歪んだ勝利の代償
激戦の報が届いたのは、それから半日ほど経った夜更けのことだった。
王国軍の“改修型ライノ”は魔族の防衛陣を一時突破したものの、敵側が放った高出力の魔力砲によってゴーレムの大半が粉砕されたという。最終的に、王国・魔族いずれも決定打を出せず、引き分けのような形で衝突が終わった。いつものように、燃え上がる荒野を背景に両軍が撤退し、またゴーレム再編へと移る――それが“リモート戦争”の常だった。
王都アルテリアでは、結果を受けて大きな落胆もなければ、大きな悲嘆もない。これもまた“いつものこと”と片付けられ、民衆は明日にはまた平穏な日々へ戻る。命を落とす兵士はいない——まるでそれが「平和」かのように。
だが、夕刻から続く突然の雷鳴や土埃により、一部の地方には**ゴーレムの魔力漏出**や、弾け飛んだ欠片による被害が及んでいた。雨のように降り注いだ破片が村の畑を荒らし、住民の生活を脅かす。遠隔から繰り出された“幻影の軍勢”は、戦場の近くに住む人々を容赦なく巻き込んでいた。
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「ひどい有様ですね……」
夜半、ファーディナは疲労でふらつく足取りのまま、研究所の廊下を歩いていた。彼女は先ほどまで通信水晶を使って負傷した村人や兵士たちの調査をしていたのだ。兵士といっても、戦地に行ったわけではない。**リモート操作に専念していた魔導士たちが、精神的な反動で倒れた**のだ。
疲弊の声が直接耳に届くたび、ファーディナの胸には言い知れぬ罪悪感がうずく。自分もこの“幻影兵装”を開発する側にいる以上、避けようのない責任を感じざるを得ない。
「ファーディナさん。お疲れのところ失礼します」
曲がり角の先から、リュートが姿を見せた。儀式後は自室に戻ったはずだが、夜のうちに何度か研究所を訪ねていたらしい。
「こんな時間にどうしたんです? 明日の儀礼や会議がまだあるでしょうに」
「気になって……新型ゴーレムの被害報告は、どうなりました?」
ファーディナは言葉に詰まったまま、そっと首を横に振る。
「被害状況はまだ途中です。確かなのは、王都から離れた複数の村で畑が荒らされ、牛馬が怯えている。人命被害は出ていないものの、村人たちは今後の生活に支障が出る、と嘆いていました」
「やっぱり……。誰も死んでいない? それを“幸い”と言っていいんだろうか」
リュートの目には、やはり虚しさが宿っている。怪我人が出るほどではないが、人々の生活や農地が蝕まれるこの現状。誰かが血を流さないからこそ、いつまでも続いてしまう負の連鎖。そして明日になれば、また新たなゴーレムを開発し、送り出す。
彼のまとう空気に敏感に気づいたのか、ファーディナは壁にもたれかかるように立ち止まった。
「昔は——わたし、魔導研究を志したのは人助けのためでした。きれいごとかもしれませんが、“人々を襲う魔物を撃退する術”が欲しかったんです。……けれど、いつの間にか“幻影兵装の改修”という仕事ばかり任されるようになっていて。今じゃ自分でも、何のために研究してるのかわからなくなるんです」
彼女の声が震える。王や将軍が口先だけの“平和”を謳いながら、結局は戦争を長引かせているという矛盾。
リュートはうなずいた。
「俺も、勇者の末裔として真面目に剣を振りたかった訳じゃない。だけど……こんな形ばかりの儀式で許されて、誰の命も救えない現実を見せつけられると、やりきれないよな」
二人の言葉を遮るように、廊下の突き当たりにあるドアが勢いよく開いた。中から飛び出してきたのは、一人の若い魔導士だった。頬がげっそりこけていて、かなり消耗しているのが一目でわかる。
「あ、ファーディナ様……そちらの“勇者様”も……! お疲れさまです」
何か urgent な知らせがあるのか、魔導士は呼吸を整えようと必死である。
「落ち着いて。どうしました?」
