二十九 赤鴉宮-薄暮(六)
「実感、ですか」
芹那が複雑な顔で聞き返す。
「八年くらい会っていなかったし、手紙も貰っていなかったら、目の前に現れた新しい王様が稜雅だって言われても、正直もう一度会えて嬉しいって気持ちが湧かないのよね。だって、子供の頃の面影はほとんどない大人になってるし、妃として迎えられたのって子供の頃の約束があったからではなくて政略的な理由だし、もしわたしのお父様が宰相をしていなかったら稜雅はわたしを妃として指名しなかっただろうし……」
「贅沢な悩みですね」
「そう……かしら」
「陛下がお聞きになったら大喜びしそうですが」
「笑われるような気がするわ」
蓮花がため息をつくと、ぐるるぅと甯々が慰めるように唸った。
「王宮は人が多くて落ち着かないし、陛下はお忙しそうだし、なにかと面白そうな騒動は起きるから楽しいけど、わたしって王宮になにしに来たのかしらって考えてしまうのよね」
「泊まりがけで遊びにきたわけではありませんよ」
芹那の指摘に、蓮花は苦笑した。
「それはわかっているわ。でも、ここには透兄様がしょっちゅう顔を出すし、お父様だってすぐ近くでお仕事をされているし、お母様だって招待すればすぐに来てくださるでしょうし、家にいるのとそう変わらない感じがするのよね」
「確かに、蓮花様が嫁いできたというよりは、陛下が婿入りしてきた感じですよね。新居を用意したのだって旦那様ですし」
仕方なく芹那は同意した。
この王宮の主人は王である稜雅だが、実権は桓享にある。しかも稜雅より長くこの王宮で過ごしている享は、王宮を知り尽くした存在だ。
赤鴉宮を稜雅と蓮花の居室としたのは享だし、国政を動かしているのも享だ。
「くつろげる場所ではないけどね」
王宮の庭は赤鴉宮の中に限っては広くて美しいし、泰和殿の喧噪とも離れている。
内官が多く働いているので人の気配はするが、蓮花の目に映る女官や衛士の数は限られている。
「本当に、わたしは王宮になにをしに来たのかしらね」
窓の外で暗闇を仄かに照らす釣り灯籠を見遣りながら、蓮花はぼやいた。
「明日は、西四宮まで散歩してみようかしら。ほら、前に轟が、甯々を後宮に連れて行くようにって言っていたでしょう?」
「あぁ、あの男ですか。一度蓮花様の前でぼそぼそとわけのわからないことを言い散らした後、まったく現れなくなった男ですね。あんな何処の馬の骨だかわからないような男の言うこと、放っておくべきですよ」
芹那は轟が気に入らないのか、すげなく言い放った。
甯々は芹那の口調に恐れをなしたのか、ぐるぅと唸りながら耳を垂れる。さすがに轟に同情したのだろうが、喋れないので代わりに反論してやることもできず、なんだか悲しそうだ。
「西四宮は小火でさらに崩れ落ちて、見るも無惨だって話ですよ」
「そのようね。でも、まずは状態を見てみないことには修繕が可能か、それとも一から建て直しが必要なのかはわからないじゃないの」
「蓮花様は、やはり後宮はあった方が良いとお考えですか?」
「多分、王宮には後宮という場所が必要なのよ」
甯々を撫でながら蓮花は静かに答えた。
「わたしが三食昼寝付きでお父様やお兄様にわずらわされずにのんびり過ごすためではなく、古くからこの王宮にあったなにかを置いておくための、鎮守のようななにかが」
「なにか、ですか」
「多分、御廟は後宮から移してはいけなかったのではないかしらね」
「それは鎮守のために、ですか」
「そうね。そんな気がするわ。だから、西四宮は燃えてしまったのかも。臆測でしかないけれど」
甯々はがぅとあまり出さない鳴き声を上げた。
「あら、甯々。轟に訊けと言っているの?」
甯々の声が「轟」と言っているように聞こえた蓮花が尋ねる。
それに対して甯々はぐるぅと喉を鳴らした。
「もうすこし甯々と話ができるようになると良いのだけど。文字盤でも作ってみたら、甯々と喋れるかしら」
「どうでしょうね。この化け猫にそこまでの知能があるかどうか」
「でも、甯々だし、できるかもしれないわ」
「文字盤で会話をするようになったらなったでうるさそうですよ」
嫌そうな表情を浮かべて、芹那が拒否する。
「それに、蓮花様はなにもされない方がよろしいと思います。あの腐れ外道方士を王宮に呼んで精魅なり幽鬼なりを始末させましょう」
「腐れ外道って……」
「あの男にはぴったりの呼び名だと思いませんか?」
「わたし、どういうのが腐れ外道なのかわからないから……」
たまに芹那は恐ろしい呼び名を付けるな、と蓮花は適当に受け流した。
「甯々! あなたはあの男が腐れ外道だと思うよね!?」
蓮花の同意が得られなかった芹那は、甯々を上から睨み付けながら気迫の籠もった声で訊ねる。
その目つきに恐れをなしたのか、甯々はおとなしく首を縦に振った。




