47話 チャンスが到来
怪世界の危機を救った氷川柩岐たちだったが、その裏で妖怪王を足止めしていた三郷楽阿が大変な目に遭っていた。彼は妖怪王を倒したものの、憑依されて人格を乗っ取られ、新たな妖怪王にされてしまった。
そこでヒツギはラクアを元に戻せないか、本来の姿を写す照魔鏡の破片で彼の姿を写してみることにした。だが彼に敵と見做されており、安易に接近すると手で掴まれ、彼が元々持つ特殊能力によって過労させられ、ピンチに陥る。だから試すには、ラクアの動きを封じておく必要がある。
「乾いたら、また糸で身動きを封じられるはず」
ラクアの拘束は美南哀月の特殊能力が有効。彼女の放つクモの糸は触れた相手が動けなくなる。彼は相手に触れて過労させてくるから、移動できなくさせて手の届かない距離を維持すれば、その厄介な能力を気にしなくて済む。
問題はその作戦を今はできないこと。原因はさっき、ラクアを元に戻せるかもしれないと期待して彼が怪世界に来てからずっと励んでいた滝行を想起させるような水攻めを試したことにある。彼もその周囲も水浸しで、これではアイリの糸は粘着力を失ってしまう。
だがいずれ乾くときが来る。それまで粘ればラクアを足止めするチャンスは生まれるとアイリは呟く。安全に試せるようになるから焦って飛び込む必要はないとヒツギに伝えるつもりだった。
「いや、大丈夫」
確かにラクアの足を拘束すれば確実に間合いを維持できる。けれどもヒツギは、そこまでしてもらわなくてもすでに皆が彼を追い込んでくれたから、アイリの支援なしで事足りると考えて突撃した。
ヒツギの読みは的中しており、ラクアは彼が寄ってきても接近してこない。しかし代わりに小さな隕石を雨のように降らせて迎撃した。被弾した彼は地面に倒れ、おかげで近くにある水溜りで患部を冷やす。
隕石を落とすのはラクアの特殊能力ではないが、先代の妖怪王も使っていた。代々受け継がれる強力な武器であり、同時に彼が本当に妖怪王にされてしまったのだと思い知らされ、元の彼に戻るのか不安になる。
ヒツギは突撃したが、それは隕石による反撃を想定していなかっただけ。射程のある武器を相手に間合いの管理はできないから作戦は破綻した。だが彼は諦めない。相手が多芸であってもすんなり受け入れて認識をアップデートし、むしろ相手の情報を引き出して仲間に伝えたという点でプラスにはたらいたと捉える。
そしてヒツギの期待通り、コユキは隕石を利用する作戦を閃いた。
「あれだ! 石の熱で水を蒸発させよう」
燃えている隕石が水浸しの一帯の乾燥を早めてくれる。それなら被弾しないように多く撃たせて、アイリが糸を吐き出すチャンスが到来する瞬間を前倒しにできる。
ただその役目は一人に任せるには危険だ。だがここには仲間がいる。包囲して狙いを分散させれば、各自が狙われる頻度を減らせるうえに広範囲に熱が届いて効率も上がる。
「取り囲んで煽るんだ! 怒らせて隕石を撃たせる」
問題はどうすればラクアに隕石を落とすよう誘導できるかだが、単純に怒らせれば撃ってくるだろうとコユキは企んだ。その作戦にアイリと北参道天羽は賛成した。アイリは内面の悪口を言えば彼が記憶を取り戻すかもしれないと考え、アゲハは自身の特殊能力でできる離れた位置から様々な声色で発声する能力を活かせると考えた。
「でもあんまりやると燃えて糸が溶けるから……タイミング勝負だよ」
「あ、そうね……」
コユキは自分で提案したものの妙にやる気なアゲハたちが気になり、やり過ぎを懸念した。目的は糸の通りが悪くなる水の排除であり、そのために焚べた火が多いと糸が燃えてしまうので今度は火を消す必要が出てくる。
水が蒸発された後で地面が燃える前。その一瞬こそがアイリの糸でラクアを足止めできるチャンスだとコユキは告げる。失敗が命取りと理解する彼女だが、タイミングを合わせられるかは不安だった。
こんなときに川口青空澄がいれば、成功するタイミングを直感する能力で力を貸してくれて安心できたかもと、アイリは弱気になる。アスミは彼女たちと同じく肝試しに来ていたが、怪世界では見かけていない。きっと元の世界に残っているのだろう。
