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県職員友田潤一郎の毎日  作者: 波辺 研心
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(10月)

 10月 1日(火) しみったれ予算 


 この頃になると、県のお金をどう使うかで県庁全体が慌ただしくなる。担当の手元には、“○○年度予算編成方針”という名の“財政課様のお達し”が配られ、各々の担当が受け持つ事業の予算書を作成しなければならない。今年も『シーリング』という名の乱暴者ゴリアテが担当の前に立ちふさがり、抗うことなく(事情を言う暇なく)“昨年度比一律10%削減”を命じられる。需用費(文房具代や紙代のこと)などは10年前の何分の一になったかさえ分からない有様で、奥山は、

「俺のシャーペンは百均で自腹」

 といつもの調子で愚痴をこぼしている。そもそも今これぐらいの予算でやって行けるのだから、“昔の需用費”って一体何に使ったのか?と言いたい。いい加減に使ってたとは言わないが。

「大体借金作ったのは、借金製造システム(財政破綻システム)を構築した国(総務省)が悪いんだ。」

 奥山は開き直って嘯くが、当時のバブリー予算の中での財政担当者と、裏負担(交付税欲しさに国の言いなりになって借金して予算をじゃぶじゃぶ使うこと)など県による国追随のシステムにも問題があったんじゃないでしょうか、と友田は心の中でツッコんだ



 10月 2日(水) 女上司は毒にも薬にもならない仕事で自分の爪痕を残す 




 10月 3日(木) 仕事と趣味のはざまで 




 10月 4日(金) 予算編成方針 




 10月 7日(月) 県職員と経済学 




 10月 8日(火) 補助金ってどうよ? 




 10月 9日(水) 日本は“長老型共産社会”(共産主義社会ではない) 




 10月10日(木) 空気は王様 



 10月11日(金) むかし“カラ出張”というものがあったそうな



 10月15日(火) 知事の直行便




 10月16日(水) 政治とは?政治家とは? 




 10月17日(木) 「先生」という名の“侮蔑語” 




 10月18日(金) 予算シーリング 




 10月21日(月) 要は自分との闘い 


 善し悪しに関係なく上司は金太郎飴のように同じような思考の持ち主だ。変えるのであれば全体・・・換言すると社会を変えなければ組織は変わらない。

 トップの発言は端緒であって核心ではない。組織を変えるには血の入替えが必要。地道に、かつ絨毯的に行うしかない。上司は腐った土から芽生えた毒花でしかない。摘んだとしても、地下茎があれば、また土が腐っていればいずれまた生えてくる。

 つまりは自分が変わるしかない。腐った自分と仲良く付き合えるのか、或いは割り切って労働していくのか。いずれの道もこの問題の解決策ではない。



 10月22日(火) 真面目は害悪でしかない 


 「真面目」という言葉がある。日本人の美徳の一つと捉えられている。今その「真面目」が引き起こす害悪が社会の様々なシステムに障害を及ぼしている。例えば教育。モンスターペアレントは「愛する子供をストイックに守る真面目さが他者への攻撃に転化される例」であり、社会へのクレームは「社会をより良い方向に向かうためのアドバイス」という信念のもと真面目にクレームを行い、受け取る側が真面目にこれを聞き入れる。審査請求などの不服申し立てのシステムは、かようなクレームを想定していないことから、マクロ的に混乱する要素となっている。

 さらには、クレームに過剰に反応する中間管理職が費用対効果に見合わない必要以上の防衛戦を敷くため、行政コスト増に歯止めが効かず、合理性を欠くサービスの提供を垂れ流すこととなる。成熟化した我が国の社会において、最早真面目は害悪でしかない。



 10月23日(水) 毎日が下らなくも当たり前のコメント 


 全てのコメントは揚げ足の対象となる。個人的な思いはもとより、誰かのコメントや起こった事象も批判の対象となる。よって口から空気振動を伴って発せられる音(以下「言葉」という。)には、自明の言説が求められる。例えば、

