私の大切な人 (3)
「あれ? パパとママのお友達でしょ?」
「オレたちの…? メアリーの知り合いか?」
「いいえ、こんな可愛い子たちには初めて会った気がするのだけど……」
「……? パパたちの友達じゃないのにプレゼントくれたの??」
そう言ってミナが二人のもとにバスケットを持っていき、中を確認した二人がギョッとした顔でこちらを振り返った。
「あの、以前お二人に助けてもらったことがあって……」
だからこれはその時のお礼なのだと。そう伝えたものの、二人は困惑したような表情を浮かべたままだ。
「嬢ちゃん、名前を聞いていいか」
「ベル、です」
「……すまねぇな、やっぱり覚えてなくてよ」
だからこの贈り物は受け取れない、と返してこようとしたジャックさんの手を押し止めて「どうか受け取ってください」と手に力を込めた。
いきなり現れた子供から贈り物なんて普通は怪しいと思われて当然だ。けれど、この感謝を伝える術が他に思い浮かばなかった。
フィアトラールの家で私に立場があればすぐにでも彼らの生活環境を変えられたのだが……今の私に出来ることなど、こっそり貯めた小遣いでこういった物資を送って生活の足しにしてもらうぐらいが精々だ。
頑なに譲らない私を見たメアリーさんは困ったように笑い「じゃあ、ありがたくこれをもらうわ」と、果物を一つ手に取って残りが入ったバスケットを私の手に握らせる。
「それは貴女たちが稼いだお金でしょう。ちゃんと二人のために使いなさい」
そう言った彼女の視線は私の首元にあって――奴隷に見える私たちを心配しての言葉だろう。ここに来るまでの安全性を高めるために着けてたものだが、逆に仇となってしまったようだ。
――いっそのこと貴族だと打ち明けてしまおうか。
そんな考えが一瞬よぎる。けれどそれを伝えてしまえば、彼らは警戒して尚更受け取ることを拒否するだろう。下手するともう二度と会ってもらえないかもしれない。そんなのは絶対に嫌だ。
(どうしよう…どうすれば受け取ってもらえるかしら)
前世では彼らにもらってばかりで何一つ返せなかったからこそ、今世ではちゃんと恩返しをしたかったのに。これ以上ごねたら、恩を返すどころか彼らの迷惑になってしまう。私のエゴを押しつけるのは良くないと頭では分かっているのに、気持ちばかりが先走って全然上手くできない自分が情けなくなってくる。
(……やっぱり、貴族じゃない私って全然ダメね)
彼らに納得してもらうための言葉が何一つ思い浮かばず、自己嫌悪に苛まれて顔が俯きかけた、その時。
「――僕からもお願いします」
横にいたロルフが突然口を開いたかと思えば、私の手からバスケットを抜き取り二人の前に差し出した。
「ベル姉様が貴方たちのことを思って一生懸命選んでたんです。店の中で一番良いものはどれか、店主が呆れるほどものすごく大真面目に悩んでました――だから、そんな姉様の思いに免じて今回だけは受け取ってあげてください」
そう言って、最後に軽く頭まで下げてくれたロルフに、思わず目を丸くしてしまった。純粋な貴族意識を持つ彼が、目下の者に礼をする姿など前世で一度も見たことがなかったのに――。
ロルフの言葉を聞いた二人はお互いに顔を見合わせて、ふわりとやわらかい笑顔を向け合う。
「じゃあ、ありがたく使わせてもらうか」
「ええ、そうね。二人ともありがとう」
そう言ってジャックさんはバスケットを受け取り、メアリーさんが私とロルフの頭を撫でてくれる。
嬉しさのあまり顔がにやけそうになるのを抑えながらロルフにこっそりお礼を伝えれば、彼にまた目を逸らされてしまった、が。
「……困ってる姉を助けるのは弟の役目でしょう」
と、言ってくれた彼はまるで本当の弟のようで。前世では私が知らなかっただけで、彼は不器用ながらも優しい人だったのかもしれないと少しだけ反省した。
「あぁ、でもお礼はこの一度で十分よ。次は自分たちの好きなものを買いなさいね」
メアリーさんの言葉に一応コクリと頷いておく。行き過ぎた善意で困らせてしまっては本末転倒だ。今度は彼らの負担にならない範囲で別の方法を考えよう。
(直接的な物がダメならやっぱりこの環境を――貧民街を変えるしかないわよね)
そうは言っても今の私にそんな社会的影響力は微塵もない。私という存在が効力を発揮するのはたかだか貴族の子女が集まる茶会が関の山だ。本格的な慈善事業の支援者を募ったところで子供の遊戯だと鼻で笑われて終わるだけだろう。
