3話 夕雅
「気になるかい? 街の様子が」
「いや、失くした鞄が見つからないかなって」
人間と妖怪が共存する世界に来た氷川柩岐は、どうすれば肝試しをしていた元の世界に戻れるか分からない。今は現地で出会った夕雅という人力車引きの男とともに、都を巡っている。
ヒツギが座席でキョロキョロしているのは、ここに来る際に手離していたキャリーケースが見つかる可能性があるからだ。だが実際のところ、その荷物は彼と違ってこの世界に届いていないことを彼は知らない。
それより妖怪が人間を襲う異変が各地で起きていることの方が重大な問題だが、それは彼がどうにかできることではない。
「輪入道、スピードを」
「いや、このペースでいい」
人力車を引いているのは夕雅のパートナーの妖怪輪入道。人の生首がいくつかの火の玉で円状に囲まれた姿をしている。転がりながら走るが頭は回転しないのを活かし、速く向かいたいときに俥夫に任命している。
スピードを落としてヒツギが探しやすいように夕雅は妖怪に指示を出すが、見つかればラッキー程度の心構えなヒツギは現状維持でいいと返す。
「俺は見つけられなくても、見つけた誰かの役に立つだろうし」
仮に発見しても、打開策はない。けれども先に誰かが発見したら、その人は打開策があるかもしれない。妖怪による人間襲撃という異変の元凶は、その人たちが突き止めて解決してくれるだろう。ヒツギには何もできないから、どこかの誰かに託した。
「見つけても飛び降りるなよ。危ねえから」
「はーい」
スピードを落とさないなら、発見してもあっという間に通り過ぎてしまう。焦って飛び出すのは怪我に繋がると夕雅は忠告した。探しているが発見したらどうするかは無計画だったヒツギは、彼の忠告に従うことにした。
すると人力車が発火した。牽引していた妖怪を囲う炎の車輪が地面を燃やしており、その上を走っていたせいで人力車に燃え移った。ヒツギは瞬時に飛び降り、地面をのたうち回るものの一足先に炎から逃れた。
残された夕雅は手持ちの枷を人力車の車輪にかけて回転を封じ、ブレーキをかけてから飛び降りた。彼は安全に脱出し燃えた人力車は止まったが、輪入道が人力車を離れて暴走を始めた。炎を撒きながら走り回り、街のあちこちを燃やしていく。
その光景にヒツギは、人間を襲う妖怪という異常事態がどんなに凶悪なのかを実感した。彼もただの人間ではなく、特殊能力を持っている。とはいえ彼の能力では、張り合うなんて到底無理だ。だが夕雅がいれば話は変わる。
「俺は大丈夫。奴を止めるんだ」
「任せろ」
擦りむいた程度はどうってことない。ヒツギは自分の心配は要らないとユウガに告げ、彼の意識を妖怪に専念させた。そして彼に加勢しない代わりに応援する。
ヒツギの能力は脱落者のゴーストを生み出すというもの。夕雅が妖怪に敗れたら、彼の分身を出して自在に動かせるようになる。ヒツギ自身がやられない限り、無限の残機で一体ずつ勝負でき、やがて勝てるという算段だ。だから安全な位置から見守り、彼の実力の拝見する。
「行け、火消婆!」
夕雅が叫ぶと彼の背後から老婆の妖怪が出現し、息を吹きかけた。するとみるみるあちこちの火が消えていく。風避けがついた灯りだろうと鎮火させてしまうその妖怪に消せない火はない。暴れる輪入道にも息が追いつき、体に纏う火を消した。それに伴い元気を失った輪入道は回転を止め、倒れた。騒ぎは収まったのだ。
「ありがとう。ゆっくり休んでくれ」
夕雅は役目を終えた火消婆に労いの言葉をかけると、透明になって姿を消した。この妖怪も彼の仲間。また呼べばすぐ現れるよう、身近な場所に潜んだ。
ヒツギは夕雅の勝利にため息をつく。自力で勝てるなら彼の出番はない。だが目的達成の意味では結果オーライだ。火を放つ妖怪を扱う人は、不慮の事態に備え火を消す術を持っている。そう確信していたわけではないが、夕雅に対処を任せて正解だったと彼は思う。
