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私の大切な人 (1)

 しん、とした空気が肌を刺すように張り詰めている。

猛吹雪の中でさえもう少しマシだろうと思えるほど切れ味の鋭い冷たさに思わず身震いしそうになった。――まさか、これほどまでとは思ってなかったのだ。


「あの……これ、オススメのお菓子なんだけどあなたもどう?」

「結構です」

「……あぁ! そういえば先日、宮廷騎士団内で模擬戦があったとか」

「ええ、そうですね」

「その年で結果を残せるなんて凄いことよ。きっとヴィンセント侯爵もお喜びになられたことで――」

「――公女様」


 ずっと視線を床に落としていた目の前の少年は、底冷えのする声を発してついにその双眸(そうぼう)をこちらへと向けた。


「任務はきちんとこなします。ですからどうぞ私を空気として扱ってください」


 絶対零度の視線に、あ…はい、と即座に口を閉じる。さすがにここまで言われては交流を続ける気概など湧いてくるはずもない。互いに苦痛が増すだけだ。

 ……仕方ない、彼は泣く子も黙る氷の騎士なのだから。と私は大人しくカーテンの隙間から窓の外を眺める作業に徹することにした。


 ――――結論、ロルフ・ヴィンセントは子供であろうとやっぱり苦手な男である。



 (さかのぼ)ること数時間前。


  貧民街へ行きたいとヴィードに相談してから、諸々の準備を経てようやく決行する日がやってきた。

 名目上は今後のパレハ制度の序列相談ということで、ヴィオラお姉様やリーナお姉様も交えて、ヴィードと皇宮で茶会を行うというものだ。


 そのため自由に動けるのは朝から日が沈むまでの一日ということになる。


 皇宮に到着し、足早に護衛のヴィンセント卿が待機している皇宮の裏口へと歩いて行く。ヴィードは噓をでっち上げるために奔走してくれているので、ここからは私一人での行動だ。

 そうして慎重に人目を避けながら向かった先で出会った彼は、前世の時とほぼ印象が変わらない少年であった。


 はねっ毛のグレーの髪や、薄い青と紫が混ざってるような神秘的な色合いの鋭い瞳はもちろんのこと。壁を作るような話し方から、少しピリついた雰囲気まで何もかも記憶のままの彼である。まあ、子供特有の丸みがあってそこまで恐いものではなくなってるけれど。


 聖女と一緒に過ごしてた時は、少し微笑んでるような表情を見た気がしなくもないのだが、やはり彼女がいないと“氷の騎士”という名前通りの人間のようだ。


「ヴィードリッヒ殿下から貴女の命令は何をおいても優先するようにとご下命いただいております。が、危険が迫った場合は独断で動きますのでご承知おきください」

「分かりました。そこはあなたの判断にお任せします」

「――名高いフィアトラール家のご令嬢が格下の私相手に畏まられては困りますのでお止めください」

「え、ええ……分かったわ…」


 私は本当に九歳の少年と話しているのだろうか。そんな戸惑いがありながらも無難な社交辞令混じりの会話を続けていく。前世でも堅っ苦しい性格だとは思っていたが、幼い時から規律を重んじる騎士団に所属した所以のものなのだなと変なところで納得してしまった。


(……これ、本当に後で私のお願い聞いてもらえるかしら)


 少しの会話だけでもさすがに察することができる。この少年は普通の子供に接する扱いをしたらものすごく嫌がるタイプだろう。

 とてもじゃないが、このあと彼にお願いする内容に素直に頷いてくれるとは思えない。最悪、命令ということにしてしまおうかと悩んでいたところで「あぁ、それと――」という言葉と共に、彼が私から一歩離れた。


「あまり私に近づかないでください。移動中はこれぐらいの距離でお願いいたします」

「…………承知したわ」


 ――絶体この子、私のこと嫌いよね。


 そんな出会いの一幕があって今、お忍び用の馬車に揺られながら目的地である貧民街へと向かっている最中なのだが。


(……空気が…重すぎる)


