15話 平和にするために
怪世界から帰還するため妖怪王を探す氷川柩岐と小竹狐行は列島の北東へ向かおうとしたところ、妖怪人魚の吐いた泡に交通機関の人力車が閉じ込められ足止めを食らった。
その泡は人魚の肉を食べて不老不死になった人間を閉じ込める永遠の檻。直接割れないなら、人魚自身に攻撃を加えたらショックで割らせるしかない。ヒツギたちは人魚と勝負をすると決めた。しかし現地で知り合って人魚が人間を狙う理由について教えてくれた青空澄が泡に捕まり、彼らの陣営は三人から二人に戦力を削られてしまった。
そこでコユキは強硬手段に出た。妖怪九尾の狐の彼を得ている彼は、今は狐の姿をしている。その姿で使える神通力で人魚を操った。コンコーンと鳴き、体が発光する。ヒツギはそれが能力発動の合図だと理解した。
すると泡がゆっくりと降下し、人力車が戻ってきた。すかさず彼は人魚に引き返すよう念じると、下半身が魚ゆえに歩けない体を引き摺って人魚はゆっくり撤退していった。なお青空澄は捕まったままだ。透明な泡の中から外の様子は見えているが、解放を求める声に誰も反応しない。
「……流石。妖怪のコントロールはお手のものだな」
都合良く事態が好転するのを見て、ヒツギはコユキを称賛する。そうやって妖怪を操り人間を襲ういわゆる異変を起こしたのだと皮肉も込めて語った。
「これで良いのかな……」
合理的ではあるが最善ではない。そんな手段に走ったことにコユキは葛藤する。人魚は彼らに怒っていた。妖怪王に辿り着く手がかりを教える代わりに、不老不死になりたい欲望を抱いた人間の犠牲になった人魚を返すというのが、彼らが持ちかけた交渉だった。
だが生き返らせたのは嘘で、正体はヒツギが特殊能力で召喚したゴースト。後でその嘘に気づき、情報を得て一方的に得をした彼らに仕返ししに戻ってきたのに、叶わず力に捻じ伏せられた。そんな姿を見てコユキは、まるで自分は悪人だ、と心が痛む。
「良いんじゃない? こいつ捕まえるのに貢献したし」
だがヒツギは人魚にも良い結果をもたらしたと考える。それは人魚の肉を食べた青空澄を泡に閉じ込めたこと。それをやってのけたのは人魚だが、彼らが連れてきたおかげで成し遂げられた。連れてきた当初は彼女が不老不死の身とは知らず、結果的にの一言に尽きる。だが人魚の敵討ちに一役買っていたことは、交渉で相手に与えたメリットと考えていいと彼は思う。
「未来を見たいってだけで妖怪を利用して……それもパートナーを」
「確かに許せないよ」
ヒツギは青空澄の素性を知ったとき、人魚が彼女を狙っているのを察知した。だから泡が彼女に迫っても傍観していたし、コユキも彼女を解放するよう操ることはなかった。
怪世界に来て彼らは、人間と妖怪が共存する世界は人間にばかり都合が良い歪さを抱えていることを実感した。彼女のように私利私欲で妖怪を利用する人間は見過ごせないし、本気を出せば人間は一捻りなのに加減する妖怪の優しさが気の毒でならない。
悪人を成敗した成果に胸を張ればいいとヒツギはコユキを説得する。
「それにこれは、世界を平和にするために必要なんだし……借りはいずれ返すと思えば」
そもそも人魚を騙して情報収集したのは怪世界の異変を止めるため。無難な案が見つかるまで慎重に進めていては、各地で妖怪に襲われた人間が反抗して犠牲者がでる。現にこの街でも、傷を負った人間が生き延びようと人魚を手に掛け不老不死を得た。
妖怪に非はない。襲ったのは妖怪の解放を望んだコユキに操られたからだ。彼でも制御できない規模になった異変を妖怪王に何とかしてもらうためには、足踏みしていられない。
早く進むために妖怪を騙すなど、必要経費と割り切るしかないのだ。
「どうだろう……やられた人魚が帰ってくるわけでもないと思うし」
そんなヒツギに対しコユキは、異変を止めても被害をリセットはできないと推測する。止めてこれ以上の犠牲を防いだところで、すでにやられた妖怪が復活するなんて甘い理想に縋ることはできない。いずれ返す借りを含めても、自分たちと妖怪とで得がアンバランスだ。
