旅立ち
この作品は、フィクションです。作品に登場する人物名・団体名・その他名称などは架空であり、実在する人物・団体・その他名称などとは一切関係ありません。
「あれ?」
「あれ?とちゃうわ。クローラーを、どっから入れるって?」
「いや、え?」
ヘルメットの上から、拳骨を食らった。
「いてっ。」
「クローラー!クレーン!100tの!」
「えっと、向こうの、」
と指差した方向を見て、絶句した。さっきまで、工事現場にいた筈なのに。
「ん?なんやここ。高級風俗の待合室か。」
先輩も気づいたようだ。妙なところにいる。先輩は、腕を組み、憮然として、眉間に皺を寄せている。だだっ広い、ぴかぴかに磨かれた石造りの、何やらハイソサエティな場所。
「ようこそ、勇者よ。」
上から、声が聞こえてきた。見上げると、まばゆい光に包まれた、一般の人は着ないであろう派手なドレスに身を包んだ女性が、ゆっくり、ゆっくりと下りてきた。
「誕生日のキャバ嬢か。」
先輩の例えが、妙にしっくりきた。
「あなた方は、あなた方の世界で、死にました。」
「あ?」
「え?」
「そして、転生し、ここへやってきたのです。」
これは、もしや、異世界転生?夢じゃないよな?と思っていると、先輩が、おそらく女神様だと思われる女性に詰め寄っていく。
「どこのダンプや。」
「え?」
「だから、どこのダンプや?」
「え?いや。」
「えー、とか、いやー、じゃないわ。どこのダンプや。現場ン中で危ない運転しやがって。お前の差し金か。」
どんどん詰め寄っていく。
「いや、ち、違います!あの、ちょっ、勇者さん!」
女神様が、助けを求めてきた。そうか、俺は勇者なのか。勇者として転生したのか。じゃあ、先輩は、と先輩を見る。とても機嫌が悪そうだ。こういう時の先輩とは、関わりたくない。
「お前じゃ話にならん。責任者呼んで来い。」
女神様は、おろおろ、まごまごしている。
「使えんのー。」
先輩がこっち見た。
「はじめぇ。朝ほら、1台、荒い運転してた奴おったなー。徐行するように、注意しとけって言っといた奴。あいつやろ。赤かったから、エーシンさんとこのか。」
はじめ、というのは、俺の名前だ。漢数字で一と書いて、はじめ。
「エーシンさんとこやから、岡本っさんとこの専務に言うたらええんか。いやもう社長になってたっけ。」
そして、どこだどこだ、とポケットをまさぐっている。ダンプに轢かれたと決まったわけではないが、先輩は、ダンプが犯人だと、決めつけているようだ。
「スマホ、事務所に置いてきたんかのー。はじめぇ。ちょっと、岡本っさんとこに、電話してくれ。」
こういう時の先輩に頼まれたら、断らない方がいい。スマホを取り出そうとしたが、いつも入れている作業着の右ポケットに、入っていない。
「あれ?」
コホン、と女神様は咳払いをして、
「あなた方の世界のものは、こちらに持ってこれません。」
と言った。
そういえば、さっきまでかぶっていたヘルメットがない。掛けていたメガネもなくなっている。それなのに、よく見える。
「え?あれ?」
先輩が、素っ裸で、腕組仁王立ちをしている。
「え?え?」
自分は、いや、自分も裸だ!
