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致命的な再会と依頼

時系列を遡ること、三カ月ほど。季節は秋。僕と新条さんが再会した話。

「あれー、広瀬くんだ」

仕事が終わり、僕は駅へ向かって、オフィス街を歩いていた。すると、突然声をかけられたのだが、それが誰なのかすぐに分かった。高音で甘えるような声。だからと言って不快ではない。ただ、女受けは物凄い悪いのだろうな、という印象。そんな声質を持った人間を、僕は一人しか知らない。


振り返ってその姿を確認すると、奇抜な服装に明るい桜色に髪を染めた女性が立っていた。

「新条先輩…?」

「そうそう、私のこと覚えてたー? 嬉しいなぁ」

僕は意外過ぎる再会に何も言えずにいたが、新条先輩は先週も会った人間に接すような態度で、さらに声をかけてきた。


「こんなところで、何しているの? あ、スーツってことは仕事? 真面目なサラリーマンって感じだねぇ。ぴったりぴったり。あはははっ」


新条さんは僕に接近すると、どういうつもりなのかネクタイの辺りに触れてきた。その瞬間、僅かに香水の香りが漂い、思わず息を飲む。先輩こそ、ここで何をしているのですか…といった質問くらい出てきて良いものだが、僕は喉が詰まったように、空気を吸ったり吐いたりするだけで、挙動不審な姿を見せることになった。だが、新条さんはそんなことを僕を見ても、不快感を顔に出すことなく、のんびりとした声で言う。


「懐かしいねぇ。また皆と遊びたいなぁ」

「そうですね、懐かしいですね」


学生時代、僕の周辺で誰よりもモテていた新条さん。そのキャラクター性により、うちのサークルは壊滅するのではないか、と思えるほど、傾国の美女っぷりを発揮し、次々と人間関係を破壊して行った。そんな人を前にして僕は、上手く言葉が出てこなくてオウム返しするしかなかった。

その後も新条さんが、二つか三つの話題を振ってきたが、僕はそんな調子だったので、空気はどんどん盛り下がった。流石の新条さんも笑顔が引きつり始め、気まずそうに話を区切った。


「じゃあ、また今度ね」


新条さんは小さく手を振って、その場から去っていく。

また皆と遊びたい。また今度。そんなことを言っていたが、これが社交辞令だということは、もちろん理解している。だって、新条さんの連絡先なんて、僕は知らないから。


それでも、僕は今夜眠るとき「今日は良い一日だった」と思い返せるだろう。なぜなら、仕事場以外で女性と関わることはないし、新条さんみたいな美人と会話するなんて、下手をしたら今後一生ないかもしれないから。そんな僕みたいな人間にとっては、ご褒美みたいな時間だったのである。


僅かな名残惜しさを感じながら、新条さんの背中を見送っていると、彼女が突然立ち止まった。そして、何か思い止まることがあるのか、その背中には葛藤らしいものが見える気がした。

どうしたのだろうか、と見守っていると、彼女は勢いよく振り返った。そのとき、おっとりとした彼女の性格からは想像できないような、決意に満ちた表情が見えた気がした。

だが、すぐに笑顔を浮かべると、早足でこちらに戻ってくる。


「ねぇ、そう言えば私、広瀬くんの連絡先、知らないんだけど」

「あ、はい。そうでしたね」


何かの気まぐれだろうか。連絡先を交換しながら、このときはそんな風に思った。しかし、次の週末に新条さんから連絡があった。


「明日会えない?」

新条さんの性格や見てくれからは、想像できないような簡素なメッセージ。なぜ、彼女から連絡がくるのか理解できず、僕は混乱したが、断る理由もなかったので会うことにした。

「お願いがあるんだけどさ」


挨拶も短く、彼女は切り出した。もしかして、何かの勧誘だろうか、と手遅れなタイミングで察する。噂には聞いていたけれど、こういうことって本当にあるんだな、と僕は心の中で肩を落とした。しかし、彼女のお願いは僕が想像していたものとは、少し違ったものだった。