「1足す1は、2である場合と、2でない場合がある。」

 “1足す1は2”といってしまって差し支えがないように思われるが、一抹の不安も残る。この世の森羅万象は、人知を超越したものであり、2以外の解が無いとは言い切れない。よって、2である場合もあれば2でない場合もある、が正解である。

 読者のみなさんはお気づきかと思うが、この論法は全ての問いに対して同じ解になるものであって、何人たりとも批判を受けることはない。このような下らなくも当たり前のコメントを心がけることが県職員の初歩として身に付けなければならない作法である。この話を聞いた上司は大抵無言となるが、この無言は最上の褒め言葉であり、減点がない以上出世をするうえで有効な手段である。



 10月24日(木) しかたない 


 「しかたがない」

 人事上で人事担当審議員が部下職員に言う言葉だ。今のご時世上が詰まっていて、然るべきポストがないので出世できないのは仕方ない、という意味である。

 出来不出来を昇進のポイントに据える場合人事責任者に重圧がのしかかる。「しかたない」はその点大変便利な言葉だ。村の子供が不慮の事故に巻き込まれた際長老が言う「神隠し」に相当する言葉である。神が連れて行ったのだから責任は問えまい。文句を言うな。ということである。

 これではキャリアビジョンもへったくれもない。自分が今後どのような者になりたいのか。自分に足りないものは何で、それに到達するためには何が必要か。到達するものをてにいれるためにはどのような努力が必要か。そういった組織と個人の対話が全くシャットアウトされた状態である。


 結局仕方がないのは無為無策の結果であって、改善の余地がないという意味ではない。無論バッジや縁故者、学閥や女性上位の波など要因は多々あるが、とまれ第1次ベビーブームやバブル期における大量採用の余波がポストにモロに影響しているのは明白である。当然に約30年前から想定されていた事態だ。

 いわんや、この県庁組織というシステムが混迷の自治(混迷の詳細についてはおって詳述する)において、猫の目のように変わるメニューリストに対応しうる体制にはなっていない。

 だから、過去20年、今後20年と比較しても格段に優秀であり、かつ、これまで幾多のしのぎを削ってきた職員に対し、変わらぬモチベーションの維持を強要しつつ、信賞必罰は「しかたがない」という金科玉条で相殺させる。まさに、“やりがい搾取”の伏魔殿地方事務所である。


「俺様は、組織の評価に見合った仕事を自動的に調整する、“人事のビルトインスタビライザー”をこの度採用することといたしました。組織が俺様個人に仕事を頑張って貰いたい場合は、まず昇進から御検討ください。」

 奥山は人事担当審議員である橋本を前にこう言ってのけた。呆然とする橋本に奥山は、こう付け加えた。

 「しかたない」

 

 友田は、この痛快すぎる奥山が乱世の戦国大名であれば浮かばれたのにと嘆く傍ら、奥山が自嘲的に語っている“俺は大塩平八郎だから”という意味が分かったような気がした。



 10月25日(金) 裁判は言論のスポーツだ!!その1 


 ある日突然行政が被告となる。管轄の地方裁判所から、出廷の日時(通常は2週間後)と、予め提出しなければならない図書などについて通知がやって来るのである。行政の場合は、個人と違って、ただ当日出廷するだけではなくて、“応訴方針”というものを知事あて伺う必要があり、その前に関与弁護士へ委託する必要があり、その前に弁護士の選定及び選定について所属長に伺う必要がある。

 つまり、驚異的な速度でそれらを10日程度でクリアしなければならないのである。

 通常訴えられた経験のない県職員は、そのような赤紙が届いた瞬間から、10日間不眠不休となり、遂にはかなりの確率でノイローゼとなる。

 その点国が訴えられた場合の対応は大変合理的である。法務省には、国が訴えられた場合の専門の部署があり、各省各庁の担当官は、ただ法務省へ転送するだけでいい。

 だから、県庁を困らせたい場合は、ただひたすら県庁を相手取った民事事件の訴えを提起するといい。何よりの攻撃力となるが、自ら争訟事務ができない者であれば、弁護士費用など嫌がらせにもそれ相応の財力が必要となる。


