私の大切な人 (2)
「ロルフ、準備はいい?」
「…………………はい」
かなり渋った声で馬車から降りてきたロルフは、どこから見ても間違いなく浮浪孤児の格好であった。……ちょっと顔は綺麗すぎるかもしれないが、まあ誰も彼自身が貴族だとは思うまい。
「フィア……ね、姉様は本当に抵抗感ないんですか、その格好」
「しょうがないじゃない。ここじゃ貴族の格好の方が危ないんだから」
ロルフと似たようなボロボロの服を着用している私に、何とも言えない視線を送ってくる彼の表情はまさに“汚いものを見てるような顔”である。
これでもこの貧民街の中ではかなり綺麗な方だ。元の貴族服の上から汚れた服を被ってるだけなので、服をめくられればバレてしまうし。何より、私たちの体は汚れていないのだから。
何はともあれ今はそんなことをダラダラと話してる場合ではない。
馬車に積んでいた少し大きめのバスケットを取り出そうとしたところで、横からロルフがそれを持ち上げてくれた。
ありがたいことにそのまま彼が持っていてくれるらしい。子供の腕だと中々重いと思うのだが、そこはさすが騎士といったところ。おそらく私の方が非力なので素直に彼に任せよう。
「さぁ、行きましょうか。設定はちゃんと覚えてる?」
「……物心ついた時に親は他界。今は姉と弟の二人暮らし。物乞いしながら日々の飢えを凌いでいたが、最近、貴族の――……愛玩奴隷として買われている」
やはり我ながら酷い設定だ。吐き捨てるように最後の言葉を呟き、嫌そうに首元の鉄の輪に触れたロルフの気持ちがよく分かる。が、生きるために実際にそういう人生を歩むしかない民がいることもまた事実なのだ。
皇宮が本格的に貧民救済の改革を始めるまで、あと四年。その間にフィアトラールの方で少しでも援助できるよう私も力を蓄えておかねば――と、本来の目的から思考が逸れ始めた時、ぐいっと服の裾が引っ張られた。
「私から離れないでください。守れなくなります。あ、いえ、近すぎるとダメなのでもう一歩分だけ外側に――」
「もう、どっちなのよ……。必要最低限の護衛をしてくれるだけでいいわ」
そんなに嫌いなら無理に近づかなくても――と、口に出したところで、ロルフがきょとんと首を傾げた。
「別に貴女のことは嫌いではありませんよ。ただ、殿下が貴女には近づきすぎるなと仰ったのでその注意を守っているだけです」
「――…何ですって?」
淡々と彼の口から語られた説明に、思わず頭を抱えてふらつきそうになるが何とか堪えた。――まさか本当に九歳の少年にまで牽制をしていたのか、あの男。
呆れを通り越し虚無の感情に支配されそうになりながらも「……じゃあ、もうこうしましょ」と、バスケットを持ってるロルフの手の横に自分の手を置く。少しだけ指先が触れてしまったせいか、一瞬だけ彼の手が緊張したように力が入った。
「“フィアトラール嬢の命令に逆らえませんでした”――もし後で殿下に探られたら、そう言っておきなさい」
強引にそのままロルフごとバスケットを引っ張るように歩き出せば、意外にも彼は何も言わずについてきてくれて一先ず安心した。
もうここにこんなに長く滞在できる機会なんて得られないかもしれないのに、余計なことで時間を潰してる暇はないのだ。ヴィードのワガママなんかに付き合ってる場合ではない。
前世の記憶を頼りに薄暗い道を足早に進んでいけば、ボロボロの家屋がいくつも並んでる区画へとたどり着いた。そのタイミングで目の前からガタイのいい男が歩いてくる。
一直線にこちらに向かってくる男の姿を捉えたロルフが腰に忍ばせた短剣に手をかけるが、それを制して私はそのまま真っ直ぐ歩き続けた。近くまで寄ってきた男は値踏みするように私たちを眺めるも、首輪を見た瞬間に「くそ、手付き済かよ」と舌打ちをしながら離れていく。――愛玩奴隷を壊せば、代償を払わされることをこの地区の人間はよく知っているからだ。
やはりここに来る途中で調達しておいて良かった。本物の隷属の首輪ではないが見分けられる者など奴隷商ぐらいだろう。気分は悪いが無駄な争いをするよりはマシである。ロルフがいくら武の天才だと言っても、今は彼も子供なのだから痛めつけられる可能性がないわけじゃない。