「少しの間、私の彼氏になってもらえない?」

少し顔を赤らめる新条さん。だが、僕の方はもっと赤くなっているだろう。

「あの、ごめんなさい。勘違いしないでほしんだけど、あくまで期間限定というか、事情があってね」と新条さんは手を仰いで、何かを打ち消そうとしていた。


勘違いしないでほしいんだけど。この言葉はなかなか刺さったが、確かに後少しで勘違いするところだった。早目に釘を刺してくれてありがとう。そう言うべきだったかもしれない。

「ど、どういうことですか?」

僕は何とか自分を落ち着かせながら、彼女の言う事情に耳を傾けることにした。




新条さんは現在、一人の男に言い寄られているらしい。恐らく、さらに何名かはいるのだろうけれど、その中でも厄介なやつが一人いる、という意味のようだ。とにかく、その一人は思いっ切り交際を断ったのだが、まだしつこく言い寄ってきて困っているそうだ。


「その人ね、私にまともな彼氏がいるなら、諦められるかもしれないって言ってたの。だから、そのときの勢いで凄く真面目で性格も優しい彼氏がいる、って言っちゃったのね。でも、そんな人、私の知り合いにいないの」


それを聞いて、彼女から何を求められているのか、数秒だけ考えた。答えを出すには、十分すぎる時間と言えた。


「つまり、僕に偽彼氏を演じてもらいたい、ってことですか?」

「そうなの! すごーい、よく分かったね!」


僕は笑顔で頷く。彼女の欲していることを理解できたことに喜び感じているが、どこか寂しさのようなものもあった。何というか、分かっているが、男としては相手にされていない感じがあるから、だろうか。


「でも、僕じゃなくても、その役目ができる知り合いは、いくらでもいるのでは?」

新条さんのために一肌脱ごう、と考える男は腐るほどいるはずなのだが、彼女は首を横に振る。

「いないことはないけれど、変にお願いすると、面倒なことになっちゃうかもしれないからさ」


面倒なこと。それは偽彼氏を演じた男が本気になってしまう、ということだろう。いや、ちょっと待て。そんなこと、僕にだって言えることではないか。


「広瀬くんはさ」


僕の心情を察したのか、新条先輩は補足するように付け加えた。

「沙耶ちゃんのこと、大好きだったじゃん。そんな人が、私のこと好きになるわけないでしょ」

それを聞いて、僕は少しだけ納得した。




高梨沙耶。つまりは、このときから三カ月後、僕に同棲を持ちかけてきた沙耶先輩のことだ。沙耶先輩と新条さんが犬猿の仲…というよりは、沙耶先輩が一方的に新条さんを敵視していたことは、公然の事実だった。そうなってしまった理由は、色々あったのだろうけれど、一番の原因は沙耶先輩が当時付き合っていた、柊木湊斗が関係していた。


沙耶先輩、新条さんは同じサークルに所属していた(僕も所属していた)。それなのに、沙耶先輩の彼氏であるはずの柊木さんが、新条さんのことを好きになってしまったらしいのだ。それで浮気をした…のかどうか分からないが、沙耶先輩を裏切るような行為があった、という話だった。沙耶先輩と柊さんは、高校からの付き合いだったにも関わらず、だ。


新条さんから何かしらのアプローチがあったのかは不明だ。でも、沙耶先輩は新条さんに強い苦手意識を持って、そのままサークルを去った。そのとき、ずっと沙耶先輩に片思いをしていた僕は、この瞬間こそチャンスだ、と思って交際を申し込んだこともあったが、結局はフラれてしまい、彼女が大学を卒業したこともあって、少しずつ疎遠になってしまったのである。


僕が沙耶先輩に恋心を抱いていたことは、誰もが知っていることで、そのことで多くの人にからかわれた。新条さんがそれについて触れることはなかったが、今になって、こんな形で僕と沙耶先輩の関係を、彼女が話題に出してくるとは、思いもしなかった。




とにかく、こんな経緯があって、僕は新条さんの偽彼氏を務めることになった。もし、三カ月後に沙耶先輩と再会し、同棲まで始めると知っていたのなら、きっと僕はこの依頼は断っているだろう。いや、断っていたはずだ。ただ、その三カ月の差は僕にとって致命的なものだった。

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