 ここで、いわゆる“裁判”というものに触れておきたい。

 裁判とは、大まかに言うと、“刑事事件”、“民事事件” 、“行政事件”に大別される。

 それぞれ、“刑事訴訟法”、“民事訴訟法”、“行政事件訴訟法”を根拠とする。

 以下各々を簡単に言うと、殺人や強盗など刑法犯を扱う事件を“刑事事件”といい、司法警察官が逮捕後検察庁へ書類を送検し、裁判所へ出訴、判決を受けるというものである。ドラマでやっている裁判の殆どがこれにあたる。

 次に相続揉めや境界争いなど主に民法上のトラブルを扱う事件を“民事事件”といい、救済を求める者(原告)が裁判所などの第三者機関へ申し立てを行い、相手方(被告)に対し、原告の主張する“あるべき姿”を要求するものである。細別すると家庭裁判所や地方裁判所での区分けがあるが、ここでは論じないこととする。

 最後に行政による不利益処分や不作為など、権利の喪失や身分の回復等の訴えを扱う事件を“行政事件”といい、行政が被告となる場合のかなりの部分がこの行政事件に該当する。


 行政で訴えられるケースとしては、 “県有地との境界争い”に代表される確認訴訟などの民事事件や、“課税”を不服とした取消訴訟などの行政事件である。

 一部の部署(住宅課や税務課、道路維持課)では裁判に手慣れた職員はいるものの、不作為の訴えなどは、どこの部署にも起こりうることで、まさに活断層のようなものである。



 10月28日(月) 裁判は言論のスポーツだ!!その2 


 裁判は、一般的に知られているイメージとは随分と異なり、淡々とした書類の応酬である。特に民事は、裁判官にとって原告も被告も基本的に対等なので、主張する甲書証(原告の作る文書)が甘いと訴えの利益が乏しく、他方主張する乙書証(被告の作る文書)が甘いと裁判官の心証が悪くなる。

刑事事件は原則“グレーはセーフ”であり、検察側が主張する客観的事実に理由がなければ無罪となる。一方民事事件は、原則訴えを起こす側(原告)に挙証責任があり、しっかりとした筋を通して自己の権利の侵害をアピールしなければ、“訴えに理由なし”となる。

 行政事件も民事同様、訴える側の挙証責任を原則とするが、たまに偏った裁判官が反公権力を擁護したいがために原告寄りの解釈をしようとする場合もある。特に環境関連の事件は、原告(生活環境を害された被害者)の挙証能力の限界を背景として、“うるさい”や“クサい”という理由のみ(“うるさいのデータ”や“クサいのデータ”が出ることなく)で、被告(最終処分場を許可した県など)が敗訴するという裁判もあって、行政としても誠に悩ましい。

 要は、口頭による主張の機会は殆どなく、開廷時間も5分程度と殆ど裁判所を見学しに行った程度のものである。

 よって“裁判に勝つ”とは、“書類を上手に作る”と道義である。なので、裁判を担当する行政マンは、もともと書類を上手に作る訓練を受けているので、本人に自覚がないながらも、原告やその弁護士にとって相当手強い存在足り得るのである。


 最後に、裁判書に提出する文書には、身分・職階の分け隔てがない。なので100%“実力の世界”である。偉い人が作ったから説得力がある、というのは役所内部での力関係の問題であって、裁判官にはどうでもいいことである。また弁護士は、国家試験に受かった秀才ではあると思うが、これも裁判官の判決には影響されない。つまりは“フェアー”ということである。

 この“フェアー”は、現在の我が国の社会ではありそうであまりない。“民主主義風ヒエラルキー”に支配されている日本国民にとって、底辺に生息する下っ端役人が、弁護士や上司を論破できるのは裁判の醍醐味であり、痛快この上ない。


 これが、“裁判は言論のスポーツだ”と主張する理由である。



 10月29日(火) 県と県庁所在市はなぜ仲が悪いのか 




 10月30日(水) 案を作る人、決定する人、それを見守る人々




 10月31日(木) 「公共合理性」と「個人合理性」


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