約束 誓い 願い
沙耶と広瀬くんの関係は、大学を卒業してからも続いていた。沙耶は奏人くんのことで何かあると、必ずと言って良いほど、広瀬くんに連絡しているみたいだった。沙耶から「広瀬くんに話を聞いてもらった」と言われる度に、話し相手なら、私でも良いはずではないか、という妙な不満を抱いた。
沙耶にとって、広瀬くんがどういう存在なのか、私はやはり理解できないままだった。ただ、沙耶と広瀬くんの親密度が上がっている、という状況は、沙耶と奏人くんの関係が悪化しっていることを意味していた。
そんな中、なぜか私と哲が復縁する。社会人として働き始め、日々が乾いて行くような不安を覚えた矢先に、哲が現れた。そのせいで、復縁はスムーズだった。捨てられたことも、簡単に忘れてしまったくらいに。
ただ、哲はまともに働いていなかった。音楽をやる、と言ってはアルバイトで食いつなぐ。そんな彼の生活を見ていると、お互いの価値観にずれがあるように感じ始めた。
くたくたになるまで働いて帰って、哲に誘われると、何だか苛立った。
遅くまで何をしているわけでもなく起きていられると、何だか苛立った。
お金の使い方が大雑把だと、何だか苛立った。
そんなことばかり目立って、一緒にいると心が乱れてばかりだということに気付く。きっと復縁したら、日々の癒しを得られるのではないか、と思っていたのに。
そんな最低な気分で日々を過ごしていると、久しぶりに沙耶から連絡があった。何だか嬉しくなって電話に出てみたら、お互いの現状を確認し合ったり、想い出を話すわけでもなければ、久しぶりに会わないか、という誘いでもなかった。
「どうしよう、広瀬くんに告白された」
「あー、そう」
何を今更。そう思うと、素っ気ない声しか出てこなかった。
「驚かないの?」
沙耶は意外そうだった。広瀬くんの告白が意外だと思うとしたら、たぶん彼女だけだろう。
「付き合ってみたら?」
「えっ、どうして?」
「よく分からないけれど、二人とも仲が良いじゃん。案外、上手く行くかもよ?」
「あー…」
私の言葉に沙耶は明らかに声を落とした。まるで、それは聞き飽きた、といった具合に。
「でも、そういう気持ちにはなれないよ、私は」
それは少し理解できた。私にも経験がないわけではない。きっと、沙耶は広瀬くんに対して、女としての心の衝動らしいものを感じられないのだろう。何かが違う。いくら好意を向けられても、恋に落ちることはない。そういう異性がいるのだ。それを沙耶に話すと彼女は共感してくれた。
「そういう人って、後で面倒になるから、ちゃんと距離を取った方が良いよ」
これも共感してもらえると思って言ったのだが、沙耶はどこか腑に落ちないようだった。
「広瀬くんは大丈夫だよ、たぶん」
今度は私が理解に苦しむ。だって、大丈夫で済むわけがないじゃないか。色恋が絡むと大抵は面倒になる。ややこしくなって、お互いが傷付く前に、距離を作る方が絶対に正しいはずだ。しかし、沙耶と広瀬くんの関係は暫く続いた。
それからは、奏人くんの話になった。今度は共感する点が多く、私も興に乗った。
「もしかして、奏人くん…まともに働いていないの?」
「うん。分かる?」
「分かるよ、哲も一緒だから」
「えー!」
殆ど同じ熱量で行われる会話。沙耶の話は私が経験したことがあるものだったし、私が話すことは沙耶が経験したことがあるものだったからだ。
「この前、会社の人に…少しだけ話したらさ、絶対に別れろって言われちゃったよ」
この言葉…どっちが言い出したのだろうか。私が言ったような気がするし、沙耶が言ったような気もする。それくらい私たちは共感し合っていた。自分と同じ人生が、別の場所に存在している、と思えるほどに。だから、私たちは励まし合えた。部分的に理解できないことはもちろんあるが、強い信頼がそこにあったのだ。