今からでも来てくれないかとアイリは見上げたところ、泡に閉じ込められた青空澄を見つけて仰天した。まさか本当に来てくれるとは思わず、泡の中にいるのは誰かしらが用意した移動手段と思い込み、駆け寄る
なお彼女はアスミと似ているだけの別人で、アイリとは面識がない。
「アスミ! 良かった…… 手を貸してっ」
だが青空澄は泡から出ない。というより出られない。この泡は彼女が妖怪人魚を食べたことに対して仲間から受けた報復。不老不死になった彼女への罰は、閉じ込められて生き続けさせること。そして彼女を晒すことで、それを知った人間に、人魚に手を出せば彼女と同じ運命が待っていると理解させて再発を抑制する狙いがある。
そんな青空澄は自分が呼ばれそうな気がしてゆっくりと移動を続けていて、ヒツギたちと合流したのだ。
「残念だけど無理だよ。一生この中さ」
「え…… どうして?」
コユキとヒツギは怪世界で一度青空澄と会っており、彼女が泡の中にいる経緯を知っている。助けに行くための乗り物ではなく、檻に閉じ込められたようなもの。外に出すことはできないし、きっと声も届かない。
だが透明な泡ゆえにお互いを見えるのは、この局面で有効だとヒツギは気づいた。
「けど見えるのなら協力してくれるかも」
私欲で不死になるために妖怪の命を奪うのは悪いことだが、それを実現する実力があるのも事実。仕留めるチャンスを掴んだ青空澄なら、アイリが糸で妖怪王を足止めできるタイミングを把握することができるかもしれない。たとえ声が届かなくても、ジェスチャーで伝えられれば十分。そう期待するヒツギは照魔鏡の破片を使って泡をなぞる。破片で泡に傷を入れて"しとめたい"と文字を書いて伝えつつ、もしかしたら泡を切れる可能性を信じた。
ヒツギは鏡文字のつもりで書いたがうっかり"と"だけ普段の向きにしてしまい、けれども青空澄には"うめたい"として伝わったので結果オーライだ。
「よし、オッケー」
「本当に!? 凄いね……」
ヒツギは伝えられた自信がないが、何とかなると思って泡から離れた。青空澄をアスミと思い込んで事態に振り回されるばかりのアイリは、即座に順応してプラスにはたらかせた彼に感嘆した。ともあれアスミが手を貸してくれると分かれば失敗を恐れることはない。クモの糸でラクアを仕留めてみせるとやる気になった。
なおヒツギの本心は、アイリの拘束のタイミングが合わなくてもいいと割り切り、青空澄に伝わっていようがいまいが関係なかった。隕石の熱で地面が燃えたのなら、怪世界の交通機関である人力車を探せばいいと考えた。長距離の移動は炎の車輪の姿をした妖怪輪入道に任せているため、人力車引きの俥夫は万が一に備えて消火に適した妖怪を連れている。彼らの手を借りれば解決できることだから、アイリがタイミングを逃すリスクは小さいと決め打って、青空澄との疎通は雑に済ませたのだ。
ヒツギたちはラクアを包囲し、次々と悪口を言った。隕石の制御が下手だとか、頑丈なだけのサンドバッグだとか。強いけど脅威には一歩足りない点を煽り、彼が怒って隕石を撃つよう誘導する。撃たせたら避けて、地面に落ちて熱が水を蒸発させるよう仕向ける。飛び入り参加の青空澄は咄嗟に回避はできないものの、泡が隕石をブロックするので安全だ。
アイリはコユキのさっきの発言、アスミが一生あの泡の中から出られない状況というのが気になるが、そのおかげで一旦は彼女は安全だからと前向きに考える。
そして彼女はコユキたちの煽りに加わる。彼らのように今のラクアに対する罵倒ではなく、かつての彼に対する悪口で、記憶を取り戻すのを期待して。
「何にでもソースかけるの正直キモい」
思っていても面と向かって言えなかったことへの鬱憤を晴らすかのようにアイリは煽る。数日前にラクアと出会ったばかりのヒツギたちは彼の食の好みを知らないので、彼女の暴露内容は初耳だった。