「はい……ただいま、王城から新たな指示が下りまして。明日の夕刻にももう一度、ゴーレム部隊を編成し、魔族側の新型に対抗するための“先制攻撃”を行うとのことです……」
「えっ、そんな短期間で?」
思わずリュートが声を上げる。さきほどの消耗戦から一日も経っていないのに、また戦線を動かすとは。兵器としてのゴーレムは消耗しても、“本隊”の人間は無傷だからやる気になればいつでも攻撃を再開できる——それが現実だった。
「今度は国境に近い拠点からゴーレムを送り出すそうです。出撃のための儀式もまた……」
「……また俺が“勇者の誓い”を捧げるわけだな」
リュートは深く息を吐く。どうにもならない閉塞感が胸に広がる。ファーディナも暗い表情で肩を落とした。
「わかりました。準備を進めましょう。……明日までに別の改修案を出さなきゃいけないのかしら」
ファーディナが頭を抱える。魔導研究所のスタッフはただでさえ徹夜続きで疲弊している。さらに急な作戦変更など、人的にも予算的にも破綻しかねない。
魔導士は申し訳なさそうにペコリと頭を下げると、急ぎ足で奥の部屋へ戻っていった。廊下にはリュートとファーディナだけが取り残される。しばし沈黙が落ちるなか、ファーディナの唇がかすかに動いた。
「……もう、本当に嫌になりますね。この虚しいやり方」
「ファーディナさん……」
「すみません。誰にも言えずにいたんですが、私……今の王国軍の方針に賛成できません。開発したゴーレムが人々を苦しめるのをわかっていて、止められないなんて。研究者としても人としても、納得がいかないんです」
ファーディナの目にうっすらと涙が滲んだ。強い意志を持って研究に取り組んできた彼女だからこそ、いまの状況にどれだけ心を痛めているかが伝わってくる。
「俺は——わかるよ、その気持ち。だけど、どうしたらいい?」
リュートもまた立ち竦むしかない。明日になれば再び形式的な儀式で声を張り上げ、ゴーレムを送り出さねばならない。国や軍の制度はあまりにも大きい。勇者だと言われても、形骸化した肩書きでは何一つ変えられない。
しかし、ここで怯んでいては何も変わらないのも事実だ。
「……明日の儀式の後、少し時間をください」
リュートは意を決して言葉を継いだ。
「本当にこのまま続けていいのか、改めて考えてみたい。俺は、どうにかして魔王本人と対話する道がないか探りたいんだ。笑われるかもしれないけど……一度でいいから、直接会って話したい。何を考えてるのか、どうして遠隔ばかり使うのか。あいつが本当に“平和など求めない怪物”なのかを確かめたいんだ」
ファーディナの瞳が揺れた。世間の常識からすれば、確かに馬鹿げた発想かもしれない。魔王は姿を見せないばかりか、何百年も前から人間を脅かす存在として恐れられている。それなのに直接対話など……。
けれど、リュートが口にする言葉には、ファーディナが久しく感じていなかった“熱”があった。
「……わかりました。私にできることがあれば、協力します」
そう言って、ファーディナは静かに笑みを浮かべた。どこか涙を堪えたような笑顔だったが、そこには確かな決意が込められている。
「ありがとう。正直、心強いよ。ファーディナさんみたいな研究者が味方になってくれれば、ただ無鉄砲なだけの計画にはならないはずだ」
リュートは少しだけ安堵の表情を見せる。今はまだ、具体的な道筋は何も見えない。それでも、同じ歯がゆさを抱える仲間と出会えたことが、彼にとっては大きな一歩だった。
窓の外では、王都の夜景が静まり返っている。街の多くの人々は明日のゴーレム再出撃のことなど知らず、または慣れっこになってしまい、早めの眠りについているだろう。
表面上は“死者なき戦争”の平和が続く世界。だが、その裏では確実に痛みと犠牲が積み重なり、無謀な先制攻撃の準備が進もうとしている。
リュートとファーディナが選ぶ道は、誰にも保証されない。けれど、もう黙って従うだけの歪んだ勝利に、二人とも嫌気が差していた——。