8話 相容れない
小竹狐行は小学生のとき、国語の教科書で読んだごんぎつねという物語に衝撃を受けた。人間からうなぎを奪った狐が、お詫びに栗をこっそり届けるようになった。だがある日人間に見つかって銃で撃たれてしまったという悲しい物語だ。
次の単元に移っても、進級して中学三年生になった今でも、コユキは読み返している。そして何が悲劇を招いたのか自分なりに解釈した。それは狐が人間の世界に踏み入ったこと。贈り物をするシーンには"うら"という言葉が何度も出てくる。そして家の中に入ったが最後、人間に見つかり盗みのイタズラをしにきたと疑われて撃たれた。
世界には表と裏がある。人間は表、狐や他の生き物は裏に住む。表と裏は相容れない。だから最初は裏から贈り物を届けていたが、それでは狐がやったと気づいてくれない。
そしてそれを面白くないと感じてしまい表に出たが最後。届けにきたことに気づいてくれたが、それは死を迎えたときのことだった。
そんなコユキが、人間と妖怪が共存する怪世界に来て最初に決心したことは、元の世界に帰ることではない。表と裏が交わってしまっている間違った世界を変える。妖怪は裏の世界に帰り、存在を示さないことで、あのような悲劇が起こらないようにする。
コユキはこの世界に来たときに妖怪九尾の狐の力を得た。元いた世界における特殊能力の類と受け止めたが、これは自分の使命を果たすために授かった力と考え、妖怪に人間を襲撃するよう彼は指示を出した。
そして城下町の人間は危険と判断し妖怪を追い出した。ここまではコユキの目論見通り。これで妖怪は野生に帰り、共存をやめて人間のいない裏の世界に戻ることを期待した。けれども戻ってきて、人間は強硬手段に及んだと聞いて動揺した。悲劇を防ごうとしたら違う悲劇が起こった。
コユキは城の主に化けていた姿を九尾の狐に変え、現場に向かう。そこには木製の墓標が並んできた。今朝氷川柩岐が立てたもので、門番にやられた妖怪たちを土葬して、集めた木片でその場所を示している。その光景でコユキは悲劇を招いたことを実感する。ヒツギが言っていた話は本当のことだったのだと。
この世界の妖怪は人間の生活に溶け込んでいるようで、実際は都合よく酷使されて人間の言いなりになっている。とはいえ仮に理想的な支え合いをしていても、表と裏で異なる世界に生きるべき存在が交わること自体が問題なわけで、コユキが分裂を掲げることに変わりはなかっただろう。
妖怪のためにも人間のためにも、妖怪を人間から解放することをコユキは目指した。それが予期せぬ悲劇を招いた。間違った行為と受け止めて異変を起こすのを止めたとて、その命は帰ってこない。踏み留まったところでこれ以上の被害は抑えられるだけ。過ぎた分はもう手遅れだ。
だから進むしかない。妖怪を自由にできて、これ以上の犠牲を出さずに済む。そんな理想的な方法を考えた。
一方ヒツギは城を出た。城の主は奥に行ったきり戻ってこない。元の世界に帰るための手がかりは得られなかった。自力で帰れるとは思っていない。こっちに来る前に彼は肝試しをしていた。他の参加者や脅かし役も、彼と同様この世界に飛ばされているはず。その人に頼れば何とかなるだろうから、まずは手がかりを掴んで合流したい。そう期待して訪れたのだが、まだ成果はない。
寄り道していると門に戻ってきてしまった。だが門番がいない。夜も朝も道を塞いでいたのに、今は誰もいない。人間はもちろん、妖怪も出入りし放題だ。
門番を最後に見たのは城に入ったとき。強行突破を狙ったヒツギは門番に捕らえられて城の主の所へ連行された。だが主にとって彼は客なので罰はなく門番から解放された。移動中は別の門番がいたり、連行の務めを果たした彼らが本来の位置に戻ったりするはずだが、実態はがら空きだ。
ヒツギは誰にも言わないことにした。道が開いていて困ることはない。それにこれから他の肝試し参加者が訪れるかもしれないし、そうなれば平気で入ってこられる。
