三人の悪女 (2)
皇宮の門をくぐり、馬車から下りる。いつもならそこに皇后様付きの侍女長がいるのだが今日は姿が見えず、代わりに見えたのはヴィードと数人の侍従であった。
「皇太子殿下にご挨拶申し上げます。エリオット・フィアトラール公爵が娘、第一公女ベルアンナが参りました」
周りに人がいるので通常の儀礼に則り、片足を引いて軽く膝を曲げながら挨拶をする。ここで偉大なる皇太子から挨拶を返されれば姿勢を戻して話してもいい――のだが。
(………全然何も言われないんだけど)
地味にこの体勢キツイのに。いや、だからこその嫌がらせなのかもしれない。性根が悪いヴィードなら全然ありえる。
けれどそんな悪戯に付き合う義理はないので、作法を無視して「……殿下?」と話しかければ、ヴィードがハッとしてようやく私に声が掛かった。
「ごめん、ちょっと、いや、かなりビックリしたというか…動揺が止まらなくて……」
手で心臓を押さえるようにしてたヴィードの頬がじわじわと赤くなっている。
そんなに動揺されるほど無様な挨拶なんてしてないはずだけど。と、目で訴えればヴィードは苦笑しながら私の手を取った。
「本物の花の妖精が僕の前に現れたと思ったんだ。ベル、そのドレスも髪も君にとても似合ってるよ。――抱きしめたいんだけど、綺麗な格好が崩れるから今はこれだけにしておくね」
そう言って私の手の甲に軽く触れる程度の口づけを落としたヴィードに、思わず私の体温までじわじわ上がってしまった。……が、周りの侍従の視線が痛いくらいにこちらへ向けられていることに気づき、すぐに顔を取り繕う。
「……ねえ、君たち。彼女が可愛くてもそんなに熱心に見つめないでね。でないと、君たちの働き先を変えなきゃいけなくなっ――」
「殿下は本日も冗談がお上手ですね。さあ、時間もそろそろですし参りましょうか」
ヴィードが突飛なことを言い出したので慌てて言葉を遮り、顔合わせの場所である庭園まで移動を促す。
ただ仕事で見守ってるだけの侍従たちに何という難癖をつけているのだろう。生暖かい目をこちらに向けてくる彼らを見て私の方が恥ずかしくなったではないか。
(――子供のおふざけだから気にしなくていいのに……なんて彼らには無理よね)
可哀想に、ヴィードの冗談を真に受けた侍従たちは言いつけ通り私と一切目を合わせず、それどころか私たち二人の後ろをかなり離れた距離からついてくるようになってしまった。――真面目に仕事してただけなのにね…という憐れみしかない。
「ベル、可哀想とか思っちゃダメだよ。君って前からそういう隙が多かったんだから、今世ではこうやって意識していかないと」
「心読まないでよ……というか、何の話?」
「君は可愛いんだから、寄ってくる男に気を付けようねって話」
またそれか。だから私に寄ってくる男性など、前世と合わせても0なのだと何度言わせる気なのか――。
「言っておくけど、前世は僕が事前に追い払っただけで普通に厄介な男は多かったからね?」
「え」
「ほらぁーやっぱり何にも気づいてなかったぁー……」
私を咎めるように、ヴィードからジトっとした視線を向けられる。いや、だって子供の頃からずっと遠巻きにされてた記憶しかないし…。それに、前世は早々にヴィードの婚約者として発表されたので、そういう目的で近づいてくる男性がいるなど思いもしなかった。
「まあ前世は君が“黒の棘薔薇姫”なんて呼ばれてたから、僕が全部何とか出来る範囲で収まってたけど、今世は――」
不自然に言葉を途切れさせたヴィードは、私をじーっと見て大きなため息をついた。
「……ベルがこれ以上可愛くなったら困る」
「私じゃなくてリリアに言ってよ。今日可愛くなれたのは彼女の気合の結果なんだから」
「うーん、一生分かってもらえなさそう。やっぱり僕が邪な男を蹴散らす方向でいこっかな!」
――とりあえず初手で馴れ馴れしくしてきた男は全部僕に教えてね、と。謎の方向に話を帰結させたヴィードに手を取られ、それ以上は彼から私を咎めるような言葉はなく庭園までエスコートされる。
その道すがら、今までどのように男性を追い払っていたのかを尋ねるも、ヴィードはただ笑うばかりで明確な答えは何一つ返ってこなかった。深く聞くと後悔する気がしたので追及はしないけれど。
「いいかい、ベル。本当は君に男が近づく前に処分したいんだけど、間に合わない時もあるだろうから――」
真剣な顔つきのヴィードから“二人きりになろうとする男”と“やたら酒を勧めててくる男”からは必ず逃げるということを一先ず約束させられた。――それ、前世のあなたが私にしてきたことじゃなかったかしら。
そんな風にややひと悶着はありながらも、茶会がセッティングがされている庭園へと時間通りに到着し――私の視界に青とピンクの華やかな色彩が飛び込んでくる。