かといって何をすればいいのか見当がついているわけでもない。コユキは妖怪の言葉が分かり、だから情報を聞き出せた。けれども人魚の望んでいるものが分からない。それは本人も何があれば仲間の未練を断ち切れるかを知らないからだ。仲間を食った人間を泡に閉じ込めるのは、そうしておくことしかできないからで、その行為が人間にプラスになるわけではない。
「とにかく……今の勢いで進んだら駄目なんだ。これをセーフと思ってしまうと、どんどん悪いことをする」
今回はこうせざるを得なかったという考えが、こうしてもいいという前向き思考に切り替わったとき、次に考える瞬間に脳が乱れている。やがては悪意なく大事を引き起こしかねない。そうなるのをコユキは怖いと感じている。感じられる今のうちに矯正しておかないと、手遅れになる予感がしている。
「……嫌だな。悪知恵ばかりで優しさが無い自分が」
コユキは嘆いた。妖怪王は長生きしているから過去に人魚の肉を食べたとか、人魚から話を聞くには仲間を復活させたと思い込ませるのがいいとか、発想力に長けているのは長所だと自負している。けれども今は、何をすれば人魚の気が晴れるか考えつかない。
自分にプラスになることは考えられて、そうでない他人のために非力な現状に嫌気が差す。
ヒツギは彼の話を聞くも、今回の作戦は良くなかったという思考に至るイメージは湧かなかった。とはいえコユキの考えを否定することもなく、理解が追いつかないだけで正しいと受け入れていくものと捉えた。
そこで彼は考えた。優しさは自分たちに求められるものではないと。自分は余計なことをせず、代わりに役割を果たすべき人間がいて、彼らの判断と行動に任せればいいと。かといって任せっきりでは事態は進まない。だから彼はきっかけを与える。それが唯一、彼にできることだ。
「じゃあお墓建てておく」
ヒツギは青空澄のかつてのパートナーであり彼女が私欲で食べてしまった人魚の墓を建てることにした。といっても本格的なものではない。道端に落ちている枝を木の墓標に見立て、彼女が閉じ込められた泡の真下の地面に差した。こうすれば彼女の様子を見に来た人が気づいてくれる。
「他のは捕まってた人たちがどうにかするでしょう。むしろそいつらがやれって話」
ヒツギは青空澄が捕まってしまったから代理で仮の墓を建てたのであって、本来は当事者の役目と考える。だから彼女の身内に続きを任せ、他にも閉じ込められてコユキとの交渉によって解放された人たちは各々食べた人魚を責任持って弔う。そう実践するきっかけになればと思って建てるのがこの墓というわけだ。
「……なるほど。過ちを忘れない、それがせめてもの償いだな」
コユキはヒツギの意図に気づき、それが自分たちにできる優しさだと納得した。妖怪を殺した事実を墓という形に残し、罪人を晒すことで後追いを抑制できる。それでも失われた命は還ってこないが、犠牲を無駄にしない意味では救われたとも言える。
「ありがとう。おかげで肩が軽くなった」
妖怪王に辿り着くまでにも、異変は続き、人間の餌食になる妖怪が現れるのは防ぎたい。戒めに建てる墓はその抑制として機能するから、その意味で妖怪に役立つ。
コユキは罪悪感が薄まり、出発への躊躇いだった心の引っ掛かりが消えた。
晴れてヒツギたちは霊媒師に会いに出発する。さっきは定員オーバーに悩んだが、青空澄を置いていくので解決した。きっと彼女は、もう終わらない一生を泡の中で過ごすことになるのだろう。
人魚という妖怪を食べて不老不死になった罰として当然だと見限り、二人は背を向け出発する。
「思えばあの子の時計が止まってたのは、時間感覚が狂っていたせいかも」
「ああ、それで……あんな時間まで寝ていたのか」
青空澄は止まった時計を所持していた。潮風で錆びついていても大事に身につけていたのかと思いきや、乱れているのを気にならなかったのが実態だったように考えられた。いくらでも生きられるから時間が過ぎることが惜しくない。それで時間にルーズになり、正しい時間が分からなくても構わないから、狂ったまま放置している。不老不死になった人間らしい変化だ。
