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十一 泰和殿(一)

 (ろう)(こく)国王の朝は夜明け前から始まる。

 東の空が白み始めると同時に、侍従が起床の挨拶をする前に臥所から出る。自身で夜着を脱いでいるところに侍従が部屋に入ってきて着替えを手伝う。粥と汁物の簡単な朝食を済ませると、すぐ(たい)()殿(でん)での朝議へと向かう。会議が終わると執務室へ向かい、山のように積まれた書類に向き合うこととなる。

 (りょう)()が武官をしていた頃は、夜明け前から鍛練、朝食後に鍛練、昼食後に鍛練、とひたすら身体を鍛えていたが、王として即位した途端に一日半刻も鍛練に時間を費やすことができなくなった。

 身体が鈍ってきていることを如実に感じられて、気持ちが悪かった。


「陛下におかれましては寝不足のご様子ですね。新婚だというのに朝からご機嫌麗しくないようですが、昨夜はお妃様とどのようにお過ごしになりましたか? そういえば深夜に西四宮で小火騒ぎがあって大変だったと伺いましたが」


 朝から爽やかな作り笑いを浮かべる宰相の補佐を務める(かん)(とう)が書物を抱えてやってきた。


「うるさい、独身貴族」


 渋面で稜雅は椅子の横に立てかけてあった剣の柄を握る。


「どうせ(きょう)やお前のところにすべて報告が入っているんだろう?」

「小火騒ぎについては報告が上がっています。(きん)(しゅう)(ぐう)(じゅん)()の妃だった(そん)()がいたとか、火付けそのものは誰の仕業かはわからないとか、巽妃は現在獄舎に収容されているとか、城下の巽家では変死者が出ているとか」

「巽家で、変死者?」


 剣を鞘から抜きかけていた稜雅は、始めて聞く話題に手を止めて聞き返した。


「まだ陛下のお耳には入っていませんか? 巽家の使用人で二人ほど変死者が出ているそうですよ。巽家は隠していますが、まぁ、都合が悪いことほどなぜか外に漏れるものでしてね。あ、昨夜陛下がお妃様の部屋から閉め出されたこともすでに官吏たちの間で知れ渡っています」

「すぐに官吏全員に、口が軽い男は出世しないと通達しろ。あと、巽家の使用人の変死についての詳細を」


 王は常に周囲の目があることを理解はしているが、稜雅はまだ王宮での生活に慣れていない。

 公子だった父が健在だった頃は城下にある屋敷で両親と暮らしていたが、使用人の数は少なく、彼らの行動を逐一監視するように見ている者などいなかったのだ。


「巽家で使用人二人が変死しているのが昨日見つかったそうです。どうやら獣に噛まれたような跡があり、野犬にでも襲われたのだろうということのようなんですが、その使用人は二人ともここ三日ほど屋敷から出ていないらしく、他の使用人たちが気づかない間に屋敷内で野犬に襲われるなんて珍妙なことがあるだろうかということで現在極秘で調査中です」

「野犬……」

「喉やら腹やらに噛み跡があったっていうんで一応は野犬ってことになっているんですけどね」

(せい)()の仕業ということは?」

「精魅? どうでしょうね」

「巽妃が精魅に憑かれているかもしれないという話は聞いているのだろう?」


 反応を伺うように稜雅は透に尋ねる。


「聞いていますが、それは王妃様がおっしゃっているだけでしょう?」


 透は(れん)()の実兄だが、妹といえども王妃となった以上は敬意を示すつもりらしい。


(ねい)(ねい)の反応から、蓮花がそう判断した」

「甯々ねぇ……」


 透は口調を砕けさせると、唇を歪めた。


「蓮花は甯々を猫だと主張しているが、あれは本当に猫か?」

「どう見ても猫じゃないだろ。といって、犬でも(いたち)でもないけどな。僕は精魅の類いだと思っているが、妹はあれをかなり気に入っていて手放すつもりがないようだし、あの化け物も妹に懐いているからそのまま飼うことを許してきたんだ」

「やはり、精魅か」

「多分、というていどだが。異形だからな。新種の猫だと言われたらそうかもしれないし、獅子や豹ではないとも言い切れないが、精魅の可能性が高い。どういう種類かはわからないけどな。普通の猫や鳥を飼えばいいものを、妹はそこらへんで手に入る動物では満足しないらしい。前によく喋る九官鳥を贈られたときなど、二日で飽きたといって母に譲っていたしな」

「なるほど。贈り物をするときはよほど珍しいものでなければ気に入ってもらえないということか。もしくは、本人が欲しいと言うものを用意するしかないか」

「精魅を捕まえて贈ったら案外喜ぶかもしれないけどな。そういう魑魅魍魎が恐ろしいという感覚が妹には欠如しているんだ。生きている人間の方が怖いというんだが、まぁそれには同意できるな」


 書物の束を王の執務机の上に置くと、透は腕組みをしてため息をついた。


「王宮で気をつけるべきは、精魅や幽鬼より人間であることは確かだ。隼暉を討ったことでこの王宮は生まれ変わったように見えるが、それは王と官吏の顔ぶれが多少入れ替わったに過ぎない。王宮の体質そのものが変わったわけではないし、十日やそこらで変わるものでもない」


 透の説明に、稜雅は頷く。


「巽妃が王宮に戻ったことと、巽家で変死者が出たことになんらかの繋がりがあるのかどうかはわからないが、生きた人間や精魅、幽鬼のすべてに注意を怠るな。王宮内ではどいつもこいつも怪しすぎて、油断も隙もない」

「お前の忠告は、胸に刻んでおく」

「巽妃は隼暉の寵愛が深かったわけではないが、一度手がついた後は放って置かれた妃というわけではない。それなりに隼暉は巽妃を臥所へ呼んでいる。隼暉は正妃を定めていなかったから、巽妃は正妃候補のひとりに目されていて、そのため後宮では他の妃から妬まれて孤立していたところもあったようだ。隼暉が死んだ後は、巽妃は隼暉から粗雑に扱われていたと侍女が主張していたから巽家へ戻されたが、女官の間では寵姫のひとりに数えられていたらしい」

「つまり?」

「巽妃にしてみれば隼暉が死んで都合が悪かったし、巽家に戻されたことを喜んでいなかった、ということだ。巽家でなにがあったのかは知らないが、いくら実家の居心地が悪いとはいえ、前王の妃が勝手に王宮に戻ってくるなど奇妙だろう」

「確かに」


 前王である隼暉を倒して半月が経過したが、王宮が一新されたわけではないことは、稜雅も身に染みて感じていた。

 隼暉が死んでも、前王が遺したものは一掃されていないのだ。

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