三人の悪女 (4)
ダンスレッスンは実際のお披露目パーティーが行われる皇宮の中央ホールで行うらしい。宮廷楽団員も何名か付き添ってくれるので、本番に近い環境ということだ。
ホールに入ると、ライトブラウンの髪を結い上げた気品のある女性が、にこりと微笑んで迎えてくれた。
「はじめまして、皇太子殿下、パレハの皆様。僭越ながら、ブラード・レバノン侯爵の第一夫人である私、モーリー・レバノンが今回の講師を務めさせていただきます。よろしくお願いいたしますね」
おっとりとした雰囲気のご婦人だ。彼女の柔和な笑顔のおかげで、直前までの緊張がゆっくりと解れていく。前世でのダンス講師がかなり厳しめの人だったので、今世でも何か繋がりがあるかと少しだけ身構えていたのだが、杞憂に終わって何よりだ。
「フィアトラール嬢はダンスを習いたてと伺っております。ですから、まずは私と簡単なステップから始めましょうか。殿下とスコレッティ嬢、フェルドレン嬢はワルツの練習をお願いいたします」
「あ、待ってください。彼女もワルツで大丈夫です」
レバノン夫人が指示を出し終えてすぐに、ヴィードが私の手を軽く引いて傍に立つ。「殿下、初心者にいきなりそれは少々厳しいかと……」と困り顔の夫人に、彼は「百聞は一見に如かずですね」と無邪気に笑った。
「楽長! ワルツ系で一曲流してもらえる?」
「え、ちょっと、ヴィード…っ!」
慌てて止めようとするも、彼に手を引かれそのままホールドされた時には宮廷の小楽団が既に音楽を奏で始めていた。
「君ならこの程度は余裕でしょ」
「……まあ、これぐらいなら」
前世で死ぬほど練習したおかげか、踊りながら軽口を叩けるほどには体がちゃんと型を覚えている。が、このまま体力が持つかどうかは正直微妙なところだ。
「お、じゃあもう少し早いテンポでも大丈夫かな」
「足踏んでも知らないわよ」
「それは遠慮したいなぁ――あ、そうだ」
何かを閃いたらしいヴィードは悪戯っ子のような顔でニッと笑う。
「僕の足を踏まずに最後まで踊り切れたら、君のお願いを一つだけ叶えてあげる」
「……何でも?」
「うん、何でも」
――俄然やる気が出た。一つだけ、どうしても今世でやりたいことがある。方法が見つからず半ば無理かと諦めかけていたが、ヴィードの力を借りればいけるかもしれない。
「二言はなしよ!」と不敵に笑い返して、私はヴィードの提案に乗ることにした。
基本のステップから難易度がやや高いステップ、おまけにヴィードがアレンジを加えたものまで試されたもののそれぐらいでミスなど犯すはずもない。
楽団員も興が乗ったのか、普段ではあり得ないほど目まぐるしく変わる曲に合わせてしばらく踊り続け、ラスト曲がフェードアウトしたところで最後に互いに礼をして締めくくる。一息ついてからレバノン夫人の方に視線を移せば彼女の体がわなわなと震えだした。
「素晴らしい…っ!! お二人とも抜群の息の合わせ方でございました!
