嵐の前の静けさ (1)
穏やかな陽気に包まれた昼下がりの午後。
自室の窓辺近くに座り、読書でもしようかと本を手に持ったところでドアからノック音が聞こえた。
「お嬢様、例のものが到着しましたよ! すぐにこちらにお持ちいたしますね」
「……分かったわ。あまり誰にも見られないようにね」
侍女のリリアが入室してくると同時に嬉しそうにはしゃいでいる姿が見れたのは大変良いことだ。けれど彼女が言った“例のもの”のせいで、気持ちは正直憂鬱さの方が大きい。
そんな感情を顔には絶対出さないよう完璧に繕えてしまったのが幸か不幸か。
リリアは閃いたように「なるほど、奥様たちには当日披露するまでのお楽しみということですね」と笑顔を残してドアの奥に顔を引っ込める。
(まさか、わざわざ見せつける場を増やす気…!?)
――自分の首を絞めたかもしれない、と思ったところですでに後の祭りであった。
事の発端は数週間前。
貧民街からフィアトラール邸に戻り、外まで迎えに来てくれたリリアとシェアモンテ家の茶会について話しながら玄関ホールの扉をくぐった時のことだ。
「お姉様、おかえりなさい。予定より遅かったわね」
美しい白銀の髪をさらりと揺らし、繊細なガラス細工のように輝く薄紫色の目を緩やかに細め、妹のシェリーゼが出迎えてくれた。二つ年下でまだ八歳だがその容姿は人形より整っており、すでに完成された美貌だと顔を合わせるたびに感想が浮かぶ。
「ただいまリゼ。皇宮で殿下と少し話し込んでしまったの」
「……そう。お姉様も殿下も相変わらず仲良しね。私だけ仲間はずれで悲しいわ」
「そんなことないわよ。今度あなたがいる日に合わせて殿下をお呼びしたからまた一緒にお茶をしましょう」
その提案にリゼは嬉しそうに顔をほころばせて私の腕に抱きついてきた。彼に会えなかったのが相当寂しかったらしい。相変わらずうちの家族は皆ヴィードのことが好きすぎるようだ。そこだけは前世の家族とよく似ている。
妹と挨拶を交わしそのまま自室に戻ろうとしたものの、ホールの入り口から少し離れたところのソファで誰かと談話していた母がこちらに向かって手招きをしてきた。
「おかえりなさいベル。ちょうど良かったわ、あなたのことを話していたの」
近くまで寄って母とその話し相手にも会釈するが、目の前で微笑んでいる女性は明るい茶髪のやや派手な格好をした全く見知らぬご婦人である。
「第一公女様にはお初にお目にかかります。ブティック・エスポワーネ店主、サライラー・エスポワーネがご挨拶させていただきます」
(……! この方が噂の――)
“ブティック・エスポワーネ”は皇宮も御用達の貴族用ドレス専門店だ。
前世では全く耳にすることがなかった名だが今世では小さな茶会でも話題になるほどの超有名店である。
店で売られている既製の型でさえ価値の高い品ではあることはもちろん、店主自ら全ての工程を手掛けるフルオーダーの服は極わずかであり、希少価値が群を抜いて高いらしい。
今や皇后であるセレスティナ様のほぼ専属職人と言っても過言ではないだろう。そんな彼女がここにいるということはつまり――。
「あの有名なマダム・エスポワーネにお会いできるとは光栄です――皇后陛下の過分なお心遣いにお礼を申し上げねばなりませんね」
「――!」
一瞬だけ軽く目を見開いたエスポワーネ夫人は母の方に目を向ける。何かを探るように視線を向けられたを母は、扇を口元に当てて笑いながら「娘には何も伝えてないわ」と楽しそうに答えた。
「……ベルアンナ様。もしや、わたくしが皇后陛下から下命された詳細まで見抜かれておられるのでしょうか」
「あくまで個人的な推察ですが――」
セレスティナ様の専属とまで言わしめる職人をフィアトラール家に送ってきたという時点で、お披露目パーティー用に新しい服を仕立てよと暗に命じてるのと同義だ。
さらに言うとエスポワーネ夫人が用意したものであれば、皇家はフィアトラールを支援するという周りへの意思表示も含められてちょうど良い。
それらをひっくるめて必ず全ての工程に夫人を通して仕立てるようにとの皇后陛下の指示だ――と解釈したことを伝えれば夫人はにこやかに「お見事ですわ」と小さく拍手を送ってくれた。
「やはり外の噂など全くもって当てになりませんわね。皇后陛下がお心を配られてるのも納得いたしましたよ大公夫人」
「あなたにそう評価してもらえたということは、うちの子は合格かしら」
「ええ、もちろん。誠心誠意、最高のドレスをこのわたくし自ら仕立ててみせますのでご期待くださいませ」
どうやら推察は大方当たっていたらしい。大人たちは大盛り上がりで当の私が完全に蚊帳の外である。まあ疑惑の視線を向けられながら根掘り葉掘り聞かれる状況より全然マシではあるのだが。
