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七 西四宮(一)

 (ろう)国王宮の三分の一を占める内廷の(こう)()殿(でん)は、前王が討たれたのちに職を辞した者が多くおり、現在は通常の半分以下の官吏で動いている。

 前王の時代は後宮として使われていた西四宮は、元々大勢の内官、宮官が暮らしていたが、(りょう)()が即位すると同時に妃たちは皆王宮から追放され、大勢の者が出て行った。残った宮官たちは他の殿舎へ配置換えとなり、西四宮は(じゅん)()の死と同時に廃墟と化した。

 妃として入宮した(れん)()(せき)()(ぐう)に入ることになったのは、西四宮の殿舎がどれも利用できる状態ではないことと、東四宮の宮官を西四宮に回すだけの人員の余裕がなかったことも上げられる。

 そうはいっても、国の中心である王宮が、王の交代によって後進したとあっては潦国の威信に関わる。

 稜雅も長く西四宮を放置しておくつもりはなかったが、すぐには使用しないからと殿中省にすべての管理を任せておくことにしていた。

 管理とはいっても、衛士による見回りだけだ。

 (かん)(きん)の乱の際に王宮の中でも特に多くの血が流れた西四宮は、無残にも焼け落ちた殿舎がそのまま放置されていることもあって、夜になると死んだ宮女の泣き声や悲鳴が響くだの、幽鬼がさまよっているだの、鬼火が浮かんでいるのを見たのだのと、ここ数日怪しげな噂が宮中で広がっている。

 怪談は西四宮に人を近寄らせない効果があるとして、稜雅は噂を放置していた。

 鬼火は殿舎を見回っている衛士の篝火の炎だろうし、女の泣き声や悲鳴は風の音だろう。

 人死にがある場所では、幽鬼や(せい)()を見たという者が必ずひとりやふたりは出てくる。特に西四宮はここ数日に限らず、そういった噂に事欠かない。

 妙な噂があれば、蓮花もすぐには西四宮を後宮として再建するとは言わなくなるかもしれない、と稜雅は期待していた。

 それなのに付け火が発生するとは、予想外もいいところだ。


「あそこが、西四宮ですの?」


 部屋から出た蓮花は、(きん)()が慌てて持ってきた襦を羽織りながら、夕焼けのように赤く染まる空に視線を向けた。

 火の手はかなり広がっているのか、立ち上る煙が赤鴉宮までに流れてきている。

 木が燃える臭いに顔を顰めた蓮花が、袖で鼻と口を覆う。


「思ったより、酷いな」


 稜雅も眉を(ひそ)めた。

 篝火を持って走る衛士たちと、水桶と持って走る男たちの怒声が響く。

 西四宮には井戸や池があるが、消火には足りないのだろう。

 大きな水桶を抱えた男たちの形相から、火事場の混乱ぶりが伺い知れる。


「あ、(ねい)(ねい)! 駄目よ!」


 なにを思ったのか、猫の甯々が蓮花の足下をすり抜けた部屋から飛び出し、そのまま庭へと駆けていく。


「誰か、あの猫を追え」


 稜雅が命じると、衛士のひとりが「猫?」と甯々の異形さに怪訝な表情を浮かべたものの、すぐさま薄暗い庭を走り出した。


「甯々! 待って!」


 蓮花も甯々を追っていこうとしたので、すぐさま稜雅が捕まえる。


「離してくださいな!」

「夜の宮殿内は危ない。消火作業の邪魔になるし、君は迷子にもなるぞ」


 実際、蓮花はまだ王宮内のほんの一部しか歩いていないし、夜になれば周囲の景色の見え方が大きく変わる。

 到底ひとりでは歩かせられる場所ではない。

 桓邸ならば夜にひとりで庭を散策することもできただろうが、赤鴉宮は内廷とはいえ、夜でも大勢の者が出入りしているのだ。

 もちろん、兇手の存在もあり得る。


「その前に甯々が迷子になってしまいますわ!」

「衛士が追っていったから、そのうち捕まえて戻ってくるだろう」

「甯々はわたしと芹那にしか懐いていないんですのよ!? 他の人には噛みついたりひっかいたりするんですから!」

「それは痛そうだ。気をつけるよう、伝えておこう」

「気をつけるって、どうしますのよ!? 甯々に乱暴なことをしないで!」


 蓮花が騒ぎながら自分で甯々を探しに行こうとするので、稜雅は仕方なく彼女を抱き上げた。


「ちょっと――――!」


 そのまま稜雅の肩に担ぎ上げられた蓮花は手足をばたつかせながら抗議をしたが、稜雅は無視した。

 別に背中を叩かれたり腹を蹴られたりしても、蓮花の力では痛くも痒くもない。


「甯々――――――っ! 戻ってきなさい!」


 まるで人攫いにあって生き別れてしまいそうな勢いで蓮花は殿舎中に響くほどの大声で叫ぶ。

 それを背後で見ている芹那は、我関せずといった表情だ。

 何事かと女官たちがわらわらと赤鴉宮に集まってくる。彼女たちは西四宮で火の手が上がっていることを聞いているのか、風呂敷に包んだ荷物を持っており、いつでも避難できるという様子だ。