「えー?」
ふむ、と先輩は、口をもごもごさせて、
「銀歯がない。」
と言った。舌で、探っていたらしい。
「虫歯も治っている。」
なるほどなるほど、と頷いて、納得している。
「先輩、なんで丸出しが平気なんですか。」
大事な部分を隠して、ジト目で先輩のいちもつをみた。大きくもなければ小さくもない。普通だ。態度はでかいが、サイズは普通。
「なんや?」
「なんでもありません。」
先輩は、ここで大きなため息を吐いた。
「まあええわ。死んでしまったもんはしゃーない。許しちゃるか。見た感じ、ここは天国か。天国に行けるとは思わんかったけど、あんな生き方でも、行けるもんなんやな。」
なぁ、はじめ、と先輩が笑顔を見せた。よかった。機嫌が直った。
「いいえ。ここは、天国ではありません。」
と女神様。
「あなた方は、転生したのです。そして、勇者よ、あなたは、使命を果たさなければなりません。」
「え?俺?」
「はい。あなたが、この世界を救う勇者です。」
「え?先輩は…。」
横目で先輩を見ると、女神様が詰め寄ってきた。
「あなたが勇者です。あなたがこの世界を救う、勇者様なのです。」
「あれー?」
なんだか、消去法で選ばれたような気がしてきたぞ。
「それでは、加護と贈り物を授けましょう。」
どこからか、立派な、ゴテゴテした杖が現れると、それを持って、神主さんのように、振るった。
ぱぁ、と一瞬、体が光った。
➡ハジメは、『秩序の女神の加護』を得た。
➡ハジメは、女神からの贈り物、称号『勇者』を得た。
「え?」
何、今の。
「さあ、旅立つのです!」
「裸でか?」
女神様の決めポーズに、先輩が水を差した。
「そ、そうでしたね。」
女神様は居直って、
「では、身なりを整えましょう。」
同じように、またゴテゴテした杖を振った。
先輩も、ぱぁ、と一瞬、体が光った。
➡ハジメは、『たびびとのふく』を装備した。
➡カオルは、『たびびとのふく』を装備した。
もう裸ではない。しかし、馴染みのない服を着て、コスプレでもしているような感覚に陥る。
ちなみに、カオルとは、先輩の名前だ。薫と書いて、かおる。およそ似つかわしくない名前。
「さあ、勇者よ。旅立つのです!」
「勇者の旅立ちに、丸腰で、こんな普通の恰好をさせるんか?」
「えっと…。」
「勇者と呼ぶからには、もっと相応しいものを揃えられんのか。こんなダサいもん着せて。」
また、先輩が水を差した。しかし、その通りだ。自分は、レトロなRPGをたくさんプレイしてしまっていて、勇者の旅立ちで、与えられる装備はこんなものだよな、と納得していた。でも、これは、ゲームではない。何でもない村からスタートするわけじゃない。女神様が、任命して、旅立たせようとしている。そこそこのものがないのは、どういう理由だ。
「それが、その、在庫がもうなくて。」
「在庫がない。」
「実は、勇者は、あなたで、103人目でして。」
「103人目。」
先輩が、女神様の言葉を繰り返す。
「その杖でもええぞ。」
先輩は、女神様の持っている杖を、あごで差した。
「こ、これはダメです。」
杖を先輩から守る女神様。
「あの、勇者の使命って、何ですか?やっぱり、魔王を倒すとかですか?」
目は口程に物を言う。先輩からの、そんな奴に敬語は不要だ、という視線を掻い潜る。
「その通りです!」
女神様の表情が、明るくなった。
「この世界では、平和と秩序の女神である私と、混沌と自由の女神が、対立しています。世界が、どちらかに偏らないように、均衡を保っていたのですが、今の魔王が出現し、その悪しき暴力により、世界のバランスが崩され、世界は今、混沌に満ちています。」
俺は、女神様の話を理解できているが、先輩は、多分、ちゃんと聞いていない。
「世界の均衡を取り戻すため、魔王に対抗する勇者を派遣したのですが、誰一人として、魔王を倒せませんでした。魔王と勇者は、この世にひとりずつ。私が、勇者という称号を、あなたに授けられるということは…。」
「ほんで、今までの勇者に、ええ武器を与え続けて、もうスッカラカンになったいうことか。負のスパイラルやんけ。うちのはじめに、丸腰で行けいうんか。」
「うっ。」
「まあまあ、先輩。ないものはしょうがないですよ。」
「杖があるやんけ。」
「これはダメです!」
先輩は、大きなため息をついて、
「はじめがええ言うんやったら、俺はもうこれ以上言わんけどな。」
女神様がホッとするのも束の間、
「俺には、なんかないんか。はじめを勇者にして、俺はどうするん。このままか。」
「勇者は、私からの贈り物として与えるものです。私の加護は、贈り物とセットです。与えられる加護には、制限があります。もう、勇者という称号を贈ってしまっていて、あなたへの贈り物がありません。本来、勇者候補は、ひとりで現れます。なぜ、今回は、あなたも一緒に現れたのか。」
「俺が死ぬ時に、ちょうど一緒にいたから、先輩を巻き込んでしまった、のか。」
恐る恐る先輩を見ると、先輩は、それほど気にしていないようで、
「はじめも死んどんやから、しゃーないやろ。」
と言ってくれた。
「それよりこいつや。仰々しげに、それらしく言うたけど、俺に、何んにも渡さんでええ理屈には、なっとらへんぞ。」
「うぐっ。」
「俺も、はじめと一緒に、この世界に放り出す気やろ。贅沢言わんから、なんか寄越せ。」
「私の加護は、私を信仰するものにしか授けることができません。信仰心がなければならないのです!」
「はじめにはあって、俺にはない言うんか。」
すごい。ダブルミーニングだ。
「ゆ、勇者ハジメに、栄光あれ!」
女神様は、杖を掲げた。
瞬間、光に包まれた。浮遊感、落下する瞬間の、あの嫌な浮遊感。下腹部が寒くなる、あれだ。
次の瞬間、俺たちは、大きな木の下にいた。
「あいつ、強硬手段に出やがった。」
先輩の眉間に寄せた皺が、濃く刻まれた。