一本締め
この作品は、フィクションです。作品に登場する人物名・団体名・その他名称などは架空であり、実在する人物・団体・その他名称などとは一切関係ありません。
『平和と秩序の女神』を祀る大きな神殿が、旅立ちの町にはある。所縁の深さと由緒の正しさから、推測すると、日本の神社でいうところの、出雲大社や明治神宮のような社格ではないだろうか。知らんけど。
神殿の神官たちは、回復魔法を使える。他にもいろいろできるそうだが、そういう体系のお勉強は、おいおいでいい。『平和と秩序の女神』の神官たちの使う回復魔法の効果は、加護の大きさに比例する。勇者が受けた加護は、大きい。潰れた手の豆は、秒で治った。
「勇者っていうのは、やっぱり小ズルいのー。」
「先輩の『傲慢』ほどじゃありませんよ。」
その日は、疲れたから、毎夜毎夜の飲み会と化した晩餐には参加せず、寝ることにした。ごろん、と横になったと思ったら、もう朝だった。
既に先輩は起きていて、
「ハジメー!レベル上げにいこーぜー!」
野球に誘う感じで、部屋の外から声をかけてくる。
今はもう、特にすることがない。レベル上げに行くくらいしか、やることがない。どこかにいくにしても、スライムに手こずっているようでは、話にならない。昨日は、4匹のスライムを倒した。レベルアップはなし。今日は、5匹以上倒そう。目標を掲げた。
➡ハジメは、レベルが1あがった。
➡ハジメは、『ゆうしゃLv2』になった。
数匹、貫いたあたりで、レベルが1あがった。
「どうや?」
素振りをして、ぴょんぴょん飛び跳ねてみる。疲れが吹き飛んだわけではないが、妙に体が軽い。
「なんスかね。少しだけ、動けるようになってるような。」
「ほーか。」
と先輩はあごをさすった。先輩は、レベルアップしても、実感がなかった。しかし、ハジメは、なんとなく、基礎体力とか、そういったものの向上を感じた。
「町長が言うとった。町作りは、ゲームみたいで楽しかったってな。」
残り1匹となったスライムが、小さく跳ねながら、逃げていく。
「ハジメ。ここは、ハジメの言うてるような異世界とちゃうんちゃうかな。」
「誰かが作った、ゲームの世界ですか。」
「考えても仕方のないことやけどの。」
北欧神話では、戦乙女が、戦場で死んだ戦士を選別して、館へと魂を連れてゆく。そこで彼らは、昼は戦い、夜は宴を催す。終末の日に備えて。
ヴァイキングたちは、ヴァルハラに迎えられる栄誉の為に、死を恐れずに戦った。
ハジメたちは、ヴァイキングではないし、死は恐れる。死にたくはない。現代の日本において、まっとうなサラリーマンが、死を恐れずに何かを行う、ということはない。先輩もそうだ。
先輩は、しんどい現場の時、必ずこう言う。
「命までは取られん。」
しんどい現場は、お金か時間か、その両方で、切羽詰まっている。それに焦って、余裕がなくなって、不安全行動をした結果、重傷事故や、死亡事故の可能性が高くなる。だからこそ、先輩は、水を差す。気を楽にする為に、周知する。
ダメだったとて、命までは取られないんだ、と。
命を大事にする。あれほどポンポン殺しておいて、何を言っているのか。しかし、先輩のルールとしては、そうだ、としか言いようがない。
あれらは、敵意を向けてきた。それは、殺意でもあった。つまり、向けられた側にすれば、危険だ。危険に対し、安全行動を取る。彼らの結末は、その結果に過ぎない。誤解があるかもしれないし、猶予を与えられるなら与える。与えられないなら、より安全マージンがとれる方を選択する。安全性の担保だ。
現に、戦意を喪失して逃げ出したスライムを、追いかけてまでは倒さない。
「ここでは、命を取られるかもしれん。」
一度失った命。また失いたくはない。
しかしこの命は、いったい誰の命なのだろう。
「昔、観た映画でな。近未来のクローン人間の話があるんや。」
先輩が、ハジメの迷いを察したかのように、話し始めた。
「クローン人間が、自分がクローンであることを知らされて、悩むんや。」
『この髪も、この瞳も、偽物だというのなら、この気持ちも偽物なの?』
「本物や。」
ドキッとした。