 ヴィードとリリアと馬車に乗った時のことをつい思い出してしまった。あれも中々の地獄だったが会話せずに済んだ分、いくらかマシだとさえ思えてしまう。


 初手で嫌われる何かをした覚えはないが、周囲からの私の評判は良くないし偏見というものもあるのだろう。そう考えて、あの手この手で何とか当たり障りない好感度に出来ないものかと試してみたのだが結果は全敗だった。


(……まあ、でも、彼とは今日だけの付き合いだものね)


 もう既に嫌われているのだから、もっと嫌われたところであまり変わらないかもしれない。そう思えばある意味気楽ではあるし、これから頼もうとしてる内容への罪悪感も若干薄れるというものだ。


「ねえ、ヴィンセント卿。“命令”ということにすれば私のお願いを何でも聞いてくれるのかしら?」

「……ええ、従いますよ。どんな内容であろうと。――手打ちでも暗殺でも、お好きにどうぞ」


(そういえば、彼の本来の所属って――)


 ふと表情が陰り仄暗い目をした彼の目がこちらへと向けられたことではっきりと思い出した。ロルフ・ヴィンセントが暗部――皇族のみに付き従う影の組織にも所属してるということを。まさかこんなに幼い頃からとは思ってもみなかったが。


「――…とりあえず、私の前では殺すだの何だの物騒なことを口にしないで。これ一つ目の命令ね」

「それは――むぐっ!?」


 彼が何かを言う前に、先ほど勧めたのに食べてもらえなかった菓子を彼の口の中に突っ込む。一応前世の彼は甘いものも普通に食べていたので苦手ではなかったはず。

 それにヴィオラお姉様から教えてもらった格別に美味しいマカロンなのだから文句なんて出るはずがない。ついでに私も別のマカロンを齧れば、幸せが口に広がって自然と笑顔になった。


「何でもお願いを聞いてもらえるなら、ついでにどのマカロンが一番美味しいかの談議にでも付き合ってもらおうかしら」

「……貴女は私の正体を知っていたから護衛に指名したのではないのですか?」

「全然関係ないわ。単純に私と近い年の人が良かっただけだもの」

「……? それでは私が一体何の役に立つというのか……」


 ヴィンセント卿の険しそうな表情から毒気が抜かれ、眉が困惑したように下がっていく。


(……幼い時からずっと気を張り詰め続けてきたんでしょうね――それがどんなに大変なことだか)


 その言葉を口に出して、彼の心を慰められるような人間であれたら私は聖女(あの子)のように立派な人生を歩めるだろうか。そんな風なことが一瞬だけ頭によぎった……けれど。


 十歳にも満たない子供に何をさせてるんだと、多少の憤りは感じるがその気持ちだけで突っ走れるほど単純な世界には生きていない。公爵の娘といえど、今の私が持ってる権力などあってないようなものだ。そんな子供が首を突っ込んだところで解決なんて出来ない事柄は山のようにあって、彼の件もその一つである。


 彼の在り方を何とか出来るのは将来の聖女だけであり、彼を救えるのもまた聖女だけなのだろう。私は私の大事なものを守るだけで精一杯だ。

 いずれにせよ今は彼の事情には触れてあげられない…いや、触れてはいけない。期待させて落とす方が可哀想である。そう自分に言い聞かせて、考えを区切るように一息つく。


「ロルフ・ヴィンセント、あれこれ言ったけど本当に命令したいことは一つよ。あなたには今から私の――弟になってもらうわ」

「――……は?」


 どんな言葉にも崩れることのなかった鉄仮面が剝がれ、九歳らしい少年の顔が見える。あまりにも珍しい姿に「あなたでも驚くことがあるのね」と、思わず少しだけ笑いがこぼれてしまった。


 それが気に障ったのか、彼は耳を赤くさせてムッと口を尖らせる。そのまま軽く咳払いし「詳しく説明してください」と平静を装うように努める姿までもが可愛らしく見えるが、それを顔に出さないよう何とか踏みとどまった。


「正確に言うと今日一日だけ、私の隣で弟のフリをしてほしいの。それ以外はあなたが何かをする必要はないわ。……あぁ、強いて言うなら“私が何をしても見なかったことにして”」


