2話 妖怪は怖い
氷川柩岐の目の前には、多種多様な妖怪たち。それを平然と受け入れている人間たち。彼らは見えていなくてスルーしているわけではない。見ているし、触れているし、会話している。ヒツギはこの島に来たばかりだが、こんな世界だとは聞いていない。人間と妖怪が共存する怪世界だなんて、現実とは思えない。だが夢ではない。
ヒツギは肝試しの最中にこの世界に飛ばされた。ペアを組んで回っていた西浦あかりの姿はない。きっと別の場所に飛ばされたと彼は考えるが、実際は彼女は無事で元の世界にいる。とはいえ来たばかりの彼とは連絡先交換をしておらず、彼のスマホは音沙汰なしで、実態を知る由もない。
「どこでもいいや、ホテル探そう……あれ、荷物がない」
なので彼は、一人で行動すると決めた。こうなるとは予想もしていなかったが、留学先に備えホテルを探す寄り道で肝試しに参加したおかげで、キャリーケースを持っている。これならなんとかなると思った矢先、その荷物も見当たらず、彼は唖然とした。
きっと妖怪に盗まれてしまったのだろう。ヒツギは探すのを諦めて歩き出し、野宿できる場所を探した。
「まあいいや。行こう」
これも肝試しの仕掛けでじきに元の世界に飛ばされる可能性もある。分からないことだらけのヒツギは、何があってもおかしくないという考えから、自然と落ち着いていた。荷物が見つかる、参加者と合流する、元の世界に変える。状況の打開策はいくつも思い浮かぶ。それが実現する可能性はあるのか分からないが、考えても仕方ない。
ヒツギの目の前に妖怪一つ目小僧が飛び出し、わっという声で驚かした。彼は不意を突かれ悲鳴を上げ、尻もちをつく。彼の反応を一つ目小僧は笑い、そのまま姿を晦ました。
「お金が欲しい?」
「欲しい欲しい」
横から聞こえた声にヒツギは親切な街の人と期待したら、正体はさっきの一つ目小僧だった。彼はまた驚き、這いながら逃げた。妖怪からの追撃はなく、彼はじきに立ち上がって息を整えた。驚かせるだけで危害は加えない。そして質問にどう答えてもお金は手に入らない。構ってほしくて質問してくるだけだ。
だが彼はしばらく、後ろ向きで顔が見えない通行人に対して疑心暗鬼になった。そのうち対抗者ばかりの道を見つけ、そこなら安心だと思い、人の流れに逆らって歩いた。
しかし顔を正面から見るわけで、他の一つ目小僧以外にのっぺらぼうや小鬼がいるのを目の当たりにしながらすれ違っていく。人間もいるが、妖怪が身近にいるのを普通のことのように受け入れているのが不思議だ。
小道を抜けるとヒツギは燃えている人力車を発見した。火事ではなく、炎を纏った妖怪の輪入道がそばにいる。坊主頭の生首を中心に火の玉が観覧車のゴンドラのように囲んでいる妖怪だ。それはさておき隣にいる法被を着た人は俥夫という人力車を引く仕事の人だろう。彼なら道に詳しいと思い、声をかけようとした。
だが人力車の陰から一つ目小僧が飛び出し、三度彼を驚かせた。油断していたとはいえしつこく絡まれてムカついた彼は足を振って、目立つくらい無駄にデカい単眼を狙って靴を飛ばしたが明後日の方向へ飛んでいく。
ヒツギは慌てて靴を回収しに片足で跳ねて進む。すると一つ目小僧が飛びかかり彼は押し倒された。抵抗するも次々と同種が覆い被さって、身動きが取れなくなり、叫んで助けを求める。
すると輪入道が走ってきて、彼の周りをグルグル回る。炎で圧をかけて一つ目小僧たちを追い払い、ヒツギは解放された。
「ストップだ。キミ、大丈夫か!?」
俥夫の夕雅は輪入道にもう牽制はいいと告げて、ヒツギの様子を見る。彼に怪我はなく、炎も浴びていない。
「さっきから妖怪たちの様子がおかしい。早く帰りな」
「じゃあ、バチ島の腕まで」
「どこだ? そんなコース知らねえ。好きなの選びな」
帰るつもりのヒツギは留学先の島までその人力車で連れていってもらおうとしたが、この辺りには無いと言われた。代わりに渡された地図を見て、目印の寺や神社の名前にまったく心当たりがない。どのコースを選んでも、肝試しの会場に戻れないと分かった。
