婚約破棄してください (4)
黙り込んでしまった私の頬にセレスティナ様の手がそっと触れて、申し訳なさそうに微笑まれた。
「貴女が感じる不安はやっぱりそんなに簡単になくならないわよね」
「……私が未熟なせいでご心配をおかけして申し訳ありません。これからその立場に相応しくなれるよう精一杯努力しますね」
「――……ベルアンナ、こっちにいらっしゃい。あとそこに転がってるヴィードも」
そう言って、セレスティナ様は私たち二人をまとめてギュっと抱きしめてくれる。温かくてとても優しい香りに少しだけ泣きそうになった。
「貴女たちがどちらも幸せでいてくれることが私の願いよ。――だから、婚約に条件をつけることにするわ」
「「条件…?」」
「ええ、皇太子妃の任命は二人が十六になる年に行われることは知ってるわね?」
前世も同じ慣習で十六歳の時に私は皇太子妃になった。と言っても、それは公務に慣れるための期間を設けるという意味合いが強く、きちんと国民に布告され、皇族として籍に入るのは私たちが学院を卒業する年、つまりその二年後の十八歳の時である。
だから厳密に言えば、十六で任命された皇太子妃はまだ“婚約者”という扱いなのだ。けれども、その期間中に皇太子妃の交代など有り得ないため、正式な位ではないといえど皇太子妃の権限を行使できる。
……その慣例に沿えず、稀代の悪女として皇宮から名前を消され、国の汚点として記録されたのが私なのだけど。
(あぁ、また嫌なこと思い出しちゃった)
頭の中の煩雑な音を早く消したくて、無意識に自分の服の裾を強く掴んでしまっていた。が、セレスティナ様はその手をそっと包んでくれる。
「正式に婚約書類は用意するわ。でも二人の婚約関係については、六年後の任命式まで公には発表しないからそのつもりでね」
セレスティナ様の言葉に私もヴィードも首を傾げた。事実上の婚約者であるのに関係を周りに伏せるなど、それこそ前代未聞である。貴族社会の仕組み上、隠しても特にメリットはないからだ。
それでもセレスティナ様がそう決めたのなら何か意図があるはずと、必死に頭を働かせる私を見て彼女はくすりと笑みをこぼした。
「もし予知夢通りの出来事が起こりそうになったら二人の婚約関係は即座に解消させるわ。そうなった場合、貴女たちの関係を知ってる人が少ないほどベルの社会的地位の損失はなるべく抑えられるでしょうから、念のための保険よ」
(あ…私のために……)
皇室にとってはフィアトラールの名前を大々的に出した方が遥かに有利な状況を作れるのに、セレスティナ様はそれらの利益ではなく私個人を尊重してくださったのだ。
あぁ、本当に、前世と合わせてこの方からどれだけの優しさをいただいてしまったのか。絶対今世ではもっと孝行しよう。
と、決意を強く固めている私の横から、これまた分かりやすいほどの黒いオーラが漂ってきた。もちろんセレスティナ様もそれに気づいて「ご不満のようね?」と、絶賛不機嫌中のヴィードに問いかける。
「ベルへの被害を最小限にするのはもちろん僕だって賛成ですよ。……でも、婚約関係を隠すとなると彼女に男が寄ってくるじゃないですか」
朗々とした声で真剣に戯れ言を言い出した男からそっと視線を外す。いよいよ幻覚症状が頭の奥まで浸食し始めたのかもしれない。
ハッ、私の周りに男性が寄ってくる? 今世どころか前世でも一度もそんなことなかったのに? 挨拶ですら遠巻きでしかされたことのないこの私が? 自分がモテるからって嫌味ですか???
