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二 赤鴉宮(一)

 (ろう)国の王都・(そく)()は、この三百年ほどの年月を経て王宮を中心として発展した。

 外廷である(たい)()殿(でん)の威風堂堂とした様は訪れる者を圧倒し、内廷である(こう)()殿(でん)の優美な様は華やかな宮廷生活そのものの象徴であると城下では語られている。

 一度でも王宮に出入りしたことがある者は、口を揃えて宮殿を賞賛した。それは世辞ではなく、潦国の象徴として贅を尽くした宮城に、国民として誇りを感じたからだという。


(いまの王宮には、かつての絢爛豪華な雰囲気はないわよね)


 大理石の回廊を稜雅に手を引かれながらゆっくりと歩き、(せき)()(ぐう)の正面まで辿り着いた蓮花は、辺りを見回しながら戦禍で傷ついた建物や庭を痛ましげに眺めた。

 (ゆう)隼暉(じゅんき)による暴政は約三年続いた。

 先々代の王の死去ののち、第八公子である隼暉が王位に就けたのは、他の公子が皆不慮の死を遂げていたからだ。

 (りょう)()の父・(ゆう)碇仆(ていふ)は、軍事訓練中にどこからともなく飛んできた矢に首を射られ死んだ。

 それが事故なのか仕組まれたものなのか、いまだに判明していない。

 ただひとつ明らかなことは、隼暉が異常なまでに王位を欲していたということだけだ。

 隼暉は即位すると、すぐさま貴族の子女を妃として後宮に集めたが、実態は人質だ。

 (かん)家も妃を出すよう隼暉から再三要請があったが、当主である宰相の(きょう)がのらりくらりと(かわ)し続けた。蓮花が十七になると、隼暉から蓮花を後宮に上げるよう矢の催促が入るようになったが、隼暉に見切りを付けた享が稜雅を焚き付けて反乱を起こさせた。

 最初は、隼暉を暗殺する計画もあったと蓮花は聞いている。

 ただその場合、稜雅を王に推す者は隼暉暗殺の一味として歴史に名を残すことになる。それは避けたいと考えた貴族たちは、稜雅を首魁とする反乱軍を結成し、正面から隼暉を討つことを決めた。

 反乱は王都だけではなく地方にも飛び火し、国内は疲弊した。

 最後は王宮に立て籠もっていた隼暉は、後宮にいた反乱に加担した貴族の娘を次々と殺害し、殿舎に油を撒いて火を放ったという。

 隼暉の終焉の場所となったのは、西四宮のひとつ玄冬宮だった。そこで妃のひとりに刺された隼暉は、むごたらしい姿となって入城した稜雅を迎えた。それでも虫の息があった隼暉の首を、稜雅は黙って切り落とした。


(いまの稜雅を見ていると、そんな修羅場をくぐり抜けてきたようには見えないのだけど)


 王に即位したのが疑わしいほどの軽装で赤鴉宮を歩く稜雅は、武人らしく鍛えた体躯の持ち主だ。かつて桓邸で匿われていた当時の少年の面影はほとんどない。青年になって声も低く太くなっており、周囲の態度から彼が游稜雅であろうと判断したが、懐かしいという感覚は湧かなかった。

 蓮花が知る過去の彼は、王位に就くことなどまったく考えてもいなかった。

 公子だった父の死後、しばらくは桓邸に身を潜めていたが、武官になりたいと言っては剣を振り回しているだけの少年だった。

 蓮花よりも五つ年上だが、あまり年の差を感じさせない子供っぽさがあり、蓮花は実の兄と比べて話しやすい稜雅のことが気に入っていた。


「ここが蓮花の部屋だ」


 廊下をしばらく歩き続け、さすがに王宮は桓邸よりも広いものだと感心していた蓮花は、稜雅の声につられるように視線を正面へと向けた。

 女官がふたり、(ひざまず)いて待ち構えている。


「あちらが俺の部屋だ」

「――は?」


 稜雅が指さす方向に目を遣った蓮花は、いぶかしげに首をひねった。

 彼が言うところの「あちら」は、蓮花の部屋のすぐ隣だ。


「わたしの部屋の隣、に見えますが」

「うん。隣だ」


 素直に稜雅が頷く。


「隣部屋の方がいろいろと便利だろう」

「――――なにが?」


 思わず貴族の姫らしからぬ低い声で蓮花は問い質した。

 貴族の屋敷では、夫婦の部屋を隣り合わせにすることはまずない。

 王宮では、王の居室を東の殿舎に、妃たちの居室を西の殿舎にするのが習わしとなっており、さすがに西四宮が火災により使えないとなれば蓮花の部屋が東四宮の殿舎に用意されているのは理解できるとしても、王の居室がある赤鴉宮の、しかも王の部屋の隣に用意されているなど前代未聞のはずだ。


「会いたいときにすぐ顔を見られる」

「東四宮には、他にも殿舎がありますよね? (たい)(さい)(ぐう)(たい)(はく)(ぐう)月魄(げっぱく)(ぐう)の三つは、どなたかお使いですか?」

「誰も使ってないが、赤鴉宮も空き部屋がたくさんあるから、こちらで一緒に暮らした方が警備も楽だし、女官の数もそう増やさずに済むだろう? 太白宮は屋根の修理が必要だし、月魄宮は塀が崩れ落ちているし、王妃が暮らすには不都合があるんだ」