そのまま話は流れ母と夫人はデザインの大まかな方向性の話題に移っていく。
おそらく夫人がわざわざここに足を運んだもう一つの目的は“エスポワーネのブランドを背負うに値する人物かの見極め”であったのだろう。私に関する噂は今やとんでも話にまで発展しているであろうことは容易に想像がつく。夫人が心配するのも無理はない。
――が、その本題に入る前に夫人の中ではすでに解決してしまったようで、以降の話に私が入る余地などなく現状は非常に暇だ。後はもう全て母に任せてそろそろ部屋に戻っても良いかもしれない。
そう思い別れの挨拶を挟もうとしたところで、折悪く先に隣から「お母様」と声が上がった。
「私のお誕生日パーティーも近いでしょう? 私も綺麗なドレスを着たいわ」
「もちろん、あなたにも特別なものを仕立ててもらうつもりよ。後で服飾店のリストを渡してあげるからそこから好きなものを選びなさい」
母の言葉にリゼの顔が少しだけ曇る。別でリストを渡すということは、つまりその中にエスポワーネの名は載せていないということだ。……穏やかに今日を終えられると思っていたが、怪しい流れになってきたかもしれない。
「お姉様みたいに本当に特別なドレスが欲しいの。私だってフィアトラールの娘よ。お礼のお金だっていっぱい出せるでしょう?」
「……リゼ、これはそういう問題じゃないの。ベルが殿下の婚約者という立場を確立させるために着るものであって、普通は――」
「じゃあ私もヴィードリッヒ様の婚約者になったらそのドレスを着られる?」
ピシリ、と空気にヒビでも入ったような音が聞こえた気がした。
息をするだけでも気を遣うほどの静けさに、やらかしたわけでもない私の方が胃が痛くなってくる。そろりと周りの大人を伺うように見れば、リリアの目が氷のように冷え切っていてさらに胃が痛くなった。
「――自室に下がりなさい、シェリーゼ。あとで私の部屋に来るように」
頭痛を抑えるようにして言葉を放った母はリゼの侍女を呼び寄せ部屋に送り届けるよう指示を出した、その時。
「ひどいわ……私だけダメだなんて…」
ぽとり、と一粒の涙をこぼしたシェリーゼは「私って愛されてないのね」とか細い声で泣き出した。
はらはらと大粒の涙を流し続ける妹は、まるでこの世の終わりを聞いたかのような痛ましげな様子だ。
(これ以上放置したら収集がつかなくなりそうね……)
心の中でため息をつきながら、とめどなく溢れてる妹の涙を袖口でそっと拭う。すると彼女はすんすんと鼻を鳴らして「お姉様ぁ……」と私の腕に力強くしがみついてきた。
「……お忙しい夫人には大変申し訳ないのですが、最初のデザイン工程だけでも妹のドレスに関わっていただけないでしょうか。皇后陛下には私から直接申し添えておきますので」
「陛下にご説明いただけるのであれば、わたくしとしては構いませんが……」
言葉尻を濁しながら心配そうにこちらを見る夫人が何を言わんとしているかも分かる。デザイン工程だけであろうとそれはマダム・エスポワーネの立派な作品の一つだ。
そのドレスがお披露目パーティーより早く開催されるリゼの誕生日会で初披露となれば、きっと周りは勘ぐるだろう。――皇太子殿下の婚約者はシェリーゼ・フィアトラールに変わるのではないか、と。
「私自身の評判は夫人も耳にされたかと思います。逆に捉えればこれ以上悪くなることもありません。夫人にもフィアトラール家にも非難が向かないよう振る舞いますので、どうか先ほどの件をご一考ください」
夫人と母はお互いに不安そうに顔を見合わせているが、フィアトラール公爵家として総合的に考えれば良い話ではあるのだ。
第一公女、第二公女ともに皇家から目をかけられてることを周りに示す証としてこれほど有効なものもない。フィアトラールの地位をさらに盤石に築けるチャンスだとお母様も気づいてはいるはずである。
唯一のデメリットである口さがない噂については対象が実質私だけなのだから害もほぼ無きに等しい――と。ここまで言えばさすがに妹にもドレスを作ってもらえるだろう。
あとは後々、私に対して嫌味を飛ばしてくるであろう輩を切って捨てるだけで済む。少々労力はかかるが家の中がごたつくより精神的疲労は数倍軽い。
私のお願いごとに少しだけ機嫌が浮上したらしいリゼがようやく腕を離してくれたのでソファから立ち上がる。姉としてのお役目もここまでで十分だろう。
退出するために軽く会釈をしたところで「……奥様」とリリアが小声で母に耳打ちをしだした。
それを聞いて何やら思案するように黙り込んでいた母は「マダム・エスポワーネ、ちょっといいかしら」と人好きのする笑顔を浮かべた。




