レベル上げ
この作品は、フィクションです。作品に登場する人物名・団体名・その他名称などは架空であり、実在する人物・団体・その他名称などとは一切関係ありません。
「この切子細工みたいなんは、なんて書いてるんや。」
「え?」
切子細工のように見えるが、これは、この世界の文字だ。ハジメには、読めるし、おそらく書ける。かける自信がある。それが『秩序の女神の加護』によるものなら、加護のない先輩は、読み書きができないということだ。
なぜ。
言葉は、通じている。
あの一新が、この世界への順応だったとして、読み書きまでは、カバーしていないってことだな。よし、それなら。
地面に、文字を書いた。
『先輩のバカ』
「先輩、読めますか?」
ゴツン!
「痛ッ。」
拳骨を食らった。
「読めるんですか?」
「いや。なんとなく、バカにされているのだけはわかった。」
勘の鋭いやつめ。
「俺は読めるんで、打合せは、俺がやっておきますよ。」
「そうか。すまんな。ありがとう。頼むわ。」
役所の担当者やら、大工やらと、門の修繕の打合せを進める。修繕というよりは、もう、新設だ。煩わしい手続きや書類の不要な、現場回しだけで成り立つ仕事の、なんと気楽なものか。
原始的、は言い過ぎか。中世レベルの技術でありながら、かつ、魔法による近代的な建築技術もあり、そのバランスが、とても面白い。
ハジメは、楽しくて、没頭してしまった。
修繕工事の間、先輩は、日が落ちる前に線を引いて、日が昇ると線を消す、を繰り返していた。昼間は、どこで何をしているのか、さっぱり分からない。門の守りは、日中は、衛兵が固めている。門番をしているわけでもない。
ハジメは、工事に熱中して、先輩が何をしているか、気にも留めていなかった。
修繕工事が佳境を迎え、乗り越え、そしてようやく、ひと段落着いた。後は、レリーフが出来上がってくるのを待って、女神様の加護をどうするか、という、職人や神官たちとの打合せがメインとなり、ハジメとしては、お役御免のような感じだ。
そういえば、先輩は、何をしているのだろう。
ようやく、疑問に思い、晩飯の際に、それとなく先輩に確かめてみると、
「レベル上げしよる。」
と答えた。
先輩は、この世界の、レベルが上がる、というシステムに、何か思うところがあるようで、努力への報酬なのか、努力への冒涜なのかを、はっきりさせようとしている、らしい。何をどうはっきりさせたいのかは、よくわからない。
しかし、歩いて行ける距離でエンカウントするモンスターは、どれも経験値が少ないらしく、いくら倒しても、レベルが上がらないと文句を言った。近くの森に現れる、角が生えた犬や、隈取模様の顔の猿などは、倒し過ぎて、もしかしたら絶滅してしまったかも知れない、という。しかし、ハジメは、先輩を恐れて出てこなくなったものと推察した。
レベルがなかなか上がらないのは、一気にレベルが上がっていて、次のレベルアップに必要な経験値がたくさん必要になっているから、だろう。しかし、レベル1の時も、レベル21の今も、強さが変わった感覚がない、という。
もしかして、『たびびと』は、どんなにレベルを上げても、ステータスが変わらないのだろうか、とハジメは思った。しかし、『傲慢』だしなあ。強くなったかどうか、わからないのかもしれない。
そんなことよりも。
「先輩。ヤニはいいんですか?」
「あ!」
ヤニが欲しいなあ、と思っていても、身体が欲していないから、吸わなくても、平気でいられる。
「健康的になったもんやな。」
「俺も、レベル上げに連れて行ってくださいよ。」
「おー、そやな。明日いくか。」
次の日は、レベル上げに行くことが決まった。
翌朝。
門の前にできている人だかりをかき分けていくと、門の前に、女が立っていた。
真っ赤な長い髪。真っ赤な瞳。背は、高め。スタイルは、マントに隠れて、よくわからない。そういえば、マントは、首なし死体のマントに、よく似ている。
