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愛に障害はつきもの《ヴィードリッヒ視点》

 馬車に乗ってからしばらく。隣にいるベルの頭がゆっくりと船を漕ぎ出した。眠るフリをしてたのにほんとに眠くなったらしい。可愛くてずっとそのまま見ていたい気もするが、壁に頭をぶつけては可哀想だ。

 それとなく僕に寄りかかるように誘導すれば、とろんとした若草色の瞳が何か言いたげにじっとこちらを見つめてくるも、結局最後は眠気に負けたようだった。


(はぁ……かわいい。持って帰りたい)


 ――これで二人きりなら、せめてキスの一つでも送れたのに。と、やや恨みがましく視線を向かい側に移すと剣吞な雰囲気を纏う侍女と目が合った。


「その視線だけで僕を殺せそうだね。そんなに僕のこと嫌い?」

「……いいえ、まさか。()()()()婚約者候補なのですから、私にとっても大切なお方ですよ」


 つまり、ベルの婚約者でなければお前などどうでもいい、と。

なるほど分かりやすく嫌われている。さすがに皇族に対して不躾だと思ったのか、悪魔を殺さんとばかりに発していた鋭い視線が、普通の嫌悪くらいには戻ったが。


「嫌われるほどの何かを貴女にした覚えはないのだけど」

「さようですね。皇太子殿下が私に何かしたところで感情が良くも悪くも動くことはございませんので」

「……要は僕がベルに何かしてしまったということかな」

「さすがの推察力です、殿下。ご自身の胸の内によくお聞きくださいませ」


 そう言って彼女はこちらから視線を外し窓の外を眺めだした。これ以上はヒントさえもくれないらしい。――まあ、答えは分からなくもないが。

 今世で初めてベルに会ってから……いや、会う前からずっと追いかけ回してるのだ。嫌がる主人(ベル)を見て僕にいい感情を持たない者もフィアトラール家にはそこそこ多いだろう。


(一応はベルのためだったんだけどなぁ……)


 前世の影響か、ベルは一人でいることを好んでいた。周囲に頼らずとも生きていける術を身につけてしまったことで、より他人に頼る必要性を感じないのだろうとは思うが、そんな事情を知ってるのは僕だけだ。

 だからこそ彼女が孤立しないようにフィアトラール家の者たちを巻き込んで無理矢理にでも彼女の存在感を出させようとしたのだが、とんだ裏目になってしまったらしい。


「ま、あと数年も経てば君たちも僕を認めてくれるだろうから、今はそっとしておくよ」

「……大変恐れながら、将来的に婚姻が認められるかどうかはまだ不確定かと存じます」


 ぶっきらぼうに返されたその言葉が可笑しくて思わず笑い声を漏らすと、無表情だった彼女の表情がほんの少しだけムッとしたものに変わった。


「はは、ごめんごめん――遠回しに言い過ぎたね」

「……?」

「別に誰に認められなくても僕は困らないんだ――たとえ()皇帝陛下(尊きお方)が異を唱えようともね。ベルさえ望めば、()()()()()()()確実に妃に据えるから。僕にとっては彼女以外の意思決定なんてどうでもいいんだよ」


 最初は怪訝そうに黙って聞いていた侍女の目が次第に奇妙なものを見る目に変わり、じわり、じわりと緊張していく様子が伝わってくる。


「これで理解したかい? 君たちは結局僕を認めざるを得ないってことが。

それなのに無駄足搔きとか可哀想でしょ。だからフィアトラール家(きみたち)からの可愛い嫌がらせ(いたずら)は全部見逃してあげようかなって……目に余らない限りは、だけど」


 淡々と事実だけを述べ終えたタイミングで真っ直ぐ侍女の目を見据えれば、彼女の肩が一瞬ビクリと震えた。少し威圧し過ぎただろうか。けれど、この侍女は今のところベルの一番近くにいるのだからしっかり釘を刺しておかないと。今後のためにも小さなことに足を引っ張られてる場合ではないのだから。