もちろんヴィードに手を貸してもらうのは論外。これは彼個人だけで解決できる問題の範疇を超えている。となると議会に通す必要があるが理由の正当性が弱い。
貧民救済計画は流行り病によって多大な被害が出たからようやく取り掛かり始めたような事業なのだ。それが今の段階で議会で優先されるとは到底思えない。
(そうすると残る方策は……フィアトラール家の力を使って民間設備を整えるぐらいかしら)
前世の私に“頭は正気?”と詰められそうな考えに達してしまい、思わず小さな苦笑いがこぼれた。
その昔、前世の幼少期の時に一度だけ、虐げられていた友人を助けるためにフィアトラールの名前を使って虐め相手を追い込んだことがあった。
けれどその行動はその場の勢いで深く考えもせず起こした子供の浅はかさでしかなくて。
これでもう虐めはなくなるだろうと正義のヒーロー気取りで浮かれていた私は、その日両親にこっぴどく叱られたのだ。
『ベルアンナ、身の程を弁えなさい。この家の名も、お前の身の回りにあるものも、全て私たちが与えたものなのだから』
――と。
(…………今世でもまた反省室行きかしら)
明かりもない、音もしない、真っ暗なあの部屋はもう二度と御免だ。
泣きじゃくりながら戸に向かって謝り続け、声が枯れた頃にやっと出してもらえたあの部屋の存在を今でもはっきりと覚えている。その後すぐ母に『これからはいい子でいてね』と抱きしめられてから、絶対にあそこに入りたくない一心でずっと必死に努力し続けた。
そうすれば、両親はいつもの優しいパパとママでいてくれて、私は世界で一番幸せな娘に――。
「……ル…ちゃん、ベルちゃん、ボーっとしてるけど大丈夫? 体調が悪いのかしら?」
メアリーさんの声で頭の中が現実世界へと引き戻される。と、同時にあの時の記憶が鮮明に思い出されてしまったせいか、軽い吐き気と頭痛がしてきた。
「顔色が悪いわね…。少し横になった方がいいんじゃない?」
「あ、いえ、多分すぐ治まるので――」
「ダメだよお姉ちゃん!」
やんわり断ろうとしたところで、突如ミナに腕を掴まれぐいぐいとソファまで引っ張られる。
「さっきも泣いてたもん。やっぱり体調わるかったんでしょう?」
「あら大変! それじゃあ、絶対にここで休んでいきなさい」
メアリーさんとミナの連携によってあっという間に私はソファーに寝かされ、毛布をかけられてしまった。ポンポンと赤子をあやすかのごとく頭に触れられた二人の手はとても温かい。その温かさが心地よくて思わず瞼が閉じていってしまう。
が、所在なさげに立ち尽くすロルフが視界に入り彼の名を呼んで手招きしたところで、彼女たちは気を遣って私とロルフを二人きりにしてくれた。
「具合はいかがですか。馬車まで抱えて戻りましょうか? それとも今すぐ医者の手配を――」
「大丈夫、少しだけ眠ったらすぐ回復するわ。……戻る時間が遅くなっちゃってごめんね」
「そんなことは気にせず体調回復に努めてください」
少し呆れたような声を出しつつ、ロルフはズレた毛布を私の肩まで引き上げると、ソファの足元に背中を預けるようにして床に座り込んだ。
「……ずっと傍についてますから。ゆっくり眠っていただいて構いません」
「うん、ありがとうロルフ」
ぶっきらぼうながらも優しい彼の態度が何だか可愛く見えて、思わず下の姉弟に接するように頭を撫でてしまったが、彼は一瞬こちらに視線を向けただけで特に何か言ってくることはなかった。
そのままうつらうつらとし始め再び瞼が閉じかけたところで、三人の親子が楽しそうにご飯の支度をしている様子が目に入ってくる。
料理を作るメアリーさん、食器を並べるジャックさん、それをニコニコと笑いながら手伝うミナ。何てことない日常の一コマが、前世では決して望めなかったこの光景が、私はずっと見たかったのだ。
(この幸せを守れたなら――)
きっと私は、あの暗い部屋に閉じ込められたって後悔なんかしない。
大切なものを守ることが怖くなってしまった前世の私とはもう違う。
“生きていい”と言ってくれた彼らのおかげで、私はいろんな人と出会ってたくさんのことを学べたのだから。
(私に聖女のような万人を救う力はない。けど何一つ救えないわけじゃないわ)
――大丈夫、私ならできる。絶対に彼らが平穏無事に暮らせる未来に変えるのだ。
そう固く誓ったところで、私の意識は微睡の中に落ちていったのだった。