 私の説明にますます疑問符を飛ばしながら、彼は奇妙なものを見てるかのようにこちらを凝視してくる。当然だろう、やるべき要件しか伝えてないのだから意味など分かるはずもない。

 けれど彼に詳細を説明したところで理解なんてしてもらえるはずがないのだ。

生粋の貴族の彼にとっては屈辱以外の何物でもないことを、これからやらせようとしてるのだから。


「それにしても、あなたの目って正直ね。噂通りワガママで変な女だと確信したってところかしら」

「い、いえ。決して…そのようなことは……」

「あら、ここにあなたの本当の主はいないんだから正直に言っていいわよ。この後あなたにもっと酷いことをさせるんだから今の内に私を罵っておきなさい」


 ニッコリと。皮肉を込めて微笑めば、ヴィンセント卿の瞳に得体の知れないものに対しての怯えが見てとれる。……いけない、いけない。前世の鋼鉄メンタルの彼を基準にしてしまった。子供の怯えた顔を見るとさすがに罪悪感が湧いてしまう。


「……馬鹿げてると思われてそうだけど真面目なお願いなの。私にとってはとても大事なことだから。あなたが本当に嫌なら諦めるけど、できれば協力してくれると嬉しいわ」


 そんな風に私が妥協の素振りを見せたところで、ヴィードに厳命されてる彼が拒否なんて出来るはずもない。「…分かりました。協力します」と頷いてくれた彼の目がはっきりとそう語っていた。


「ありがとう……いつか必ず、あなたが困った時に今度は私が助けるわ」


 本当はそんなことを言うつもりはなかったけれど。目の前の少年の諦めたような目を見ていると、やはり半強制的に巻き込んでしまったことへの罪悪感が刺激される。

 せめてもの償いで、この先きっと確実にぶつかるであろう彼の困難を少しでも減らしてあげよう。それが今の私に出来る彼への精一杯のお返しだ。


「両親や兄妹には劣るけど、将来性を考えれば“私”だってそこそこ強力なカードよ。しっかり見極めて上手に使いなさい」


 そう言い終えてから彼の様子を伺えば、見事なまでのきょとん顔だ。

 物を頼むにしてもさすがに強引すぎたなと苦笑いのような笑みがこぼれたところで、彼の目元が、ふ、と少しだけ緩む。


「……わざわざ一介の騎士に対して見返りに助けるだの、自分を上手く使えだの――やっぱり貴女、ちょっと変わった人ですね」


 ずっとピリついていた彼の雰囲気が何だか全体的に和らいだようで。今までは“噂のフィアトラール公女”として接していた彼が、初めて目の前にいる“ベルアンナ”を見てくれた気がした。

 それにつられてこちらも溜め込んでた緊張を少し解きホッと息をつく。


「それじゃあ、まずは“姉さん”って呼ぶ練習からしましょうか」

「え、は…?? わ、私が貴女のことを、そう、呼ぶのですか???」

「ええ、そうよ。公女様なんて呼んでしまっては全部台無しになってしまうもの」


 うぐっ、と喉を詰まらせたような音を発して葛藤していたヴィンセント卿だったが、しばらくして「ね…姉様」と歯を食いしばるように声を絞り出す。

 ちょっと呼び方は固いが、まあ嫌いな相手に向かって呼んでくれているのだ。彼の中で相当譲歩してくれた方ではあるだろう。


「ふふ、いい子ねロルフ。目的地に着いたら姉様の言うことをしっかり聞くのよ」

「――…っ…はい」


 フイッと目を逸らされてしまい、また怒ってしまったのかと思ったが、その後の会話に最初のような冷たさは感じられない。


 馬車の中で話すのはやっぱりほとんど私の方であったし、大体が私の好きなお菓子や食べ物の話ばかりだ。それでも先ほどよりは自然にロルフが相づちを打って、突っぱねずに話を聞いてくれている。


 おかげで重苦しい空気から解放された状態で馬車に揺られ、いよいよ貧民街付近へと到着したのだった。


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