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県職員友田潤一郎の毎日  作者: 波辺 研心
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(8月)

 8月 1日(木) 28度設定 


「何だこの暑さはっ!!人間の棲む所じゃねえな。」

 橋本審議員は安物の扇子を忙しなくばたつかせながら、吐き捨てるようにそう言った。


 地球温暖化対策の一環として平成17年度から環境省が提唱している“クールビズ”の取組の一つであり、官公庁では、毎年夏期期間中、半袖開襟シャツ着用などの“サマーエコスタイル”と並んで、冷房の設定温度を摂氏28度に統一する運動を行っている。

 アメリカや中国を抜きにして地球温暖化を語ることに果たして意味があるのか、と筆者は思うが、本題に帰ってくる自信がないので、残念ながらこの話はまたの機会とする。


 さて、28度である。

 夏期における鉄筋コンクリートの建築物は、室内気温摂氏40度超に至る、さながら“黒縄地獄”である。冷房の設定温度摂氏28度とは、大抵吹き出し口の気温が28度となるよう制御されたものであって、執務室にて執務をしている職員が体感する温度では決してない。

 よって、養鶏場のように並べられたまるまると太った職員どもが発する体温と、その前に設置されたパソコンのファンから噴出する熱風、そして窓から差し込む太陽光の輻射熱が相俟って、職員達は、しとどに湿った下着が、おはようからお休みまで乾くことなく体液を浸出し続けるのである。

 これら公僕という名の衆人が県庁という名の八熱地獄において、県民という名の獄卒に我が身をちりぢりとされながらも、1兆6653億1250万年という永きに亘り、阿鼻叫喚を繰り返す・・・そんな季節である。


 さらに、恒常的に黒縄地獄にて執務している関係上、職員が発汗により生じる脂肪酸を食べる空気中のマイクロコッカス属細菌により、不快臭の原因物質であるイソ酪酸、イソ吉草酸などの複数の短鎖脂肪酸や中鎖脂肪酸が生産され、まるで動物園のような独特のかほりが漂うのである。


「部屋が臭くて論点(issue)がまとまらない。」


 そう言った後、奥山が“どや顔”で友田を見つめた。友田は不覚にも“上手い”と思ってしまったものの、甘やかすとつけあがるといけないと思い、うつむいて笑いをこらえた。

 そして遠くで橋本審議員が、


「何?どういう意味?」


 と聞き返したのを面倒臭そうにあしらっている奥山がとても可愛らしく思った。



 8月 2日(金) 何とか同盟 


 「何とか同盟」という同盟がいくつかある。県有施設に“ほぼ無料”で入居し、「何とか対策課」の職員をアゴで使い、年1回開催される「何とか同盟全国大会」では、県費でバスを貸し切り、そこをにわか酒宴会場としながらも、生け贄の担当職員を“酒のアテ”にしつつ、全国大会と銘打った“公費タダ旅行”の道中、同盟に手厚さの足りない行政の姿勢を糾弾しつづける。ここではさながら“反論できない県職員を嬲る人権侵害”が正当化される治外法権のようである。

 それでいて件の大会は、というと、会場のロビーで公務員以外は絶対に買わないであろう法外に高価な書籍を販売していたり(公務員は公費(=税金)で買っているので、個人の懐は痛まない。これがなんとか同盟の資金源ともなっている。)、全体集会では、一部のウブな人間を洗脳するための「何とか問題」についての“極左プロパガンダ”が垂れ流されていたりする。

 友田は、課内における“動員アミダくじ”に当たり(はずれ?)、仕方なく動員されることとなってしまったが、幸い「何とか対策課」の職員のように貸切バスによる生け贄とは別行動でよかったので、幸い上記の“糾弾の宴”は免除された。

 いずれにせよ、「何とか同盟」にとっては、馬鹿高い参加費や馬鹿高い資料代を“動員された公務員(誰でもいい)”が支払ってくれさえいれば、その後彼らが出席したかどうかなど特に関心がない。

