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四十八 後宮(四)

 吐き気と頭痛と目眩でふらつく身体を叱りつけながら、(れん)()はゆっくりと立ち上がった。

 (ねい)(ねい)はどうすればよいか教えてくれた。

 それは、蓮花が行動することを期待していたからだ。

 しかしきっと彼は、「本当にやったんだな」と笑うだろう。

 かつて彼がくれた精魅図鑑をすべて読み終えたと話したときのように、「本当に精魅に興味があるんだな」と驚きながら笑っていたときのように。


()(よう)。わたしは、後宮の主人かしら」


 緩慢な動きで(ちょう)(しゅん)(ぐう)の縁側へと向かいながら、蓮花は芙蓉に尋ねる。


「はい。あなた様は、王妃様ですから」


 満足げな芙蓉の声が背中に響く。


「そう。では、わたしがこの後宮を壊しても構わないわね」


 長春宮の一番精緻な彫刻の扉の前に、大きな古びた薬玉が吊られている。

 なぜかそれは反乱軍の兵士たちも手を出さなかったらしく、まったく汚れたり傷つけられたりすることなく扉の前に飾られている。

 鞠のように丸い部分は紙に色を塗った花を飾っているが、どれも長い年月を経て色あせている。この薬玉は毎年新調するのではなく、ずっと同じ物を飾り続けているようだ。この薬玉の紐の部分に、赤鉄鉱の石が連なっている。

 ここは王妃の部屋なのだろう。

 もし西(にし)(よん)(ぐう)が反乱によって壊されていなければ、蓮花が入るはずだった部屋。


「封印を解いてくださいませ、王妃様」


 芙蓉が切望した声で叫ぶ。


「それが最後の封印です」


 蓮花は薬玉に手を伸ばすと、飾りの紐を掴み、全体重をかけて引っ張った。

 古くなった薬玉の紐は蓮花に引っ張られるとぷつんと切れ、丸い鞠の部分が床に落ちてばらばらに崩れた。紙の花は板の上に散らばり、微風に吹かれて廊下に広がる。

 鞠の中からは香木があふれ出し、さらに屑石のように小さな赤鉄鉱が飛び出してきた。


「これが、封印?」


 赤鉄鉱のかけらを指で摘まんだ蓮花が呟いたときだった。

 どんっと下から突き上げるような大きな振動が起きた。


(え――――!?)


 ぐらぐらと激しく地面が揺れていた。

 同時に、殿舎や庭の木々も大きく揺れている。


(地震!?)


 慌てて蓮花は立ち上がろうとするが、大きな揺れに足を掬われた。なんとか這ってでも建物の中から出ようとするが、大きな揺れと同時に柱や壁、床がみしみしと音を立て、恐怖で手足が動かない。逃げなければとは頭でわかっているが、身体が言うことをきかないのだ。

 振り返ってみれば、芙蓉はせわしなく辺りを見回しており、蓮花に手を差し伸べようという気はないらしい。

 庭の土はめりめりと音を立て、亀裂が走る。


(りょう)()! 助けて!)


 心の中で叫んでも、すぐに助けがこないことはわかっていた。

 (たい)()殿(でん)で政務に励んでいる稜雅が、西四宮まですぐに駆けつけられるものではないし、彼は蓮花が(せき)()(ぐう)で休んでいると思っているはずだ。


(ここから、逃げないと…………)


 どんっと大きな揺れが再度起きた。

 蓮花の目の前で屋根瓦ががちゃがちゃと割れながら落ちてゆく。

 土壁にも罅が入り、土埃が舞い上がる。

 空はいきなり夜の帳で覆われたように暗くなった。


「あ、あぁ……ご主人様……」


 (そん)(まつ)()が恍惚の表情で呻くような声を上げる。

 その視線の先に目を向けた蓮花は、(じゅん)()の死体の回りに黒い(もや)が集まり始めていることに気づいた。

 地震は次第に小刻みになっている。

 隼暉のそばの地面に亀裂が入った辺りから次々と染み出すように黒い靄が現れ、ゆっくりと塊になろうとしていた。


(あれが、()の呪い……)


 この西四宮の下に埋められるようにして封印されていたのか、と蓮花は悟った。

 だから、夢の中で黒い塊は西四宮をうろついていたのだ。


「さすがです、王妃様」


 芙蓉は抑揚のない声で告げる。

 黒い靄が隼暉の身体を飲み込むように包むと、(しかばね)は溶けるように靄の中に消えていく。

 隼暉だったものがすべて靄の中に取り込まれると、今度は巽茉梨の足下に靄は這っていく。足の先からゆっくりと蛇のようにぐるぐると巽茉梨の身体に巻き付いた靄は、そのまま彼女を取り込んだ。

 黒い靄が動くと、呪物である腕輪だけが地面に落ちる。

 芙蓉はそれを黙って見つめていた。姉が最初から呪いに喰われつもりでわかっていたような顔をしていた。

 隼暉と芙蓉を飲み込んだ靄は、大きく成長し、成人男性の二倍くらいに膨れた。


「……これから、どうなるの?」


 黒い靄がどこを見ているのかはわからないが、なにかを探しているような辺りを見回すそぶりはしている。


「さぁ」


 芙蓉は特に計画などないと言った様子だ。


「いずれ、王と(めい)(てん)(しゅう)が異変に気づいてここへやってくるでしょう。それまで王妃様にはご無事でいていただきたいもので――――」


 芙蓉の話が途絶えたのは、靄が彼女を頭から飲み込んだからだ。

 それはまるで大蛇のように、大きな口を開けてずるりと芙蓉を一飲みした。


「――――!」


 息を飲んだ蓮花は、床に伏せたまま黒い靄を睨んだ。

 蛇のような姿になった呪いは、ずりずりと耳障りな音を立てて辺りに餌がないかを探しているようだ。

 それは、昨日長春宮の柳の下で見かけた蛇を彷彿させた。


(そういえば昨日、甯々が蛇に向かって威嚇していたけれど、あれはまさか呪いだったから……)


 小さな蛇の姿をしている間に甯々は呪いを食べてしまおうとしたのだろうか、と蓮花が考えていると、ざざっと音を立てて瓦が屋根の上から大量に滑り落ちてきた。


「きゃ……っ」


 瓦の破片が蓮花の顔に当たりかけたので腕で顔面を覆いながら思わず声を上げてしまった。

 その瞬間、声を聞きつけたように靄はずずっと動いて蓮花の方を向く。


(どういうこと!? これでは、呪いが祓われる前にわたしが食べられてしまうではないの!?)


 なにも策を持たずに長春宮の封印を解いた蓮花だったが、まさか自分を唆した芙蓉が呪いによって喰われてしまうとは思いもしなかった。

 芙蓉が稜雅や暝天衆を西四宮に呼び寄せる手段を持っているのだろうと期待していたが、それがあったのかどうかもいまとなっては怪しい。


(なんてことかしら!)


 頭の中は混乱しているし、身体はすくんで動けない。

 蓮花は身じろぎできないまま、黒い靄にできるだけ見つからないようにと願うしかない。

 しかし、黒い靄はずるずると這いながらまっすぐ蓮花へと向かってくる。


(甯々! ここからどうしたら良いの!?)


 苛立ちながら心の中で蓮花が叫んだときだった。

 ぴちゃん、と水音が響く。

 そして、黒い靄の前に赤い水たまりが現れる。


(あれは……血)


 夢で見た光景と同じだ。


「では、これは、夢……?」


 思わず蓮花が声を出したときだった。


「いいや。ここは()()()()(はざ)()だ」


 男の声が蓮花の頭上から響いた。

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