ちなみに島は立った犬を左から見た形をしており、会場の街の位置は後ろに下ろした腕の辺りだ。
「……どこも分からない。俺、気づいたらここにいて」
「もしかして妖怪の異変で……分かった、乗りな」
「はい。あ、靴」
夕雅にとって客の安全が最優先。ヒツギを放っておくわけにはいかず、人力車に匿って退避させてあげることにした。思わぬ助け舟にヒツギは安堵した。狙い通りというわけでもなく、意外となんとかなるものだと実感した。
落ち着いたら足の違和感を自覚し、靴を回収して人力車に乗った。すると夕雅も同乗し、連れの輪入道が代わりに俥夫として人力車を引いて動き出す。腕はないので口で支木と呼ばれる持ち手を噛み、猛スピードで転がって牽引する。その速度は人が引くよりずっと速い。
「俺たちは妖怪と共に暮らしている。こうして仕事も手伝ってもらうんだが……さっきから妖怪が人間を襲っている」
「……俺が来たせい?」
「かもしれねえ」
この炎の妖怪は人間の言う事を聞いている。けれどもそれはこの世界ではどこでも当たり前のことだった。妖怪には人間にない力や能力があり、手を借りれば人間の生活は効率的になる。人間のルールを学ばせ、安全に仕事をさせられるように、理解を深め合ってきた。
しかし先ほどから異変が起こり、妖怪がパートナーの人間の言う事を聞かず攻撃的になっていると騒ぎになっている。タイミング的にはヒツギが肝試し中にこの世界に飛ばされた頃なので、無関係とは言い切れない。しかし彼に心当たりはなく、謎のまま謎が増えた。
一方、肝試し会場ではヒツギ以外にも四人も行方不明になっており、消える瞬間を目の当たりにしたペアの人たちは各々の目撃情報を報告していた。
「いきなり違う道から行こうとして、そしたら吸い込まれて」
「アイリも。妖精を見たって言って……私は見てないけど」
ヒツギとペアを組んでいた西浦あかりは、彼が消えた瞬間を説明する。コースから逸れて消えたのは美南哀月も同じだと、彼女のペアの川口青空澄が答えた。アスミは見ていないので、それがどんな妖精だったか分からない。
なお彼が逸れた理由は彼女と違う。そっちから進みたいと思いつきで変えたせいだ。
「私のペアは、主催の子に捕まったわ。成り代わって私を驚かせるつもりみたいだったけど、すぐ見破ったわ」
北参道天羽と小竹狐行が消えた原因に思い当たる節があるのはアゲハとペアの東戸寿々絵。肝試し主催のコユキはアゲハに変装し、暗闇で彼女と居場所をチェンジしてスズエを驚かせようとした。
だがチェンジして正体を明かす前に、何者かと聞かれコユキは作戦失敗に終わり、逃げていった。それっきり二人は帰ってこない。ヒツギたちと同じように、どこかに吸い込まれたのだと推測した。
「ラクアは一人でどんどん先行っちゃった。男子と組むのよっぽど嫌だったんだろう」
最後に三郷楽阿は、望む相手とペアを組めなくてやる気が失せ、歩調を合わせず先行した。その結果行方不明になったから、一人で道を間違えたか短縮を図ったか、他の四人同様消えるトリガーを踏んだと考えられた。人力車の俥夫とそっくりの田浦夕雅はそう話した。
「……ルール守らないせいじゃない?」
「確かに。私のペアはとばっちりだけど」
アゲハ以外の参加者はコースを守らなかったこと、主催のコユキはイタズラがバレて慌てて隠れたことが、どこかに消えた原因と考えられた。イタズラの標的にされたアゲハまで消えたのは気の毒だが、だいたいは本人に非があるとペアの証言から読み取れる。
「じゃあそうすれば私たちも」
ならば同じようにコースアウトすれば彼らと同じくどこかに飛ばされて、その先で合流できる可能性がある。このまま五人だけでの帰還を待つより、援軍を送った方が解決は早いかもしれない。
だがその前に、アカリたちが見た光が現れた。そして消えた五人が揃って元気に帰ってきた。現実では小一時間に過ぎないが、彼らが行った世界では何日も経っており、肝試し会場に皆がいるのを不思議がっている。お互い困惑したものの、念願の再会を喜び合う。