「どしたんや。なんやあいつは。」
「どうかしたんですか?」
近くの衛兵に聞いてみると、朝イチの巡回の時は居なかった、という。番所で、ちょうど朝食を食べ終わった頃に、門の前に誰かいる、と町の人が飛び込んできた。慌てて、門に来てみると、外に女がひとり、立っているというのだ。
女は、見るからに一般人ではない。
そうこうしているうちに、だんだん、野次馬が集まってきた。
どうしようかと、思っていたところに、ハジメたちがやってきた。
「なるほど、わかりました。」
「何しに来たんか、問うてみるか?」
「そうですね。」
「おーい、この町に、何か用かー?」
大声で、先輩が尋ねると、
「勇者を出せ!」
と返事が返ってきたが、
「なんやあいつ。ひとの質問に、ちゃんと答えられんのか。」
先輩は、返事ではない、と機嫌を悪くした。
「やから、何しにきたんやーて、きいとるんやー!」
「いいから勇者を出せ!」
カッチーン、という音が、ハジメの耳にだけ、聞こえた。
「ちょっと行ってくるわ、はじめ。」
「いやいや、落ち着いてください。勇者は俺なんで。」
「ほんなこつ言うたかて、あいつ、多分、レベル高いぞ。はじめは、まだレベル上げしてないんやから。ちょっと待っとけ。すぐ片付くけん。」
「すぐ片付くでしょうけど。やっぱり、俺、勇者なんで。名指しで出て来いって言われている以上、隠れているのは、流石にダサくないスか?」
「オトコの子やのー。そこまで言うんなら、しょうがなない。やけどまあ、死ぬなよ。」
「先輩の後ろにいます。」
「それはそれでどうなんや。」
「いのちだいじに。」
「なるほどなあ。」
「あ、俺って、その線越えても、大丈夫なんですか?」
「出るんは、出れるんちゃうかー。知らんけど。」
「じゃあ、線の手前でいます。」
「へいへい。」
先輩が、線を越えた。
「お前が勇者か!?」
「いいや。俺は、勇者の連れの、アラン・ドロンです。」
「ならば、貴様でもいい!わが夫をどうした!?」
アラン・ドロンが通っちゃったよ。先輩も、ああそうか、こいつは知らんのか、って顔をしているけど、訂正する気はなさそうだ。そのまんま、アラン・ドロンで通すつもりだ。
「知らんな。」
十中八九、あの首なし死体のことだろうけど、先輩は、そのことには気づいていない。そういえば、あの死体は確か、町の中で埋めて、蘇ってきてもイヤだから、町の外に捨てたんだっけ。その辺に捨てようとして、臭いがしてもあれだから、そこそこ離れたところまで持って行ったんだ。
「嘘を吐くな!」
「知らんもんは知らん。」
「強情な男め!」
「跨ぐなよ。」
「ほざけ!」
女は、なんだかゴテゴテした、仰々しく、そして禍々しい鞭を取り出して、大きく振りかぶった。
先輩は、一歩下がって、線の内側に入った。
次の瞬間、ばちぃん、と大きな音がした。野次馬たちは、みんな、耳を塞いで、うずくまった。鞭は、先の方から順繰りに、ボロボロと崩れ落ちていった。
「おのれ!」
女は、刺突に特化した剣を抜いた。フェンシングでみる奴だ。三銃士の奴。レイピアだっけ。ベースは黒で、赤を使ったような色味。
女が抜いた剣の観察ができるくらい、時間に余裕がある。女は、二の足を踏んでいる。突っ込んでこない。分かっているのだ。この線がどういうものか。鞭を使って、自分で実際に確かめたのだ。
「はじめ。あの剣でええか?」
先輩は、学習している。ツンツン頭の剣を折って、失敗したことから、学習している。あの剣を狙っている。
「勇者っぽくないですね。」
誠に勝手ながら、個人の見解として、レイピアは、勇者っぽくない。
「贅沢やのー。」
先輩が、また線の外に出た。
女は、それを見計らって、一気に距離を詰めて、一直線に、先輩を刺しにきた。