「そうですか。で、なんでわたしの部屋が陛下の隣なんですか」

「そこが一番広い」

「一番広い部屋なら陛下が使えばいいじゃないですか!」

「俺は、広い部屋は落ち着かないんだ。どうせ、着替えて寝るだけの部屋だし」

「は、あ?」


 言い訳がましい稜雅を見上げた蓮花は、自分のために用意された部屋ではなく、隣の部屋の扉をさっと開けて覗き込む。

 中にはほとんど調度品はなく、()(しど)()(しょう)(びつ)があるだけの殺風景なものだった。なぜか寝台の横には剣や槍が並べてある。

 しかも、桓邸の物置よりも狭い。


「この辺りの部屋は最近まで物置として使っていたそうだ」

「えぇ……そんな感じですね……」


 ほんの半月前まで前王が使っていた部屋で寝起きするのはさすがに躊躇するが、物置として使われていた部屋を王と妃が使うのもどうかと蓮花は思った。

 稜雅は物置で寝起きしても気にしないかもしれないが、蓮花は大いに気にする。


「隣の部屋はかなり広いぞ」

「そういう問題じゃないんですけど」


 ぼやきながら蓮花が廊下に出ると、女官ふたりが音もなく王妃のために用意した部屋の扉を開けた。

 中には新しい調度品が並べられ、蓮花が桓邸から運ばせた愛用品の数々もすでに広げられている。

 確かに室内は奥行きがあり、広かった。

 衣装を入れた(うるし)()りの櫃が三つ並び、鏡台、()(でん)で飾った手鏡、円卓や椅子、文机、書棚などが置かれている。香炉や燭台も並んでおり、茶道具を収めた棚もある。円卓の上に置かれた青磁の花瓶には、黄色い菖蒲の花が二輪飾られている。

 贅を凝らした王妃の部屋と呼ぶにふさわしい設えだ。

 しかも、桓邸の蓮花の部屋の二倍以上の広さがある。

 奥は簾で区切られており、その向こう側に臥所があると思われた。

 はっきり言って、隣の稜雅の部屋とは雲泥の差だ。


(わたしの部屋はこれで良いとしても、王の部屋があれというのはどうかと思うわ……)


 いくら稜雅が狭い部屋で構わないと言っても、王の部屋らしくない。侍従の部屋でも狭いくらいだ。


「どうだ? 気に入ったか? 足りない物があればすぐに用意させるぞ?」


 蓮花の顔色を窺うように、稜雅が矢継ぎ早に尋ねる。


「えぇ、まぁ、気に入りました。ありがとうございます」


 ほとんど棒読みの口調で蓮花は答えた。

 一番気に入らないのは稜雅の部屋の隣であるということだが、それはいま文句を言うべきではないと思われたので、なんとか(こら)える。


「蓮花様。これはどこに置きましょうか」


 ずっとふたりの後をついて歩いていた蓮花の侍女の(きん)()が両腕で抱えていた竹籠を差し出しながら尋ねる。


「あぁ、(ねい)(ねい)ね」


 芹那の腕の中に視線をやった蓮花は、部屋の中に入りながら「出してあげて」と命じる。


「なんだ? それは」


 芹那が床に竹籠を下ろし蓋を開ける様子を、稜雅が物珍しげに眺める。


「猫の甯々です。六年ほど前から飼っているんですの。王宮に連れて行く許可は、父から貰っていますわ」

「もちろん、猫の一匹や二匹、連れてきて構わないが……雄か?」

「雄です」


 稜雅の問いに答えたのは芹那だった。

 蓮花は答えるのが面倒になったのか、優雅な仕草で椅子に座ると、女官が運んできた茶を飲み、蒸し饅頭に手を伸ばしている。


「雄だと、猫でも西四宮には入れない…………これが、猫か?」


 竹籠の中から芹那が抱き上げた四つ足の生き物を凝視した稜雅が、蓮花に尋ねる。


「猫です。可愛いでしょう」

「可愛いかどうかは別として……猫……か?」


 墨色のような毛にくすんだ金の瞳、ぴんと伸びた髭、垂れ気味の耳、なぜか口内から溢れている牙のような歯、それに肉球に隠れていない長い爪は、猫と呼ぶには異形だった。


「犬には見えないでしょう?」

「犬には見えないが、猫……にも見えない……こともない、か」


 蓮花の上目遣いの視線を感じ、彼女が猫と主張するなら猫ということにしよう、と稜雅は途中で考え直したらしい。

 甯々と呼ばれる異形の猫は、大きなあくびをすると、ぎろりと金の瞳で稜雅を睨んだ。


「甯々。今日からここでわたしたちは暮らすのよ。そこにいる見慣れない人は稜雅。この国の王様よ」

「蓮花。どうせなら、君の夫と紹介してくれないか?」

「あぁ――はい。甯々、この人はわたしの夫になる人だから、仲良くしてね」


 甯々は人語を理解しているのかしていないのか、稜雅をしばらく注視した後、ぎゅるる、と鳴いた。


「わかったって言ってますわ」

「鳴き声が猫とまったく違うように聞こえるんだが」

「甯々って独特の鳴き声で素敵でしょう?」

「そ、そうだな……うん、独特だな……」


 妃の機嫌を取るように、稜雅はこくこくと頷いた。

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