「ボクが見た時計も多分おかしかった。この街自体が、人魚の力を強請っておかしくなっているんだと思う」
コユキが街で見た時計が正しい時間を示していたかも怪しい。青空澄以外にも妖怪を襲って不老不死になった人間がいるから、彼らのせいで時間との向き合い方が歪みつつあり、ズレていることが気にならなくなったのだろう。
そういう人が増えると、時間を気にすることが間違いと錯覚してしまう。妖怪を傷つけたくなくて不老不死を拒む人間も、取り残されることを嫌って拒めなくなってしまう。
「時間がいくらでもあるからってのんびり仕事するようになるだろうね」
「ああ……ゲームの発売まで生きていたいなら、不老不死になればいいって言われるみたいな」
やがて不老不死であることが当たり前となり、そうなりたくない人が願うものは、なってから願えと同調圧力をかけられてしまう。死ぬことが悪であるような世界へと変わってしまう。
「……ボクたちの世界では、そもそもそんなことできないけど」
コユキたちが元いた世界では、妖怪は架空の存在。人魚を食べて不老不死になったという人間はいない。だからこの世界にどんな未来が待っているかは憶測で語るしかないのだが、少なくとも良い方向に進むようには思えない。現時点での街の変化がその根拠だ。
「ここまで来ればもう追ってこないだろう」
コユキは人力車に乗ってしばらくして、人魚の気配を感じないことから、もう安心していいと告げた。彼らは今、妖怪輪入道に引かれて移動している。その速さは人間の走力の遥か上を行き、人魚が吐いた泡を乗り継いで陸地の空中を泳いで追いつかれることはない。足止めに使った神通力が解けたとしても仕返しされることはないということだ。実際人魚の立場からしても不得手な陸に追い回すことは危険と判断するのも合理的で、追われないことに不信感はない。
着くまでは気楽にしていてよくて、明日に備えて今のうちに休む方が良い。明日は霊媒師に会って、亡き人魚から妖怪王の話を聞く。怪世界から脱出するまでのゴールは、まだ不鮮明でどれだけ要するか分からない。
警戒しているコユキとは裏腹に、ヒツギは冷静だ。人魚はそもそもコユキたちを追うつもりはない。青空澄を捕まえたとき人魚が一網打尽にしてこなかったあたり、彼はそう考えている。だが確証はないので黙っていた。
実際、彼の推測は当たっている。人魚の狙いは最初から青空澄だけであり、彼女の逃走手段になり得るこの人力車を泡に閉じ込めて、ヒツギたちもろとも退路を塞いだ。
そして彼女を捕らえ目的を果たしたから、人力車を泡から解放し残った彼らは狙わず、撤退するつもりでいた。人魚は自らの意思でそうしようとした矢先、コユキに神通力で操られた。意思と彼による命令が一致していたわけで、彼が何もしなくても結果は同じだったのだ。
「騙したことは些細な問題だったのかな」
「食ったことに比べれば、だろうね」
確かにコユキたちは人魚を食べていない。怪世界に来てからお腹が空かないから、知らぬ間に食べて不老不死になっている疑惑はある。とはいえもしそうなら青空澄ともども狙われていたはずで、それ以外には交渉のために他の人魚を助けたと嘘をついていたことが原因となり得る。
だがその原因は彼らが思っていたほど相手を怒らせることではなかったようで、だから追うのをあっさり諦めたようにも思える。決して食したことを軽く見ているわけではないが、奪った命を復活させたと糠喜びさせたことも到底許されることではない。そう思っていたが、執念深く追ってこなかったあたり、実は過度な心配だったのかもしれないと考えられた。
自分たちの行動を振り返って感じる後ろめたさは、他の人間が起こした問題よりはマシなレベル。相対的に悪ではないと受け止めることでしか、気が休まらない。そんな居心地の悪い時間が続いた。