「心配しなくても大丈夫だよバロンズ嬢。ベルは絶対に幸せにするから」


 お詫びのつもりで十歳らしい可愛い少年の声と天使のようだと謳われた笑顔を目の前の侍女に向ける。まあ彼女はこれぐらいじゃもう騙されてくれないだろうけど。


「……そのお言葉を信じておりますよ、皇太子殿下」


 嫌悪一色だった瞳の中に少しの恐怖が混ざっているのを確認して満足する。

まだ反抗的ではあるがこれで表立って僕の邪魔はしてこないだろう。


(――あの人たちもこれぐらい簡単に籠絡できれば楽なのに)


 なんて思いながら、愛しい人の手を握り、やわらかな黒髪をそっと撫でたのだった。




 華々しい門をくぐり抜け、フィアトラール公爵の別邸の玄関前に馬車が到着する。

彼らの領地にある本邸に比べれば小さい屋敷だが、一般貴族の本邸に匹敵するほど、富と権力の強さが一目で把握できる屋敷だ。さすが筆頭公爵という立場は伊達ではない。


 馬車が完全に停止し、眠っているベルを起こさないように抱き上げようとして――すかさず入口から彼女の護衛騎士の制止が入った。


「皇太子殿下にそのようなことはさせられません。お嬢様は私がお運びいたします」

「大丈夫だよ、こんな見た目でもちゃんと鍛えてるから。ベル一人ぐらいなら落とさずに運べるさ」


 「しかし――」と言い淀んだ騎士を制したのは意外にも目の前にいる侍女であった。途中で危なくなったら助けに入れば良い、と彼女に説得された騎士は少し渋い顔はしたものの「かしこまりました」と引き下がる。――うん、そういうのが長生きできる秘訣だ。今世のベルの侍女はなかなか賢い。


 夕食はとっくに過ぎているであろう時間だというのに、フィアトラール邸の入口から入ったホールから二階にかけて、全ての明かりが煌々ときらめいている。

 ホール中央のソファには、艶やかな黒髪の男性二人と、光が揺らめいてるような白銀の髪の女性一人が優雅にティータイムを過ごしていた。……案の定の顔ぶれだ。一人足りないがおそらく部屋に戻されたのだろう。あの子がいると話がややこしくなるので正直助かる。


「ようこそ、いらっしゃいました。皇太子殿下」


 代表して一礼してきたフィアトラール公爵に頭を下げ、まずはベルを部屋へ運びたい旨を伝えると、今度は公爵夫人がニコリと笑って口を開く。


「あらあら、お気遣いいただきありがとうございます。けれど殿下を足代わりだなんて恐れ多いですわ。――ヴィック、ベルを部屋で寝かせてあげて」


 「はい、母上」という返事と共に、ベルの兄であるロドヴィックが足早に僕の前まで歩み寄ってきた。先日この屋敷で会った時よりさらに不機嫌そうな顔つきである。


(んー……部屋まで一緒にいたかったけどここまでかな)


 抵抗するとこの後がさらに面倒になりそうなので、言われた通り彼にベルを預ける。最後にベルの寝顔を見ようと思ったのに、ロドヴィックが彼女の顔を隠すように抱いてすぐにこの場を後にしたせいで全然見えなかった。何というケチな義兄上なのだろう。


「――さて、大事なお話がありそうなので場所を移しましょうか、殿下」

「はい、僕はどこでも構いません」

「殿方の重要な話に割り込むべきでないと重々承知しておりますが、こればかりは私も参加させていただきますね、殿下」

「……ええ、もちろん。お二人の大事なご息女に関することなのでしっかりと説明させていただきます」


 普段なら“ヴィードリッヒ様”と呼ぶ夫妻が、あからさまに名を呼ぶことを避けている。これは尋問が長引きそうだなとげんなりしつつ、応接間へと足を運ぶことになったのだった。



 ――フィアトラール邸の第一応接室。

 豪華な装飾があしらわれたこの部屋は国外の貴賓や他領の領主など重要な人物が招かれる場所だ。……つまり、彼らにとって僕は娘の将来の夫ではなく完全に“外のお客様”なわけだ。


