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十四 泰和殿(四)

「ありませんわ」


 即座に(れん)()は断言した。

 (ゆう)(かい)(けい)とは一度も会ったことはないし、手紙のやりとりをしたこともない。どのような容貌の人物かも知らない。

 父が宰相の任に就いているとはいえ、蓮花はただの貴族の娘だ。王族と顔を合わせる機会などまずないし、これまで王宮に上がったこともない。

 游王家に連なる者に対して(かん)(きょう)が手を差し伸べたのは、(りょう)()が最初で最後だ。

 游一族は隼暉によって多くは血を断たれたが、稜雅のように地方や国外に逃れた者もいるにはいる。ただ、桓享が裏で仕組んだ反乱の旗印となった游王家の者は稜雅ひとりであり、游会稽のように完全に蚊帳の外に置かれた者も多い。


「それにしては、熱心に手紙を読んでいるように見えたが」

「そうですか?」


 蓮花が熱心に読んでいたのは、この手紙に書かれた文字の行間、字間だ。

 游会稽がなにを考え、なにを求めてこの手紙を自分宛に書いたのか、そしてそれは自分に害をなすものなのか無害なのかを見極めようとしていたのだ。

 どちらかといえば、蓮花は游会稽に関わりたくはなかった。

 彼がどのような人物かわからないが、関わるべきではないと蓮花は感じている。相手が無害だったとしても、受け入れがたい存在だ。


「稜雅は最近この人に会ったのでしょう?」


 陛下と呼ぶべきか名前を呼ぶべきか迷った蓮花は、周囲にほとんど人がいなかったので名前を呼ぶことにした。

 王の侍従は四阿(あずまや)からすこし離れた場所に立っていたし、衛士たちはさらに離れて警備をしている。


「従兄弟として、これまでに会ったことはありましたの?」

「ない」


 低い声で稜雅は答えた。

 どうやら游会稽の話題はあまり面白くはないらしい。


「俺は子供の頃に王宮を訪ねたのは一度か二度だったが、歳の近いいとこの誰一人として()()で会ったことはない」

「まぁ、そうですの」


 先々代の王は子だくさんだったが、稜雅の父・游碇仆(ていふ)と同様に不慮の事故で亡くなった者が多い。諸侯に任ぜられて地方に赴いた者も、(じゅん)()の治世の間に謎の死を遂げている者がほとんどだ。その子供たちも若くして亡くなっている。

 稜雅は数少ない游一族の生き残りだ。

 游会稽もそのひとりだが、稜雅は会稽に対して血の繋がった従兄弟という親しみは感じないらしい。


「もし、游会稽が君に面会を求めてきたとしても、会わないようにして欲しい」

「それは、お願いですか? それとも、命令ですか?」

「そうだな……王として命じる。游会稽には会うな」


 苦々しげな表情を浮かべて稜雅が吐き出すように告げた。


「わかりましたわ」


 彼はこんな表情もするのか、と驚きながら蓮花は頷いた。

 かつて桓家に滞在していた頃の稜雅とは違うことを頭では理解していたが、王の顔をしている彼は自分の知っている游稜雅とは別人のように見えた。


「でも(せき)()(ぐう)にいると、会いたくない人にも会う羽目になるかもしれませんわ。父や兄は(こう)()殿(でん)に自由に出入りができるようですし、他にもたくさんの官僚が陛下に会うために赤鴉宮にやってくるでしょう? そうなると、わたしがちょっと庭で散歩をしようと部屋を出るだけのつもりが大臣たちと顔を合わせてしまうことになりかねませんわ。もし後宮があれば、そういうわずらわしいことがなくなると思うのですけど」

