三人の悪女 (1)
――ついに来てしまった、この日が。
「お嬢様、今日の戦闘服はいかがしましょうか」
数えるのも億劫になるほどの様々なドレスが目の前にズラリと並べられる。
リリアの目が爛々と輝きを放っていて、気合の入り方が尋常じゃない。
(まあ、主人の格が侍女のステータスになるんだから気合は入るわよね……)
今日はパレハに選ばれた令嬢たちと改めての顔合わせと、お披露目パーティで踊るダンスレッスンを皇宮で行う日だ。今頃、他の家でも“うちのお嬢様が№1”とばかりに着飾られているのだろう。
「いつも通り全部あなたに任せるわ」
「かしこまりました。必ず世界で一番輝く女性にしてみせます…っ!」
リリアと私の温度差がすごくて風邪を引きそうだ。
メラメラと物理的に燃えてそうなほど熱いリリアを横目に、私は大人しく指定された椅子へと座る。途端に五人のメイドたちが周りを取り囲み、化粧の準備やら髪の手入れやらで場が騒がしくなった。
「お嬢様にはこっちの髪飾りが映えるわ」「でも少し地味じゃないかしら」「宝飾を増やすのは――」など、まるで戦場のごとく駆け回る彼女たちに、とてもじゃないが“適当でいい”などと抜かす勇気は私にはない。
『ベルアンナ、可愛い私の娘。貴女は何もしなくていいの。メイドたちに綺麗に飾ってもらいなさい――お人形みたいに綺麗にね』
と、前世のお母様もよく言っていたし。どうやら私はセンスが壊滅的らしい。
大事な日の衣装は特に侍女やメイドに任せるようにと言われていたので、今世でも完全に彼女たちにお任せ状態である。
(あんまり派手な格好じゃないといいなぁ…)
露出の高い服はあまり好きではなかったけれど、お母様が一番褒めてくれるのでよく着させられた記憶だ。今世では母親が違うので、是非服の好みも変わっててほしい。
「お嬢様、こちらのドレスとこちらのドレスではどちらが良いでしょうか」
「リリアが好きな方でいいわ」
どっちも露出控えめの服だったので、この時点でもう勝ち確である――と、内心満足していると、リリアが目線を私に合わせるようにスッと屈んだ。
「私の質問が悪かったですね……お嬢様の好みが知りたかったのです。まずはどの色が好きか、私に教えてくださいますか」
にこっ、と人好きのする笑みを浮かべるリリアに思わず目を丸くしてしまう。
あの地獄の空気の馬車事件以降、なぜかリリアが私に話しかけてくれることが増え、事務的な会話以外も少しずつ増えてきた。が、ここまでハッキリと踏み入られた質問をされたのは初めてである。――というか、前世でも今世でも、この家の関係者に好きなものを聞かれたこと自体が初めてだ。
「……こういうやわらかい色が好き。でも、私には似合わないから」
傍にあったパステルブルーのドレスを手に取る。シフォンフリルが所々にあしらわれていて、ふんわりとしたデザインが可愛いく上品だ。……けれど、私が着たらきっと台無しになるのだろう。
赤や黒のような重厚な色でベルベット生地みたいに体型のラインが出るドレスばかり着せてもらった記憶しかない。
「では、これにしましょう。すぐに着替えの準備をしてまいりますね」
「え、いや、だから私には合わな――」
止めようとした私を「お嬢様、よーくお聞きください」と逆に制止してきたのはリリアの方だった。
「お嬢様に似合わないドレスなど、元々ここには一着も置いておりません。
服も宝飾も化粧品も香水も、全て貴女のためだけに集めたのですから。それは私が自信を持って断言できます」
やわらかい声で、でもハッキリと言われたその言葉にポカンとしてしまう。
周りのメイドの様子を伺えば、彼女たちも私の意見を却下する様子はなく、既にその青いドレスに合わせるための飾りを選び始めていた。
――本当に、私が選んだものを着てもいいんだろうか。こんなに可愛らしい服が私に似合うんだろうか。
「大丈夫ですよお嬢様。貴女の不安を吹き飛ばすほど、私たちが完璧に仕上げてみせます。――貴女が初めて選んでくださったドレスが、貴女にとって良き思い出となりますように」
戸惑いのせいで何も言葉が出てこなくて、それでもリリアはそんな私に呆れることなく、笑顔のまま準備のために部屋から出ていく。――あぁ、ほんとに、この世界の方がよっぽど都合のいい夢みたいだ。
(“ありがとう、嬉しい”って、言っても良かったかしら)
私に似合うと言ってくれたのがお世辞でもいい。ただ、私の意見を聞き届けてくれただけでとても嬉しかったと、彼女なら伝えても嫌な顔はしないかもしれない。……でも。
『ベルアンナ、可愛い可愛い私の娘。お前は何にも話さなくていいんだ。ただそこにいて、笑ってるだけでいいんだよ。私の愛しいお人形さん』
前世のお父様の言葉を思い出す。私が出しゃばるのは良くないことだ。フィアトラールの家で、私が誰かに意見することは望まれてないし、ましてや反論など以ての外なのだから。……リリアが良い人すぎるせいで、たまにそのことを忘れてしまいそうになる。
(はぁ……ヴィードになら何も気にせずに言えるのに)
悪態でも冗談でも、前世では許されなかったことが何故だか今世の彼にはすんなり言える。……まあ、この世界で最初に会ったヴィードはとても口が悪かったので、反射的に私も悪態を返してしまってからはもう取り繕う暇もなかったというのが正しいけれど。
――そんな風に、半分うわの空で過ごしている間にリリアもメイドたちも着々と準備を進め、長い時間を経てようやく解放される時がきた。
「ご覧くださいお嬢様。私たちの目には間違いなく世界で一番お似合いですよ」
リリアに促されて、鏡をまじまじと見つめてしまう。
そこには前世と全然違う私がいた。
明るいパステルブルーの服に合わせて、髪にも青いリボンが結ばれており全体的に可愛い印象だ。しかもいつもこういう催しの時は髪の毛をきっちり結わえていたのに、今日はふわふわのハーフ結びで私の癖っ毛が上手く活かされている。
心なしか顔つきさえも、ふわっと穏やかに見えるのではないだろうか。
“棘のある黒薔薇”(ネグロローザ)なんて呼んでいた前世の人間が見たら、私だと気づかないかもしれない。
「……とても素敵ね。リリアも、みんなも、ありがとう」
リリアが最初に選んでくれたドレスではなかったので、あんまり大きく喜んでいいかは分からなかったけれど。こんな素敵な見た目にしてくれた彼女たちに、やっぱり感謝の気持ちだけは伝えたくて。
とても嬉しそうに笑ってくれたリリアに心がくすぐったくなる。彼女に嫌な顔をされなくて良かったと心底安堵した。
もう一度だけ鏡を見てそっとスカートを持ち上げ、くるりと回ってみれば、鏡の中の私が無意識にそっと微笑んだ。……うん、今日の私はとても可愛いかもしれない。
(彼は、何て言うかしら)
今まで一度も着たことがないようなドレスに髪型だ。前世みたいに社交辞令で褒めてくれるのか、昔みたいにからかってくるのか――。
今日は憂鬱な日だと思ったが、少し、ほんの少しだけヴィードに会うのが楽しみになったかもしれない。