「まずは僕から申し上げます。皇后陛下は僕とベルアンナ嬢の婚約についてお許しになりました」


 少し驚いたような公爵とは逆に、夫人の方は「まぁそうでしょうね」と飄々としている。我が母とウマがとても合う人だ。きっと僕よりも母の思考をよく分かっているのだろう。――だからこそ、瞬時に把握した。母は予知夢の件を親友の公爵夫人にでさえ伝えていない。でなければ婚約について触れた瞬間に破談の段取りについて尋ねられたはずである。


「娘から確実に破談になると伺ってたもので……。まさか正式に婚約者として選んでいただけるとは光栄です――動揺してしまい失礼いたしました」

「……妃教育の試験で少々誤解があったようで。ご令嬢もその件を気にされていたのですが、大変優秀な成績を修めたという点をご本人にも説明し納得いただけました」


 ――噓は言ってない、噓は。ベルの誤解・・が正され、きちんと実力・・があることを証明して試験に合格したのだから。


「ほら、あなた、だから言ったでしょう? ベルはやれば出来る子なんだから何か手違いがあったはずだって」

「あぁ、そうだな。昔から勉強好きで努力家な子だからな」


 公爵夫妻の機嫌が浮上したことでこの場の空気が軽くなり、一先ずホッとして胸を撫でおろす。ここまでは良い。……問題はここからだ。


「正式な婚約関係の書類はすぐに用意します。ですが――」

「「……()()()?」」

「…………その、皇太子妃の任命式までは世間にはパレハの第一パートナーとして関係性を公表するという流れに――」

「――パレハ、ですって?」


 全てを言い終わる前に公爵夫人の笑顔がスッと消える。常に人当たりのいい笑顔を崩すことのないあの夫人が、今は品定めをするかのような視線をジロリとこちらに向けてきた。……ベルと同じ若草色の目に温度がなくなり、少しだけ居心地が悪い。


「――皇太子殿下、一応は皇家の格にも劣らぬ我が家が何故あなたを何の制限もなく屋敷へ出入りすることを許し、ベルアンナと交流することを良しとしているかご存知ですか?」


 話の方向性が急に変わり、意図を図りかねて咄嗟に口を閉じる。……下手な答えを出そうものなら今すぐにでも追い出されそうな気がした。


「皇家に対する体裁では決してございませんよ。()()()あなたに興味を持ったからです。私たち家族にでさえ遠慮がちなあの子があなたにだけは子供らしく素直に接していたから。理由はその一点のみです。

 そのうえで、あなたの気持ちが真っ直ぐベルだけに注がれていたから傍にいることを許したというのに――パレハですって? まさかあの子を側室として召し抱える可能性もあるということかしら」


(……まぁ、やっぱりこうなるか)


 娘を溺愛してるこの夫妻が、今回のことですんなり“はいそうですか”なんて返事をするなど微塵も思ってない。しかもこの二人は恋愛結婚のうえ、この国の貴族では珍しく側室は一切いないのだ。――パレハ制度なんてまさに彼らの地雷そのものだろう。


「皇太子殿下、大変不躾であることは承知の上であの子の父親として申し上げます。――ベルアンナ()良いのではなく、ベルアンナ()()良いならどうぞ他の家門のご息女をお迎えくださいませ。我がフィアトラールは敬愛する皇家を今と変わらず一家臣としてお支えいたします」


(ベルと婚約せずとも国は支えるから諦めろ、か。……あぁ、ほんとに)


 ――高貴で高潔なる()()()フィアトラール一族は厄介だ。

 前世のような頭の軽い一家であれば、すぐにベルを連れ去れるのに。


(いっそのこと、この家から力を剥奪――)


 ――……するのは、ダメだな。確実にベルから軽蔑されて見限られる。失敗した世界の二の舞になることだけは避けたい。


「……皇家の秘密に関わるので詳細は明かせませんが、パレハはあくまでカモフラージュ目的なので任命式の前に解散させます。僕の想いは最初から何も変わってません。これまで愛してきたのはベルだけですし、これから愛するのも彼女だけです――信じていただけないなら血判書でも書きましょうか」