 友田は、会場で参加費を支払った後、奥山の入れ知恵に従い、そもそも会場に入れる想定すらなかったであろう人いきれをすり抜け、初めて行く広島の街に繰り出すこととした。

 存外おいしい県外出張となった友田は、

「何とか同盟さん、ありがとう・・・」

 そう心の中でつぶやいた。



 8月 5日(月) 不動の国家公務員、依存の市町村職員 


「本件につきましては、当局は言う立場にございません。」

 国の方(国家公務員)の口癖である。さらに凄いのは、

「この問題は本省(霞ヶ関)の問題ですので、(出先の)当局は言う立場にございません。」

 という台詞・・・これが国の方が県の担当者に言うセリフである。その後、

「本省へは、あなたから直接お尋ねください。」

 だそうだ。いくらノンキャリは地方採用だからって、『また者』に対してその言いぶりはいかがなものかと思いますが。

 受話器を叩きつけて奥山は、明らかに友田に対して大きな独り言を言っていた。

「ノンキャリの脳みそ、ノー味噌」


「○○町役場の建設課からですが。」

 いつもの常連の方である。友田は何となく、この出会ったことのない電話口の相手に親近感すら覚えた。

 電話の内容は、極めてどうでもいいような法令上の解釈でしかないが、仕方がないので友田は、市町村にもあるはずの『○○法令研究会(キャリア様のお小遣い稼ぎの団体)』が編集している“逐条解説”をただ棒読みするだけ、といった回答を行う。

 電話で相談を受ける都度友田も、

「そちらにもある書物だと思いますが。」

 という接頭語を加えて厭みを言うのが関の山で、ついつい低姿勢で応対する市町村の課長に対し、丁寧に対応してしまう。電話を切ったあと、深くため息を着いた友田を見かねた奥山が、

「“本件につきましては、県は指導する立場にございません”って言えば?国みたいにクク・・」

 と茶々を入れてくるが、

「私たちは、まず県にお伺いを立ててから、というスジ(何のスジだ?)を通しております。」

 と自分の親父くらいの役場の課長さんに凄まれると、思わず戸惑ってしまう友田であった。



 8月 6日(火) 黙祷 


「黙祷」

 正午、厳かに井下総務班長が宣言すると、その場にいた一同(公務員以外を除く)がおもむろに立ち上がり、うつむき、そして静かに目を閉じた。電話応対している一部の者の会話する声がこだましている。


 広島に原爆が投下されて70余年。繰り返される1分間の哀悼の意にどれほどの者がこの瞬間を共有しているのであろう。ショッピングセンターではどうか?飲食店ではどうか?そして電車の中ではどうか?


「現場に出そびれたーっ!!お前がなかなかサバけないから、公用車で意味なく外に行けなくなったじゃないか。お陰で黙祷せにゃならなくなっちまった(涙)」

  奥山が大きな声で不謹慎きわまりないタブーを連発した。一同冷笑。


 以下、そもそも論をいう。

“黙祷”とは、捧げるべき事件や事故等に対し、捧げる側の個々人が心の中において自己との対話を行うことにより、当該事件、事故等を忘れないことを目的とする。

 全ての宗教儀礼を超越した万国共通の哀悼行為である。


 因みに、広島に原爆が投下されたのは、西暦1945年の今日。その爆弾の破壊力や爆風、熱線による人体への被害をはじめ、放射能による後遺症など、その爆弾が持つ悲惨さや愚かさは筆舌に尽くしがたい。また、広島平和記念資料館へ行くと、自分で体験したかのような知識や情報を得ることができる。

 ここで筆者は何が言いたいのか?端的にいう。

「誰が何を考え、誰がどうすればいいのか?」


 この疑問に如実に側面支援してくれるものがある。原爆死没者慰霊碑文である。


「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」


 この表記の解釈は千差万別だが、広島市の解説によると、『原子爆弾の犠牲者は、単に一国一民族の犠牲者ではなく、人類全体の平和のいしずえとなって祀られており、その原爆の犠牲者に対して反核の平和を誓うのは、全世界の人々でなくてはならない』のだそうだ。

 つまり、人類が作った兵器により人類が犠牲となった。この大量殺戮兵器使用に関する反省と、後生人類に対する不使用宣言、並びに、犠牲者人類への哀悼の意が含まれているのであろう。