剣身が、大きくたわんで、しなって、ぼよよーん、と遥か遠くへ、飛んで行った。
たわむ、は固いものが曲がることで、しなる、は柔らかいものが曲がること。この場合は、どちらなのか、判別がつかなかったため、両方で表現した。
「何?」
女は、固まってしまった。
「察するに、旦那がどっかに行ってしもたんやな。どこ行ったんか、俺は知らん。けど、事情も事情や。かわいそうやし、見逃してやろう。」
ポン、と女の肩を叩き、
「次はないぞ。」
あ、警告だ。
先輩は、仕事の取引において、警告2回で退場を採用している。
退場。
1回警告して、同じようなことをもう1度行った場合、退場になる。作業員なら、出入り禁止。業者なら、取引停止。もしくは、先輩の現場において、3次下請けまで入れなくなる。重層下請構造の改善が叫ばれるこの時代、会社として、4次以降は、ほぼなしとしている為、出入り禁止と同義だ。
どこかの監督は、スリーアウトチェンジ方式を採用していた。この場合、仏の顔も三度まで、である。そして、退場ではなく、交代だ。作業員なら、一旦出入り禁止で、ほとぼりが冷めたら、またチャンスをもらえる。業者なら、競合他社に切り替わり、その会社が3アウトになった場合、またチャンスが巡ってくる。
先輩の場合は、2回で退場扱い。悪質な場合は、一発退場もありうる。
そこそこ厳しい。
先輩は、女に警告した。
いつもそうだが、先輩は、強制はしない。するなよ、ではない。次はないぞ、なんだ。最後通牒である。指示に、従うか従わないかは、相手に委ねる。しかし、警告した以上、それを破れば、退場処分とする。開戦やむなし。
先輩は言う。自分に、服従させる権力はない。だが、主張する権利はある。会社にも言ってある。自分の仕事のやり方に協力ができないものとは、一緒に仕事はできない。そいつ(または、そこ)を使うか、俺が辞めるか。どちらかだ、と。
胡麻すりで成り上がった、と揶揄されることの多い、竹丸と言う部長がいた。竹丸は、そんなことを言っていても、いざとなれば言うことを聞くだろうと、先輩の主張を退けたことがある。
そう、大体は、口だけの連中ばかりだ。大口をたたく奴は、大体、その通りではない。普段から、格好をつけたことを言っている奴ほど、いざとなれば逃げだす。しかし、先輩は、この国では珍しく、有言実行型だった。
その日のうちに、机からロッカーから何もかもを片付けて、翌日から、先輩は有給の消化に入った。後日、郵送で、退職届が、本社の総務部に届く。
先輩は、社内きっての稼ぎ頭だ。実績が物語っている。社内社外問わず、一目も二目も置かれている。
会社は、竹丸部長を呼び出し、翻意を取り付けてくるよう、厳命した。
世に言う、竹丸土下座事変である。
先輩は、竹丸を土下座させてやった、と武勇伝として、語ったことはない。
先輩は、土下座までさせたことを部長に謝った上で、部長がそこまでの覚悟ならと、自らの主張を取り下げた。
先輩は、先輩の定めたルールに則って、生きている。
相手がどうこうではなく、相手の行動を自分のルールに照らし合わせた上で、どう対処するか決めている。
女には、警告した。
イエローカード2枚で退場だ。この世界において、退場に相当する処分とは、すなわち、死だ。これは、多分とか、おそらくとか、推測の範疇ではない。間違いない。先輩はそうする。
女は、自らの行動を決める権利がある。自由がある。ただし、その選択の結果、どうなるのかは、受け容れなければならない。
つまり、結論から言うと、女は死んだ。
先輩のレベルは、2つ上がって、レベル23になった。
「はじめ。あの剣、拾いに行こうや。」
「そうですね。俺も贅沢言わず、あの剣にします。」
「あの剣を売って、小マシな装備を揃えようや。」
「それもいいですね。」
ハジメは、線をこえて、女だったものを乗り越えた。
自分も早く、レベルを上げよう、と思った。