という憤りを目の前のキラキラ皇子にぶつけようとしたが「そうよねぇ、ベルは可愛いものね」というセレスティナ様の声で思い止まった。よし、セレスティナ様がそう仰るのなら周りに気を付けよう。
「何かものすごい理不尽を感じた気がするんだけど」という声には綺麗な愛想笑いを返しておく。
「せめて【パレハ】の第一パートナーとして、僕とベルのことを公表してもらいたいです」
「……あぁ、確かにその手もあるわね」
(えっ、そっちの方が厄介では……)
パレハとは、皇子・皇妃の妃や婿となる候補を“複数人キープ”する制度のこと。要は、将来皇族の結婚相手になる確率が高い者たちだと周りに示すことで、縁談を持ち込まないようにさせるための皇族特権である。
今回で言うと、私を含めて三人の貴族令嬢がヴィードのパレハ制度に適用されるだろう。……あの二人が素直にファーストの座を私に譲るとはとても思えないけれども。
公式行事の出席可否についても、もちろんその序列で決まるため、歴史において女同士の熾烈な争いが繰り広げられたとか何とか……と、前世のセレスティナ様に教わった。ちなみに現在の皇帝が皇太子だった時は十人もいたそうで、彼女は最初から最後までずっとファーストを維持し続けたそうだ。さすがですセレスティナ様。
『ベルは経験せずに済んで良かったと思うわ。性格破綻した女たちを相手するのは戦争と同義だもの』
とは、前世のセレスティナ様のお言葉だ。その女の園では善良な者ほど心を病むらしい。普通に怖すぎるので辞退していいですか。――なんて言おうものなら、じゃあやっぱり婚約発表したいとか言い出しそうな者が一名いるので、ぐっと喉の奥に抑え込んだ。あぁ、何で人生二週目なのにこんなハードモードなのだろう。
「……ベル、そんなに不安そうな顔しないで。大丈夫だよ。僕の一番はずっと君だから」
俯いてる私を見て何を勘違いしたのか、ヴィードが私の手を両手で包み込み皇子様スマイルで言い放つ。――真逆です殿下。最下位で全然いい。むしろそうしてほしい。
「……あの、定期的に序列を入れ替えませんか。ほら、人脈作りのために殿下もいろんな女性と交流しておいた方がいいでしょうし」
「ん~そうだなぁ……手始めに一週間、ベルが僕の部屋に寝泊まりしてくれるなら一日だけ序列交代してあげる」
「今私が言ったこと全部忘れてくれていいです」
どう考えたって条件の釣り合いが取れなさすぎる。「えーお泊まり会しようよ」じゃないのよ。行ったが最後、ほんとに一週間で家に帰れるか分からないやつでしょそれ。しかも“手始めに”とか、しれっと条件を追加するつもりでいるのが姑息だ。
……などと、地味に何度か抵抗してみたのだが、結局パレハの第一パートナーとして公に発表することは確定として話が進んでしまった。無駄な足搔きというものはこういうことなんだなと、しみじみ実感した。
「――さて、今日の話し合いはここまでにしましょうか。そろそろベルを返さないとフィアトラール夫妻が心配して皇宮に乗り込んできそうだもの」
苦笑いのような表情を浮かべるセレスティナ様に思わず首を傾げる。前世と違って今世では特に門限を設けられてないし、私にあれこれ言うタイプの両親ではない。
むしろ何かにつけて両親から呼ばれて可愛がられるのはヴィードの方なので、セレスティナ様がそこまで心配せずとも大丈夫だと思うのだが。
「僕が責任を持って彼女をフィアトラール邸まで送ります。……その方が最終的な被害は少なく済みそうですし」
「………そうね。家庭教師が絶賛してる貴方の交渉術に期待してるわ」
どうやらそのことを疑問に思ってるのは私だけのようで、ヴィードも何となく神妙な顔で頷いている。はて、本当に私の両親のことを指しているのだろうか。
