前世の私、今の私 (3)
「――お帰りください殿下。謝罪されても、私はあなたを許せません」
「分かってる。この謝罪で過去を清算できるなんて思ってないよ」
「それを分かっていらっしゃるならどうぞこのままお引き取りを」
突き放すように距離を取り冷ややかな視線を向けて出口を指せば、ヴィードは眉を下げながら視線を下げて「……ごめん」と小さく呟いた。
「あと一度だけチャンスが欲しい――…僕の運命の人は君だけなんだベルアンナ」
「……ッ! “運命”なんてもう信じないわ。絶対に今世ではあなたを好きになんてならないんだから!!」
こんなに大声を張り上げて怒鳴りつけるなんて、前世でも今世でも初めてだ。
コホッと咳き込む私を見てヴィードは慌てて紅茶の入ったティーカップを差し出してきたが、それを無視する。
「ごめん、また傷つけたね」と再び謝りながら泣き笑いのような笑みを浮かべるヴィードに、追撃の言葉を浴びせようとしていた私の口が止まってしまった。
(――いい気味だと、笑いたいのに)
どうしてこんなに心が痛むのだろうか。
彼からの謝罪で自分の気持ちが少しは楽になるかと思ったのに。いざ謝られたら怒りの気持ちしか湧いてこなくて。だって本当に謝るべきは前世のあのヴィードリッヒで、それを心から望んだ前世のベルアンナはもう死んでしまったのだ。……もう終わってしまったことなのだ。
前世の気持ちにズルズルと引きずられるのは嫌なのに、簡単に切り離すことも出来なくて心が押し潰されそうになる。
そんな感情を常に抱えてるせいか、今世のヴィードリッヒがかつての自分と同じくらい傷つけばいいのにと思ったことが何度もあった。そうすればきっと、自分の中の黒く渦巻いた気持ちが晴れて、この汚いドロドロした気持ちに区切りがつけられると思っていたのだ。……それなのに。
(――……何で私がこんな気分にならないといけないのよ)
傷ついた彼の顔を見ても存外に気分が良いものではなく。ジクジクと胸の内側の痛さが余計に増しただけであった。
ヴィードは静かに自分のティーカップへと手を伸ばし、先ほどの泣きそうな笑みをしまい込んで、仕切り直すように穏やかな微笑みを浮かべる。
「分かった、君の気持ちはなるべく尊重したい。――だから僕と勝負をしてよ、ベル」
「…勝負?」
「うん。僕が君と共にいることを許されるのが先か、その前に僕が君を諦めるのが先かの勝負。君が勝ったら僕はもう二度と君の前に姿を現さないと約束する」
「……いいでしょう、受けて立ちます。期限は?」
そう問いかけた瞬間、ヴィードは今までの殊勝な態度から一変し、子供らしい無邪気な笑みをこちらに向けてきた。
「僕が死ぬまで」
「…………はぁ???」
急に何を言い出すのだ、この男。思わず「皇宮医を呼びましょうか」などという不敬発言を重ねてしまったではないか。
「しょうがないよ。それくらいじゃないと僕は君のこと諦められないもの」
「なに寝言を仰ってるのやら。それだと私、一生独り身――…」
――いや、そうでもないかもしれない。別に律儀に勝負しなくても先に誰かと結婚してしまえば彼は諦めざるを得ないのだから。
ふとそんな考えが過り少しだけ希望が見えたと喜びに浸ったの束の間。
「ふふ、君は分かりやすいね。確かに、現国の法では皇族であっても他人の妻には手を出せないから勝負を強制終了させる手段としてはアリだ。――でもベル、忘れてない? 僕、第一継承権を持つ皇子なの。金と権力だけは腐るほど持ってるんだよ。法は変えられるし相手の男が無事に済むと思う?」
ニッコリと。それはそれは良い笑顔を浮かべたヴィードが楽しそうに爆弾発言を落とした。それは一国の主になる方がしていい発言ではないですけど???