ベルアンナ様、貴女にこんな才能がおありとは。フィアトラール公爵夫妻もきっと大層お喜びになることでしょう」
大げさなぐらいに褒めちぎってくれるレバノン夫人に加えて、お姉さまたちからも拍手をもらってしまい思わず照れてしまう。懸念した通り体力不足で姿勢が少し崩れてしまったのに、優しい彼らは見逃してくれるらしい。昔だったら絶対『この程度で満足しないように』と気を引き締めさせられたところだ。
一通りの賛辞を述べてくれたレバノン夫人は、今度はお姉さまたちが踊っているところを眺めて指導を始めたので私とヴィードは少しだけ休憩を取ることにした。
「さすがに前世ほどは踊れないかなと思ったけど、そんなことなかったね」
「当然よ、筆頭公爵家の娘だもの。無様な姿は見せられないわ」
「でも今世のフィアトラールの姫は悪い方向に有名だけど?」
いたずらっ子のように楽しそうに笑うヴィードに、思わずうめき声を上げそうになる。そういえば婚約破棄のために教養がない娘に徹していたのだということをすっかり忘れていた。
「心配いらないわよ。すぐにでも“心を入れ替えた完璧な公女様”の噂にしてみせるから」
前世のあの頃のようにフィアトラール家の最高傑作として。家の名前に大きな傷が残る前になるべく早めに挽回しておこう。
“彼女”が現れるその時までは、皇太子の婚約者として恥をかかない程度にしっかり務めなければ。
「……うん。君は頑張り屋だもんね」
一瞬だけ言葉を詰まらせたヴィードは、何か言いたげな表情をしたものの特にそれ以上その話題を続けることはなく「それで、願い事は決まった?」と尋ねてくる。――ようやくやりたいことを叶えるためのチャンスが来た。
「ええ――貧民街に行きたいの、私一人で。だからそのための移動手段の用意と口裏合わせをしてほしい」
そう伝えた瞬間にヴィードは困惑したような表情を浮かべる。……さすがに、そうすんなりと引き受けてはくれないような内容であることは私も分かっている。けれど、これだけはどうしても引き下がれない。
「僕がついて行ったらダメな理由は皇族で目立つから? それなら変装して――」
「……いいえ、違うわ。私が一番惨めだった頃を絶対あなたには見られたくないからよ」
「――! それ、は……」
前世で断罪された日。生きるか死ぬかの瀬戸際を過ごしたあの場所に彼を連れて行けば、彼はきっと私がどう過ごしていたかを悟るだろう。――憐れまれて同情されるなんて絶対に御免だ。“フィアトラール家の華やかなベルアンナ公女”という存在を誰よりも知っている彼に、どん底まで落ちた私を見せるなんて死んでも己のプライドが許さない。
表情を曇らせたヴィードはしばらく黙り込んでいたが、やがて軽く息を吐いて「…わかった」と承諾の返事をくれた。
「ただし、完全に君一人だけだと危険だから護衛の騎士は一人つける。それが最低条件だよ」
「……分かったわ。でも何があっても護衛から貴方に報告はさせないって約束して」
「ん、いいよ。君が誘拐とか何か事件に巻き込まれたりしない限りはね」
彼の言葉に、無意識に握りこんでいた手のひらを緩め、ホッと肩の力を抜く。
そのままお礼を伝えた流れで「後で何か頼まれても文句は言わないわ」と言えば、彼はきょとんと首を傾げた。
“移動手段を用意しろ”、“でも事情は聞かずに、フィアトラール家の者にバレないよう口実を用意しろ”なんて、非常に無茶な願い事をしたのだ。ただで願いを叶えると言っても、さすがに度は超えてるだろう。何か対価を要求されても仕方ないと思えるほどには、彼の負担が大きいということも分かっている。
――というような事を改めてヴィードに伝えれば、彼は小さく笑って私の髪にそっと手を添えてきた。
「要求しないよ、そんなもの。……大丈夫。対価なんてなくても君の邪魔をしたりしないから僕を信じて」
……別にそんなことを思ったわけではなかったのに。
悲しそうに目を伏せた彼を見て咄嗟に「信じてるわ。だからお願いしたんだもの」という言葉が口をついて出る。途端にヴィードの顔にふわりと笑みが戻って、少しだけ私の心が軽くなった。
「ねえヴィード、できれば護衛は年を取ってない人にしてほしいんだけど…」
「ん? 逆にどういう人材がいいの?」
「……私と年が近い人。私と兄妹に見えるぐらいの見た目の人がいいわ」
その条件を聞いたヴィードは少しだけ思案して「適任が一人いるけど……いや、でもなぁ」と言葉を濁したうえに渋った表情を見せた。
「何、その人すごく性格悪い人だったり?」
「ううん、すごく生真面目。命令には忠実だし警戒心が強いから護衛向き、でも――」
とてつもなく神妙な顔つきになったヴィードが、ほんの一瞬だけ言葉を躊躇ったものの、意を決したように再び口を開く。