そのままセレスティナ様と別れの挨拶を交わし、皇宮の馬車を呼びつけ――ようとしたがフィアトラール家の馬車が当たり前のように待機していた。帰りはいつになるか分からないから先に帰っていいと伝えておいたはずなのに。
「お嬢様、皇后陛下との面談お疲れ様でした」
優しげな微笑みで侍女のリリアが迎えてくれる。が、相当長い時間待ったせいか、彼女のキャラメル色の髪は少しほつれ、やわらかいココア色の目にも分かりやすく疲労の色が見えた。
……もしや息抜きに馬車から降りることさえしなかったのだろうか。それ普通に体調不良で倒れてしまうのでは。と思い、馬車内に常備してある主人用の果実水を彼女に渡すとキョトンとした表情をされた。
「道中で具合が悪くなられては困るもの。少し休憩してから出発しましょう」
「……! はい、お心遣い感謝いたします、ベルアンナ様」
気遣いは不要だと断られるかと思ったが、受け取ってもらえてホッと胸を撫でおろす。
リリアのことは良い人だと思うが未だによく分からない。主人なのだから侍女である自分に気を遣わなくてよい、だの、もっとこき使ってよい、だの変わったことを言う侍女だからだ。
前世の侍女など隙あらばサボっていたというのに。その彼女のおかげで自分の身の回りの世話はある程度自分で出来るのだから、リリアが無理に働く必要など全くない。
ほんの少しの休憩を挟み、リリアは「もう大丈夫ですから、公爵邸へ帰りましょう」と私を促す。心なしか先ほどよりもさらに笑顔がやわらかくなっていた――のだが。
「皇太子殿下、ここまでお嬢様をお見送りいただき誠にありがとうございました。時間も遅いですしもうお戻りくださいませ」
と、ヴィードに向けて言い放った彼女の笑顔は吹雪も斯くやというほど背筋の凍るものだった。声のトーンが私と話してる時より一段階低いのが怖さに拍車をかけている。……絶対に今後リリアを怒らせないよう気をつけよう。
「――リリア・バロンズ子爵令嬢、僕もその馬車に乗せてほしいんだけど」
「生憎とこの馬車はお忍び用の小さな馬車でして……殿下をお乗せするには粗末すぎるかと存じます」
「僕は全然気にしないよ」
「そんな訳には参りません。殿下はこの国にとって大切な宝なのですから丁重におもてなしをしませんと」
言葉尻はどちらも丁寧なのにピリピリとした空気が漂っているせいで、何故か私の方が胃が痛くなってきた。別にヴィードと一緒に馬車に乗りたいわけでもないので皇宮の馬車と別れて乗るか、もういっそ家に来なくてもいいのではと口に出そうとした時。
「じゃあ、しょうがないね――皇太子として強制命令だ」
ヴィードはニッコリと笑みを浮かべ、先ほど皇后様との別れ際に渡されていた文書をリリアに見せた。
「バロンズ嬢、僕は皇后陛下から『ベルアンナと同行して安全にフィアトラール邸まで送り届けるように』とのご命令を受けている」
リリアは差し出された文書に眉を少しだけつり上げ、書かれている文字を目で追かける。
「陛下のご命令に背いて反逆罪になりたくないんだ。――馬車に乗せてくれるね?」
その言葉にリリアは一瞬だけ唇を噛みしめると、すぐに馬車の入口を開けた。
「ありがとう」と先に乗ったヴィードが私の手を引き、当たり前のように彼の隣へと座らせるとさらに距離を詰めてきた。離れようにも壁の端まで既に追い込まれており、手を握られてるがゆえに向かいの席にも移動できない。
「狭い馬車っていいね。これから二人で出かける時はこれで行こうか」
なんて、ふざけたことをのほほんと宣うヴィードに、リリアの冷たい視線が突き刺さっている。……これを堂々と無視できるこの男の神経が羨ましいようなそうでもないような。
最上級にご機嫌なヴィードと、最下級に不機嫌なリリアに挟まれながらの道中は控えめに言って地獄である。
もう金輪際この三人で馬車には乗るまいと決意し、私は眠ったフリを決め込むことにしたのだった。




