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十三 泰和殿(三)

 粥に汁物、漬物、果物などの軽食を済ませた(れん)()は、(せき)()(ぐう)の庭にある四阿(あずまや)で緑茶と饅頭を食しながら()(りん)から渡された(ゆう)(かい)(けい)からの手紙を広げていた。

 (ねい)(ねい)は蓮花の膝の上で昼寝中だ。

 游会稽からの手紙は丁寧な文字ではあるが筆の流れは悪く、墨の色も薄い。紙が粗雑なものだからなのかもしれないが、会稽は紙を選んでいる余裕などなかったのかも知れない。


(父の(むくろ)を引き取らせて欲しい、って、わたしに頼むことではないと思うのだけど)


 手紙に最後まで目を通した蓮花は、小さくため息をついた。

 蓮花が新王に嫁ぐことが世間に公表されたのは二日前のことだ。

 会稽は従弟である(りょう)()が王位に就いたことや、(かん)宰相の娘が妃として入宮することを世間より先に知っていたとは考えにくい。まして、(そく)()に到着して早々に佳鈴の父を訪ねて行き、佳鈴が王妃付きの女官になったと聞いて佳鈴の父に手紙を託したということも話としてはできすぎている。


(游会稽は一度はこの王宮に出向いて、父親の遺骸を引き取りたいと稜雅に申し出ているのよね。多分彼は、新たな王である稜雅は自分の従弟だから、王に直接頼めばなんとか引き取らせてもらえると思ったんでしょうね。でも、稜雅の一存では引き渡してもらえなかった、と)


 いくら(じゅん)()が王位に就いていた期間中ずっと(かく)国に留学しており暴政に関わっていなかったとはいえ、会稽は隼暉の息子だ。まだ内乱の熱が冷めていない都に敗者の血縁者が堂々と乗り込んでくるなど、無謀としか言い様がない。


(捕らえられ殺されることも覚悟の上で父の遺骸を引き取りにきた、という孝行息子なのかしら。それにしてはこの手紙は手際が良すぎるわ。稜雅から期待した返事がもらえなかったからといって、嫁いできたばかりの妃に手紙を送って頼もうだなんて、妙よ。しかも、佳鈴の父に手紙を託したって言ったって、佳鈴が王妃付きの女官になったってことをどこで知ったのかしら)


 手紙から視線を上げると、四阿の横に植えられた柳の木がそよ風で枝を揺らす音と、庭を流れる小さな川のせせらぎが響く穏やかな景色が広がっている。

 姿が見えない鳥たちの鳴き声に耳を澄ませていると、この王宮や城下でほんの十日前まで起きていた反乱など悪い夢だったのではないかと思えてくるほどだ。

 まるで百年前から平穏な世が綿々と続いているような雰囲気の王宮だ。そんな目に見える範囲の王宮の姿がすべて偽りであることは、深窓の令嬢である蓮花だって知っている。


(怪しすぎるわよね。あまり関わらない方が良さそうだわ。といっても、わたしが避けていても向こうから近づいてこないとも限らないけれど。こういうとき、王以外の男子禁制の後宮があると便利なのだけど。わたしが会うことを拒んでいれば、前王の息子だろうが宰相であるお父様だろうが、わたしに近づくことはできないんですもの)


 潦国には宦官の制度がない。

 後宮は外を男の衛士が、中は女の衛士が警備を担い、中の雑務はすべて女がおこなう。

 王以外は、王の侍従ですら入れないのが潦国の後宮だ。


(そのうち、いかに後宮が必要かということを稜雅に説明する必要がありそうね。そうだわ。あとで西四宮の様子を見に行ってみましょう。新しい後宮は元と同じ規模にする必要はないけれど、後宮として機能する殿舎は必要よ。とりあえず、わたしがこういう手紙にわずらわされることがない場所が欲しいわ)


 潦国は比較的豊かな国ではあるが、隼暉王の時代だけが特に荒れていたわけではない。その前の王の時代も、内乱や天災、飢饉などにより国内が乱れた時期はあった。ただ隼暉王の時代と異なるのは、常に王がそれらを鎮圧し、民の支持を取り戻したということだ。

 そして現在の潦国は、新王が即位したとはいえまだ落ち着いたとはいえる状況ではない。


(どこをどう見ても、大叔母様がおっしゃっていた後宮生活とはほど遠いわ)


