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三十三 長春宮(一)

「おはようございます、(れん)()様」


 聞き慣れた(きん)()の淡々とした声を耳にした蓮花は、嫌々ながら重い瞼を開けた。

 なぜか目と鼻の先に(ねい)(ねい)の顔がある。

 しかもかなり機嫌が悪そうだ。


(そういえば、甯々は昨夜(りょう)()に部屋から追い出されたんだったわね)


 甯々は大きな目をぎょろぎょろさせて部屋の中を見回している。

 稜雅の姿があればいますぐにでも噛みついてやるという勢いだが、残念ながら甯々の探しものは部屋から消えていた。


「おはよう」


 掛け布団をめくって上半身だけ起こした蓮花は、芹那までもがいつになく渋い顔をしていることに気づいた。

 そんなに自分は寝坊したのだろうか、と半分開いている障子窓の外に視線を向ければ、まだ日差しはそれほど高くなっていないように見える。いつもの芹那であれば、蓮花が昼になっても起きなければ無理矢理起こすのだが、女官長から早く起こすように注意されたのだろうか、と様子を窺う。


(ばく)様がいらしています」

「え? 博兄様が? ここに? (とう)兄様ではなく?」

「はい。しかもなぜか、あの腐れ外道方士まで連れています」

「腐れ……え? まさか(ごう)が一緒? なんで?」


 芹那が腐れ外道方士と呼ぶ相手は、当然ながら轟しか思い当たらない。

 蓮花の知り合いの方士と言えば芹那の父と轟だけで、芹那の父は現在のところ娘からは「化け猫」の異名を与えられている。芹那が甯々をその異名で呼ぶときはとにかく機嫌が悪い状態なので、甯々は「化け猫」と呼ばれた瞬間に毛を逆立てて直立不動になる。猫なのに、怯え方に人だった頃の名残がある。


「まったくわかりません。なんだって博様があの腐れ外道を連れているのか! なんだって王宮まで腐れ外道を連れてきたのか!」


 芹那は三回も腐れ外道を連呼した。

 よほど轟が王宮にやってきたのが気に入らないらしい。しかも博が連れてきたということが。


(轟がようやく、わたしが王宮に入ったことを知ったんでしょうけれど、それにしてもどうして博兄様が轟を王宮に連れて来ようと思ったのかは謎だわ)


 兄は(とく)(がく)(かん)の学生だが、学問以外については無頓着だ。困っている人に自ら声をかけて助けるなど一度もしたことはなく、例えば轟が王宮に行きたいから連れていって欲しいと頼んでも引き受けるような真似はしないはずだった。


(あの博兄様が――いえ、それ以前に轟が博兄様に王宮へ連れて行って欲しいと頼むところからして想像できないわ。そもそも博兄様と轟の会話が成立するとも思えないわ!)


 博に関しては、蓮花は自分以上の世間知らずで知識は豊富だが非常識な人間だと思っている。芹那に言わせれば蓮花の常識もほぼ非常識なのだそうだが、博はそれを上回っている。それについては芹那も否定しない。

 そして、博と会話が成立させられる人間は数えるほどしかいない。桓家のきょうだいと芹那くらいだ。

 そこに轟が加わったのであれば、芹那が苛立つのもわかるような気がした。


「ど腐れ外道なのに博様と一緒だなんて!」


 芹那が目をつり上げたので、甯々が怯えたように毛を逆立てる。どうやら蓮花を起こす前から、芹那は甯々に当たり散らしていたらしい。


(轟の外道としての腐れ具合が増したわね)


 どうやって博を懐柔したのか訊いてみたいと蓮花は考えたが、多分詳しい説明を求めたところで期待した答えは返ってこないだろう。轟と会話をするのは蓮花でも骨が折れる。芹那の父であればかつての相棒と自然な会話ができたのだろうが――案外、かみ合わない会話をしていた可能性がある。芹那の父と轟は親しい間柄というよりは、方士として仕事をする上で息が合っていただけなのだろう。

 芹那の父は笑顔で適当なことを喋るのが得意な人だった、と蓮花は甯々が芹那に締め上げられているのを横目に懐かしく思った。


「女官長様からは嫌味っぽいことも言われたんですよ。お妃様のお部屋には、陛下以外の殿方もたくさん通われているようですねって」


 王宮に入って三日目で女官長に皮肉られたことが芹那は悔しいらしい。

 なんといっても蓮花は桓宰相の愛娘であり王のたったひとりの妃で、芹那にしてみれば蓮花はこの王宮の女主人だ。それを女官長ごときが大きな顔をして侍女の自分に王妃への文句を零すなどとんでもない、ということらしい。


「身内が押しかけてきているだけじゃないの」

「ど腐れ外道は身内ではありません」

「芹那の身内の身内みたいなものじゃない?」

「まったく違います。甯々、そうよね!?」


 鬼気迫る勢いで芹那が甯々に尋ね、恐怖に怯えながら甯々がこくこくと頷く。

 どうも王宮に入ってからというもの、甯々がやたらと人間臭くなったように見えるのは、蓮花の気のせいではないはずだ。


(そういえば、昨夜夢の中で甯々がなにか喋っていたような気がするわ。なにを言っていたのかは思い出せないけれど)


 夢から覚めたあと、明け方まで稜雅と過ごしていたため、どんな夢だったかもきれいさっぱり忘れてしまった。


「そのうち轟をどうにかして王宮に呼ぼうと思っていたから、ちょうど良かったわ。透兄様に轟を連れてきて欲しいと頼むつもりだったけど、どうやって轟と連絡が取れるのかわからなかったのよね」

「透様はど腐れ外道方士のような如何わしい人間は避けて通る方ですから、お願いすることそのものが無理だったと思いますよ。博様は警戒心が薄い方ですが、誰とでも話をする方ではないですから、そもそもお願いできる方ではないと思いますが」


 芹那の博に対する評価は微妙だ。

 もともと博は屋敷で隠棲しているような男なので、二十二年という人生の大半を屋敷と篤学館の往復に費やしている。学者、教授、学生、家族、使用人でない者と博が話をすることはまずない。


「轟には、獄舎に入っていただいている(そん)妃と会ってもらおうと思ってるの」

「あぁ、なるほど」


 納得した様子の芹那と甯々が揃って頷く。


「あと、もし可能であれば(じゅん)()様のご遺体も轟に見てもらおうと思うの。甯々に見て貰うことも考えたのだけど、猫が取り憑いたものを調べますからご遺体を見せてくださいって説得するのはちょっと難しいかしらって思っていたところなのよ」

「旦那様は、甯々が猫だなんてまったく思っていないと思いますよ。猫だと言ってるのは、多分蓮花様だけです」

「別にわたしだって甯々が猫だなんて思っていないわよ。猫の姿をしている甯々だと思っているわ」

「いえ、猫の姿と言えるものではありません。これは」


 きっぱりと芹那が反論した。


「化け猫だと言うの?」

「全然猫に化けきれていないじゃないですか! 猫に失礼ですよ!」


 そんなことはない、という口調で甯々はぐるぅと唸った。


「可愛い猫のふりをしない! ちっとも可愛くないから!」


 辛辣な芹那の意見に、甯々は耳と尻尾を垂らした。

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