 ここで改めて筆者の問いに戻る。“誰が”の答えは広島市によると“人類”である。“何を”は“平和”である。すると“どう”はさながら“平和活動”か。

 だとしたら、今日の黙祷は人類の行事である。日本人という枠は不適切又は寡少である。

 そして“語りかける自己との対話”は広く果てしない。要は、犠牲となった人類を哀悼し、世界平和に向けた反省と今後の平和活動方針を後生の人類へ誓うのである。


「皆さんの黙祷は、いかがですか?」


 読者に向け奥山がほくそ笑んだ。友田は、異次元の方角でほくそ笑む奥山を見て、まるで喪黒福造のようだな、と思った。



 8月 7日(水) ゴロ記者 


「あそこで課長と話している男、あいつはゴロ記者だよ。」

 我々のシマにやって来て、コーヒーカップをもたげながら、橋本審議員は得意げに語った。


 そこでゴロ記者又はゴロ新聞について解説する。


 個人経営又は数人で新聞のようなものを作成のうえ、官公庁や企業に対し、一部数千円から数万円の購読を求める輩をいう。大体が定期購読となっており、年10回程度の発行で一社当たり数万程度の提起購読料を巻き上げる。

 愛読者の殆どは、かつての被害者であり、社会的信用を大事にする優良(儲かっている)企業である。愛読者に産廃業者などが多く、彼らにとってハエのようにうるさいゴロ新聞とまともに戦うより、年数万円の捨て銭の方が合理的であると考える。


 ゴロ新聞の方は、元チンピラ等で文才のまあまあある者が、おいしい業界を特有の嗅覚で探し当て、ハイエナのように執拗につきまとった挙げ句“営業”成績を上げるというビジネスモデルである。

 肝心の記事はというと、役所に入り浸ってネタの収集を行うゴロはまだ誠実な方で、処分場周辺の住民の愚痴を拡大解釈して非難記事を書いたり、ホステスを買収してターゲットとなる社長の恥部をさらけだすという、“恐喝未遂”までやっており、逮捕歴も彼らの勲章となっている。

 あるゴロ新聞などは、ガサ入れ前の号で、

「官憲不当逮捕」

 の見出しにより特集が組まれ、主筆の逮捕により休刊となることへのお詫びと、正義は必ずよみがえる的なジェームズブラウンばりのアジ記事で締めくくっていた。

 読み物としては一興の余地はあるものの、ジャーナリズムのかけらもなく、総会屋の変質形態のそれ以上でもそれ以下でもない。


「遂に俺の元へもパパラッチが来やがったか・・・そろそろ生活態度を改めねばなるまいな」

 腕組みをしながら、嬉しそうに奥山はそう放った。

「公務員は、偉くならないと叩かれないよ。」

 そう言って橋本審議員は、いい気分に浸っている奥山を容赦なく打ち砕いた。今日は何か可愛想だ、と友田は少しだけ奥山に同情した。



 8月 7日(水) 揚げ足取りその1 


 県職員は、“みんなで頑張る”、という精神に乏しいらしい。或いは、皆無なのかも知れない。これが良く分かるエピソードを一つ紹介しようと思う。


 例えば課長を囲んでレク(打合せ)が行われたとする。課長の両袖が審議員と課長補佐、向かいにいるのが担当班長と主査(ヒラ職員)。主査が作った資料に基づき、主査が説明をする。それを課長以下その他大勢の者どもが聞いている。

 主査の説明がひととおり終わると、おもむろに課長が話し始める。口火を切るのは必ず課長だ。

(1)「表の順番はどういった並びなのか?」

(2)「表題と説明の字体が違うのは何故か?」

(3)「解決策案がAである理由は?」

(4)「案Bでないのは何故か?」

 どの案件にしろ、せいぜい課長の揚げ足とは大体このくらいなものだ。


 具体的なレクの事例を挙げてみたい。


 県税の徴収率が落ち込んでいるという現状があり、これを何とかしなければならないとする。

 そこで税務課長が担当宛て対応策の検討を命じた。担当は、この指示に対してドラフトを作成した。その資料中他都道府県の税目毎の徴収率を例示して本県の現状認識を行ったが、その際のデータの見せ方に対する揚げ足取りが(1)である。