夕雅は街の人に被害が残っていたら言ってくれと呼びかけながら、燃え尽きた輪入道の元へ向かった。幸い火傷したとか轢かれたとか被害はなく、彼は真っ直ぐ輪入道のそばに行けた。街の人は輪入道の性質をよく知っていたのだ。素早く移動して、目が合えば魂を奪う。だから騒ぎが起こるとすぐ隠れ、野次馬のように眺めたせいで被害に遭う者はいなかったのだ。
彼は手持ちの枷を打ち合って火花を起こす。微かな火が妖怪に活力を取り戻し、輪入道に火が点いた。それで再び暴れ出すとはならず、人間の彼に従う安全な状態に戻ってきた。
「見ろ、この焼け跡。キミがやったことだ」
異変のせいとはいえ、人間と共存する妖怪が被害と恐怖をもたらしたのは事実だ。夕雅は輪入道を叱る。持つ力は強力で、制御ができないと多大な問題になる。
場合によっては野生に帰し、人間に干渉するの禁止と命じ、パートナーから外すことになる。そんなこと夕雅は嫌だ。
「次やればキミは人間に恨まれてしまい、表に出られなくなる。分かったな?」
だからもう人を不安にさせてはいけないと妖怪に忠告し、約束を交わした。そのやりとりを見てヒツギは、この世界ではこうして人間と妖怪は共存関係を築いたのだと実感した。人間と妖怪では当たり前と思っていることが違う。相手のルールを受け入れて適応することが共存の第一歩であり、それができないと表と裏の境界を越えることができなくなる。
「……よし。人力車に戻ろう」
騒ぎが収まったら移動再開だ。夕雅は車輪にブレーキをかけるための枷の鍵を開け、走れる状態に復帰させた。
「凄い手慣れた動きだったな」
「キミこそ、飛び降りの判断が早いじゃないか」
ヒツギも同乗し会話する。夕雅のテキパキした対処に感動すると、彼はヒツギの度胸を評価した。そのおかげで対処が良くなったかというとそんなことはないのだが、パニックになって妨害されるよりはすぐ離れてくれる方が助かる。
「自分だけでも助かろうとする姿勢、気に入ったぜ」
「失礼な。出しゃばる真似をしたくない普通の人だ」
自分は何か役に立てると信じて前線に残るなんて、ヒーロー気取りのお調子者のすることだ。ヒツギはその逆で、どうするか分からないならまず離れて他人に任せる。どこかでヒーローが何とかしてくれると信じられるからこそ、自分が何とかしないとという発想がまず出てこない。
「それに、他にも仲間の妖怪がいたなんて」
「ああ。あいつは俺の最初の仲間だ」
夕雅にとって輪入道はパートナーだが、それは俥夫という仕事に就いてからの話。それ以前からも彼の仲間の妖怪はいて、火消婆は最初の一体だ。同種はあちこちに生息しているが、これは彼にとって思い入れの強い個体だ。
「すまん、ちょっと寄り道させてくれ。墓に向かってくれ」
「いいよ、どこでも」
夕雅はヒツギに断りを入れ、輪入道に目的地を伝えた。火消婆との思い出を彼に話すには、関連のある場所がいい。彼も特に行きたい場所があるわけではなかったので、行き先変更に反対しない。そもそもまだ何がどこにあるか知らないし、元々どこを目指していたか聞いてさえいなかったことに気づくも、別に聞かなくて平気だと割り切った。
次の目的地は墓。肝試しに縁のある場所なら、元の世界に帰れるかもしれない。ヒツギは向かって損はないと思ったし、予想が外れて何の意味がなくても来た印を残して、後で同じ考えで墓場に来た人に気づいてもらうことに託せばいいと考えた。
移動中に二人は会話しなかった。さっきの異変で夕雅の警戒心は高まり、輪入道の動向をじっくり観察している。ヒツギは相変わらず鞄探しのためあちこち見ており、再燃する可能性も気にせず首を振っていた。
「よし、交代だ。まだ乗ってて」
しばらくして輪入道は止まった。だが到着ではない。次の曲がり角からは道が狭いから、俥夫の役目はゆっくり歩く人間にバトンタッチする。夕雅はヒツギを残して人力車を降り、かといって妖怪が隣に乗ってくることはなく、引いて歩いて墓の前を目指す。
到着が近づいたということはお代を払えない代わりにまた魂を吸われるのかとヒツギは察した。いざというときの逃走ルートを探し、さっきよりゆったりとした残りの移動時間を過ごした。
