嵐の前の静けさ (3)
ガタン、と音を立てるほどの大荷物が自室に運び込まれてきたことで、数週間前の出来事から現実の世界へと意識が戻ってくる。
「さあ、お嬢様。幕を外すのでぜひ正面に」
リリアに促されて荷物の正面に立ったタイミングで幕が一気に下ろされ――ほぅ…と無意識に感嘆の息が出てしまうほど美しいドレスに釘付けになった。
「この色――」
以前、リリアに尋ねられた時に好きだと答えたドレスと同じ淡い青色だ。
リリアの方に顔を向ければ「奥様にお伝えしたら即決でございました」と言われ、少しだけ心がくすぐったくなった。
「普通のお茶会で着るのはもったいないほど素晴らしいわね」
「明日は間違いなくお嬢様が周囲の視線を独占されることでしょうね!
……はぁ、だと言うのになぜ私はその瞬間を拝見する栄誉を手に入れらないのか……やはりここは私がシェアモンテ家に潜入すべきかと」
大真面目な顔で冗談を言わないで、と笑いたいが最近のリリアを見てると割と本気でその計画を遂行する可能性がなくもない。「そんなに心配しなくても大丈夫よ」と苦笑いを送れば、彼女は途端に顔をむくれさせた。
「……だって納得できませんよ。絶対何か裏があるに決まってます」
そんな風にリリアが断言したくなる気持ちも分からなくはない。
ヴィードと同行することが決まり、その旨を彼経由でシェアモンテ家に伝えたところ、後日その茶会にとある取り決めが設けられたのである。
使用人の伴いは不要。シェアモンテ家で全て手配するため各々何も持参せずとも問題なし――と。
急にそのようなことを言いだしたのはたしかに怪しい。が、向こうの事情も今回ばかりはそう単純ではないのだ。
今回の茶会には私を含め三公の直系子息も追加で出席することが正式に決まったという。
皇太子であるヴィードも加え、貴人の中でも特に上位の者が一つの場所に集うことを考えればその応対も致し方ないとギリギリ納得できる範囲だろう。
シェアモンテ家は新興貴族の代表格であり、参加者も大半は新興貴族が中心だ。
近年台頭してきた彼らにとって、私たちのような旧来の貴族は敬う対象であると同時に、中央政権のほとんどを握る厄介な存在でもあることは前世から変わらぬ事実である。
そんな中でフィアトラール、スコレッティ、フェルドレンのような旧来の名家の中でもトップの家が勢ぞろいするとなれば――良からぬ物を持ち込み、良からぬ考えを巡らす者が全くいないとは限らない。
茶会で万が一の事件が起これば、責任は全て主催のシェアモンテ家が担わなければならないのだ。彼らも急遽厳重に警戒しなければならなくなったのだから半分同情の余地はある。
(というか、戦犯はどう考えても私なのよね……)
茶会への出席が決まってから何の気なしにヴィオラお姉様とリーナお姉様の前でそのことを話したのだ。パレハとして二人も同行するものだと思い込んでいたのである――が、しかし。
『私たちは行かないわ。人脈を作っておきたい家は別にそこにいないし』
『そうねぇ…社交界デビュー済みの直系嫡子でもいたら考えたけど』
そう言ってあっさりと断られてしまった。
せっかくお姉様たちとお喋りできると思っていたのに――と気落ちしていたのだが、落ち込んでる私の顔があまりにもいたたまれなかったのか、突然ヴィオラ様が決意したように立ち上がる。
『大丈夫よベル、貴女に寂しい思いはさせないわ。私の弟を貸してあげるから小間使いにしなさい』
そこから話が進むのはあっという間だった。『ヴィオラだけ家族ぐるみなんてズルいわよ』と言い出したリーナお姉様までも弟を送ると言い出し。
どちらの弟がフィアトラールにとっての優良物件かとプレゼン大会が開かれそうになったタイミングでヴィードが現れ、お姉様たちはすぐさま何事もなかったかのように口をつぐんだ。
そのままお開きになったこともあり、あれは私を励ますための冗談だろうと気にしていなかったのだが――有言実行になってしまったというわけだ。
「それにしてもまさか三公の皆さまがお集まりになるとは……格が上がったとシェアモンテも鼻高々でしょうね」
「……ご令嬢の方はそうかもしれないけど、伯爵の方はきっと今ごろ胃を痛めてるんじゃないかしら」
前世ではほとんど関わることがなかった家だが、何度かパーティーで一緒になったことがある。
シェアモンテ伯爵はどちらかと言えば穏健派だ。貴族のしがらみに囚われないよう周りと適切に距離を置き、家業を軌道に乗せることに邁進していたような人物であった。
一方で娘の方はまさに貴族らしいご令嬢だ。貪欲な向上心の高さは好ましいのだが、それが悪い方に働いているせいか選民思想がやや強いうえに自己評価を高く見積もる傾向がある。我が我がとぐいぐい話しかけられて以来それとなく避けていた相手だ。
(今世でもそんな感じだったらヴィードに丸投げしようかしら…)
そんなことをつらつら考えていたところに、またもドアからノック音が聞こえてきた。私宛の手紙と手のひらサイズの箱を持ってきたメイドが一礼し、リリアを介してそれらを受け取る。
「ヴィオラ・スコレッティ様とリーナ・フェルドレン様からのようです。お二人は明日の茶会には参加されないんですよね…?」
「ええ、そうよ。ヴィオラ様の弟君とリーナ様の弟君が参加すると仰ってたわ」
彼女たちの弟は同い年であり前世では同じ学院に通っていたため、その存在だけは知っていた。が、直接話す機会はなく人となりについては全く知らない。
特にその頃は聖女のことを気にかけてばかりで、彼らだけでなくその他の人間に興味を持つ余裕がなかった気もする。
「お嬢様、ちなみにそちらの箱は――?」
「香水よ。一般では出回ってないからヴィオラお姉様とリーナお姉様に探してもらったの」
濃い赤色のガラス瓶が特徴的な香水を箱から取り出す。リリアの傍で少しだけ空中に吹きかければ、むせかえるほどの薔薇の香りが広がった。
「……何というか、その…とても良い香りではあるのですが……」
「香りが強すぎて近寄りがたいのでしょう?」
私の問いかけに、リリアはしどろもどろになりながらもコクリと頷いた。
一度嗅いだら忘れられないほど濃い薔薇の香りだ。男性はもちろん女性でも好む方が珍しいかもしれない。
当然人気などあるはずもなく店頭では売りに出されないからこそ珍しい品なのである。
「明日はこれをつけていくわ」
「えっ……あ、承知いたしました」
動揺してるリリアには悪いが明日だけはどうしてもこれをつけていきたい。
――私が前世で最も愛用していた香水を。
歩く毒薔薇と言われたベルアンナ・フィアトラールが最も好んだダマスク・モダン系の香水。この香りを纏うだけで人々は私の一挙手一投足から目が離せなくなるのだ。……これは私という存在を他者の心に刻み込むための香りなのである。
(もう後には引けない…いえ、引かないわ)
角度によっては黒にも見える赤い瓶を握りしめ、お母様が言った言葉を思い出す。
『覚えておきなさいベルアンナ。悪意を向けられることに慣れてはダメよ。それがあなたの命取りになるわ』
明日はベルアンナ・フィアトラールが主役となる日だ。
口さがない噂など全てねじ伏せ、今までの醜態を丸ごと塗り替えるほどの圧倒的な印象を示してみせよう。
最高位貴族であるフィアトラール公爵家の第一公女という存在を――。