 次に、現状や問題点、対策等のタイトルがゴシック体なのに対して、その中身の文章が明朝体だった時の揚げ足取りが(2)である。

 最後に、課題に対する解決策A、B、Cが提案され、最適な施策が案Aだった時の揚げ足取りが(3)と(4)である。


 ここまでは課長と主査しか喋っておらず、それ以外の者は存在感を消していたが、そろそろ課長の揚げ足取りにも限界が生じてきたとする。脳幹で処理された上記のような蒙昧なクレームも、さすがに課長自ら辟易したのであろう、両袖の朴念仁どもに同意を求め始めた。


 朴念仁その1の橋本審議員は、発言の慫慂に狼狽えつつも独り言のようにクレームを言い始めた。内容は以下のとおり。

「数字は右ヅメにして揃えた方が見やすい」


 朴念仁その2である浦田補佐は、自分の魅せ場だとばかりに、満を持して話し始めた。

「文書全体が分かりづらく、狙いがどこにあるのか方向性が定まっていない」

「このデータを用いた根拠は何か?」

「解決策案に客観性が見られずプレゼン資料の態様をなしてない」

 

 最後に、プレゼン側の上司である川上班長が、いつものイリュージョン発言により問題の本質を煙に巻こうとしたが課長に止められ、退路を断たれた挙げ句沈黙のまま深い海へと沈んでいった。


 結果、浦田補佐が課長の信任を一身に受けこのレクが終了した。その後担当が課長に呼ばれ、もう一度やり直しとのみ指示があった。

 この時の課長の評価点数でいうと、浦田補佐80点、橋本審議員30点、担当15点、川上補佐0点の順である。



 8月 9日(金)  揚げ足取りその2 


 さて本題に戻る。このレク、以下で展開する論の前提として、まずは必要なものと必要でないものに分類してみたい。

 初めに、県税の徴収率対策を打ち合わせることについては必要であり、かつ担当職員に指示を出すことは必要である。

 次に課長は、担当ではなく補佐や班長に指示を出す必要があるのにこれを怠ったことは、管理者として不適切である。

 また担当がドラフトとして作成した資料について、これをブラッシュアップする中間の者が不存在である点において、組織力の欠缺がある。

 最後に、決裁ラインが一同に会したこの打合せは不合理であり、打合せに集まった者がハイエナのように手柄を取り合う言動は、組織にとって腐敗菌でしかない。


 極めつけは、何も生産しない揚げ足取り名人が課長の信任を得て高得点を出したという現実であり、かつ、“やり直し”という、上司の愚策を生むコストが時給3千円前後の高給取り5人による2時間程度のくだらなくも無意味な浪費という現実である。

 笑えない冗談だが、人件費約3万円を支出するこの豪華なイベントが税金で賄われているという実態のみならず、“税収確保対策”である、という点が喜劇といわざるを得ない。


 ここで敢えて強調したい。県庁組織に組み込まれた課長未満の職員は、みな一丸となって県が抱える難題を解決するために雇われた傭人であって、個を発揮する必要もなければその責任もない筈である。

 しかしながら他方において、課長以上の責任ある吏員となるべき者を傭人の中から推挙するしかないというアンビバレンスな関係が現実に深く根ざしており、これが傭人同士を互いに蹴落とし合い、袖にいる朴念仁が揚げ足取りやご機嫌伺いサイボーグと化している要因であろう。


「改革は、まず責任分担の明確化、そして協働して目的達成を目指すチームへの論功行賞である。」


 突如奥山のチャネリングが始まった。絶対に本人のものではないであろう高尚な言い回しを聞きながら友田は、このうだつの上がらない参事の底知れぬ不気味さにおののくとともに、余りにも真を穿つこの発言に対し、不覚にもただただ承伏せざるを得なかったのであった。



 8月12日(月) カラスは透明 


 昨日の話の中で出てきた、当時奥山や田川が所属していた課において、実は百戦錬磨の“身かわしの魔術師”といわれた伝説の審議員がいて、別名“我が身保全課長”とも呼ばれていた男がいた。名を中田という。

