第十八話 素朴なお菓子は好評です。
日が変わって、朝から始めた寮の掃除も精霊たちに手伝ってもらって昼前に終わった。迎えに来てくれたジークと食堂でご飯を食べて、また厨房へと戻った。
綺麗になった厨房で何の料理を最初に作るか考える。コンソメの素や固形のカレールーもない。もちろん昆布やかつお節もない。チーズはあるけどバターが無かった。ふと甘い物が食べたくなったので祖母に教わったドーナツとクッキーを作ることにする。
バターをつくろうと生クリームを広口の瓶に入れて振っていると、柱の影からもっさりとした木がこちらを覗き込むように半分見えている。
「ちょ、隠れてないから!」
突っ込みを叫ぶと高さ一メートル程の木が根っこでスキップしながら近づいてきて、瓶をクレクレと枝を出してきた。
「じゃあ、お願いするわ」
木がもさもさと全身を動かしながら瓶を振っている光景は、物凄く可愛くて可笑しい。不思議と葉っぱは揺れるだけで落ちない。
『私も何か手伝いたいわ!』
ラトリーが宙返りしながら現れた。
「お願い。オーブンを温めて欲しいわ。百六十度ってできる?」
『できるわ! 任せて!』
他の精霊たちも手伝ってくれて、気がつけばバターが三キロ程も出来た。厨房の隅にあった棒はかりで大体の分量を量るけど目盛りがあきらかにグラムじゃない。
「適当でいいかー」
出来上がったバターを取り分けて、少し塩を加えて混ぜる。この世界の砂糖は白くなくて、いつも使っているきび砂糖よりもコクがあってとても美味しい。小麦粉は六等級に分けられていて一等級が薄力粉。全粒粉は等級外とされている。卵はLサイズの二回りほど大きくて殻も少し厚い。
さっくりと混ぜて丸く棒状にしてから調理ナイフで切る。大きな天板に並べてオーブンに入れて、あとはラトリーにお任せ。
ドーナツはベーキングパウダーを使わないオールドファッション風。材料はクッキーと同じ、バターと少しの塩と砂糖と小麦粉と卵。さっくりと混ぜて少し寝かせてから伸ばして、銀の大きなカップと小さなカップを使って型を抜く。
『トーコ? せっかく綺麗な輪ができたのに、どうして穴をあけちゃうの?』
ドーナツの片面をフォークで刺して穴をあけているとラトリーが首を傾げる。
「小麦粉と砂糖と水分を混ぜて油で揚げる時は、ふくらし粉を入れないと爆発しちゃうことがあるのよ。爆発しないように、こうやって穴と切り込みを入れて空気の逃げ道を作っておくの」
ベーキングパウダーに似た物は売っていたけれどタバコに似た変な苦みを感じたので使う事を躊躇する。重曹でも出来るけど、ずっしり重い素朴な甘さが食べたい。
四角い鍋は揚げ物用だとラトリーが教えてくれた。少し贅沢だなと思いながら、米油に似た風味の油を注ぐ。
「何かいい匂いだねー。トーコ、何作ってんのー?」
サタルーシュが厨房に入ってきた。今日の勤務は深夜かららしい。王城の医務室は、二人の魔術師と一人の神官が医術師として交代勤務をしている。
「ドーナツとクッキー。後で食べさせてあげるわね」
この三年、どうしても甘い物が食べたくなった時は、このドーナツかクッキー、カップケーキを作っていた。お菓子が全く買えない程ではなかったけれど、一つ買うとタガが外れそうで無駄な買い物はしたくなかった。
「どーなつ? くっきー?」
「お菓子よ。甘いもの嫌い?」
バニラは見つけられなかったから使ってないけど、十分甘い匂いが厨房に充満している。
「お菓子かー。食べたことないんだよねー」
「は?」
「あれは女の喰う物だっていうじゃん?」
サタルーシュは、昨日サリアを無事に家まで送り届けたことを報告してくれた。サリアの家は割と大きな雑貨店らしい。物凄く繁盛してたよとサタルーシュが笑う。