唯一以前から関わりのあるアイリだからこそ言えた罵倒に彼らは唸り、妖怪王に憑依される前の元のラクアに戻すためとは言え片想い相手から悪印象をぶちまけられる構図が愉快で、もっとやれと彼女を応援した。それがきっかけで元通りになったときの彼の反応を想像すると、面白そうに思えた。
「あと小学生の頃に先生にお菓子あげてたの、何かの賄賂だったよね?」
小学校は一緒だったアイリは、ラクアが密かに教師にお菓子の箱を差し出していたという噂を聞いていた。当時は旅行のお土産かと思って良い子だと思っていたが、成長して知見を得た彼女は彼の手口が贔屓を乞うものだったのを知った。
実際その通りで、ラクアは宿題を忘れたときに許してもらおうとしたり、クラス替えや席替えでアイリと同じ学級や班にしてくれと交渉したりする餌として持ち込んでいた。
だが妖怪王になって元の記憶が消えたラクアは身に覚えがなく、反応がない。その場に居合わせたコユキたちにただ弱みを握られただけだ。
ヒツギは思う。ラクアが妖怪王を演じているだけで記憶が残っている線はないと。記憶があるならアイリの煽りを黙って聞き流すのは堪え難いだろうし、もしも自分があんな目に遭ったら穴を掘って入りたくなる。
あかりも同じことを考えていた。今の目的はラクアを含めて全員が元の世界に帰ることで、そのためには彼を妖怪王でなくする代わりに誰かを次期妖怪王に選ぶ必要があり、現地民のあかりなら今後もこっちに残るから妖怪王になってヒツギたちの世界へ行けなくなっても支障がない。
そう思っていたが、記憶まで完全に消えてしまうと思うと躊躇いの迷いが生じる。仲間の妖怪との思い出も、ヒツギたちとの出来事も、妖怪王に塗り潰されて忘れてたしまうかもしれない。ヒツギたちとはもうすぐお別れとはいえ、寂しいと感じた。
せめてこの時間が長く続いてほしい。そんな淡い願いは、隕石の熱で徐々に蒸発する水と一緒に散っていった。
ラクアにたくさん隕石を撃たせてついに水が干上がった。そろそろ頃合いと読んだアイリはアスミと思っている青空澄を見て、糸で彼を仕留めるチャンスが訪れたら合図を出してくれるのを待つ。
アイリと目が合った青空澄は脱出できないと諦め半分だが何かの合図かもしれないと少し期待し、片手で泡を叩く。それを糸で仕留めるチャンスの合図と解釈した彼女は踏み込んでクモの糸を地面に這わせる。だがラクアは跳んで回避し、隕石の上に乗った。最初は平地だったから全体に届く糸から逃げられなかったが、段差を作った今なら足を取られない。
湿っても燃えてもいない瞬間を突けば再びラクアを足止めできるという考えでは甘かった。そうなる状況を作るために撃たせた熱を帯びた隕石が、彼が糸に当たらない安全地帯として機能するから、撃たせた時点で作戦は破綻していたのだ。
この失念はラクアに誘導させられていた結果だ。彼がひたすら攻撃を受けていたのはそれが彼の特殊能力の発動条件であると同時に、避ける余力がないと意識を刷り込ませる効果もあった。
ここに来て機動力を活かした対処を取ってくるとは思いも寄らず、そうされたときの対策はコユキたちの中にない。つくづくラクアの手強さを実感する。
打つ手がなくなったアイリたちに、ラクアは追撃する。さらに隕石を落とし、徐々に辺りが燃え始めた。だが次々と鎮火する。駆けつけてきた妖怪火消婆に、ヒツギは見覚えがあった。
「来てくれたか、夕雅」
火消婆をパートナー妖怪とする俥夫の夕雅。彼の登場はヒツギの期待通りだった。もし辺りが燃え始めても彼が何とかしてくれるという期待は叶った。
その名前を聞いてアイリは顔と合わせて思い出した。彼は肝試し会場にいた田浦夕雅にちがいない。そう思い込んだが、彼もあかりや青空澄と同様に赤の他人で、彼はアイリやラクアと面識がない。
ともあれこれで隕石が広げる炎は夕雅たちに任せればよくなった。後はアイリの糸を足場を使って逃げる手段を得たラクアを、どうやって元の彼に戻すかだ。だがこれも夕雅が来てくれたおかげで打つ手が増えた。
「あの鏡もう一枚貸して!」
「え、あれしか無いけど」
だが打つ手がなくなった。照魔鏡はヒツギに貸して彼が壊したあの一枚きりだったのだ。




