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私の大切な人 (5)

()っぶなー…やっぱガタきすぎなんだよこの教会。キミら大丈夫?」


 そう言ってこちらに振り返ったのは全く見知らぬ少年で。シナモンのような乾いた茶色の髪はあちこち跳ねており、長い前髪のせいで目はほとんど隠れている。だぼついた服は所々ほつれていてボロボロに近い格好であった。


 そんな少年は私の方に顔を向けて、次に私の腕の中で伏せていた存在に意識を向けると「え、ミナ!??」と慌ててしゃがみ込む。


「もう夜になるのに何で出歩いてんの! おじさんとおばさんが心配するでしょ!」

「うぅ゛ぅ~~ごめんなさあぁぁい~~~エルネお兄ちゃ゛ああん」


 危うく大怪我するほどの出来事も相まってか激しく泣き出してしまったミナの背中を擦りつつ、“エルネ”という名前で呼ばれた目の前の少年に少しだけ息をのむ。


(……やっぱり別人だわ)


 ミナの言ってたエルネがこの少年なのであれば、自分が知っているエルネの姿とは似ても似つかない。彼女の髪は己の母のように綺麗な白銀の……いや、母よりも真白に近い神秘的な色だったのだから。


「ほらミナ、泣かない泣かない。オレ別に怒ってないから。心配で言っただけ」

「……ほんとに? またミナを仲間はずれにしたりしない?」

「うっ、人聞きの悪いこと言わないでよ。あそこは危ないから連れていけないって言っただけだろ――」


 ミナの髪がぐしゃぐしゃになるほど頭を撫でまわしてる姿はまるで本当の兄妹のような気安さだ。二人のその様子を見て、緊張して張ってた肩の力が自然と抜け落ちる。


「ところで…ええと、そっちの子は? ミナの知り合い?」

「うん! ベルお姉ちゃんだよ。ミナとパパとママのお友達」

「ふーん、おじさんとおばさんとも知り合いなんだ。…じゃあ危険はないか」


 教会の椅子に座りながら「まあ、よろしく」と差し出された手を取って握手をしたところで、エルネが一瞬うめき声を上げ右腕を押さえた。慌てて服をまくってみれば、彼の腕には大きな切り傷ができている。きっと先ほど自分たちをかばってくれた時に負傷してしまったに違いない。


 急いでいつも持ち歩いてるハンカチを取り出し、それを傷口にあてがおうとしたところで「え、綺麗な布なのにもったいないって」と身を引いたエルネの手首を咄嗟に掴んだ。


「何言ってるの、こんな布よりあなたの体の方が大事でしょ」


 そのまま有無を言わさず彼の腕に少し強めにしばりつければ、エルネは少し面食らいながらも「…ありがと」と、ぎこちなくハンカチを撫でていた。

 これで多少は流れる血が早く止まるはずだ。何もしないよりかは幾分マシだろう。


「……怪我させてごめんなさい。私がちゃんと逃げてれば……」

「? 何でキミが謝るのさ。むしろミナを守った自分を褒めてやれば。自分だけ逃げなかったの普通に偉いと思うけど」


 あっけらかんと言ってくれたエルネの態度に少し救われる。滅入った気持ちを浮上させるのが上手い少年だ。


「その考えでいくならあなたが一番偉いわよ。助けてくれてありがとう…エルネ」


 そうお礼を伝えると彼は一瞬ポカンと口を開け、「確かにそうかも」と声を上げて笑った。その顔が――前髪のすき間からちらりと見えた黄金色の瞳が、少しだけ思い出の“エルネ”を思い起こさせる。


 あの子の双眸も輝くヒマワリのような色合いだった。その綺麗な目をニッと細めて声を上げながら笑う彼女を見るのが好きで――そう、懐かしい気分に浸っていたものの「ところで話を戻すんだけどさ」と仕切り直したエルネに私の意識が現実へと引き戻される。


「キミたちまだここにいていいの? おじさんたち大丈夫?」

「………良くはないわね」


 ――良くないどころか、ものすごくマズい。


 彼の問いかけに己の脳内がフルスピードで計算をし始めた。ジャックさんやメアリーさんに伝えてないことはもちろんマズいのだが、何と言ってもロルフに何も伝えてないことがマズすぎる。


 下手すると誘拐と勘違いされて大騒動にまで発展する可能性もないとは言えない。


「エルネ、申し訳ないけどミナを家まで送ってくれる? 私は弟が待ってるから先に戻りたくて――」

「ダメ、ここら辺はまだ治安マシだけど女の子一人じゃ普通に危ないから。戻るなら三人で、だ。……ミナ、がんばって思いきり走れる?」


 エルネの問いかけにミナは力強く首を縦に振った。であれば申し訳ないがここは彼らに甘えよう。一応は護身用に首輪をつけてるものの夜だと気づかれにくい。本当に誘拐でもされたら本末転倒もいいところである。


 彼の提案をそのまま受け入れ「じゃあお願い」と立ち上がり、ミナとはぐれないよう手を繋いだ――その時。


「姉様!! ここにいらっしゃいますか!!」


 外につながる通路の方から教会内に響き渡るほどの大声が聞こえてくる。

 よく知った声に安堵し、即座に「ロルフ! ここよ!」と負けじと大声を上げた。すると数秒も経たずに、とてつもない速さで走ってくるロルフが視界に入る。


「今ちょうど戻ろうとしてたの。すれ違わなくて良かっ――」

「貴女は危機感というものを一度学び直すべきですね。どこの世界に具合が悪い状態でこんな時間に出歩く女性がいると? ああ失礼、いましたねこ・こ・に。僕が戻るまで大人しく一歩も動かないようわざわざ言いつけたことも全てお忘れになっていたようですが、申し開きは後程一応お聞きします。あくまで聞くだけですけど――さぁ早く帰りますよ」


