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三十二 赤鴉宮-残夜(二)

「ひとまずこれで保護者面する猫は追い払ったぞ」

「明日になったら、(ねい)(ねい)が復讐しに来ると思います。やられたらやり返す性格の猫なので」

「そうか」


 (れん)()のそばまで戻ってきた(りょう)()は、寝台の端にまた腰を下ろした。

 彼が首から提げた赤鉄鉱の護り石が手燭の炎を反射させて輝く。それは少年だった彼が初めて桓邸にやってきたときから肌身離さず身につけているもので、それだけは幼い蓮花がどれほど頼んでも貸してくれることがなかった物だ。

 石に映る炎のゆらめきを蓮花はぼんやりと見つめた。


「とりあえず、朝までここにいても良いか?」

「――――どうぞ」


 昨夜、妃が王を部屋から閉め出したことが王宮中の誰もが知るところになっている、と(とう)が刺繍をしながら話していたことを思い出し、蓮花は首を縦に振った。

 別に蓮花は閉め出すつもりはなかったのだが、眠かったのでさっさと布団に潜り込もうと部屋に入るときに普段の癖で扉を閉めたのがいけなかったらしい。王宮では妃は女官や侍女に扉の開け閉めを任せなければいけないようだ。そうでなければ女官や下女たちの仕事がなくなるそうだ。

 透に指摘されて「わかりました。じゃあ、次からはお兄様も挨拶だけして勝手に扉を開けて入ってくるのはやめてください」と蓮花が言ったところ、透は黙り込んだ。どうやら兄も、自宅の蓮花の部屋に出入りする感覚だったらしい。

 貴族の邸宅では、いくら深窓の令嬢でも自分で部屋の扉の開け閉めくらいはするものだ。門扉は門番に任せるが、自分の部屋の扉や窓は自分で開けなければ(きん)()から「それくらいはご自分でなさってください」と文句を言われる。

 そういえば稜雅は(かん)邸で暮らしていた頃から、蓮花の部屋に入る際は誰かが扉を開けるまでは廊下でおとなしく待っていた。

 蓮花はいつも兄たちの部屋に入るときと同じように勝手に扉を開けていたので、あの頃の稜雅は扉の開け閉めをしたことがないお坊ちゃんなのだと思っていた。


「蓮花は……俺が手紙の返事を送らなかったから怒っているのか?」


 上半身を起こしたままぼんやりしている蓮花の長い黒髪を指で摘まみ、稜雅がぼそりと尋ねた。


「え? いいえ。別に怒ってなどいません」

「そうなのか?」

「はい」


 蓮花が頷くと、稜雅はほっとしたように表情を緩めた。

 多分、昨夜蓮花が寝ぼけながら手紙の返事がなかったことを恨めしげに言ったので、気にしていたのだろう。


「蓮花から貰った手紙はいまでも大事に持っている」

「まぁ、そうなんですか」

「一緒に届く(きょう)からの手紙はほとんど焚き付けに使ったが」

「内容的に大事なのは父からの手紙でしょうに」


 国家機密が含まれる手紙だろうから、下手に残せないものもあるだろうが、重要なのは蓮花の日記のような近況報告ではないことは確かだ。


「享から一年ほど前に届いた手紙だけは、残しておいた。叔父を討てたら蓮花の婿にしてやってもいい、と書いてあったから、あとになってやっぱりやめたと言われないように証拠として保管してある」

「証拠?」

「享が反乱軍を支援していた証拠だ。蓮花の婿にしてやってもいい云々は、享がどう言おうと蓮花が嫌だと言えばそれまでだから」


 確かに、享が途中で反乱軍の支援から手を引けば困るのは稜雅だ。

 証拠となる手紙があれば、享が手紙は偽物だと言っても反乱軍を支援していたという疑惑は残る。


「わたしが父に言われるままおとなしく嫁いでくるとは思いませんでしたの?」

「蓮花は、自分が気に入らないことはしないだろう? いくら享が説得したところで、蓮花が嫌なら無理だろうとは思っていた。手紙を貰うたび、まだ俺のことを覚えてくれているんだと確認できて嬉しかったが、返事を書いても次に手紙が来なかったらどうしようと思って送れずにいた」


 稜雅は指に蓮花の髪を巻き付けながらぼそぼそと言い訳のように説明した。


「蓮花が俺のことを好きだと言ってくれたは、何年も前のことだ。それにあの頃は、享の屋敷で暮らしていた。都を離れた俺が国の辺境で、たいした後ろ盾もなく、下級兵士と変わらない暮らしをしていることを報せたら、愛想を尽かされるのではないかと不安だった。祖父が王だった頃は出世の道が開けそうだったのが、叔父の代になった途端にその道が閉ざされた。別に高官になりたかったわけではないが、手紙に書けるようなことはなにもなかったから…………享が反乱を起こせと手紙を寄越したとき、他に都へ戻る方法はないと思った」


 長く息を吐いた稜雅は、ゆっくりと蓮花の肩に自分の額を押しつけた。


「顔も知らない叔父に対しては身内という意識がなかったから、別に討つことに対して抵抗はなかったし、反乱が成功すれば辺境暮らしが長い俺だって英雄になれるし名声が手に入る。それでもう一度蓮花に会って……拒まれたら……終わりにすればいいと思った」


 なにを、と蓮花は口にして尋ねなかった。

 手を伸ばして稜雅の指先に触れると、驚くほどひんやりと冷たかった。


「君が無事なら、それで良かったんだ。俺のことは忘れてしまっていても、君が理不尽な目に遭っていなければ、幸せに暮らしているなら、それだけで良いと思った」

「わたしは稜雅が無事に帰ってきてくれたことが、とっても嬉しいわ」


 蓮花が耳元で囁くと、ようやく稜雅は顔を上げた。

 すこし悲嘆に暮れているようにも見えるその表情を眺めていると、ようやく少年の頃の稜雅が垣間見えて蓮花は嬉しくなった。


「あなたって、たまに無茶苦茶なことをするんだもの。前にうちの庭の百日紅(さるすべり)の木に(はし)()を使わず登って、てっぺんの枝を採ろうとしたじゃない」

「あれは君が、一番上の白い花がたくさん咲いている枝が欲しいと言ったから――」

「途中で足を滑らせて、木から落ちかけたじゃない」

「確かあのときは、透が俺の下敷きになったな」


 思い出したらおかしくなったのか、稜雅は顔を歪めて笑った。


「梯子を持ってきた下男が驚いて大声を上げるし、母は悲鳴を上げるし、わたしは叱られるしで、大変だったわ」

「そうだったか? あのときは、花を採ることができなかったのが悔しかったことしか覚えていないな」

「兄は怒って、しばらくはわたしと遊ばないって宣言していたわ。怪我をしたわけでもないのにね」

「確か透も俺もかすり傷だったな」


 ゆっくりと腕を伸ばした稜雅は、華奢な蓮花を抱え込むように腕の中に閉じ込めた。

 寝間着越しに伝わる体温を感じるだけで、蓮花は息が詰まりそうになる。


「もうすこししたら王宮の庭の百日紅の花も咲くだろうから、また蓮花のために木に登って採ろうか。今度こそ、いちばんてっぺんのやつを」

「てっぺんでなくていいわ」


 稜雅の胸に顔を押しつけたまま、蓮花は答える。


「別に、あのときだって百日紅の花が欲しかったわけではないんだもの」

「――――そうか」


 抱きしめる腕を緩めた稜雅は、「あとね――」とさらに喋ろうとする蓮花の口を自分の唇で封じて、尽きない思い出話を終わらせた。

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