 机の上に果物ナイフがあった。ちょうどいいかとそれを手に取り、指先に少しだけ押し当てた段階で、「殿下!!」と公爵にナイフを取り上げられる。


「皇太子ともあろうお方が御身に傷をつけるなど正気ですか!?」

「ええ、公爵閣下。僕は正気ですよ。――これで彼女と引き離されないなら傷なんていくらつけてもいい」


 傷心したように目を伏せ、頭をうなだれさせながら横目で一瞬だけ公爵夫妻の様子を伺う。彼らのさっきまでの憤りは確実に勢いをなくしていた。――やっぱりこの夫婦は情に脆い。金品などの物欲はなく一切興味を示さない二人だ、このまま情に訴えかける方向で押しきろう。


「殿下はそこまで娘のことを……」

「――はい。彼女がいないと、僕は生きていけませんから」


 比喩ではない。実際に前世はそれが理由で死を選んだのだ。もう二度と動かないベルの体を目にした瞬間に全てがどうでもよくなり、死んだ彼女の隣で僕は僕を断罪(ころ)した。


「……分かりました、ヴィードリッヒ様。今はあなたを信じて私の可愛い娘を預けることにしますわ。けれど、もしベルを悲しませるようなことがあったら――」

「ご安心ください、夫人。その時は必ず僕が罰を受けますので」


 ――それだけは自信を持って言える。もう二度と間違いを犯さないための呪い(祝福)が僕にはあるのだから。


 僕の答えにようやく満足してくれたのか、公爵夫妻は二人で顔を見合わせ「娘をどうぞよろしくお願いいたします」と声を揃えて頭を下げる。……よかった。ベルに嫌われるような最悪な方法は実行せずに済んだ。


「ヴィードリッヒ様、申し訳ありませんが今から少々お時間いただいてもよろしいでしょうか。皇后陛下に私たちの意向を示す手紙をしたためたく、それを殿下にお持ちいただければと」

「ええ、もちろん構いません。では()()()()()()その間、ベルの部屋へ寄ってもよろしいでしょうか」


 十歳のヴィードリッヒの声と顔で、なるべく年相応に見えるよういつものように可愛い()()()()をする。「えぇ、どうぞ」と、今度は公爵夫妻に牽制されることなく許可が下りたので、早速ベルの部屋へと足早に向かった。




「――なぜ、殿下がこの部屋に?」


 ベルの寝室の手前にある生活空間。ランプだけで照らされた薄暗いその部屋の中でも、ロドヴィックの鋭い視線がハッキリと感じられる。


「それはもちろん公爵夫妻に許可をいただけたからですよ――義兄上」


 普段から神経質そうな表情を見せる彼の眉間が、さらに不機嫌そうな角度へと変わった。


「義兄上、こんな薄暗いところで本を読んでは目に悪いですよ。続きはご自身の部屋で読まれたらどうです?」

「ご配慮くださりありがとうございます。殿下がこの部屋から出ていくのであれば、今すぐにでもここから離れますよ」


 ……はぁ、この男も中々に面倒だ。ベルの実兄なのでなるべく穏便に済ませたいところなのだが。――まあ、滅多に二人だけで会話することもないしちょうどいい機会でもあるか。


「そういえば、ずいぶんと僕たちの婚約を熱心に心配されて根回ししてくださったようで――本当にギリギリでしたよ。さすが噂に違わぬ優秀さだと改めて感嘆しました」

「……ハッ、それもこれも、殿下が全て無に帰してくださいましたがね」


 悔しそうに睨んでくる彼を煽るように、無駄になった彼の所業を丁寧に蒸し返す。

 ベルと僕の婚約を破談させるための段取りを、これでもかというほど綿密に計画してたのがこの男だ。ご丁寧にアストリア帝国の外にまで人脈を広げ、僕にどこかの王女をあてがうつもりだったらしい。……本当に、ムカツクほど未来の宰相閣下は有能であらせられる。


「殿下の手腕こそお見事と言わざるを得ません。貴方が成人されてたら、きっと私は今こうして無事でいられなかったでしょうね」

「……大事な人の家族なのですから、そんな手荒なことはしませんよ」


 ――殺したいほど憎いけれど。


 前世でベルを処刑しようと追い詰めたこの男が。彼女が地獄の底に突き落とされるきっかけとなったこの男が。

 今は当たり前のようにベルの家族でいることが憎くて憎くて仕方ないけれど。僕も彼女を追い詰めた罪を抱えてるのだから、それを棚に上げて彼だけを責めるなど出来るはずもない。