「あらあら、ベルアンナ様。ようやくご到着されたのですね。首をながーくしてお待ちしておりましたのよ」
青いロングストレートの髪がサラサラとなびいて、紫水晶のように鮮やかな瞳がゆるりと弧を描き、
「うふふ、ヴィードリッヒ殿下にエスコートされてのご登場だなんて妬けちゃう~」
ピンク色の緩く巻かれた髪がフワリと揺れ、ハチミツのように甘い瞳が妖精のように微笑んだ。
「……ごきげんよう、妃教育の試験以来ですね。ヴィオラ様もリーナ様もお変わりないようで何よりです」
――本当に、懐かしい顔ぶれだ。
青薔薇のヴィオラ・スコレッティ公爵令嬢、紅薔薇のリーナ・フェルドレン公爵令嬢。そして黒薔薇の私、ベルアンナ・フィアトラール。
前世の社交界で“三公の棘薔薇姫”と呼ばれた三人が、まさか一堂に会することになるとは。これが前世であれば、社交界は今頃騒然となってただろう。
「殿下~、早くこちらにいらしてください。私と楽しいお話をいたしましょ♡」
「ずるーい! 殿下ぁ、リーナもお話に混ぜてくださぁい♡」
(……すごい、お二人って昔から変わらずこんな感じだったのね)
二人とも年齢が私より五つ上で交友関係が被ってないので、同じ催しに参加する機会はあまり無く直接的に関わったことはほとんどない。が、社交界での強烈なエピソードだけは否応なしに耳に入ってきたので、性格だけはよく知っていた。
彼女たちの異名は“蠱惑の青薔薇”、“誘惑の紅薔薇”――共通点は、多くの男性を虜にして爵位を買えるほどの財を貢がせてきた女性たちである。
「まさか殿下のパレハに選んでいただけるなんて光栄ですわ」
「ほ~んと、ビックリですよぉ。てっきり、殿下ってベルアンナ様以外の女性を女性と認識してないんじゃないかって思ってたのにぃ」
「まあ、殿下も立派な殿方ですから相手が一人の女性だけでは体力が余ってしまいますわよねぇ」
席に着く前から完全に二人のペースに巻き込まれ圧倒されてしまう。
この二人と争っても負け戦になるということは、戦う前から分かりきっていたことだ。だからこそ今日という日を憂鬱な気分で迎えたのだが――。
(さすが青薔薇姫と紅薔薇姫、近くで見るとさらに華のある方々ね)
妃教育の試験の時は皇后様との面談があったので、二人とも深窓の令嬢らしい控えめな服装だったのだが、今はもう完全に昔の記憶のままの華々しい格好だ。
気分としては、あの有名人が目の前に…! と、場違いにも少し高揚してしまった。
(二人ともどうやって男性を虜にするのかしら)
もはや会話に混ざって女の戦いに身を投じるより、社交界の伝説となるほどの手腕を見てみたい。そんな欲が出てきてしまい、ヴィードのために空けられた席から一番遠い席へ座ろうと移動して――
「ベルアンナ、君はこっち」
「え」
綺麗な笑顔を浮かべたヴィードに捕まり、力づくで引き寄せられ、まるで横抱きするように強制的に彼の膝の上へと座らされた。
「――……」
「――……」
予想外すぎる行動に一瞬固まってしまったが、無言でこちらを凝視する二人の視線にすぐさま正気に戻り、即座に下りようと体を動かす。が、かなりの力でお腹に手を回され完全に動きを封じられてしまった。
何という嫌がらせをしてくれたのだと抗議するためにヴィードの方に顔を向け――咄嗟に口から飛び出そうになった悲鳴を飲み込む。
「あーあ。僕、結構傷ついちゃったなぁー…」
……何故か目から光が消失している彼の姿がそこにあった。それなのにずっと綺麗な笑顔を浮かべてるせいで謎の怖さが増している。
「わ、私が何かしましたか、殿下…」
「んー? 僕の可愛い婚約者は、僕が他の女に言い寄られてるのに全然助けてくれないんだもん」
「ええっと、殿下ならお一人で何とかできる…かな…と」
「――ねえ、ベルアンナ。まさか、この機に乗じて婚約破棄なんて狙ってないよね?」
(……あ、確かにヴィードと彼女たちが一緒に過ごす時間が増えれば自然と婚約解消に繋げられるかもしれない)
なるほどその手があったか、と一瞬でも思ってしまったのは正直認めよう。けれども。
「セレスティナ様にも誓ったんだから、さすがにもう軽率なことはしないわよ」
「……ほんとに? 僕を捨てない?」
あなたが私を捨てるんでしょう、という言葉を飲み込んで「私からは捨てないわ」という言葉を返せば、彼の目にようやく光が戻りいつも以上に綺麗な天使の微笑みを向けられた。
その後お決まりのように抱きつこうとしてきた彼を「ドレスと髪が崩れるからダメ」と制止してやっと彼の膝から下ろしてもらえる。少しだけムスッとされたがダメなものはダメだ。今日の私はリリアたちに、とびきり可愛くしてもらえたのだから。