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四十五 後宮(一)

 (きん)()がいなくなると、部屋の中は静かになった。

 (さかずき)の水を飲み干してしまった(れん)()は、自ら水差しの水を注ぐため緩慢な動きで寝台から出ようとした。調子が悪いわけではないのに、身体が重かった。


「王妃様。少々よろしいでしょうか」


 扉の向こう側で声が響いたため「どうぞ」と蓮花は答える。

 静かに開いた扉の向こうには、()(よう)が立っていた。

 彼女は血と泥で汚れた布を抱えている。

 それが(そん)(まつ)()(じゅ)(くん)であることに蓮花が気づくのに、多少時間がかかった。


「刑部から姉が消えたと聞きました。残っていた物はこれだけであると」


 外が薄曇りのせいか、部屋の中は薄暗い。

 部屋に入ってきた芙蓉の顔は陰になっており、彼女がどのような表情をしているかは蓮花にははっきりと見えなかった。


「王妃様なら、姉を助けてくださると思っていたのですが」


 芙蓉は落ち着いた声音で話しながら静かに蓮花に近づいてきた。


「ごめんなさい。でも、わたしが口を挟む隙はなかったの」


 杯を脇机の上に置きながら蓮花が答える。


「そうですか。でも、姉は王妃様に助けていただきたかったのだと思います。姉を救えるのは、この国の妃になった方だけですから。姉は前王の妃でしたが、その王が死んだいま、姉は妃ではありません。妃でなくなった姉にできることは、ほとんどなかったはずです。きっと姉は、これを王妃様に渡したかったのではないかと思います」

「渡す……? なにを?」


 蓮花が首を傾げると、芙蓉は襦裙に包んでいたものを指で摘まんだ。

 それは黒い石をはめ込んだ腕輪だった。

 部屋の中でもかすかに輝いて見えるそれは、黒曜石をちりばめているようだ。


「これですわ」


 芙蓉は自分の顔の前に腕輪を掲げて見せた。


「この腕輪は古くから後宮に伝わる物です。長い間、御廟の中に祀られていたのですが、何年か前に持ち出した妃がいたそうです」

「御廟の中から……」


 蓮花は腕輪を凝視した。

 古くから後宮に伝わるというわりには、そう古い物には見えない。女物の腕輪らしく輪は小さく、黒曜石をぐるりと並べた簡素な装飾だからか年代を感じない。

 ただ、その腕輪の黒曜石が放つ輝きからはまがまがしい気配が漂っている。黒い(もや)のようなものが、腕輪を包んでいる。


(まさかこれが、(じゅん)()様の奥方に渡された呪物……)


 巽茉梨の手に渡っていたのか、と蓮花は息をのんだ。

 (ごう)は母親によって(ゆう)隼暉邸に持ち込まれた呪物のその後の行方を知らない様子だったが、誰かが後宮に戻し、そして巽茉梨がそれを持つようになったのだろう。

 どのような呪物かはわからないが、腕輪をした腕が袖の中に隠れてしまえば気づかれることはほとんどない。


「姉はこれをとても大切にしていました。ご主人様から与えられた物だから、ご主人様に認められた証しだから、と」

「ご主人様? それは、隼暉様のこと?」

「いいえ。違いますわ。姉は前王をそのように慕ったりはしていませんでした。姉が慕っていたのは、前王に取り憑いていた()()です」

「隼暉王に取り憑いていた()()……」


(そういえば、隼暉様のご遺体が消えたのよね。あれも、まさか巽妃と同じように溶けて消えたのかしら。隼暉様に取り憑いていたものと、巽妃が身につけていた呪物に繋がりがあるのであれば、ふたりが姿を消した方法が同じであっても不思議ではないわ)


 (りょう)()の話では、隼暉王は棺の中から忽然と消えたということだった。

 それはもしかしたら、棺の中に衣類は残っており、頭と身体は消えたという意味だったのかも知れない。

 衛士の誰も遺体を安置していた部屋から隼暉王が出て行くところを見ていないが、巽妃のように溶けて消えたのであれば誰の目にも触れることはない。


「姉は、王家に仇なすものを愛していたのです。前王が呪いによって死ねば、姉の愛は成就するはずでした。ところが前王は反乱軍の頭領によって殺され、姉の願いはかないませんでした。姉の手元にはこの腕輪だけが残され、前王の妃であったということで王宮に残ることが許されず、新王の慈悲をいただいて実家に帰されましたが、姉にしてみれば愛する方と引き離されたも同然となりました」


 芙蓉は腕輪の中から蓮花を見つめつつ語った。


「姉は前王の遺体に取り憑いているものを手に入れたいと考えるようになりました。そのためには、王宮に戻るしかない、と。さいわい、と言うべきか、姉は巽家では少々持て余された存在となっていましたから、わたくしが姉を屋敷から連れ出すのは簡単でした。姉はこの腕輪の力を試すべく、自分に害を加えていた使用人に呪いをかけましたが、それは成功して姉はこの呪物と一体になりつつありました」

「……一体?」


 腕輪が呪物であることは蓮花も理解できたが、それがどのように働くのかは想像ができなかった。

 かつて游隼暉の妻はこの腕輪を持ち帰ったことでどのような末路を迎えることになったのかも、(ねい)(ねい)や轟からは聞けていない。


「こう、です」


 芙蓉が声を発すると同時に、腕輪の空洞の部分からしゅるりと白い腕が伸びた。

 それは勢いよくうねりながら長い五本指を伸ばし、蓮花の細い首をがっつりと掴む。


「ぐっ!」


 一瞬息を詰まらせた蓮花は腕輪から伸びた腕の手首を両手で掴むが、彼女の首に絡みついた指は力を緩めることはなかった。


「姉は消えたのではありません。この腕輪の中に隠れただけです。いわれのない罪を着せられることに耐えられなくなり、姿を消しただけなのです」


(巽妃は妖術を仕えるようになっていたということ!?)


 ぎりぎりと締め上げてくる手の力は、とても女のものとは思えないほどの握力だ。

 この腕が巽妃のものなのか、それとも呪物に以前から宿っていた腕なのかはわからない。

 ただわかるのは、これがかつて游隼暉の妻に取り憑き、甯々とその相棒を殺したものだということだ。


「さぁ、王妃様。わたくしと一緒に来てください。そして、姉が慕うご主人様に会ってください。今宵は游王朝終焉の宴となるはずです」


 芙蓉は苦しむ蓮花を冷ややかに眺めながら、淡々と告げた。


「王妃様がいるべきは、(せき)()(ぐう)ではございません。後宮こそが王妃様の御座所であり、死を迎える場所です」

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