 怒涛(どとう)の言葉の波に圧倒され、口をはさむ隙などあるはずもなくただポカンとすることしかできない。一通り説教をし終えたロルフはため息をつきながら私の手首をがっちりと掴んだ。そのまま連行するように歩き出そうとしたところで「おい、ちょっと待てよ」と、エルネがさらに上から手を掴んでくる。


「そんなに責めることないだろ。ってかそんな行動制限されたらベルだって窮屈で嫌になるだろーよ」

「――何だと?」


(……まずいかも)


 エルネは私を気遣って言ってくれたのだろうが、それを聞いたロルフの目は剣吞(けんのん)な色を宿していた。――私のせいで今の今まで散々貴族のプライドを折って我慢してきたはずだ。今日一日だけでロルフにとってのストレス負荷は相当なものだろう。そして彼が平民の子供相手に謙遜をする必要も理由も、何一つない。


 そんなロルフが言葉の続きを発する前に慌てて背中に隠し、二人の視界を遮るように無理やり割り込んで「大丈夫よ」とエルネに笑顔を向ける。


「こういう性格の子だから私は助かってるの。たった二人の家族だもの、心配性にもなるわ」

「……ふーん、そういうもの? まあキミが気にしないなら別にいいけど」


 エルネがすぐに矛先を収めてくれたからか、それとも私が間に割って入った意味を察したのか、ロルフも事を荒立てないように今は無言を貫いてくれている。そのことに胸をなでおろしつつ、これ以上ややこしい事が起きる前に早めに別れた方が無難だろうと、改めてエルネとミナに向き直った。


「しばらくはここに来れないけど絶対にまた会いに行くわ。それまで待っててね」

「え、明日あそぼうと思ってたのに……お姉ちゃん次はいつ来てくれるの?」


(うっ…やっぱりそれを聞かれるわよね…)


 自分だって具体的な日程を出してあげたいがそう簡単に決められるものではない。

 今日もそうだったように、貧民街に訪れるためにはかなりの準備を要するのだ。頻繫(ひんぱん)にヴィードに頼める内容でもないし別の方法を考える必要だってある。


 そんなことをミナに正直に伝えられるはずもなく。かと言って適当な噓も思い浮かばず。賭けではあるがギリギリ達成できそうな日程を伝えてみようかと思ったその時、エルネが何かを察したように「ミナ」と先に声をかけた。


「明日はセリアたちのところに行ったら? セリアのママも遊んでいいよって言ってたし」

「…! セリアちゃんの病気、よくなったんだ!」

「おう、バッチリ。すぐにでも駆け回れそうだったぞ」


 ミナの意識は完全にエルネの話に向いたようで。具体的な日時云々についてはうやむやのままいけそうなことにホッと息をついてると、エルネがこちらを見て苦笑いのような表情を浮かべる。


「ベル、あんまり無理しないで。自分を大事にな」


 何やら意味深なことを言ったエルネは、ミナには伝わらないよう首元を指すジェスチャーをした。……隷属者ゆえに自由時間など決められないだろうと思われたのかもしれない。少し罪悪感は残るものの、この場はありがたく助け舟に乗らせてもらおう。


「――姉様、そろそろ限界かと。表に彼女の父親も来ていますし、あんまり長居すると彼も心配するかもしれません」


(確かに、これ以上は相当の言い訳を用意しないといけなくなるわね…)


 ロルフが急かすように放ったその言葉に従い、名残惜しい気持ちはまだありながらもミナとエルネに手を振って別れる。そのままロルフに手を引かれて明かりのない教会を走り抜け、ようやく私たちは帰路についたのだった。








 ――オレンジ色の夕日はすっかり沈み、夜の(とばり)が下りてきた。

 先ほどまで目の前にいた黒髪の少女の姿はもうどこにもない。彼女がいた証は腕に巻かれたこのハンカチだけだ。


「ねぇ、そのキレイなハンカチも売っちゃうの?」


 隣にいるミナが少し不満そうに聞いてくる。高価な物をすぐに換金するのは貧民街(ここ)じゃ当たり前だ。贅沢品で腹は満たされない。手元に置いても生活するうえでは役に立たない。ミナだってそんなことは当然理解している。

 けれど「せっかくお姉ちゃんがくれたのに」と食い下がる様子を見るに、今日初めて会ったはずのあの子に相当懐いたらしい。


「私がおこづかいためるまで売るの待っててよ」


 まさかそこまで言い出すとは、と少しだけ笑い声がこぼれる。まあ、以前プレゼントしたあのボロボロのクマのぬいぐるみでさえ大事に抱えてくれてるのだから、思い出の品を大事にしたいタイプでもあるのだろう。そんな彼女であれば、このハンカチも一生大事にしてくれそうだ――――それでも。


「残念だけどこれはダメ。ミナじゃなくてもあげないよ。どんなに金を積まれたって、これだけは絶対誰にも譲らない」


 綺麗な白百合の模様が入ったハンカチをそっと撫でた。優雅で気高く穢れのない――()()()()あの子に一番似合う花だ。


「……運命(シナリオ)は捻れた。結末(エンディング)は誰にも――きっと神様だって分かりやしない。なら」


 ――私にもチャンスをちょうだい、ベルアンナ。


 星に向かって唱えた願いは、声にならずにそっと暗闇に消えていった。

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