これはヒツギたちが怪世界で過ごした日々の物語だ。
ヒツギは俥夫の夕雅に案内され、宿屋に到着した。キャリーケースは見つからず、着替えも財布もない。そして帰るための手がかりもない。今日はここに泊まることになるが、交通費も旅費も払えない。とはいえ世界観も地図も彼の本来の世界とかけ離れており、お金は持っていてもここでは使えなかったことだろうから、荷物を手離したことに後悔はない。
「お金は今度でいいですか?」
「お金? 要らないぜ」
ここで使えるお金をどう手に入れるかは考えていないが、ヒツギは払える前提で尋ねた。駄目と言われたら彼は今すぐどこかへ逃げるつもりだったが、夕雅は寛容だったのでその必要もなかった。そもそもお代はかからないと言われ、ホッとしたが不思議だった。
「魂をもらうから」
「えっ」
ヒツギは夕雅の合図で走った輪入道と目が合った。揺れる炎がぼやけて見えて、彼は体がふらふらする。気絶するように眠りにつくと、妖怪は元気になった。これがこの妖怪の能力、見た人の魂を奪う力。人力車を引いて消耗した体力を、魂をエネルギーに変換して回復したのだ。纏う炎も盛んになる。驚かせるだけで危害を加えてこない一つ目小僧とはわけが違う。
これが人間と妖怪が共存するために育んだ相互協力。妖怪は人間の仕事を手伝う代わりに、人間は妖怪の食料になる。妖怪は怖い生き物。人間が都合良く扱える存在であってはならない。
それから何時間も放置され、体力が戻ってきたヒツギは目を覚ました。だが両手、両足、そして首に枷をつけられて体を自由に動かせない。それはいいとして彼は辺りを見渡す。夜が明けて街は明るいが、あちこちを人間と妖怪が歩いている。肝試し中に奇妙な世界に来たのは夢でないと改めて実感した。
来たのは自分だけではないと彼は思っている。一晩経ってもまだこの世界にいるということは、他に飛ばされた人でも一晩で解決できなかったということだ。きっとどこかで夜を明かしたのだろう。とにかく他力本願では解決しなかった。
「やあ、おはよう。すまないね、でもおかげでキミの無実は証明できた」
ヒツギは事態を飲み込めないまま、夕雅に拘束を解いてもらう。これを着けたのは彼だ。パートナーの輪入道の能力で魂を奪って気絶させた後に身動きを封じていた。見知らぬ人間で、妖怪が人間を襲い始めた変化の元凶と疑っての拘束だった。
「キミが寝ている間も、あちこちで騒ぎがあった。キミが犯人なら、平和な夜だったはずだから。疑ってごめんな」
だが人違いだった。ヒツギを拘束しておいた夜の間も、各地で妖怪が人間を攻撃する異常事態の発生が相次いだ。彼以外の何者かが、どこかで事態を引き起こしている。そうと分かったら無関係の彼を抑え込む必要はない。夕雅は彼を疑うのを止め、謝った。
一方彼は無賃乗車の罰と思っていたので、理由は他にあると聞いて拍子抜けだった。てっきり支払うはずの額だけ体を使われるための気絶と拘束かと思ったので、そういう罰もなく解放されていいのかと今一つ釈然としなかった。
「でも原因は掴めていない。一緒に来るかい?」
「行く」
ヒツギを信用した夕雅は、彼に行くあてがないのなら同行してみないかと提案する。彼は二つ返事で承諾した。また人力車に乗れるということだし、断って歩き回るよりよっぽど楽しい。費用もかからないならなおさらだ。
そして彼は考えた。彼と同じくこの世界に来た誰かが、妖怪に人間を攻撃するよう仕向けたのではないかと。とはいえ彼は肝試し会場にいた全員と初対面で、誰が来たのかも分からないし、そもそも疑わしい人がいるわけではない。けれども彼が疑われるくらい、二つの出来事は発生時期が近い。
だとすれば発覚するのは時間の問題だと割り切った。彼が昨晩調査を受けたように、誰しもどこかで犯人か確認させられることだろう。そうなれば元凶はじきに特定される。それから騒ぎが収まれば、多分元の世界に戻るだろう。揺れる人力車の中で、彼は帰るまでの道筋を考えた。




