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夜明けの決意

 ブランチ村で一夜を過ごした翌朝。リュートとファーディナは、まだ薄暗い空の下で荷造りを進めていた。


 村人たちは早起きして畑へ向かう者、家畜小屋を見回る者と、それぞれ忙しそうに動いている。昨日少しでも味が改善した井戸水をありがたがる声も聞こえ、ファーディナは「浄化薬が多少は役に立っているみたい」と微笑んだ。


「ただ、これで根本的な解決になるわけじゃない……」

 ファーディナが鞄に薬瓶をしまいながら呟く。リュートもうなずいた。

「そうだね。もし“リモート戦争”がずっと続いて、ゴーレムの破片や魔力汚染が各地に飛び散れば、被害はもっと深刻になるはずだ。この村みたいに、軽症の咳や妙な味で済まなくなるかもしれない」


 馬に鞍を置きながらリュートは遠くの空を見上げる。まだ少し霞んでいて、朝の光はぼんやりとした薄灰色の景色を照らしている。王都にいたときには、こんな地味な空の色を気に留めることもなかったが、ブランチ村での体験ですでに視界が開けたような気がした。


(形だけの勇者だとずっと思っていた俺が、あの子の咳をほんの少しだけでも緩和できた……。もし本当に“浄化”の力があるなら、それをきちんと解明しないといけない。ファーディナの言うように、黒幕を突き止めて戦争を止めるのが先かもしれないが――)


 自嘲気味に唇を結ぶ。自分の中で渦巻く感情は、“早く先へ進まねば”という焦りと、“弱いながらも何かを救えた”という安堵がないまぜになっていた。


「リュートさん、大丈夫?」

「……ああ、考えごとしてただけ。そろそろ行こうか」


 仕上げに馬のたてがみを撫で、手綱を握る。ファーディナも背負った荷の位置を整えた。


「ところで、昨日少しだけ浄化薬を配合した井戸水、村の人に配り方を教えておいたの。しばらくは大丈夫だと思うけれど、突然副作用が出るかもしれないし、もしトラブルがあったらどうしよう……」

「心配かい?」

「ええ、でも立ち止まってもいられないもの。ここで私たちが足踏みしても“誰か”が戦争を止めてくれるわけじゃない」


 ファーディナの言葉に、リュートは小さく笑って応える。すっかり彼女の方が逞しくなった気がする――もともと研究者として現場で奮闘してきたからこそ、根性が据わっているのかもしれない。


 そうして村を出る直前、昨日咳をしていた子どもが両親に手を引かれながら駆け寄ってきた。顔色はまだ少し青白いが、笑顔で手を振っている。

「お兄ちゃん、ありがとう。なんかちょっと良くなった気がするよ」


 素直な声に、リュートは一瞬返事に詰まる。剣の柄を布で隠し持つ自分が“勇者”だとは言えない。けれど、この子の笑顔に嘘はない。

「うん……。ゆっくり体を休めて、早く元気になれよ」


 たったそれだけの言葉を、精一杯の笑みで返す。背後で見守っていたファーディナの目もどこか潤んでいる。


 親御さんに連れられて去っていく子どもの後ろ姿を見届けると、二人は静かに村の門を出た。



---


 朝の澄んだ空気の中、馬の足取りはゆっくりだが安定している。道はまだ平坦で、王都から遠ざかるほどに家や畑の数が減っていく。

 ブランチ村より先の地図には、小さな森と川が記されていた。その森を抜けると、やがて荒野との境界地帯へ近づくはずだ。


「そろそろ“本当に危険な場所”が増えてくるね」

 ファーディナが手帳をめくりながらつぶやく。

「ええ。私が研究所で集めた情報によると、北方の戦線と隣接する地域は、ゴーレムの破片が落ちやすい傾向にあるし、魔物の徘徊も増えているそうよ。幻影兵装が動き回るだけならともかく、“本物の魔獣”がうろつくこともあるとか……」