「俺は俺や。ハジメもハジメや。この世界がどうとかいうんは、俺らの範疇を越えとる。ここにおるんやから、ここでやっていこで。」
「そうですね。」
「ほんなら、まず、やることは、レベル上げやな。」
「そうですね。」
「スライムはやめて、向こうの森にいってみるか?」
くいっと、森の方を親指で差した。
「森スか。」
「スライムより、確実に強いんがおる。」
「確実に強い。」
「確実や。」
「様子だけ見ましょう。今のレベルで敵いそうになかったら、撤退で。」
「いのちだいじに、か。」
「大事でしょう。」
「大事やなー。」
そして、森に入るふたり。
ハジメは、茂みの中から、様子をうかがっている。
「絶滅してなかったんやのー。」
「先輩。」
「なんじゃいこら。」
「あれは、犬じゃなくて、狼では。」
「見たことないからのー、狼いうんは。」
「俺もないスけど、あのデカさは、狼でしょう。」
想像していたよりも、大きい。中型犬から大型犬くらいを想定していた。あれは、でかい。待て待て。勇者の旅立ちの町の近くは、弱いモンスターだらけじゃねぇのか。あんなデカい犬、いや狼に、角まで生やして。見た目がもうイカつい。
「どや。いけそうか?」
「しばらくは、スライムでいいです。」
「ほうかあ。」
先輩が、残念そうにした直後、
「きゃあああああああああああ!」
少女の悲鳴にも似た、叫び声が聞こえる。
狼たちは、四散してどこへとなく、失せた。
「先輩!」
「なんじゃいこら。」
「むこうから、女の子の悲鳴が。」
「せやな。」
「行かないんですか?」
「こんな森に、女の子がおるかね。」
「そりゃまあ、そうですけど。いろいろな事情がありますし。」
「例えば?」
「例えば、そうですね。親御さんと一緒に、薬草採取にきているところを、モンスターに襲われた、とか。」
「なるほどな。保護者と一緒に山菜取り説な。」
「はい。」
「やけどハジメ。治安が悪いいうんが前提やったら、こんな森に女の子を連れてくるのはあかんやろ。」
「そりゃまあ、そうですけど。」
「な?」
「あ、でも、病気のお母さんの為に、ひとりで探しに来たとか。」
「なるほどな。入院しているお母さんにトウモロコシを届けたい一心で説な。」
「はい。」
「やけど、ハジメ。結構、奥から聞こえてきてたで。女の子ひとりで、モンスターがうようよしている森を奥まで無事に行けたーいうんは、ちょーっと無理があるでえ。」
「でも、ゼロではないですよね。」
「可能性はゼロではないが、蓋然性はゼロやろ。」
「とにかく、行ってみましょうよ。」
「いやー、でもな。」
「でも?」
「キャー、やったやん?」
「キャー、でしたね。」
「ギャー、ちゃうかったやん?」
「ギャーでは、ありませんでしたね。」
「深刻そうでないというか。ちょっと、キャーの言い方に、余裕を感じたんや。」
「余裕。」
「まだちょっと、こう、わたし可愛い、っていうのを残しているっちゅーか、なんちゅーか、冷やし中華。」
「あー、先輩。そこに引っかかってるんですか?」
「そら、引っ掛かるやろ。助けに行かな!って思えるような叫び声じゃあなかったで。」
「まあ、言われてみれば、そうですね。」
「せやろ。」
「罠かも知れませんしね。」
「そっちの可能性の方が高かろー。」
「203高地くらいのペースで、魔王の手下を送り込んできてますもんね。」
「ほんなら、魔王の罠、いうことで。」
「締めときますか。」
「よし。一本締め!」
皆さんご存知の通り、日本の文化には、手締めがある。行事が無事に終わったことに対し、幹事とか代表者が音頭を取り、手を打って締める。
手締めには、3種類あるとされる。三本締め、一本締め、そして一丁締め。
一本締めと一丁締めは、たまに混同されるが、一本締めが、パパパンパパパンパパパンパンで、一丁締めは、パン。三本締めは、一本締めを3回、合いの手を入れつつ、行う。
先輩は、一丁締めのことを、一本締めだと思い込んでいる。何度指摘しても直さないが、ハジメは、何度も訂正する。
「1発は、一丁締めですよ。」
「わかっとる。一丁締めや。」
手をさすり、
「それでは、お手を拝借。いよー。」
パン!