 桓家で蝶よ花よと育てられた蓮花は、隼暉王の時代に屋敷の外に出るのは危険だからと両親や兄たちに言われ、数年間引き籠もって生活をしているうちに、怠惰な巣籠もり生活習慣がすっかり身についてしまっていた。

 裕福な貴族の令嬢のため、屋敷でごろごろしていても欲しい物はすべて手に入り、面倒なことは使用人がすべてしてくれる。女は読み書きと簡単な計算ができれば良いとされているので、胡琴の演奏や詩歌の暗唱はできるが、勉強は淑女に必要な教養以上のことを覚える必要はないと言われるため趣味の歴史と武侠物と軍記物の本を主に読んでいる。

 そんな面白可笑しく多少退屈で穏やかな日々を蓮花は好んでいた。


(これはもう、お父様やお兄様に騙されたといっても間違いではないわ。そりゃ、反乱軍の勝利で稜雅が国王になったからといって、すぐにわたしが優雅な後宮生活を送れるとは思っていなかったけれど……思ってはいなかった……わね)


 さすがに蓮花もそこまで楽天的ではないので、大叔母の時代とは違うことはまぁそれなりに予想はしていた。まさか後宮が焼け落ちていたとは知らなかったが。


(とりあえず、この手紙は無視することにしましょう。こういうのにいちいち付き合っていたら、(まつりごと)に首を突っ込む羽目になってしまうわ。妃が政に口を出すのが、一番世の乱れに繋がるってお父様もおっしゃっていたし)


 あとで手紙は芹那に処分してもらおう、と蓮花が手紙を畳みかけたときだった。


「その手紙はなんだ? もう、桓夫人から手紙が届いたのか?」


 手元が暗くなったと思ったら、背後から稜雅が手紙を覗き込んでいた。


「まぁ、稜雅……ではなく、陛下! おはようございます。いえ、ごきげんよう!」


 慌てて蓮花は手紙を握りつぶそうとしたが、素早く稜雅に奪われた。

 ぼんやりと景色を眺めながら考え事をしていたので、稜雅が背後に回り込んでいたことにまったく気づかなかった。

 彼にしてみれば、背後から近づいて蓮花を驚かせるくらいの気持ちだったのだろうが、桓夫人からの手紙にしては紙が粗末であることが気にかかったらしい。


「游会稽からの手紙? なんでこんなものが君の手元にあるんだ?」


 ざっと手紙に目を通した稜雅が険しい表情を浮かべる。


「なんでって、王宮だから()()を辿れば誰でもわたしに手紙を送れないこともないってことなんじゃないでしょうか?」


 王妃付き女官の佳鈴から渡されたことは明かさず、蓮花ははぐらかすように答える。

 ただ、稜雅が四阿の端に控えている侍女と女官たちに視線を向ける同時に佳鈴の表情がこわばったので、めざとい彼は誰が取り次いだか気づいたようだ。


「君は、この手紙の差出人がどんな奴か知っているのか?」

「名前だけしか知りませんわ。一度も会ったことがない人ですもの」


 曖昧に微笑み、蓮花は答えた。

 游会稽については、名前だけは知っていた。游隼暉が王位に就くずっと以前から、稜雅と知り合う以前から、あの父子の動向については蓮花の耳に入ることが多かった。当時は游隼暉が王として潦国を統べることになるなど考えもしなかったし、游会稽から手紙を貰うことになるなど想像もしなかった。


「この手紙は俺が預かってもいいか?」

「どうぞ。陛下にお任せしますわ」


 心中を表情に出すことなく、蓮花は手紙から視線をそらした。

 なぜ游会稽が自分に手紙を送ってきたのか、その意図がわからなかった。

 いくら宰相の娘とはいえ、王に嫁いだばかりで王宮のしきたりさえも知らない王妃に嘆願めいた手紙を送ってくるのは、死んだ父を引き取るためのなりふり構わない行動なのか、それとも別の目的があるのか。


(游会稽に絡まれて、面倒ごとに巻き込まれるのはごめんだわ)


 稜雅に茶を勧めつつ、蓮花は()()で口元を隠してそっとため息をつく。


「本当に、游会稽と会ったことはないのか?」


 蓮花の隣の椅子に座った稜雅は、袍の袂に手紙をしまいながら蓮花の顔を覗き込んできた。

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