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第九話:目には目を、歯には歯を

「よろしければ庭でもご覧になりませんか」

 オーティスがそう声を掛けられたのは、彼が婚約者のリーリエに会うためにオーランド伯爵家を訪れてから一時間ほどが経ったころだった。リーリエは外出しているとのことで、応接間で待たせてもらっている間、メイガンという名の執事がオーティスの相手をしてくれていたが、彼が退屈していないか案じた茶色い髪のメイドがそう言って案内を申し出てくれた。

「今はちょうど、薔薇が見頃なんですよ」

 対応にそつはないし、見た目も悪くないが、あまり愛想のないメイドだなと思いつつ、ほうとオーティスは相槌を打つ。

 赤、ピンク、白、紫、オレンジ、黄色――さほど大きくないながらもきちんと手入れされた庭に咲く花々を眺めながら、オーティスはメイドに誘われて歩く。淡い黄色の薔薇がふいに目に入り、彼は足を止めた。

「どうかなさいましたか?」

 いきなり立ち止まったオーティスを怪訝に思ったのか、メイドが振り返り彼へとそう問うてくる。

「いや……先日のリーリエ嬢のドレスに映えそうだと思っただけだよ」

 あの夜のリーリエの姿が、声が、言葉がオーティスの心に焼きついて離れなかった。こんなにも誰かに心を奪われたのはオーティスにとって初めての経験だった。いつもの快楽目的で遊ぶ少女たちに対してこんな想いを抱いたことはない。これは重症だなと思いつつも、視界に飛び込んでくる些細なものからも彼女を思わずにはいられない。

「お気に召されたのであれば、後ほどお持ち帰り用にブーケを作らせますね」

 メイド――セルマは黄色の薔薇の花言葉を思いながら、内心でほくそ笑む。彼女は十七本でブーケを作るように後でシャノンに伝えることに決めた。

 セルマは時折薔薇の解説を挟みながらオーティスを伴って、庭の隅の四阿へと向かって進んでゆく。そろそろよい頃合いのはずだった。

「あら」

 アーチ状に咲き誇る蔓薔薇の下をくぐり抜けるとセルマは足を止める。視線の先には四阿があり、そこには指を絡ませ合いながら仲睦まじそうに談笑する黒髪の少女と亜麻色の髪の青年の姿があった。

「どうかされましたか?」

 そう問うてきたオーティスに対し、セルマはわざとらしいくらいの不自然さを装いながら、

「いえ、なんでもございません。戻りましょうか。そろそろリーリエ様もお帰りになっておられるかもしれませんし」

 セルマの言動から何かを隠そうとしていることを嗅ぎ取ったオーティスは彼女とその主の思惑通り興味を示し、四阿のほうへと視線を向けた。

「あ……」

 オーティスは思わず声を漏らした。婚約者であるリーリエがどこかの貴族の令息と思しき青年に顔を寄せ、何かを囁いていた。青年の顔に触れそうなその唇は、清楚な薄桃色をしているにも関わらず、何だか妙に艶かしく見えた。

 呆然とするオーティスの顔にリーリエの緑色の視線が向けられた。彼女は彼の存在を認めると、特に慌てるふうもなく、くすりと笑ってみせた。

(この私が負けたというのか……こんなどこの馬の骨とも知らない輩などに……!)

 今までにオーティスの思い通りにならない女などいなかった。この容姿や侯爵家という身分、百戦錬磨のテクニックを持ってすれば、陥とせない女などいなかった。それなのに、目の前のこの光景はどういうことなのだろう。

 何かどろどろとしたどす黒い感情が腹の底で沸き立つのを感じる。それはオーティスが生まれて初めて感じる感情――嫉妬だった。

 どうすれば、自分の姿は彼女のその瞳に映してもらえるのだろう。どうすれば、彼女の心を自分へと向けることができるのだろう。どうすれば、自分が彼女にとっての一番になれるのだろう。