田川が心酔していた中田とのあいだにこんなエピソードがある。


 奥山と田川は、ある日“出世する男とは?”というお題について議論していた。

「奥山:やっぱり県警では、出世するために“カラスは白い”と上司から言われたら、“はい”と答えないといけないんすかね。」

「田川:奥山君。“はい”ではなく“御意”って即答するんだよ。躊躇った時点で出世は無理だね。」

「田川:だから上司が“白”といえば“白”。例えカラスであろうとね。」


そこへ伝説の審議員がタバコ部屋から帰還した。そして己の席へと着座する。

奥山は、その丸みを帯びた中田がどのような受け答えをするか大変興味が湧いたらしく、無鉄砲にも田川にした同じ問答を投げかけてみることとした。

奥山のその投げかけに対し、微笑みをもって中田から返ってきた答えは、奥山にとって予想だにしないものであった。


「カラスは透明」


奥山は、中田の発した言葉の真意が理解できずに、その“こころ”について更に解説を請うこととした。比較的大柄である中田は、なお微笑みを絶やさずに続けた。

「カラスは通常黒い。が、その上司が“白い”と言えば“白”なのかも知れない。しかしその上司の更に上司は、果たして“カラスは白い”と言うだろうか。答えは“分からない”だ。」

中田は、手に持っていた湯飲みに入ったお茶を飲み干した後、緩やかにこう続けた。

「分からないのであれば“色”は付けられない。だから、“カラスは透明”なんだよ。」


その後田川が中田に弟子入りしたことは言うまでもない。そして奥山も、“県庁”という聳え立つ山の雄々しさや奥深さに改めて驚嘆せざるを得なかったという。

地方公務員初級試験(高卒程度)採用にもかかわらず、時代とはいえ30代で主幹、50代では審議員という異例のスピードで出世してきたこの男の空恐ろしさの片鱗が、この時垣間見えた瞬間でもあった。


「組織の中で頭角を現すと言うことは並大抵のことではない。友田君もこれから成熟した大人となって、自らのキャリアを形成してくれたまえよ。」


 無役の下級公家のような朴念仁態の表情を浮かべながら、奥山は友田に向かって吐き捨てるようにそう言った。

 県庁でもっとも成熟していない大人である奥山から言われたのに頗る釈然としない友田ではあったが、件の審議員のいう“透明なカラス”の明言が脳裏からいつまでも離れることはなかった。



 8月19日(月) 「出張」と「研修」について 


 公務員はとにかく研修が多い。公務員(特に教師や国家公務員)の中でも少ない方ではあるものの、県職員も「制度説明会」、「担当者ブロック会議」、「事前ヒアリング」など出張は少なくない。説明会などは大抵東京や大阪で行われ、また各地域などはブロック(東北、関東、東海、北信越、関西、中国、四国、九州)毎に構成員を集めて会議等を行う。

 昭和の時代は、交通網が至極牧歌的であったため、研修そのものが大雑把に言うと慰安旅行の体をなしていた。現在でも一部の国の出先機関などでは、そのような昔日の雰囲気を残しているものの、大抵は時代の波に掻き消されてしまった。

 消滅の一番の原因は、やはり公共交通機関の進展である。大抵の東京での会議は、開始時間を午前11時に設定することにより、全国各地から当日入りすることが可能となり、また終了時刻を夕方5時とすることにより、その日のうちに帰宅することが可能となった。

 つまり、九州や四国、北海道では空路、その他の地方では新幹線により、早朝6時自宅発の深夜11時帰宅という“日帰り研修”を可能とさせた。

 また旅費支給基準が改訂され、一律規定運賃の事前支給から、格安パック運賃の事後実費支給へと変更されたことにより、“研修等による出張の旨み”は完全に消去されることとなった。

 さらにICT革命である。Eメールの普及は、公務員を含むビジネスパースンの仕事の方式を一変させた。大抵の仕事のやり取りは、メールを駆使することによりその日の内に解決する。メールに資料を添付することにより、改めて一堂に会して研修棟を行う必要がなくなったのである。

 当時のブロック研修などは、担当の都道府県が持ち回りで本省の担当係長などを招待のうえ、夜の懇親会(接待)がセットされた。同時に、各都道府県の担当者同士が日頃の不満を吐き出す場として、また開催地の山海の幸に集まった担当者らが舌鼓を打つ(又は夜のイベントへなだれ込む)機会でもあった。

