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婚約破棄? え、あ、ふーん……喜んで!

作者: 久遠れん

 真実の愛と聞いて人は何を連想するだろう。


 物語の中のお姫様と王子様。多分そんな感じだと思う。


 真実の愛なんて、物語の中にしかないって小さな子供でも知っているはず。


 それなのに『これ』はなんだろう。


「私たちは真実の愛を見つけた! よってお前との婚約は破棄する!!」


 人の多い学園の食堂に、お昼を食べにきただけなのに。食欲はすっかりとなくなっている。


 それというのも、私の三歳の時からの婚約者、伯爵令息のフィリップ・クラスニキがバカげたことを言いだしたからだ。


「はぁ、真実の愛、ですか」

「そうだ!!」


 胸を張る姿が滑稽で仕方ない。


 傍らに佇む平民出身だけれど、聖女として学園に入学したマリア様の肩を抱いて、堂々とお花畑なことをのたまう、私の婚約者だったはずの男。


 確かにマリア様は聖女の肩書を持っているし、ふわふわのピンクブロンドの髪や桃色の瞳などは愛らしいかもしれないが。


 その人、私は偽物の聖女だと思いますよ、という言葉をぐっと飲み込む。


 彼女が聖女として予知する未来はとても限定的だ。


 自身に関する人たち――たとえば、学園の生徒の憧れで、所属する生徒のレベルの高さから顔立ちの良さだけで選ばれていると噂の生徒会のなぜか男子生徒だけなどに限られる。


 聖女ならもっと国の未来を見据えた未来予知をしてほしいと私は常々思っていたのだけれど、フィリップ様はそうではないらしい。


 聖女だからと生徒会に加入させたと聞いた時も心底呆れたが、この様子だと生徒会の男子生徒が彼女にメロメロだという噂は本当のようだ。


 恐らく、フィリップ様は生徒会の他の男子生徒を押しのけて、マリア様と愛をはぐくむことに成功したのだろう。


 フィリップ様は昔から顔はよかったけれど、それだけの方だった。


 思考は足りないところがあるし、考える時間を与えてもバカみたいな答えを出すことの方が圧倒的に多い。


 呆れて言葉もないとはこのことだった。


 私は言われた言葉を脳内で反芻する。


『私たちは真実の愛を見つけた! よってお前との婚約は破棄する!!』


 なるほど。婚約破棄。


 それにしたって家を通じて正式な書面ですればいいものを、こんな衆目の面前で根回しもせずにやる辺りに悪意を感じる。


 私の知るフィリップ様は確かに頭が足りない部分もあったけれど、もう少し利口だったと思うのだが。


 恋は人を盲目にさせるという。


 それに、もしかしたら他の人間の入れ知恵かもしれない。


 ちら、と私はマリア様に視線を滑らせる。


 私が視線を向けたことでびくりと肩を揺らした姿は男子からすれば確かに庇護欲をそそるだろう。


「おい! マリアを虐めるな!」

「見ただけですが」


 反論の声は予想以上に冷え切っていた。


 ああ、私、心が離れてるんだ、と理解する。


 もうきっと、フィリップ様のことなんてどうでもいいと思っている。


 前提として、家同士が伯爵家だったからこその政略結婚だし。未練もない。


 元々フィリップ様、ちょっと頭足りないなぁとは常々感じていたし。


 いい機会だ。


「婚約破棄ですか。え、あ、ふーん……喜んで!」


 最初は少し戸惑った様子を見せて、言葉の最後は思いっきり笑顔を作る。


 私のバッサリとした態度に、フィリップ様とマリア様の目が点になる。ちょっと面白い。


「お話はそれだけですか? では、私はこれで」

「あ! おい!」


 綺麗なカーテシーを制服姿だけれど披露して、私は颯爽とその場を去った。


 追いかける言葉は全部無視。


 今までは婚約者だから反応してあげたけど、もうすでに赤の他人なので!