彼は結果的に道を開くという、これから来る人のためになる役目を果たしたわけで、それを成果と捉えた。肝試しで喩えれば、先に出発したペアが脅かしギミックを潰したことで後のペアが脅かされずに済むわけで、貢献したと言える。
城下町というだけあって、情報は色々ある。ヒツギは散策しながら状況を整理した。
まずこの世界の地図。龍の体のような列島で、ヒツギの留学先の島よりずっと広い。ちょうどその島と似た地形とサイズが、龍の手にあたる。そこで彼は考えた。島と列島の一部を重ね合わせ、肝試し会場にあたる街に行けば、何か起こるのではないかと。そしてこの地点は現在地に割と近い。妖怪輪入道が引く人力車を使えば二時間くらいで行ける距離だ。
ヒツギは早速向かった。人力車の乗り場を街の人に聞き、まずはそこへ歩いて向かう。着いたら俥夫に目的地を伝え、相方の輪入道に引いてもらう間は俥夫と同乗した。そのとき彼は質問された。
「君も妖怪を逃がしたのかい?」
「いや、俺は元々持ってなくて」
城下町から妖怪が追放された話を聞いていた俥夫は、手ぶらのヒツギを見て、友達の妖怪と別れさせられたのかと推測した。目的地は出会いの場所なのかと気になったが、それは勘違いだ。
彼は妖怪を失っていない。失う以前に友達や仕事仲間の妖怪はいないと告げる。友達になれないこともないが、この世界に来たタイミングは悪く妖怪が人間を襲う異変の発生と同時期だったこと、元の世界に一緒に行くことはできないから、すぐお別れなのに仲良くすることに抵抗があったことから、彼に仲間はいない。
「そうか。なら傷は浅いか」
「でも関わった妖怪なら一匹。白い尻尾たくさんの狐で」
「それって……伝説の九尾の狐か!?」
「あ、はい。そうです」
ヒツギは確証がないものの、地元民がそう言うならそうなのだろうと信じ、相槌を打つ。目撃したのは彼だけで、当時いた西の京の人たちに話しても思い当たる節がない感じだった。向こうの人には馴染みがない一方で、こちらでは伝説の存在と祟められているらしい。
「奴は喋るし変身能力がある。三大妖怪の一体だ」
ヒツギは驚いた。この人力車にうっかり轢かれて死んだふりをしていたあの狐が、妖怪が当たり前のようにいるこの世界で恐れられているとは、信じがたい。現地の人が嘘を言うとは思えないから誤解しているのは自分の方という自覚はある。
だが会ったときはヤバい妖怪には見えなかったし、異変で暴走した輪入道を鎮めるためにアドバイスをくれた。それに従って対処しても手が回らなくて困っていたら、黙って手伝ってくれた。おかげで暴走は収まったものの、彼が眠っている間に姿を消してしまい、それから会っていない。
「ってことはこいつで暴けたり」
「照魔鏡だと!? どこでそれを……」
「夕雅っていう、あなたの同業者」
ヒツギは前の俥夫に貰った鏡を取り出す。別の姿に化ける妖怪がいるという話は聞いており、そこで役立つのがこの鏡。正体を写す力があり、それを見た妖怪は驚いて元の姿に戻る。一般的な鏡では妖怪でも人間と同じように、見た目通りに写すだけだが、この特別な鏡は対九尾の狐の役割を果たす大切な物なのだ。
九尾の狐は高い知能と変身能力で人間になりすます。そしてその人のふりをして話したり行動したりして、混乱に陥れる。怪しいと思ったら写してみることで、正体を暴いて混乱を抑え込めるのだ。
「輪入道の炎を探す道具としか使ったことないけど」
「まあ普通の鏡として使えるけども……」
ヒツギがこの鏡を持っている一番の理由は、また輪入道が暴走したときに探しやすくするため。交差点に立ってカーブミラーのように傾ければ、複数の方向を一度にチェックできる。早く見つけることで被害が広がるのを防げる。そういう使い方も悪くないと俥夫は思うも、実態を考慮すると本来の用途を活かすべきと考える。
「とにかく、大事に持っておくんだ。失くすのも、分かりやすく持ち歩いて九尾の狐に見つかるのも駄目だ」
その本来の用途を担える道具は多くない。そして九尾の狐が人間に変身して他の人間に嘘を吹き込んだり、親しげに接近して襲撃したり、そんな出来事が起これば人間は人間を信じられなくなる。狐の思う壺で、人間への被害は甚大だ。