 リュートが剣の柄に手を置く。

「そこは俺が守る。形だけの勇者でも、剣の扱いは一通り叩き込まれてるから」

「頼もしいわ。でも、無理はしないで。あなたが倒れたら、この旅の意味がなくなるもの」


 そう言ってファーディナが微笑んだとき、不意に視線を少し後方へやった。まばらな草が生える土の道が見えるだけ……だが彼女は首をかしげる。

「今、馬車か何かが後ろを通ったように見えたんだけど……」

「旅人か商人が通ってるんじゃない?」

「かもね。少し気になるけど、ここで振り向いて怪しまれても困るし……しばらく先に進んでから様子を見ましょう」


 リュートもこっそり視線を戻してみたが、特に人影は認められない。逆光の中、砂塵が霞んでいるだけだ。



---


 昼下がり。道の両脇にちらほら木々が増え、灌木と下草が密集する一帯に差しかかった。森というほど大きくはないが、人の気配が途切れて薄暗い。

「一気に景色が変わったな。ここを抜ければ、次の集落はもう少し先らしい」


 リュートがそんなことを言いかけたとき、不意に馬が鼻を鳴らして足を止める。敏感に何かの気配を感じ取ったようだ。

 ファーディナも察して、息を呑む。吹き抜ける風の中に、異様な匂いが混じっている――焦げ臭い、あるいは湿った金属のような臭い。


「まさか“幻影兵装”の残骸がこんなところに……? それとも魔物……?」

 ファーディナが身構えると、リュートは剣の柄へ手を伸ばしつつ馬から降りた。

「待って、見てあれ」


 道の先には、小さなゴーレムの破片が転がっていた。むき出しの魔導回路が半分焼け焦げ、まだ微かに青白い光を放っている。どうやら遠隔操作から外れ、誰にも回収されず放置されているらしい。


 近づいてみると、半径十数メートルほどの草がすっかり枯れ、土には不自然な色むらが残っていた。生きた生物の気配はまったくない。

「……新型って感じじゃないわね。古いタイプのゴーレムみたい。たぶん数ヶ月から半年以上前の“出撃”で、破壊されて流れ着いたものかもしれない」


 ファーディナが警戒しながら破片をそっとつつく。残骸はほとんど稼働しないが、微妙に体温のような熱が残っている。

「危険そうだな。下手に触ると魔力障害を起こすかも」

「ええ。幸い、私たちは防護手袋を持っているけど……。もし一般の旅人が迂闊に触ったら大変だわ」


 辺りに漂う腐ったような金属臭は、まるで生き物の死骸が朽ち果てるかのように、空気を重くしている。リュートは思わず眉をひそめた。


「ブランチ村で感じた金属臭に少し似てる。やっぱりこういう“使い捨て”されたゴーレムのかけらが各地に落ちてるのか……」

「こんな森の中にまで。誰も回収しないなら、魔力が漏れっぱなしじゃないの」


 そのとき、ひゅっと空気を裂く音が聞こえた。ファーディナとリュートがとっさに身を低くすると、背後の樹に何かが突き刺さる。


「矢……!?」


 慌てて振り返ると、道の脇の茂みに二、三の黒い影が見えた。人間か、あるいは魔物か――次の瞬間、彼らは茂みから飛び出し、一斉にリュートたちを取り囲むように散開する。装いはバラバラだが、何やら盗賊めいた雰囲気を醸し出している。


「へへ、こんなところで“お宝”の香りとはな。ずいぶん高そうな剣を持ってるじゃねえか、あんちゃん」

 リーダー格らしき男がにやつきながら弓を構え、別の手下が短刀を抜いてこちらへにじり寄る。


 リュートは歯を食いしばり、剣の柄を掴む。彼らが狙っているのは、旅人の荷物や財産だろう。とはいえ、相手は少なくとも三人以上。ファーディナを守りながら戦うなら、うかつには動けない。


「どうする?」

 低い声でファーディナが尋ねると、リュートは微かに目で合図した。剣を抜けばなんとか対処できるかもしれないが、矢を持った相手が厄介だ。馬を逃がしてしまうと荷物が危ないし、逆に無理に馬で突破しても、ファーディナが攻撃を受けるリスクが高い。


「さて、“剣を置いて大人しく荷物を渡す”ってのが、一番賢い選択じゃねえか?」

 リーダーが嘲笑混じりに唇を歪める。すると別の手下が、視線を馬の鞍に移した。どうやらあちらも、研究機材や薬瓶らしきものを目ざとく発見したようだ。


 リュートは一瞬、剣を構える手に力を込める。だが、そのとき不意に別の視線を感じた。道の奥、少し遠くから馬車の影が見え、誰かがこちらを伺っているように見える。先ほどファーディナが気にしていた旅人なのか――それとも。


(妙だな。あれはただの通りすがりか? いまの状況を見て、どう動くつもりだ?)