そうしてヒヤリとする場面は何度かあったものの、しばらく歩いてさらに脇道に入りもう少し進んだところで――窓のところに赤い服を着た継ぎ接ぎだらけのクマのぬいぐるみが置いてある小屋が目に入った。
(――見つけた。やっと、見つけられた)
前世ではもう少し整備された区画だったので記憶の中とはかなり違う景色だったが、運が味方してくれたらしい。――これでようやく、前世からずっと願っていた私の夢が叶えられる。
「姉様、ここに一体何があるのですか…?」
感慨にふけっていたところで不意にロルフから服の袖口を引っ張られ、はっ、と我に返った。いけない、いけない、大事なのはこれからだというのに。
ロルフに一言謝ってからバスケットを受け取り、蓋を開けて中を覗き込む。
道中の平民街で買ったやわらかい白パン、新鮮な果物、干し肉、丈夫な布地、少しのお金、そして一番大事な薬――よし、ちゃんと揃っている。
意を決して小屋の戸を叩き、「こんにちは」と声をかけた。……が、しばらくしても何も反応はなく、もしかして留守なのだろうかと肩を落としたその時。
「……お姉ちゃん、だーれ?」
アプリコットオレンジの髪に、木苺のような鮮やかな赤紫色のつぶらな瞳の少女がそっとドアから顔を覗かせた。“昔”見た、あのクマのぬいぐるみを抱いて。
間違いない、この子だ。ここが――私の命を繋いでくれたあの家だ。
――前世で何もかも取り上げられ、裸足のまま逃げ出したあの日。数多の人から石を投げられ、地面に転がった私をかばってくれた夫婦がいた。
生きていくための方法なんて知らず、生きていていいのかも分からず、何の役にも立たない私を見捨てずに、一人で生きるための知識を授けてくれた、とても優しい人達。
(やっと…やっとあの時の恩を返せる時が来たのね)
「え、え、何で泣いてるの。私わるいことしちゃった…!?」
「ど、どうされたのですか!?」
ボロボロと涙が止まらなくなってしまった私に慌てる二人を見て、急いで涙を拭う。それでも涙は止まってくれなくて。おろおろし出した少女は私の腕を引っ張り、家の中へと入れてくれた。
「どこか痛いの? それともお腹すいてる?」
そう言って少女は棚の奥から、大人の手のひらにも満たない大きさの固い黒パンを一つ出してきてくれた。――きっとそれは彼女の分の食べ物だろうに。やっぱりこの子はあの人たちの血を継いだ娘なのだと心が温かくなる。
「……ミナは優しい子ね」
「え! 何で私の名前を知ってるの?」
「ジャックさんとメアリーさんが教えてくれたの。自分たちにはとっても良い子な娘がいるって」
「お姉ちゃんはパパとママのお友達だったのね!」
――前世では、彼女の両親の話の中だけでしか会うことができなかったミナ。
足を怪我したことによる感染症で若くして亡くなってしまった彼女に、今世ではどうしても生きてるうちに会いたかった。
貧民街出身の者たちが医療手当を受けられるのは、救済改革が始まったさらに二年後。ミナはその一年前、つまり、今から五年後に亡くなってしまう。死因がハッキリと分かってる分、セレスティナ様の奇病とは違って対処方があるので彼女なら救えると思ったのだ。
「あなたのお父さんとお母さんにはたくさん助けてもらったから何かお礼がしたくて……だからこれを受け取ってくれる?」
持ってきたバスケットをそのまま丸ごと渡せば、ミナの目がきらきらと輝き「ふわふわのパンだ!!」と興奮したように飛び跳ねている。
可愛い、今すぐにでもこのテーブルいっぱいに食べ物を敷き詰めたいところだ。けれど一度に大量に持ってきたり高価なものを贈ってしまえば、近隣から要らぬトラブルを吹っ掛けられそうなので次の機会までに何を贈るかまた考えておこう。
パンを頬張るミナを微笑ましく眺めつつ、薬の使い方を説明し終えたタイミングで扉がガチャリと開き、きょとんとした表情の男女がこちらを覗き込んできた。
「おっと、ミナの友達か?」
「あらまあ、可愛らしいお嬢さんとお坊ちゃんね」
――記憶の中より若い見た目だが、その面影を決して忘れたことはない。私を救ってくれた彼らのことを。私の大切な人たちのことを。ただの一日たりとも。
(あの日別れてからずっと、ずっと、もう一度会いたかったんです――)
そう言いたいのに口に出してはいけなくて。また涙が出そうになったところで慌てて椅子から立ち上がり、深くお辞儀をしてその涙を誤魔化した。




