第四話:復讐の炎
エルムはリーリエの部屋を出ると、溜息をついた。
リーリエを追い詰めていたのはオーティスだけではなかった。まさか社交界において、その周囲からもそんな壮絶な嫌がらせを受けているとは想像していなかった。
許せなかった。そんなふうにリーリエを追い詰め、未遂に終わったとはいえ自殺にまで追い込んだ人々を絶対にエルムは許せないと思った。
「エルム様。リーリエ様とのお話は済まれたのですか?」
リーリエの部屋の前で待機していたメイガンにそう問われ、
「大方の話は聞いたよ。ただ、リーリエの調子が悪くなってしまって……」
「さようでしたか」
「ねえ、メイガン。さっき、リーリエから聞いたんだけれど、リーリエはオーティス様に蔑ろにされている上に、オーティス様の取り巻きの女性たちから陰湿な嫌がらせを受けているって、本当なの?」
エルムは先ほどリーリエ本人から聞かされた話の真偽のほどをメイガンへと問う。エルムはリーリエが嘘をつくはずはないと思っていたが、こればかりは違うと誰かに否定してもらいたかった。しかし、メイガンは重々しく頷き、肯定の意を示す。エルムの僅かな期待はあっさりと打ち砕かれた。
「ところで、エルム様。リーリエ様の髪をご覧になられましたか?」
「うん。せっかく綺麗な髪をしていたのに、どうしてあんな……」
「あれも、オーティス様の取り巻きの方たちにやられたものです。二週間ほど前の夜会の折のことです」
「そんな……!」
エルムは声を震わせた。
「そんなのもう犯罪じゃないか! 大体、どこかの屋敷での夜会なら、警備の者だっていたはずだろう! 何でそんな……」
「……オーティス様の取り巻きの御令嬢の一人のお屋敷での出来事でしたので、恐らく黙認されてしまったのでしょう」
「……許せない」
エルムは静かに怒りを募らせる。
「こんな婚約、すぐにでも解消するべきだ。いくら相手が格上の侯爵家だとしても、こんなんじゃこの先リーリエは絶対に幸せになれない。身も心も傷つき続けるだけだ」
「私もエルム様とは同意見でございますが、旦那様はリーリエ様のご婚約は解消するおつもりはないようでして……」
「何故だ! 自分の娘がこんなことになったっていうのに、父上は何を考えているんだ!」
「旦那様はリーリエ様のご婚約に際して、レンブラント侯爵家にいろいろと領地のことで便宜を図ってもらったとかで、こちらから婚約解消の申し入れはしづらいとのことでして……。リーリエ様のことは今回は表沙汰になさるおつもりもないようです」
エルムは歯噛みする。貴族は体面を重視する。そんなくだらないものによって雁字搦めにされて、リーリエは今のこの苦しみから逃れられないというのか。
何か策はないだろうか。エルムは逡巡し、はっとした。今、メイガンは何と言っていただろうか。
「ねえ、メイガン。リーリエの婚約って、こちらからは断れなくても、先方からの解消の申し入れがあった場合は別だよね?」
「ええ、そうですが……エルム様、一体何を?」
エルムの問いにメイガンは怪訝そうな顔で頷く。
「メイガン、僕に黒髪のウィッグを作ってくれ」
「ウィッグ、ですか?」
「ああ。僕とリーリエは髪色以外はよく似ているし、背だってそんなに変わらない」
リーリエは黒髪、エルムは赤毛と髪色こそ異なっているが、一卵性双生児の二人はそれ以外は非常によく似ている。男性にしては小柄なエルムは、リーリエと比較してもその身長差は僅か五センチ程度であり、おそらくは靴のヒールの高さでごまかせる程度の誤差だ。幸か不幸かあまり男らしい体格に恵まれなかったため、多少の工夫は必要かもしれないが、女性ものの衣服もその気になれば着られないこともないと思われた。
「まさか……エルム様、リーリエ様になりすまして何かを……?」
恐る恐るといったふうにメイガンはエルムへそう問うた。その目には止めるべきか止めないべきかという感情と立場の葛藤が揺れている。
「ああ、そのまさかだよ。僕はしばらくリーリエと入れ替わって、オーティス様と交流し、向こうから婚約解消を申し入れてもらえるように仕向けようと思う」
エルムは決然とそう言い放った。
オーティスとリーリエの婚約を解消したいのはもちろんだが、彼やその周囲に対してせめて一矢報いることができれば、ともエルムは思っていた。
髪に白いものが混ざった初老の執事は、やれやれと肩を竦める。エルムの意志は強いと悟ってのことだった。
「仕方ありませんね。先日の夜会の後に、職人に整えさせたときのリーリエ様の髪があります。それを使ってウィッグを作るよう手配いたしましょう。
それに、私自身も使用人の皆もこのままではリーリエ様があまりに不憫でなりません。旦那様とて、本心ではこのようにリーリエ様を苦しめるオーティス様に怒りを覚えておられるはずですから」
現状誰も何もできずにただリーリエ様のご様子を見守ることしかできなかったのです、とメイガンは言う。
「大丈夫。僕が絶対にどうにかしてみせるから」
リーリエをこの苦しみから解き放ってあげられるのは僕しかいない。リーリエのために、必ず彼女のこの縁談を破談にしてみせるとエルムは己の心に強く誓った。