(お昼、食べそこなっちゃったなぁ)


 ぐる、と貴族令嬢らしからぬ空腹を主張するお腹を軽く抑える。


 私はため息を堪えて、人気のない校舎を歩いていた。


 流石にあの騒動のあとで食堂に戻る気は起きない。


 向こうも食事を食べ終わった後に騒動を起こしてくれればよかったのに、とイラっとする。


「真実の愛、かぁ」


 そんなものおとぎ話にでてくるだけの寓話の産物だと思うけれど。


 本人たちは至って真面目なのだろう。


 両親が勝手に結んだ婚約が破棄されたことは、少し清々する。


 とはいえ、次の婚約者が宛がわれるのは時間の問題だ。


 私は先日十六歳の誕生日を迎えている。


 この年で婚約者がいないのは、外聞が悪い。


「私も探してみようかしら。運命の出会いとか」


 ぽつんと口から零れ落ちた言葉は名案に思えた。


 真実の愛があるのなら、きっと『運命の出会い』もあるのではないだろうか。


(でもなぁ)


 そうそう転がっているはずがないのだ。運命の出会いなんて。


 そう、思っていたのだけれど。




▽▲▽▲▽




 ざわつく教室で私は窓の外を眺めていた。


 婚約者に公衆の面前で婚約破棄を告げられた私は腫れもの扱いで、教室でも遠巻きにされるようになった。


 別に気にはしていないけれど。狙っているだろうなぁと思う。


 なぜなら聖女であるマリア様は人の中心できゃっきゃとしているので。


 今日は時季外れの編入生がくると朝から噂だった。


 すでに次の授業が終わればお昼という時間だが、なにか手続きに手間取っているのか、あるいは噂が嘘だったのか。


 どちらでも私には関係ない。


 目下の悩みは、両親が持ってくるであろう縁談からどうやって今度こそ優良物件を見つけるか、ということにある。


 婚約破棄を気にしていないとはいえ、二度目があるのは流石にごめんなので。


 そんな風につらつらと考え事をしながら、窓の外で風に揺れる木の葉を見つめていた私は、教師が教卓に立ったことに気づかなかった。


 女子生徒の甲高い歓声が上がったことで、ようやくなにか変だなと視線を前に戻すと、そこには見目麗しい男子生徒の姿がある。


 教師の隣に佇んでいるのは、いくらここが貴族学園でも見かけることがないはずの人。


 この国の王太子シュテファン・バッヘム殿下だった。


 軽く目を見開いた私の前で、教師がシュテファン殿下が編入生だと口にする。


 ますます歓声をあげる女子生徒そっちのけで、教室の中を見回すようにしていたシュテファン殿下と――なぜか、目が合った。


「っ」


 漆黒を溶かしたような黒い瞳が真っ直ぐに私を見つめている。


 目が合ったのは気のせいではないと自覚させられたのは、その瞳に熱がこもっていたからだ。


 初対面の人間に向けるのはあまりに不相応な『愛』がその瞳に宿っている。


 目が離させない。惹きつけられる。どくんと脈打った心臓が痛い。


 瞬きすら忘れてシュテファン殿下を見つめる私に、彼が甘やかに微笑む。


 女子生徒の歓声が、どこか遠くで聞こえた。


 教師の説明が終わったのか、シュテファン殿下がこちらに向かって歩いてくる。


 ……こちらに、向かって?


 ざわりとざわついた教室の中で、なぜか私の目の前に立ったシュテファン殿下が、ゆっくりと口を開いた。


 さらりと瞳より黒い髪が揺れる。


「マルティナ嬢、君に婚約を申し込みたい」

「!」


 予想外の言葉に目を見開いた私の周辺で悲鳴が上がる。


 驚いて言葉を失くした私の手を取って、シュテファン様が軽いキスを手の甲に落とす。


「返事は今すぐではなくていい。でも、色よい返事を期待している」


(これが、運命の出会い……?)