「結局、別れちゃった」
沙耶がそう言って泣いた日も、私は自分のことのように心が痛かった。これは未来の自分の姿かもしれない。そんな風に思うと、耐えられなくて、二人で泣いた。それから、私も沙耶も別れては復縁するというパターンを繰り返した。原因は浮気か生活に対する価値観の違い。価値観とは主に将来のビジョンみたいな部分だろう。
怒ったり悲しんだり、何度も繰り返したせいで、私と哲の関係、沙耶と奏人くんの関係も、少しずつ変わった。好きだとか嫌いだとか、そういうものではない。また、恋人だとか元カレだとか、そんな言葉でも表せなくなっていた。
それなのに、私も沙耶も「最後に落ち着く場所は決まっている」と考えていた。
私も沙耶も、別の恋人がいた期間がなかったわけではない。恋人だったり、恋人のような人だったり、とにかく自分の寂しさを一時的に慰めてくれる相手がいる、という期間はあった。しかし、その期間は短く、すぐに関係は解消されてしまう。
なぜなのか。私の場合は、答えが明白だった。どこかで「今はこの人と一緒にいるが、最終的に私が落ち着く場所は、哲がいるところだ」という考えがあるからだ。
不思議なことに、そういう気持ちは言葉にしなかったとしても、相手に伝わるらしい。気付かれてしまうと、相手は精神が不安定に陥ってしまい、どちらかが耐えられなくなって別れを切り出すのだ。そのせいで、何人もの人を傷付けてしまった。たぶん、沙耶も似たような感じだろう。
誰かを傷付け、罪悪感を背負って、精神的な負担を重ねるくらいなら、何とか独りで生きてみよう。そんなときに限って、哲は帰ってくる。
ある日のこと、私が哲と復縁し、殆ど同じタイミングで、沙耶も奏人くんと復縁した、というタイミングがあった。さらに、短期間で同じタイミングで破局。これには、二人で笑ってしまった。
きっと、こんな日々がまだ続くのだろう。幸福とは言えないが、滑稽でどこか愛おしい日々。それでも、いつかは自分たちが描いた幸せがやってくる。
そんな風に思っていても、三十歳という漠然とした節目が近付き、心の隅にある不安を意識せずにはいられなかった。
そして、この日…沙耶の部屋で飲みながら、男運の悪さについて語り合った。周りには、そんな男はやめろと言われるのに、どうして私たちは見切りを付けないのだろう、と。誰々にはこんな風に言われた、と近しい人たちからの有り難いアドバイスを一通り笑い飛ばした後、何だか疲れてお互いが黙ってしまう。そんな沈黙が、自分たちが目を背けている虚しさを浮上させてしまうようで、何か話題が必要だった。そんなとき、どちらかが言った。
「約束しない?」
「どんな?」
「私は絶対にあいつのこと、諦めない。いつか結婚する」
「周りにこれだけ反対されているのに?」
「だからこそだよ。私たちは間違っていなかった、って証明するの」
「二人で、絶対に諦めないって約束する、ってこと?」
「うん。もし一人が諦めたら、もう一人の幸せを否定することになる。そう考えたら、最後まで頑張れる気がしない?」
「……うん」
そんなやり取りの後、沙耶が力強く頷き、改めて宣言したことは、よく覚えている。
「私は絶対に奏人と結婚する。それまで、他の人と付き合ったりしないよ。だから、美和子は…」
私も頷いた。
「うん。私も絶対に哲と結婚する」
微笑み合う私たち。そして、どちらかが言った。
「この約束が破られない限り、私たちは絶対に幸せになれる。私たちの今までが、間違っていなかったことを証明しよう」
それから、沙耶の行動は徹底していた。あれだけ可愛がっていた広瀬くんとも疎遠になっていくほど。
それなのに、私はこの約束を破った。苦楽を最も分かち合った親友のことを裏切って、別の男と結婚したのだ。そして、その男も裏切ってしまったのである。