 これまでの人生において、色恋の相手に不自由せず、こういったことで悩んだことのなかったオーティスにはその答えがわからなかった。

「……っ……、失礼する」

 自分以外の男と仲睦まじげにするリーリエの姿を見ているのが辛くて、オーティスはそう告げると踵を返した。

「あっ……オーティス様っ!」

 狼狽えたようなメイドの娘の声が背後から追いかけてきたが、オーティスは足を止めることはなかった。

 オーティスの姿が遠ざかっていくのを見て、ふうとセルマは息を吐いた。四阿では亜麻色の髪の青年が肩を揺らしながら笑いを噛み殺している横で黒髪の少女がひどく疲れきった顔をしていた。

 程なくして屋敷の前に止まっていた馬車が遠ざかっていく音を聞いたセルマは改めて四阿へと近づく。

「エルム様、お疲れ様でした」

 セルマが黒髪の少女にそう声をかけると、彼は力ない笑みを浮かべながら、

「セルマこそいろいろありがとう。急な話だったのにシャノンも協力してくれて助かったよ」

「いやあ……エルム様の熱演、男だってわかっててもゾクゾクしちゃいましたよ。伯爵家の跡継ぎなんてやめて、俳優でも目指したらどうですか? 演技派の脇役、とかいかにもハマりそうじゃないですか」

「シャノン……それは褒めてるのか貶してるのか一体どっちなの……? それに僕の恋愛対象はちゃんと女の子なんだからそういうのやめて……僕、今そういうの間に合ってる……」

 シャノンの笑いを含んだ軽口にエルムはげんなりしながらそう返す。セルマがシャノンへとじっとりとした視線を向けると、彼は小さく肩をすくめた。

 エルムたちはオーティスへの仕返しのため、一芝居打った。アマラは他の使用人たちへの連絡、メイガンは応接間でのオーティスの相手、ルゼは四阿で茶の用意をし、セルマはエルムの着替えと庭でのオーティスの誘導、シャノンはエルムの浮気相手の男役――オーティスを快く思っていなかったオーランド伯爵家の使用人が一丸となって、エルムの指示の下、彼の策略に協力した。

 リーリエと彼女に扮したエルムがこれまでにされた仕打ちを一部とはいえ、そのままやり返してやっただけのことではあるが、エルムの狙い通り、ショックを受けた様子でオーティスは帰っていった。今までいい加減な扱いしかしてこなかった婚約者に対し、最近になって異常に関心を示すようになった彼にはいい薬になっただろうとエルムは思う。こんなふうに婚約者の浮気現場をありありと間近で見せつけられたら、普通はショックを受けて婚約について考え直すものだ。エルムが晴れてお役御免となるのももう時間の問題のはずだった。

「いやあ……リーリエ様があんなことになった諸悪の根源の色男がどんなもんかと思えば、エルム様の思惑にまんまと嵌められて逃げ帰るとか大したことなかったですね。それにしても……エルム様って悪女の才能もあるんじゃないですか? 最近、休憩時間にルゼが読んでる娯楽小説の悪役令嬢、みたいな……」

「あっ……! ちょっと、シャノンさん、失言ですよ」

 シャノンの軽率な発言をセルマがたしなめるが遅かった。エルムは、はははと乾いた笑い声を上げると、

「僕も本当にそう思うよ……ブリューテ国でもちょうどそういうの流行ってたしさ……」

「ええと……留学先で随分と最先端の文化を勉強なさってきたみたいですね……?」

 面白がってブリューテ国のいろいろな文化を留学生のエルムに友人のカイエルが吹き込んでくれたことが、無意識のうちに悪い方向へ活かされていることを思い、エルムは頭を抱える。色々とこんなはずではなかった。

 セルマは嘆息すると、

「エルム様、お部屋に戻って着替えましょう。その間にアマラにお茶を新しく用意させておきますから、しばらくゆっくりなさってください」

「うん……ありがとう、セルマ」

 エルムはセルマへとそう礼を述べる。さあ、とセルマに促されるままに虚ろな目で立ち上がると、彼女に誘われてエルムは屋敷の中へと戻っていった。


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