たちと同じ時間に食べて、早々に部屋に戻っている。
「このカレーって癖になるわねー」
サリアの呟きに、私以外の全員が頷いた。弟子たちにもカレーは好評。
救世の魔女のレシピによるカレーは、市販の中辛程度のカレールーの味に似ていて食べやすい。二十種類以上のスパイスを使うというのは驚きだった。
今日のカレーは和牛に似た肉を贅沢に使っているから、物凄く美味しい。野菜もたっぷり入れて、硬めのご飯と良く合う。チーズとナッツを散らしたサラダと温野菜でバランスを取る。
食事の後、珈琲を飲んでいたグスタフが、突然立ち上がった。頭に乗っていた紫金魚が転げ落ちて床を転がっていく。
「昨日、フリーデさんに求婚しました!」
「で、どうだったの?」
「受けて頂けました! ありがとう、トーコさん!」
凶悪顔の大男が目を潤ませながら手を胸の前で組む姿はいろんな意味で怖い。正面で見なければならないジークと私の顔が引きつってしまうのは仕方ないと思う。
用意周到なグスタフは、すでにフリーデの好みの家を購入していた。まだ家具のない新居を案内して、気に入ったことを確認した上で求婚したらしい。
「良かったわねー」
先に買ってしまって気に入らなかったらどうするのかと聞くと、他の家を買うつもりだったとさらりと言われた。フリーデの好みは会話の中で収集しているらしい。重い、重すぎる……と思ったけれど、フリーデも幸せそうだからいいんじゃないかと思いなおした。
◆
「……うらやましいか?」
部屋に戻ってベッドの上で、ジークがぽつりと呟いた。
「何が?」
「新居」
「全然。何? 貸したこと後悔してるの?」
「後悔はしていないが……待たせてすまん」
ジークの眉尻が下がる。
「二人で貸すって決めたでしょ? それに、また半年働けばいいだけよ?」
毎日楽しく過ごす兄妹を見ていると手助けできてよかったと思う。
「ジークがエーベルハルトを助けたいって言った時、ほんのちょっとだけほっとしたの。ジークもちゃんと自分の意思があるんだって。この世界は、私の意見が全部通る夢じゃないんだって思ったのよ」
あの緊急事態の中、不謹慎だとは思ったけれど安堵する自分がいるのも本当だった。何でもかんでも全て私のことが優先というジークの言動に心地いいとは思っていたけれど、同時にジークには意思がないのかと、やっぱり都合の良い夢なのかと不安でもあった。それがあの瞬間に解消された。
「トーコはまだ、この世界が夢だって思ってるのか?」
ジークが不安な表情を見せる。
「夢みたいだっていうのは、まだ抜けてないかな。……ジーク、私はどこにも行かないから安心して」
微笑むとジークが安堵の息を吐いた。私が見せた不安定な姿は、今もジークの心配の元になっている。
「トーコ、どうした?」
「ちょっと考えてる」
「何を?」
ジークにキスしたい。そうは思っても、それ以上に進展するのは結婚してからにしたいと思う。
「……ジーク、目を閉じて、絶対に動かないで」
「何をするんだ?」
目を閉じてもジークは美形。本当に、私の好み過ぎて怖いくらい。
そっと唇を寄せて、キスの直前に、ジークと目が合った。
「……目を閉じてっていったでしょ?」
「……そ、それはそうだが……」
目を泳がせるジークは可愛くて、見られた私は恥ずかしくて、頬が熱くなる。
「やっぱ、結婚してからにする」
「そ、そんな……」
「おやすみ!」
私は勢いをつけて掛け布を頭から被って、眠りについた。
◆
「トーコもそろそろ家を見に行くの?」
鼻歌混じりでジャガイモの皮をむいていたサリアが聞いてきた。すぐ横でミリヤムがジャガイモの皮と格闘している。皮むき器なんて便利なものはないから、調理用ナイフでの皮むきで、それぞれの個性が光る。
サタルーシュと結婚が決まったサリアは最近さらに美人になったように思う。休みの日には二人であちこちの物件を見て回っていると惚気られた。
「もっと稼いで、広い庭付きの大きな家を狙うことにしたのよ」
私たちが家を買う為に働いていることはいろんな人に知られている。ジークと相談して、もっと大きな家を狙うということにした。ミリヤムは借金のことは一切知らないし、知らせないことにしている。
「広い庭付き狙うの? この辺だと物凄くたっかいわよー?」
サリアが目を丸くした。
「え、そんなに高いの?」
「高い高い」
サリアの言う金額は、普通の家の三~五倍の値段だった。そうか。いわばこの町はこの国の首都。地価が高くなるのも当たり前といえば当たり前。
「が、頑張ってみるわ。心折れたら普通の家にするかも。ところで、サリアは結婚したらこの仕事どーするの?」
「こんな高給でおもしろい仕事、辞める訳ないじゃない! サタルーシュも結局は王城に通うことになるから、一緒に来るわ」
サリアがにやりと笑った。私もにやりと返す。
「それにしても、寂しくなるわねー」
フォルカーもグスタフも町へと引っ越して行った。部屋には家具は残されていても、人がいなくなるだけで、空白が大きくなる。
「何言ってんの? もうすぐ、グスタフとフォルカーの弟子が入ってくるじゃない」
サリアが首を傾げた。
「え? 何それ? 聞いてないけど」
「ちょっと前に魔術師の資格試験に受かってる子達がいるのよ。ほら、まだ食堂に来てない三人。グスタフの弟子が二人とフォルカーの弟子が一人。グスタフの弟子の片方はなかなかの問題児らしいわよー? グスタフが目を光らせてたから大人しかったみたいだけど」
「あ、浮かれてると思ってたけど、ちゃんと仕事してたんだ」
フォルカーもグスタフも、食事の際にはふわふわうきうきしてたけど、仕事はきっちりとしていたのか
「新しい魔術師かー。楽しみね」
「そうね。楽しみだわ」
「楽しみですね!」
別れは寂しいけれど、また新しい出会いがある。
ジャガイモの皮をむきながら、三人で笑い合う。
「今日はこのジャガイモで何を作るんですか?」
ミリヤムが首を傾げた。
「男殺しのコロッケよ!」
「トーコ、笑顔が怖いわ! ミリヤムが引いてるじゃない!」
「何よ。サリアだって笑顔が黒いわ!」
「コロッケはメインにならないっていう男も多いけど、肉を多めにしてしっかりした味を付けておくのよ!……まぁ、メイン料理は別に作るけどねー」
「ちょ。トーコ、それは逃避というものじゃない?」
「コロッケはおやつの延長! メインにはなれないのよ! 異論は認めるわ!」
にやりと笑うとサリアもにやりと笑う。ミリヤムとラトリーが完全にどん引きしているけれど、コロッケを食べればわかってくれるだろう。
◆
夕方近くには、寮の前に作った柱に魔法灯を吊るす。そろそろやってくる魔術師の弟子たちの目印の為。
「トーコ!」
ジークの声に振り向くと、王城から続く道で手を振る姿が見える。
「ジーク! おかえりー!」
走って行って飛びつくと、軽々と受け止められた。
「トーコ、ただいま!」
ぎゅっと抱きしめられると温かくて気持ちいい。
夕焼けが近づく空には、赤い月と緑の月。
私が生まれ育った世界にはありえない光景。
本当は、いつか覚める夢なのかもしれない。
だからこそ、目覚めた時に後悔しないように、一生懸命この世界で生きていきたい。
ジークと二人でなら、きっと楽しい夢になる。