「――………」

「――………」


 互いに自然と閉口し殺伐とした雰囲気のまま、いよいよその嫌悪感が殺気に近いものに変わりそうになった時。


「え、お兄様とヴィード…!? こんなところで何してるんですか」


 ガチャ、と寝室側の扉の開く音と共に寝ぼけまなこのベルが姿を現した。途端にその場の空気が緩和され、僕はベルのところまで走り寄るとその勢いのままにギュウッと抱きしめる。


「ちょ、ちょっと、ヴィー…殿下っ!! 節度をお守りください!」


 ロドヴィックのせいで固い口調になるベルの言葉を無視してさらに抱き寄せ「僕たちの婚約が認められたよ」と言ってから抱擁を解くと、ベルは怪訝そうに首を傾げた。


「皇后陛下がお認めになったんだもの。その時点で婚約は成立してるでしょう?」

「でもベルの両親からは正式な許可をもらってなかっただろう? パレハのことも説明しなきゃだし」

「父と母は貴方が言うことに反対なんてしたことないんだから、許可なんてあってもなくても変わらないでしょうに」


 呆れたようにため息をつくベルを見て苦笑するも、その言葉をあえて否定しなかった。

 公爵夫妻が僕の“おねだり”に何も言わないのは、僕のワガママに振り回されて困ったベルが、自分たちに助けを求めるのを待っているからだ。――要はあの夫妻にとって僕は娘と交流するためのちょうどいい媒介なのである。


(そんな事実、僕からは絶対に明かしてやらないけど)


 あっちがその気なら僕だって彼らを利用するまでだ。ベルが気にかけるのはずっと僕だけであればいい。この家の多くの者にイジメられてるのは僕なのだから、ベル一人ぐらい僕の味方につけたってバチが当たるはずもない。


「――あら、ベル起きたのね。お腹すいてない?」


 不意に公爵夫人が扉を開けて部屋に明かりを灯した。……残念。あともう少しでずっと僕たちのやり取りを見てたロドヴィックが不機嫌を爆発させるところだったのに。そうしたらベルはますます彼に苦手意識を持っただろう。


 空腹かという問いにベルがおずおずと頷き返すと、食堂に軽食を用意してあるわと夫人が優しく微笑む。そのまま夫人がベルの手を取ろうとして――瞬間的にベルの体がこわばったことに僕だけが気づいた。


「ねぇベル、僕もお腹すいちゃった。ちょっとだけ君の分を分けてよ」

「……ええ、別に構いませんけど」


 ジトリとした視線をこちらに向けてくるベルは、いつもの自然体のベルで。“何て食い意地の張ってる皇子だろう”とでも思ってるのが顔にありありと出てた。

 僕にはこんなに分かりやすい表情をしてくれるのに。この家にいる誰にもベルは本心を向けてないのだという事実に優越感が湧いてくる。


 「じゃ、早く食堂に行こ!」とベルの手を握って、さっさと部屋から出ると、彼女は急なことに戸惑いながらも握った手をギュッと握り返し、大人しくついてきた。――こうやって僕が触れることに対しては無意識に許してくれている彼女が、たまらなく愛おしくて仕方ない。


(あーあ、また嫌がらせが増えるんだろうなぁ…)


 部屋を出る際に横目で見た公爵夫人と小公爵の顔はそれはそれは恐ろしい形相をしていた。――けれど、彼らが行う些細な仕返しなど全て許せる。


 だって、彼女の家族でさえ握ることの出来ない手を僕だけは握れるのだから。

可愛い可愛い娘が、父でも母でも、ましてや兄でもなく、僕の手を取って歩く姿を遠くから歯噛みして見てればいい。


 愛に障害はつきものだと言う先人の教えの通り、甘んじて受け入れてみせるさ――僕の大切なお姫様のためにね。




 親という壁に守られ、兄妹という壁にも守られ、果ては屋敷の者全てに守られ。

 周りを幾重もの鉄壁で厳重に守られている難攻不落のフィアトラール家の姫、ベルアンナ・フィアトラール。


 その真実を知らないのは当の本人のみである――。


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