 混乱する頭で、辛うじて考えられたのはそんな少しずれたことだけだった。






 女子生徒の刺すような視線を感じながら、私はランチをシュテファン殿下とご一緒していた。


 先日公開処刑のようなことをされた食堂で向かい合って食事を摂る。


 沈黙が落ちるかと思いきや、シュテファン殿下は意外とお喋りだった。


「突然すまない。でも、いてもたってもいられなくて」

「いいえ。確かに驚きましたが……その、どうして私だったんですか?」


 そっと疑問を口にするとシュテファン殿下は笑み崩れた。


 あまりに優しくて温かな笑み。砂糖より甘さを感じる穏やかな表情だ。


「一目惚れだった、といったらどうする?」

「一目惚れ、ですか?」

「ああ」


 でろでろに溶かした砂糖菓子のような甘い言葉にくらくらする。


 私はフォークを動かす手を止めて、シュテファン殿下を見上げる。


 お皿の上の食事の存在を忘れそうになる。


「あまりに愛らしい人がいたから、口説かずにはいられなかった」

「……私に婚約者がいたらどうするつもりだったんですか?」


 少しだけ、声音に自嘲が滲み出てしまった。


 今の私はフリーだけれど、数日前までは婚約者がいたのだ。


 時期がかみ合ってよかった、と心の片隅で思う。


「ふふ、略奪愛というのも素敵だと思わないか?」


 どうだろう。私は略奪された立場だから、素敵かどうかちょっと反応に困る。


 私が眉を小さく寄せていると、甘い声が聞こえてきた。


 シュテファン殿下の優しい声音とは違う、甘い毒を含んだ声だ。


「シュテファン殿下ぁ。あたしもまぜてくださーい」

「……マリア様」


 苦々しい口から零れ落ちた。


 この人は私から婚約者を奪っただけでは飽き足らず、シュテファン殿下にまで色目を使うつもりなのだ。


 まだマリア様とフィリップ様の間に書面上の婚約関係はないと聞くが、それでもあんな大立ち回りをして人から婚約者を奪っておいて、どういうつもりなのか。


「ご遠慮いただこう。私はマルティナ嬢と話している」

「えー! そんなこと仰らないでくださいよぅ。あたし聖女なので、仲良くしておくとお得だと思います!」


 あ、頭が、悪い……!


 確かに貴族や王族の交友関係には損得勘定がつきものだ。


 だが、自分からそれを口にする馬鹿がどこにいる。いや、ここにいるのだけれど。


 普通、こういうのはそうと気づかれないように自分の良さを売るのだ。


 正面から「お得」と口にするのは愚の骨頂だ。


 頭が痛い。


 思わず視線を伏せた私の前で、シュテファン殿下がため息を吐く。


「君には事実上の婚約者がいると聞いている。軽はずみな言動は慎むんだ」


 シュテファン殿下の言葉は最もだ。


 諫める言葉に、けれどマリア様は怯む様子はない。


「でもぉ、まだ婚約をちゃんとしたわけではないですからぁ」

(何を言っているの……?)


 にこにこと微笑み続けるマリア様が理解できない生き物に思える。


 だって、あんな大立ち回りをして私からフィリップ様という婚約者を奪ったのよ。


 それなのに、書面で婚約を交わしていないからと、別の男に言い寄るの?


 本当に理解できない。


 呆れかえる私の前で、シュテファン殿下が立ち上がる。


「マルティナ嬢、場所をうつそう。ここで食事は難しそうだ」

「そうですね」


 シュテファン殿下の言葉に同意しかない。


 ここにいれば付きまとわれるのなら、こちらが場所を移さなければ。


 普通王族にそのような反応をさせること自体が不敬罪なのだけれど、マリア様は気づいている様子はない。


「じゃあ、あたしも」

「マリア!」


 さらにくっついてこようとしたマリア様を引き留めたのは、息を切らせて駆け付けたフィリップ様だった。


 やっと引き取ってくれる人がきた。


 ほっとして息を吐き出した私の肩へ、自然な仕草でシュテファン殿下が手を回す。


「では、そちらはそちらで。私たちはもういくから」


 それだけ言葉を残して、私たちは食堂を立ち去った。


 食べかけの食事が少しだけ心残りだけれど、半分は食べれたので先日よりはマシである。






 シュテファン殿下に肩を抱かれて歩きながら、そっと私は彼の顔を見上げた。


 私より頭一つ以上高い。整った顔立ちは彫刻のようだ。


 腕の立つ彫刻師が生涯をかけて作り出した芸術品だと言われたら、納得しそうなほどシュテファン殿下は目、鼻、口の全てのパーツがバランスよく男性にしては小さな顔に収まっている。