「確かに、君の言うとおりだな」


 蓮花の意見に、稜雅は素直に頷いた。


「仮でもいいから、後宮として使える殿舎が欲しいんですの。別に、豪華に飾り立てる必要はありませんわ。普通に使える部屋があればいいですわ」

「君の言う『普通』がどのていどかはよくわからないが、それは享に相談してみる」


 昨日は後宮の必要性をまったく理解していない様子の稜雅だったが、蓮花が実際に王宮に入ったことで考え方が変わったらしい。


「君を籠の鳥にするつもりはなかったんだが……やはり後宮に閉じ込めておくことが一番安全なんだろうな」


 すこし(ため)()った後、稜雅はゆっくりと手を伸ばして蓮花の指に触れた。

 それは壊れ物を掴むように、おそるおそるといった様子だった。


「安全かどうかはわかりませんけれど、人の出入りが多い赤鴉宮よりは落ち着けると思いますの」


 (うれ)いを含んだ表情の稜雅の目の下に(くま)があることに蓮花は気づいた。

 まだ混乱が収まっていない王宮で、王になるための修養を一切積んでこなかった稜雅にとって、王という責務は想像以上に重いはずだ。

 游一族のひとりとして隼暉の首を切り落とした時点で、稜雅は王位に就く覚悟はできていたはずだが、王という立場は彼が想像していたものを遙かに超えていたのだろう。


「あなたが、ね」


 蓮花が微笑むと、稜雅は驚いたように目を見開いた。


「昼夜を問わず大臣たちが押しかけてくる赤鴉宮からあなたが避難する場所が、必要ですわ。後宮はそういう場所になるはずですわ。それに、籠の鳥になってしまったのはわたしではなくあなたですもの。王であるあなたは死ぬまで王宮という鳥籠から出て行くことができない。王になるって、そういうものでしょう?」

「俺、は……」

「わたしは、稜雅が招いてくれたから()()にいるだけ。あなたに追い出されたら、どんなにわたしが望んでも()()に留まることはできませんわ」


 顔を強張らせる稜雅の手を蓮花は握り返した。


「わたしは籠の鳥ではありませんわ。籠の鳥が翼を休めるための、止まり木ですのよ」

「……俺のためだけの?」

「もちろん」


 ふふっと蓮花が笑みを浮かべると、ようやく稜雅の表情が緩んだ。


     *


 (たい)()殿(でん)と倖和殿の境目にある門を通り抜け、泰和殿の端に移設された御廟の前に蓮花は立った。

 夕刻の日差しが二曲一隻の屏風くらいの大きさの御廟の瓦や柱の飾りを輝かせている。

 散歩がてらの参拝のため略装だが、芙蓉が持ってきた線香をあげて手を合わせた。

 特になにを願うわけでもなく、これまで(ろう)(こく)を護ってきた神仙と、潦国の歴史を築いてきた歴代の王たちに挨拶をする。


(まるで、宣戦布告しているみたい)


 そよ風にたなびく線香の煙を眺めつつ手を下ろした蓮花は、心の中で苦笑した。

 この御廟に祀られている神仙と祖霊を敬う気持ちはさらさら湧かない。

 桓邸にも神仙を祀る廟はあったが、蓮花は姿が見えない神仙を信仰する心が一切芽生えなかった。

 いまだって同じだ。

 ただ、この御廟にはなにか潦国の(いしずえ)のようなものは感じる。

 長い年月を経て崩れそうで崩れない危うい礎となった、潦国王宮の御廟。


「どうしたの? (ねい)(ねい)


 一緒に連れてきた愛猫が全身の毛を逆立ててぐるぐると唸りだしたので、蓮花は視線を足下に移して声を掛けた。

 なにか鼠のような獲物となる動物を見つけたのだろうか、夕方で腹を空かせているのだろうか、と思ったが、普段のように餌をねだって甘えてくる様子ではない。


「もう帰るから、抱っこしてあげるわね」


 蓮花が腰をかがめて甯々を抱き上げようとしたときだった。


「失礼ですが、あなた様が(かん)妃様でしょうか」


 石畳の上を、(くつ)音も立てずに現れ近づいてきた男が声を掛ける。

 蓮花の後ろに控えていた(きん)()が厳しい表情を浮かべると同時に、衛士たちの間に緊張が走る。


「――――どなた?」


 振り返った蓮花は、二十代半ばとおぼしき男を頭からつま先まで一通り見回してから尋ねた。


「無礼をお許しくださいませ、桓妃様」


 頭を下げた男は、蓮花が自分の質問に答えなかったことを肯定と受け取ったらしい。

 自分は桓妃と呼ばれる立場なのか、と耳慣れない呼ばれ方に違和感を覚えつつ、蓮花はわざと尊大な顔を作った。

 見たことがない容貌と、官服ではない質素な袍の男は、蓮花の態度を面白がるような雰囲気を漂わせていた。


「私の名は游会稽。游隼暉の不肖の息子でございます。ある者にあなた様への手紙を託しましたが、お手元に届いておりますでしょうか」


 まるで手紙が蓮花の手に渡り、すでに彼女が読んだことを知っているような口ぶりだった。

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