「――顔がいいんだ、そいつ。ものすごくカッコイイの」
「…………」
だから何だというのか。何を言われるかと身構えていたのにそんなことで……と、思いきり呆れてため息をつけば、何故かヴィードは拗ねたように口を尖らせた。
「……前世の君はそいつの顔ばっかり見てたんだもん」
「私が? ないない。特定の誰かに視線を送り続けるなんて、したことな――……あ」
いたかもしれない。一人だけ。
「ねえ、もしかして……“氷の騎士”の彼のことを言ってる?」
――氷の騎士、ロルフ・ヴィンセント。私とヴィードの一つ下でヴィンセント侯爵家の三男であり、前世ではヴィードの護衛騎士を務めた後、天才的な実力の高さを認められて聖女の護衛騎士として選ばれた人だ。
表情をピクリとも動かさず寡黙に淡々と仕事をこなす姿は、まさに氷のように冷たい印象の男性であった。
(そっか……彼、子供のころからヴィードの護衛についてたのね)
私が前世で初めて彼に会ったのは、十六になる年に貴族学院へ入学する直前だったので子供時代の彼は知らない。けれど、幼い時から武道の天才で飛び級してヴィードと一緒に入学したという話は特に有名だった。
久しぶりに聞いた名前に記憶を手繰り寄せていれば「ほらやっぱり! 君も心当たりがあるじゃないか!」と、ヴィードはますます顔をむくれさせた。
「いいなぁ、あの顔が羨ましい」
「………ねえ、あなたの顔、“生きる宝石”って呼ばれてるのよ。あなたレベルで悩まれたら常人はどうしろと?」
「だってベルはあいつの顔が好みなんでしょ。いつもチラチラ覗き見てたし」
言われた言葉の意味が一瞬だけ分からず、きょとんとしてしまう。まさかそんな風に思われてたとは。あまりにも見当違いすぎて思わず笑ってしまった。
「ヴィンセント卿の表情が読めないから、彼の顔色を伺ってたのよ。彼、常にピリピリしてるように見えるんだもの。だから怒らせないよう観察してただけ」
「……本当に?」
「本当に本当。それに顔の系統だけで言えば、あなたの方が好きだわ。見てて落ち着くもの」
――ほんと顔だけは天使だから。と言う前にヴィードが不意に私の頬を両手で包み込み、ぐっとその綺麗な顔を近づけてくる。
ほぼ目と鼻の先で、下手すると唇がくっついてしまうのではというほどの距離感に、思わずビクリと固まってしまった。
「じゃあ、これからは僕をずーっと見ててね。僕も君だけを見てるから」
アクアブルーの瞳がいつも以上にキラキラと輝きながら甘くとろけている。彼は宝物でも見つけた小さな子供のように嬉しそうに目を細めて、チュ、と軽い口づけを鼻先に落としてきた。
「――――っ、な、何して…!? 周りに人がいるのにっ!」
ようやく我に返り、慌ててヴィードを押し退けたタイミングで、「あの、お二人ともそろそろ休憩からお戻りいただいても…?」とレバノン夫人から控えめに声が掛かる。――見られてないわよね、噓でもいいから見てないって言って…!
「あらあら、顔が真っ赤ねベルちゃん~?」
「イチャつきたいならレッスン終わった後にしてちょうだいね~」
お姉様たちにトドメを刺され、うぐっ、と声にならないうめき声が出てしまう。恥ずかしさのせいで顔がさらに熱くなりヴィードをキッと睨むが、浮かれたようにニコニコしてる彼をさらに喜ばせる結果となってしまったようで腹立たしい。
「あぁ、そうだ、ベル。ロルフを君の護衛としてつけるために日程調整するから、日取りが決まったら教えてね」
「え、さっきあんなに渋ってたのに」
もういっそ条件を妥協してヴィンセント卿以外で護衛を頼もうかと思ったぐらいだ。今までの無駄に長いやり取りは何だったのか……。ただ精神力を削られただけではないかという虚無感がすごい。
「だって君は、あいつより僕の方が好きなんだって分かったから」
――いや拡大解釈にも程がある。好感度で言えば二人とも限りなく0に近いので似たり寄ったりだ。
そう丁寧に訂正したいところだが、これ以上話をややこしくするとまた面倒が起こりそうなので、目を逸らしつつとりあえず頷くフリをしておいた。
「初めてこの顔に生まれて良かったって思えたよ」とご機嫌な様子のヴィードに手を引かれるが、こちらは目の前の晴れやかな表情の男を見て、やるせないモヤモヤが溜まる一方である。
けれど幸せそうに笑っている彼の顔は、まさしく天使の名にふさわしいと認めてしまうほどの綺麗さで。とても悔しいことに悪口が思い浮かばない。
仕方ないので行き場のないこのモヤモヤはヴィードの足を踏むことで解消しよう――と、固く決意して大人しくレッスンに戻ることにしたのだった。
しばらく書き溜めてから、また投稿を再開したいと思います。
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