「どうした? そんな風に熱烈にみられると照れてしまう」

「っ。失礼しました」


 笑みを含ませた声音で掛けられた言葉に、咄嗟に視線を伏せる。


 肩から手が離される。温かな体温が離れていくのが、少し寂しく感じられた。


「ここまでくれば大丈夫だろう。すまない、無遠慮に肩を抱いてしまって」

「いいえ。嫌ではありませんでした」

「それならよかった」


 にこりと微笑んだシュテファン殿下に、頬に熱が集まる。


 可笑しいな、フィリップ様に微笑みかけられても、こんな気持ちにはならなかったのに。


「少し散歩をしないか。学園の庭園を歩いてみたい」

「はい」


 今日編入してきたばかりのシュテファン殿下にとって、見慣れない場所ばかりだろう。


 私は案内するつもりで少し前を歩こうとしたら、ぱっと手を取られた。


「並んで歩こう」

「……はい」


 笑みと共に口にされた言葉に、心臓がどきどきと煩い。


 こくんと頷いた私に、シュテファン殿下は満足げに目を細めた。


 手を繋いで綺麗に手入れをされた学園の庭園を歩く。


 この時期に咲き誇る花が目を楽しませてくれる。緊張が少しだけほぐれるようだ。


「実は、私は嘘をついたんだ」

「嘘、ですか?」

「ああ」


 言葉に反してシュテファン殿下の言葉は軽やかだ。


 見上げた私の視線の先で、懐かしむように目を細める。


「毎年、誕生日パーティーが開かれる。七歳の時にパーティー会場で迷子になっていた令嬢を見つけて、手を引いて会場に戻ったことがある。あの子の会場の明かりが見えた瞬間の、心底ほっとした表情が忘れられないんだ」