 思考が一瞬交錯する間に、盗賊の矢が再び放たれる。ファーディナが恐る恐る身をかがめると、リュートは咄嗟に剣を抜いて、その矢を弾いた。

「ファーディナ! 馬の側へ!」


 戦闘の火ぶたが切られた――。薄暗い森に金属音が響き、盗賊たちは矢と短剣で攻め込もうとする。リュートは剣先に集中し、射線を意識しながら位置取りを変える。


 彼は形だけの儀式要員として暮らしていたが、幼いころから基礎の剣術を叩き込まれた経験を活かし、一瞬の隙を突いて弓を持つ男に距離を詰める。

 金属がぶつかる甲高い音。男の弓を払い落とし、反対側の手下が振り下ろす短剣を紙一重で避ける。ファーディナは怯みながらも、物陰で小さな爆発系魔法の触媒を取り出しているようだ。


(落ち着け……ファーディナは戦闘向きじゃないが、足止めくらいはできるはず)


「くそっ、やるじゃねえか!」

 弓を失った盗賊が、懐から短い棍棒を取り出して襲いかかる。リュートは冷静にかわし、剣で相手の手元を弾く。ぐらりとバランスを崩したところに、馬の蹄が地を蹴る音が重なった。ファーディナが馬を操作して、盗賊の一人を脅かしている。


「リュート、気をつけて!」

 彼女の声に後押しされるように、リュートは無駄のない剣さばきで相手の攻撃を封じ、捨て身で蹴りを入れる。盗賊は悲鳴を上げて転倒した。


 残るはあと二人。だが、その瞬間、道の奥から馬車が急にこちらへ突っ込んできた。視界の端にチラリと見えたのは、浅黒いローブ姿の人物。手綱を操りながら、盗賊たちの背後を横切るように走り抜けた。


「なんだ!? どけっ!」

 盗賊のリーダーが馬車を避けようと転がる。その隙にリュートは剣の切っ先を喉元に差し向けた。


「やめろ。もう動くな」

 先ほどまでの余裕が消え失せ、リーダーは顔を引きつらせる。さらにもう一人の手下が馬車にはね飛ばされそうになり、悲鳴を上げた。


 馬車を操るローブの人物は、リュートたちには一瞥もくれず、盗賊たちを散らすかのように走り去っていく。そして森の奥へと消える馬車の後ろ姿が見えた瞬間、リーダーも手下も完全に戦意を喪失し、敗走していった。


(なんだったんだ、今の……)


 あっという間の出来事に唖然としながら、リュートは剣を納める。ファーディナも馬の側からこちらに駆け寄ってくる。

「大丈夫!? 怪我してない?」

「こっちは平気。そっちこそ大丈夫か?」

「うん。爆発系の触媒を投げる間もなかったけど、馬で威嚇したら一応役には立てたみたい……。でも、あの馬車の人は何がしたかったのかしら?」


 道の先にはもう馬車の影すら見えない。追いかけるかどうか躊躇したが、ここはファーディナの安全が第一だ。森の茂みにはまだ盗賊の仲間が潜んでいるかもしれない。


「ひとまずこの場を離れよう。盗賊の追撃がないうちに先に進むんだ」

「賛成。ゴーレムの破片も危険だから、あまりここで長居してはいけないわね」


 リュートとファーディナは再び馬に乗り、荒れた道を急ぎ足で駆け抜ける。いつ伏兵が出てきてもおかしくない状況。剣の柄からはまだ微かな熱が伝わってきていて、リュートは思わずそれを確かめるように握り直した。


 無数の疑問が頭を巡る。あのローブ姿は何者だったのか? 黒幕の手先か、それとも単なる通りすがりの商人なのか? そもそも、こんな森の中にゴーレムの残骸が放置されているのはなぜ?


 しかし、いまは先へ進むしかない。ブランチ村で感じた“軽度の汚染”を遥かに超える、もっと深刻なものが待ち受けているかもしれない。

 遠くで不安げに鳴る鳥の声を背中に受けながら、リュートは馬を走らせる。一刻も早く、ロストグレイヴや魔族領近くの被災地をこの目で確かめねば——そんな思いが胸を叩いていた。

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