だが異変とヒツギは無関係と信じた夕雅はそんなことなど企んでおらず、純粋に思い出を彼に話すつもりで向かう。
墓場ではなくそこに一つだけ建てられた墓の前で止まり、ヒツギは人力車を降りた。着いても何も起こらず、怪世界の旅はまだまだ続く。
「俺の大切な人の墓だ。ある夜に物の怪に襲われて、俺の目の前で死んだ」
物の怪という第三陣営が現れるとはヒツギも予想外だったが、知らない世界の事情なのでそういうものだと受け入れた。異変を何でもかんでも妖怪の仕業と決めつけてはならない。人間にも知恵と技術がある。そして人間も妖怪も関与を否定したら、それは物の怪の仕業とされる。本当にそうなのか、どちらかが嘘をついているのかは定かではない。
ともかくその物の怪に、夕雅の大切な人は手をかけられた。
「不思議な女性だったんだ。先に声をかけてくる積極性と、暗闇に怯えるか弱さを持ち合わせた……」
初対面の印象と、逢瀬を重ねて知る一面とのギャップ。そして守ってあげたくなる儚さに、夕雅は虜になった。もっと彼女を知りたいと願っていた矢先に、突然別れがやって来た。その瞬間に彼は居合わせており、はっきり覚えている。
「消したはずのない灯りが消えていて、隣で彼女は凍えるように……」
一緒に寝ていたある夜、悪夢に目を覚ました夕雅は、そばで苦しむ彼女に何もできなかった。後になっても原因は分からず、彼は打ちひしがれていた。けれども彼は独りにならなかった。
「心が壊れた俺に寄り添ってくれたのが、この火消婆だった。きっと物の怪に唆されて、灯りを消したんだろう」
彼の前に現れたのは妖怪。だが彼に危害やちょっかいを加えることはなく、傷心の彼に寄り添った。悲劇の夜は点けたはずの灯りが消えており、それは妖怪の能力によるもの。
思わぬ加担で人間を悲しませた罪悪感からか、妖怪は夕雅にその姿を見せた。火を消す能力はあれど命を奪う力はない。夕雅は妖怪を犯人とは疑わず、利用された立場と捉えた。以来二人は手を取り合い、共存を始めて今に至る。
「何が言いたいかって、妖怪に悪い奴はいないんだ。人間を襲うのは、物の怪の仕業にちがいない」
今も悲劇の原因は不明だ。だがあの件以来、夕雅は妖怪を悪者と考えなくなった。だから最近の異変も妖怪のせいではないと考える。人間か、あるいは物の怪か。人間も疑っていないから、いるかも分からない後者が濃厚だと考える。
そう聞いたヒツギだが、彼が元いた世界にも物の怪という概念はあるものの正体は分からない。けれども彼と同様、肝試しの最中にこの世界に飛ばされた参加者の中に、物の怪の類が存在して異変を起こしているのかもしれないと推測した。
とはいえ彼はその島に来たばかりで、思いつきで肝試しに参加したものだから、居合わせた人が誰でどんな人かは全然知らず、目星を立てられない。
その解明は他の人に任せるとして、ヒツギにはできることがある。夕雅の語りを頼りに、亡くなった少女のゴーストを召喚した。
色も顔もないシルエットの風貌で、振る舞いもヒツギが操るため本人のようにはいかない。彼も会ったことがないから、物語で知った人物を参考に動かしてみせた。
「その雰囲気、常夏の……」
夕雅は気配を感じ、振り向いた。幽霊の風貌ながら、どことなく本人の面影を感じた。それをヒツギの仕業とは思いもせず、墓参りに来たおかげで起こった奇跡と考える。もちろん生きていると期待はしていない。息絶える瞬間は、誰よりも近くで実感している。
なお常夏というのはその少女が明かさない代わりに彼が呼んでいた名前だ。
夕雅は手を伸ばし、頭巾に触れようとする。しかし顔のないゴーストであることが丸分かりなので、ヒツギは後ろへ引いて接触を避けた。夕雅はその反応から深追いをやめ、幻と受け止めた。触れたら消えてしまう。そう考え手を引いた。
「取り戻してみせる。妖怪と暮らす、平和な日々を」
彼女のゴーストから勇気をもらった夕雅は、墓参りを終えて再出発の準備を始める。ヒツギもゴーストを消滅させ、人力車へと戻った。