「それは……」

「君だよ、マルティナ嬢」


 七歳の頃、確かにシュテファン殿下の誕生日パーティーに参加した。


 会場の熱気に当てられて、少し涼みたくて外に出た。


 そうしたら、夜でも綺麗に咲き誇る庭園のお花につられて、奥へ奥へと入ってしまって、迷子になったのだ。


 覚えている。


 あの時、手を引いて会場に戻してくれたのも、シュテファン殿下と同じ色彩を持つ男の子だった。


「あの方が、シュテファン殿下……?」

「ああ。私はあの後すぐ、父に君と婚約がしたいと伝えた。だが、すでに君には婚約者がいて、それは叶わなかった」


 王家からの打診ならば、婚約を一度解消して結びなおすこともできただろう。


 けれど、シュテファン殿下はそれをしなかった。


 きっと、私の意思を尊重しようとしてくれたのだ。


 だって、今日再会したばかりだけれど、あの日も今も、こんなにも優しい方だから。


「けれど、先日君が婚約を破棄されたと知って、こんなチャンスは二度とないと思った。慌てて編入手続きをして、飛んできたというわけだ」


 ぱちん、と悪戯気にウィンクをされる。私は小さく笑ってしまった。


 そんな風に、長い間ずっと私を想ってくれた人がいたなんて。


 今までの年月をフィリップ様の婚約者として過ごしていた私がバカみたい。


「私は運命の出会いをすでにしていたんですね」

「うん?」

「いえ、フィリップ様が『真実の愛』を見つけたなどと仰るから、それなら私は『運命の出会い』をしたいな、などと夢見がちなことを考えていたのです」


 ころころと笑う私の横でシュテファン殿下が足を止める。


 繋いでいた手を離して、その場に膝をついた。


 左手を背中に当てて、右手を握って心臓に沿える。それは、王国の貴族が求婚するときの正式な仕草。


 フィリップ様にだって、されたことがない。


「改めて、希う」


 真っ直ぐに黒曜の瞳が私を射抜く。


 真摯さと切実さを混ぜた瞳に、私が映り込む。


「マルティナ・シュミッツ伯爵令嬢、どうか私と婚約をしてくれないだろうか」


 私は、泣きそうだった。


 幼い頃に一度会ったきり、今日だって交わした会話の数は少ない。


 それでも。


 ここまで大切に愛を伝えてくれる人を、どうして蔑ろにできるだろう。


 私はシュテファン様の求婚に応えるべく、制服のスカートでカーテシーを披露する。


 そして、右手をそっと差し出した。


「お受けします、シュテファン殿下」


 求婚に応える正式な手順を踏んだ私に、シュテファン殿下が笑み崩れて。


 そして、そっと。


 私の差し出した右手の甲に、キスを落とした。


 婚約は成された。


 ここは見守る人も誰もいない、学園の一角だけれど。


 それでも、これは女神に誓った正当なる婚約だ。




▽▲▽▲▽




 静かな空間に風が吹く。


 そっと立ち上がったシュテファン殿下が、からりと笑みの種類を変えて悪戯っ子のように笑う。


「では、次はあの偽の聖女をどうにかしなければな」

「……シュテファン殿下もそのようにお考えなのですね」

「ああ。わかりやすいだろう、アレは」


 シュテファン殿下の言葉に私はため息を吐きだした。少し声を潜めて、語りだす。


「あの女、恐らく薬を使っている。婚約破棄の件、君に落ち度はないよ。マルティナ」

「薬、ですか?」

「ああ。愛の妙薬と呼ばれる、隣国の禁薬だ」


 聞いたことがない。考えこむ私に、シュテファン殿下は落ち着いた声音で説明をしてくれた。


「自分に少しでも好意がある人間の気持ちを増幅させるらしい。恐らく、この学園の生徒会に所属する男子生徒は全員餌食になっている」

「そんなことを……」

「証拠はある。間違いない」


 頷いたシュテファン殿下の言葉に眩暈がした。なぜマリア様はそこまでするのか。


 私には理解できない。


「陛下は彼女を偽の聖女として断罪すると仰っている。この学園は荒れる。今のうちに私と一緒に王宮に行こう」


 差し出された手を前に、私は目を見開いて、いいえ、と首を横に振った。


「マルティナ?」

「私、結構気が強いのです。されっぱなしは性にあいません」


 にこりと微笑んで強気な言葉を口にした私に、殿下は軽く目を見開いて笑いだした。


「はは! そうか! それはいい! では、私と暗躍でもしてみないか?」


 ダンスに誘うような軽い口調で言われた言葉に、私は微笑んだ。


 差し出された手に今度こそ自身の手を重ねる。


「喜んで!」


 いつかと同じセリフを、全く違う気持ちで口にする。それが、少しだけ可笑しかった。






 シュテファン殿下は薬をマリア様に流している密売人を見つけている、と仰った。


 だから、私はマリア様が生徒会に入り浸っている時間を狙って、彼女の部屋を捜索した。


 薬は簡単に見つかった。


 鍵もかかっていない机の引き出しにしまわれていたあたり、マリア様の油断が見える。


 そして、他にも様々な準備をして。私たちはマリア様の断罪に備えた。


 場所は王家が提供するとシュテファン殿下が仰って、私たちが出会ってから二か月後に開かれるシュテファン殿下の十七歳の誕生日パーティーの場となった。


 王宮に足を踏み入れるのは一年ぶりだ。


 毎年開かれるシュテファン殿下の誕生日パーティーには出席していたから。


 今日の私はシュテファン殿下のエスコートで入場する。


 ドレスはシュテファン殿下の瞳の色である漆黒のドレスを贈られていた。


「よく似合っている」


 控室まで迎えに来てくださったうえで、私の姿を見て笑み崩れたシュテファン殿下に、私も微笑み返す。


「ありがとうございます。とても美しい布ですね」


 闇夜のような漆黒のドレスは肌触りもとてもよくて、なにより軽い。


 普段身にまとっているドレスとは全然違う。


 私の素直な感想にシュテファン殿下は目元を和ませる。


「色々な布を取り寄せて比べたんだ。気に入ってくれてよかった」

「そこまでしていただいたのですね。嬉しいです」


 本当に嬉しい。心からのお礼を伝えて、私は差し出された腕を取った。


「本番はこれからだよ、マルティナ」

「はい」


 今から私たちは偽の聖女の嘘を暴いて、断罪を行う。普段のパーティーとは違う緊張感が体を包んでいた。






 パーティー会場の広間に入場した私たちは穏やかに迎えられた。


 マリア様が人込みの奥からこちらを睨んでいたけれど、これからのことを思えば気にはならない。


 和やかに進むパーティーの中、伴奏のピアノの曲調が変わるのが合図だ。


 シュテファン殿下にお祝いの言葉を伝えようする人たちに囲まれる中、曲が変わった瞬間シュテファン殿下が人込みに埋もれているマリア様とフィリップ様に歩み寄り声をかける。