話をしながら綺麗な色がついたドーナツをトングに似た物で網に上げる。
「この穴、何?」
物珍し気に覗き込んでいたサタルーシュがドーナツの穴を指さした。
「熱を通しやすくするのよ。真ん中が詰まってると時間かかるから」
「……そうか! 穴をあけて熱を通しやすくするのか!」
そう叫んだサタルーシュが走って厨房から出て行った。
「……あれ? まぁ、いいか。冷めても美味しいしね」
ドーナツにはたっぷり砂糖をまぶした。クッキーは明日になれば完全に冷えてサクサクになるだろう。
「ラトリー、食べる?」
『残念ながら、私たちは人間の食べ物は食べられないのよ! でも、匂いを貰ってもいいかしら?』
あら。残念。精霊たちにも食べてもらおうと思って大量に作ったのに。
「いいわよ。好きなだけどうぞ」
そう言った途端に、厨房に充満していた甘い匂いが一瞬で薄くなった。あちこちに座ったり、ぶら下がっていた精霊たちが喜んで騒いでいる。
『すごーい。トーコが作ったドーナツとクッキーの匂いは、力が出るわ! 不思議!』
ラトリーも他の精霊たちも全身で喜んでいる。
(何がどうなってるのかわからないけれど、喜んでくれてるならいいか)
少し冷めたドーナツを一つ割ってみると、確かにいつも作っている物よりも匂いが薄い。さて。この大量のドーナツとクッキーをどうするか。ジークとサタルーシュに食べてもらうにも限度があるし。
「……何? かなり美味しいわ」
今まで作ってきたドーナツより、何故か格段に美味しいと感じる。もう一つ……と手を伸ばした所で、玄関のノッカーの音が響き渡った。
◆
「お待たせ致しました」
扉を開けるとバスケットを持ったサリアが立っていた。今日は渋い茶色のワンピースに生成のエプロン。今日の化粧は昨日よりもさらに薄い。目元は淡い抹茶色、唇は淡くぼかした赤。髪は今日もゆるく後ろで結ばれている。
「あれ? サリア?」
「残りの十組を持ってきたわ。あと、手伝えることがあったら言って?」
「ちょうど良かったわ。お菓子を作り過ぎたから持って帰って」
厨房の調理テーブルに広げられたお菓子の山を見てサリアが目を丸くした。
「凄い量ねー。商売でもするの?」
「精霊たちにも食べてもらおうと思ったんだけど、匂いだけしか貰ってもらえなかったのよ」
とりあえず味見をしてもらうことにする。牛乳とドーナツとまだ柔らかいクッキー。木の皿に盛っているから素朴さが増していて可愛らしい。
「美味しい! 何これ! ちょ。トーコ、天才だわ! 店出せるわよ!」
「ありがとー。ふくらし粉とバニラがあれば、もっと美味しいのが作れるんだけどねー」
口当たりと匂いを良くできれば、きっともっと美味しくできるような気がする。
「え? ふくらし粉って普通に売ってるでしょ?」
「何か変な味がするのよ。苦いっていうか臭いっていうか」
「あー確かに。ちょっと高くてもいいなら、海の向こうのコダルカ国から雑味がない粉を取り寄せできるわよ? あと、バニラビーンズっていうのなら、薬の材料で扱ったことがあるわ」
「何でも扱ってるのねー」
「うちは売れる物は何でも扱うから。お客の希望があれば取り寄せとかもやってるの」
だからサリアの実家は繁盛しているのかもしれない。
「紅茶とか珈琲ってある?」
「紅茶は知らないけど珈琲はあるわよ。毎月取り寄せるお客さんいるし。いつも箱に入ってるから実物は見たことないわ」
いろいろ手に入りそうで内心浮かれる。やっぱり夢はご都合主義で最高。ふくらし粉とバニラビーンズ、珈琲を頼むことにして、この費用は自分の手持ちのお金から出すことにする。そうだ。寮の方も記録帳作っておこう。
おいしく出来たお菓子を、ジークにも食べさせてあげたい。
この夢、もう少し続くといいな。