その対策になるのがこの照魔鏡で、狐からすれば厄介な代物。見つけたら壊しに狙ってくる可能性は高いから、そうならないよう気をつけるようにと釘を刺す。
ヒツギは納得した。そして考えて自分を危ぶんだ。人が寄ってきたら、その正体は人間に化けて照魔鏡を潰しにきた九尾の狐である可能性が考えられる。
「持ってること、もうバレてるんですよ」
隠そうにももう手遅れだと諦めた。なぜなら彼が九尾の狐と出会ったきっかけは、たまたま照魔鏡の力で正体を暴いてしまったことにある。夜道を駆ける炎の塊な輪入道を探すために鏡を使っていたら、その輪入道に化けていた狐を写した。
結果、狐は青い炎に包まれて元の姿に戻って気絶し、そこにヒツギが駆けつけた。鏡の用途を知らなかった頃の出来事だったから、輪入道の車輪に轢かれたか弱い狐と思って土に埋めようとしたのが出会いだ。
だがあの時点で狐はヒツギに正体を暴かれたことに気づいている。そのうえで異変解決に協力的だった。きっとそれは警戒を解くためで、隙を突いて鏡を割ろうと考えていた可能性がある。
「あのとき割らなくて良かったあ」
そう考えるとヒツギは割ってしまいそうな瞬間があったことに、しっかり抱えてショックを和らげたのは正解だったと安堵した。本物の輪入道と対峙し、狐に教わった通り自分の身より街の人間や妖怪の身を案じたことをアピールした。
向き合ったことで輪入道に魂を奪われ、暴走が止まるのと引き換えにヒツギは気絶したが、倒れる際に鏡を胸に抱えた。借り物だから大事にしようと思っての判断だったが、おかげで狐の正体を暴く手段を失わずに済んでいた。
「……ところであなたが狐だったりしません?」
ヒツギは言いながら鏡で俥夫を写す。しかし何も起こらず、しっかり本人だった。やけに鏡にも狐にも詳しいと思ったが、ただの詳しい人だったので安心した。そして今は使う場面がない。落とさないようしっかり抱えた。所持しているのは知られているから、今さら隠そうとはしない。
しばらく進んで海が見えた。目的地までもうすぐだと身構えるヒツギは、小舟に気づいた。
「舟で移動もできるんだ」
「泳ぎの得意な妖怪もいますから」
ヒツギは感心するだけで、乗員がさっきの門番たちで、島流しにされていることまでは気づかなかった。
「さあ、交代だ」
だいたいの位置に着くと俥夫は輪入道と役割を代わる。とはいえ妖怪が代わりにヒツギの隣に乗るスペースはなく、人力車とゆっくり並走する。
「ここでオーケーです。ありがとうございました」
「はい、どうも。乗り場は向こうにあるんで」
ヒツギはここからは自分で探索することにし、人力車を降りた。ここで俥夫とは別れる。城下町へ戻るときの乗り場の方角を教えてもらい、肝試し会場にあたる場所に向かい、手がかりを集めにいった。
場所が重なったら元の世界に帰れないか。できなくても同じことをしに誰か来ていないか。あるいは来て、諦めてもう去った後か。ヒツギは何かしら分かったら嬉しいと思う一心で、あちこち見て回る。しかし収穫はゼロ。
ならば自分が来た痕跡を残す。もしかしたら同じ考えの人がこれから来るかもしれないし、そうなったら先に自分が訪問していたことに気づいてくれたら、事態を進展させてくれるにちがいない。
だから来たのは無駄にならない。誰かの役に立つ。ヒツギは人任せな自覚があるも、自分はそういう人だと割り切っており、恥じることはない。自分にできることをやっているのだから、むしろ胸を張る。
手持ち無沙汰になってヒツギは海を眺めた。来る途中に見かけた舟は誰がどこへ向かうためのものなのかと考えた。城下町で入手した地図を見ても、海の向こうには陸がない。小さな島があるとしても、そこに行って何があるのかが疑問だ。
もしかしたら妖怪に連れ去られてしまった人たちなのではないかと考えたが、確かめる術はない。それも誰か解決策を持つ人に託し、彼は人力車乗り場へと出発した。