 私も隣で微笑んでいた。


「マリア嬢、フィリップ、婚約おめでとう。正式に結ばれたと聞いたよ」

「はい」

「……ありがとうございますぅ」


 複雑そうな面持ちのフィリップ様と、明らかに眉をひそめているマリア様。


 私もまた綺麗に微笑んで、棘を吐き出す。


「お二人のおかげで、私は『運命の出会い』を果たしました。感謝しています」


 嫌味をオブラートに何重にも包んだ言葉に、二人の眉がぴくりと動いた。


 フィリップ様が少し罰が悪そうに視線を逸らす。マリア様は苛立っているのが伝わってくる。


「ところで、マリア嬢。最近可笑しなものを手に入れたと聞いたんだが」

「なんのことですかぁ?」


 シュテファン殿下が纏う空気が変わる。私はそっと息を吐き出した。


 断罪劇が始まる。


「隣国の商人とやりとりをしているだろう?」

「……珍しいドレスがぁ、欲しかったんですぅ」


 やり取り自体は否定しない。小賢しい、と思うけれどこのくらいの反論は想定内だ。


「香水なども取り寄せておられるのでは? マリア様からは嗅いだことのない甘い香りが漂っています」


 にこりと微笑んで告げた私の言葉に、マリア様の口角がぴくりと引きつった。


「そうかもしれません~。色々とプレゼントをいただくのでぇ、どの香水かはわからないんですけれどぉ」

「おや、可笑しいな。貴方がいつも使っているのは『異性の好意を増幅する香水』では?」


 直球で切り込んだシュテファン殿下の言葉に、マリア様の隣にいたフィリップ様がぎょっと目を見開いた。


「なんのことかわからないんですけど~」

「貴方の部屋からこれがみつかっていますよ。もってこい!」


 シュテファン殿下が鋭い声を上げる。


 人込みの奥から一人の騎士が、白いトレーに問題の薬を乗せて現れた。


 桃色の液体が揺れる小瓶を、マリア様はじっと見つめている。


 その表情に動揺はない。


「この薬はわが国では禁じられているものです。隣国から仕入れて、香水に加工して使っているのでは」

「そんなことはぁ、してないですぅ。それ、マルティナ様の持ち物では~?」


 罪を擦り付ける気だ。


 眉間に皺を寄せた私の前で、シュテファン殿下がどこまでも穏やかな口調で口を開く。


「貴方の部屋から、みつかったんです」


 『貴方の部屋』を強調したシュテファン殿下の前で、突然マリア様がはらはらと涙をこぼし始めた。


「ひ、酷いですぅ……みんなの前で、こんな風になじるなんてぇ……。あたし、なにも悪いこと、してないのにぃ」

「貴方がマルティナにしたことです。ねぇ、フィリップ」

「っ」


 しくしくと涙をこぼすマリア様を慰めようとしていたフィリップ様がシュテファン殿下の言葉にびくりと肩を揺らす。


 戸惑いに揺れる瞳に、シュテファン殿下がため息を吐きだした。


「この期に及んでわからないのか。フィリップ、お前の感情は操作されている。作られたものだ」

「ど、ういうことですか……!」

「さっき言っただろう。『異性の好意を増幅する香水』をこの女は使っているんだ」


 口調を変えたシュテファン様の言葉に、ようやく遅れて意味を理解したらしいフィリップ様が愕然とした言葉を漏らした。


「そんな……!」

「可笑しいだろう。こんな頭の弱い女に学園中の男子生徒が夢中になるなど」

「っ」

「まぁ、お前の中にも憎からぬ思いはあったんだろうな。ない感情を作れる薬ではない」


 吐き捨てるように告げられた言葉に、フィリップ様が私をみる。縋るような眼差しだ。


「マルティナ……!」

「あ、そういうのいいです。謝罪とかいらないので。我に返ったなら、マリア様を拘束してくださいますか? その女、偽の聖女で大罪人なので」

