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十八 桓邸-回顧(一)

 自室で夕餉を食べ終えた(れん)()は、薄暗くなった庭を眺めながら小さくあくびをした。

 屋根の軒下に並んでいる釣り灯籠のぼんやりとした明かりが眠気を誘う。

 膝の上に(ねい)(ねい)を乗せて撫でていると、ますます睡魔が襲ってきた。


「そなた、昼過ぎに起きてきたのだろう? なのに、日没と同時に眠くなるとは、赤ん坊か?」


 蓮花の目の前には、長兄の(かん)(とう)が椅子に座ってふんぞり返っている。

 一応は臣下なのだから王妃の前ではもう少し神妙な態度を取るべきではないかと蓮花は思ったが、口うるさい兄に小言の種を与えるだけだと考え、言葉にするのはやめておいた。

 後宮があれば兄がこのように部屋に押しかけてくることもないだろうに、ともうひとつ出かけたあくびを肩巾(ひれ)で隠しながらため息をつく。

 王宮はなにもかも蓮花の想像とは違っていた。

 後宮は使えないし、昼寝をしている暇もない。一緒に茶を飲みながら会話を楽しむ妃もいない。

 わずらわしいことだけが目の前に山積しており、華やかな後宮生活とはほど遠いのが現実だ。


「いろいろとありまして、疲れましたの」


 ぼやくように蓮花が答えると、透は顔を顰めた。


(ゆう)(かい)(けい)のことか?」

「あら、もうお兄様の耳に入っていますのね」


 游会稽が送ってきた手紙の件だけか、御廟で待ち伏せていた件も報告を受けているのかわからず、蓮花は曖昧な返答をした。


「もちろんだ。游会稽が御廟でそなたに話しかけたというではないか」

「えぇ」


 一刻ほど前の出来事なので、透が知っていることそのものは特に不思議ではなかった。

 ここは王宮だ。

 内官や衛士たちは、常に王妃の周囲に目を光らせており、何事もなくても行動を逐次国王や宰相に報告する。王妃が誰に会ったか、どこへ行ったかなどは、なかなか秘密にできるものではない。


「王はかなり腹を立てていたぞ。次にそなたの前に游会稽が現れたら、すぐに捕縛するよう衛士に命じていた。そなたにも、次からはあの男を無視するように言うと息巻いていたぞ」

「そうですか。なのに、陛下はこちらにいらっしゃらず、お兄様だけが顔を見せにいらっしゃるとは、どういうことでしょう? わたし、今日は昼間にほんの少し陛下とお話をしただけですのよ?」

「王というのはとにかく忙しいんだ」

「なるほど。お兄様のようにわたしの部屋で刺繍をするほど暇を持て余してはいないということですのね」

「――――これは、息抜きだ」


 手元の刺繍針をせわしなく動かしながら、透はぶっきらぼうに答えた。

 宰相の嫡男である透の趣味は刺繍だ。

 いつでもどこでも隙間時間にできる趣味、と言って彼は刺繍をしている。桓家では、蓮花が刺繍糸や布、針などを注文し、透がそれらをすべて持ち出して刺繍をするということをしていた。

 男が刺繍なんて、と父は険しい顔をするようになって以降、透は刺繍をする際はいつも蓮花の部屋を使っていた。

 蓮花が王宮に引っ越した現在、透は嬉々として王妃の部屋に通い、仕事中でも息抜きと称して刺繍をするつもりなのだろう。

 王宮内にはいくらでも部屋が余っているのだから、透がひと部屋くらい自分の部屋として荷物を置いておいても問題はなさそうだが、彼は自分の刺繍道具を他人に見られるのを嫌う。蓮花の部屋であれば、大量の刺繍道具があっても王妃の趣味だと皆が思うだろうから、安心して置いておけるそうだ。

 透が刺繍した手巾や帯などは、すべて蓮花の創作物として周囲に配っている。

 なので、世間では桓家の令嬢は職人並みに刺繍が上手だと評判だ。

 いまだって、透は真っ白な絹の布に黙々と針を刺し、牡丹の花を咲かせようとしている。


「お兄様は、会稽殿にお会いになったことはありますの?」

「先日、父親の(むくろ)を引き取りたいと申し出てきたときに会った」


 緋色の牡丹に薄紅色の糸で陰影を付けながら透が答える。


「そのときの印象はどうでしたか?」

「そうだな――印象の薄い男だった。(ゆう)(じゅん)()の息子だからもう少し気骨がある奴かと思ったが、どちらかと言えば優男だったな。あまり饒舌でもなかったし」

「そうですか」


 (きん)()が並べる茶菓子に手を伸ばしながら、蓮花は兄の様子を観察した。

 刺繍をしているときの透は手元にだけ集中しているため、他に関しては無防備だ。会話にはちゃんと答えるが、喋る内容を頭の中でしっかり考えていないため本音が漏れやすい。


「悪い印象は持たなかった、ということですね」

「あぁ。そなたは違うのか?」

「はい。言動のすべてに(うっ)(とう)しい感じがしました」

「ふうん? そなたがそう感じるとは、珍しいな。よく喋る男は別に嫌いではないだろう? 王は寡黙な方だが――いつぞや我が家に出入りしていた方士などは、とにかくよく喋る男だったじゃないか」

「あれは、芹那の父です」

「そうだったか?」


 ようやく手元から顔を上げた透は、黙って部屋の隅に控えている芹那に視線を向けた。

 芹那について透は妹の侍女であるという認識しか持っていないが、一応は名前を覚えていたらしい。


「それに、彼が我が家に出入りしていたのは十年ほど前のことです」

「そういえば最近は見かけないな」


 妹の交友関係をしっかりと把握しているのかと思いきや、そうでもなかったらしい。


「彼はもう、亡くなっています」

「そうだったのか」


 あまり興味がないのか、針に視線を戻した透の返答は素っ気ない。


「とても楽しい人だったのですけどね。よく奇術を見せてくれて、わたしはあの人を方士というよりは奇術師と思っていた時期もありました」

「そういえば、そなたに精魅の書物を渡したのはその方士だったな」

「はい」


 覚えていたのか、と蓮花は驚いた。

 芹那の父が、精魅に興味を持っていた蓮花に書物を持ってきてくれたのは十年前、彼が亡くなる直前のことだ。

 彼は、娘が蓮花に気に入られるよう、蓮花が興味を持ちそうな精魅や幽鬼に関する本をたくさん譲ってくれた。それは幼い子供向けの怪談ではなく、方士を目指す者が読む専門書だった。


「いまでも大事にしています」


 桓邸から持ってきた櫃の中には、芹那の父がくれた本が入っている。

 確かによく喋る男だった、と蓮花は顔こそはっきりとは思い出せないが、書物に描かれた精魅について事細かく説明してくれた芹那の父を懐かしく思いだした。


(游隼暉の屋敷に行って、そのまま生きて帰ってこなかったのよね――)


 (りょう)()の父、(ゆう)碇仆(ていふ)が亡くなる一年ほど前の出来事だ。

 蓮花が知る限り、游隼暉が変貌を遂げたのは芹那の父の死と同時期のはずだった。

 大きな口を開けてあくびをする甯々を見遣りながら、蓮花はおぼろげな記憶を手繰り寄せた。

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