典型的な愚王のセリフを堂々と吐く彼に唖然としながら、思わず頭を抱えてソファに座り込んだ。立派な王になりたいのだとキラキラした目で語ってくれた昔の純粋なヴィードリッヒ様が空の上で手を振っていらっしゃる。待ってあなたは逝かないで、早急に帰ってきてください…。
斯くなるうえは国外に逃亡するしかないのかと考えたところで、「あぁそうそう、国境の警備も強化しないとね。これから物騒になるしね」なんてニコニコ言われてしまえば、不発に終わる暗い未来しか見えない。
「ねぇベル、これでも勝負を受けてくれる?」
「……ええ、受けますよ。互いに未練なく断ち切りたいので」
これ以上、前世に振り回されるのは御免だ。今世の目標はそこそこの家格の家に嫁いで、毒にも薬にもならない旦那とそこそこ仲睦まじく、できれば子供は男女一人ずつ儲けて平穏に暮らしていくことなのだから――!
それを邪魔されないためにもここで白黒はっきりさせておかなければ。搦め手でダメなら――真っ向勝負のみである。
「期限を明確に定めないならそれでもいいです。皇族だからこそあなたに自由な時間は残されてないでしょうから」
「――先に言っておくけど君以外を娶るつもりは微塵もないからね」
「常識的に考えて皇太子ともあろうお方が妃を一人も娶らないのは不可能ですよ」
「それ、僕が皇太子じゃなくなったら問題なくなるでしょ」
「何ですって???」
いよいよ本当に何を言ってるのか分からなくなってきた。というか分からなさすぎて、むしろ落ち着いてきたまである。
「前世で有能な人材は見繕ったし、お飾りの皇帝でも国が回る仕組みにだって出来るさ。今の僕なら傍系から皇帝に成り上がらせる算段も立てられるしね。そうしたら僕自身はお役御免だよ。問題があるとすれば……あぁ、ベルがお嫁に来てくれないなら、歴史に名を残すはずのアストリア家は僕の代で終わっちゃって残念だねってだけで――」
「――殿下、そろそろ脅迫罪で訴えてよろしいでしょうか」
先ほどまで僅かに抱いていたはずの罪悪感は、もはや完全に砕け散った。そのままジトりとヴィードの顔を睨みつければ「うん、君はそうやって僕を下に見てるぐらいが丁度いいよ」なんて宣ってくる。……前世で知らないうちに変な性癖でも目覚めたのではないかとほんの少しだけ心配になった。
「まぁ、世継ぎ問題で家臣に泣きつかれたら君を説得してきてってお願いしておこうかな。いっそ説得できた者に報酬金でも出そうか。愉快なことになりそ……あ、いや、ベルと対面で話す権利をあいつらにわざわざ与えるのは腹立たしいな」
「――――――――ええ、そうね」
もはや会話が噛みあう以前の問題であることに、私は会話のキャッチボールを諦めた。ついでに敬う気持ちもどこかに行ったので言葉遣いも元に戻すことにした。彼の交渉術に高評価を付けた家庭教師は早急に医師に見てもらった方がいい。
深い深いため息をついた私を見て何が面白いのか、ヴィードはくすりと笑い優雅に立ち上がる。何をするかと思えばそのまま私の手を取り、彼は騎士の誓いのように片膝をついた。
「ベルアンナ――たとえ君が僕を好きになってくれなくても今度こそ君に目一杯の幸せを贈りたいんだ。だから君は自分が幸せになることだけ考えてればいいよ」
(――……やめてよ。優しい言葉なんか掛けてこないでよ)
ボロボロに泣き崩れて恨んだ日を決して忘れてない。彼の今の言葉が彼の本心かどうかなんて分からないのに、それでも僅かながら絆されそうになってしまったのもまた事実で。
前世で初めて会った日、照れながら花束を贈ってくれた彼をふと思い出してしまい情けなくなる。私ってもしかして頭がお花畑だったのかしら。
「まあでも僕以外の男に幸せにされるのは癪だから、それは全力で邪魔するけどね」
――スン、と一瞬で何かが抜け落ちる。ありがとうございます、おかげで正気に戻れましたよ殿下。
彼の言葉に一瞬感化されたような気がしたが気の迷いだったようだ。まあ結果的に正常な私に戻れたのだから良しとしよう。