「なんてこというのよぉ!」

「事実でしょう。未来予知は『げーむちしき』というのでしたか?」


 にっこりと微笑んでトドメの一撃を放つ。


 ざわりと広がった波紋に対して、私は声高らかに朗々と説明をした。


「この世界はゲームの世界で、私たちはゲームのキャラ。貴方はこの世界をゲームとして遊んでいたから、未来が見える、でしたっけ?」

「な、なんでそのこと……!」


 私の言葉に弾かれたように顔を上げたマリア様。


 涙で化粧が崩れていてみっともない。私はからころと軽やかに笑った。


「そんな頭の可笑しいことを日記に記す女など、聖女にしておけません。貴方の妄想はともかく、禁薬を使って男子生徒の感情を操った事実は大罪です」

「っ」


 ギリギリと酷い顔で歯噛みしている。


 日記、というのは嘘だ。目の前の売女が身体を売った男に金を掴ませてシュテファン殿下が聞きだしたことだった。


「連れていけ!」

「私はヒロインよ! なんでこんな扱いを……!」

「ほら、やっぱり頭がおかしい」


 咄嗟に出たらしい言葉の揚げ足を取る。


 にこりと微笑んだ私の前で失言に気づいたのか口を閉ざしたマリア様を騎士たちが取り囲んだ。


「覚えてなさい!」

「いいえ、忘れるわ。どうでもいいもの。貴女のことなんて」


 負け犬の遠吠えを聞きながら、私は優雅に微笑み続けた。


 将来王太子妃になるのだから、これくらい図太くなければね!




▽▲▽▲▽




 偽の聖女がいなくなって、学園に平和が戻ったかと思えばそうではない。


 誑かされた男子生徒には少なからずマリア様への好意があったことが明らかになったことで、彼らの婚約者だった女子生徒のほとんどが呆れかえって婚約を解消する事態に発展した。


 前代未聞ではあったが、女子生徒の訴えはよく理解できる。


 新たな縁談を毒されなかった少数の男子生徒や、すでに学園を卒業済みで独身の男性陣、あるいはまだ婚約者がいない学園入学前の年下と組みなおすことで落ち着いたと聞く。


 私は学園を飛び級で卒業して、王宮に入った。


 日々王太子妃教育で忙しいけれど、シュテファン殿下と結ばれるためなら頑張れる。


 へとへとになりながらも充実した日々を送って、合間にシュテファン殿下とお茶会をするのが最近の楽しみだった。


「マルティナ、最近いっそう美しくなったな」

「ありがとうございます。お手入れを頑張っていますから」

「それもあるだろうが、元々君は美しかったから」


 にこりと私だけに向けられる特大の甘さで微笑まれると、心臓が煩く高鳴る。


 いつまでたってもこれにはなれない。私は笑みを崩さないように気を付けながら、口を開いた。


「シュテファン様、今度お忍びで城下町に行かれる際は私も連れていってください」

「バレていたのか」

「はい。知っていましたよ」


 くすくすと笑うと、少しだけバツが悪そうにする。そんな表情も愛おしい。


 フィリップ様が見つけた『真実の愛』は偽物だったけれど、私がみつけた『運命の出会い』は本物だ。


 だから、薬で作られていない本当の『愛おしい』という感情を抱えて、これから私は生きてく。


 シュテファン殿下と、一緒に。





読んでいただき、ありがとうございます!


『婚約破棄? え、あ、ふーん……喜んで!』のほうは楽しんでいただけたでしょうか?


面白い! 続きが読みたい!! と思っていただけた方は、ぜひとも


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