 すっぴんの女官長の姿もあったが、女官や衛士たちは彼女の素顔を知らないのか「あれは誰だ」という表情を浮かべている。

 女官長は自分の普段とはまったく異なる姿に気づかれたくないのか、賢明にも騒々しい国王夫妻には近づいてこない。


「どうしよう……甯々が火事に巻き込まれて火傷をしてしまうかもしれないわ」


 稜雅に担ぎ上げられたまま、蓮花は珍しくうろたえた様子で訴えた。


「動物は自ら火に近づくことはしないんじゃないのか?」


 飼い猫になっているとはいえ、動物ならば野生の本能が残っているはずだ。

 火事に驚いて部屋から飛び出したとしても、甯々が西四宮へ向かうことはないだろうと稜雅は考えた。


「でも、西()()()には幽鬼とか精魅とかがいるのでしょう?」

「いるという噂はあるが……古い城では、怪談のふたつやみっつ、どこでもあるものではないのか? それに、怪談と甯々にどのような関係があるんだ?」


 過去に妃のひとりが溺死した池、女官が身を投げた井戸、なにものかに毒を盛られた内侍省内侍の死体が出ただのと、枚挙にいとまがない。

 王宮とは古くから魑魅魍魎が跋扈する場所であり、人の死にはあるていど鈍感でなければ暮らしていけないものだ。


「甯々は、幽鬼や精魅が好きなんですの」


 稜雅の耳元で蓮花がぼそぼそと告げる。


「あ?」


 言われた意味がわからず、稜雅は蓮花を廊下に下ろした。


「好き、というのは、見るのが好き、ということか? まさか、猫が幽鬼を見物して喜ぶのか?」

「違いますわ。好物なんですの。……食べますの」

「……食べる? 幽鬼を?」

「精魅も食べますわ。美味しいみたいで、魚よりも喜んで食べますの」

「それは…………悪食だな」


 古い書物に、かつて方士は精魅を退治したのちそれを食べていた、と記されているのを読んだことはあったが、それは人の話だ。その方士も十分悪食だと稜雅は思ったものだが、いくら猫が雑食とはいえ、幽鬼を食するとは聞いたことがない。


「甯々はちょっと変わっているから」

()()()()、ね」

「精魅の気配や臭いがすると、木天蓼(またたび)の匂いを嗅いだかのように目の色を変えてそちらに飛んで行ってしまうんですの。きっといまも、幽鬼か精魅の気配がしたんだわ」

「夜だからか?」

「よくわからないけれど、夜になると幽鬼や精魅は活動的になるでしょう? それに、西四宮にはたくさんの幽鬼がいるという話だし」


 あやかしなどに動物が敏感に反応することは稜雅も知っている。

 それは基本的に、動物にとってもあやかしが危険な存在だからだ。

 ところが甯々は、そんな危険な存在をまるで鼠でも狩るように見つけ出して食べるのだという。


「いずれは西四宮に方士を呼んで幽鬼を祓わせるつもりだったが、甯々がいればいずれ一掃されるのか?」

「いっぺんには無理ですわ。甯々は幽鬼や精魅を追いかけ回して遊んで、最後は弱ったところを食べるから、見境なく次々と食べる真似はしないと思いますわ」

「食べるのを見たことがあるのか?」

「なんどか。坎巾の乱で市中に不穏な空気が漂っていた頃は、あちらこちらに幽鬼が精魅が出ていましたの。うちの庭にも精魅が入り込んできたのだけど、甯々ったらそれを見つけた途端に喉を鳴らして追いかけ始めたんですのよ」

「それは……頼もしいな」


 一目見たときから普通ではないと思っていたが、やはり甯々は尋常ならざる存在だったか、と稜雅は納得した。


「とりあえず、甯々は衛士が保護するか西四宮に入るのを阻止するだろうから、そう心配するな」

「でも……」


 気休めのような稜雅の言葉に蓮花が不満を漏らそうとしたときだった。


「陛下! (きん)(しゅう)(ぐう)の隅に隠れていた怪しい者を捕らえたとの報告が入りました!」


 衛士のひとりが、大声で報告した。

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