 これらが平成10年代を境に一気に消滅することとなった。

 結果として歓楽街は軒並み疲弊し、急速に回転する社会に適合することができなくなった者から脱落が始まり、ラッキーを手にした一部の勝者と、地獄を彷徨う大多数の敗者に明確な区分がなされることとなった、とは言い過ぎか。


「ノミニュケーションが業務遂行の潤滑液である。Eメールはもういいメールだ。」

 駄洒落に士気が削がれたものの、奥山の言い分にも一理あるな、と思われる友田であった。



 8月20日(火) 係(班)あって課なし 


 仕事上において、筆頭課の政策班長などが、他課の関連性のあると思われる担当者たちを幅広く集めて協議する場合が多々あるが、その協議の場において、県職員同士による、見るも陰惨な仕事の“擦り合い”が展開されることがある。

 要は、誰がこの“降って湧いた仕事”を引き受けるのか?という擦り合いを終始行う訳なのだが、呼ばれた担当たちは、仕事が増えるのが困るので、各課の論理を駆使して、双方熾烈な消耗戦を展開していくのだが、この内向きで後ろ向きな戦いは、しかしながら決して侮ってはいけない。


 この戦いでは、最終的に“この話は無益だ(または時間が無駄だ)”と思った者が敗者となり、結果負けた者がこの降って湧いた仕事を引き取るというルールとなっている。勝った(仕事を擦り付けた)職員は、大抵責任回避のプロであり、“アゴ職員”であり、出世頭である。そして「人のハシゴを降ろす」達人でもある。


 こういった達人を上司(係長)に持った場合は、非常に頼れる上司となるのだが、一方で係内で跨る仕事などは容赦なく部下に降ってくるので、まさに“諸刃の剣”である。

 特に筆頭課の場合、政策班(部長のお膝元で通常エリート集団であるが、さきの“アゴ集団”でもある)と庶務班で仕事の押し合いをすることが多いが、大抵庶務班は政策班にコテンパンにしてやられる。

 国の場合“省益”を優先するのであろうが、県庁の場合国のような“省益”に該当するものがなく、部局間でも国ほど利害が対立するわけでもない。

 特に事務系職員は、国と違い当たり前のように部局間での異動があることから、あまり一方的な肩入れをしてしまうと、相手の部局の偉い人に睨まれることとなり、かえって個人のキャリアにとってマイナスである。

 どちらかというとこの争いは、部局間というよりも、係(班)間抗争による熾烈な舌戦が繰り広げられることとなる。

 結果、係(班)長の上にいる“課長”や“審議員”などは、そのような抗争に対し、まるで対岸の火事のように涼しい顔で、所在なげに見守っているのみである。



 8月21日(水) 暑気払い 


 暑気払いとは、夏に行われる飲み会のことをいう。元々は慰労を兼ねて上司が部下を労う儀式に由来するはずであるが、昨今は上司が部下に持ち上げられる会としての機能しかない。

 よって暑気払いを催すのは常に上司であって、かつ企画した上司は絶対に自分より上位の者を招待しない。また企画した上司は、部下に指示するだけで、お膳立てが出来るのを只ひたすら待つのみである。

 部下からすれば、ただでさえ忙しいところ、飲み会のセッティングが負荷され、会ではひたすら阿る苦悶の2時間が繰り広げられ、果てはお会計が共産主義も真っ青の“割り勘”とくれば、もはや無償労働でしかない。表題の“暑気払い”という言葉は、実態から遠く逸れ、慰労される者は全く疲れておらず、本来慰労されるべき者は更に暑気が蓄積される始末である。


「誰だ発泡酒の店を選んだ奴は。分かってないな、何のために外で飲んでいるのかをな。」


 課長はそう言うと、くじ引きで運悪く課長の隣になった主幹からお酌を受け、それでもお山の大将のご機嫌で夢の2時間飲み放題を謳歌していた。

 その奥で幹事の奥山は、幹事様無料の特典と、クレジットカードによるポイント還元を目的として、いつになく文句も言わずかいがいしく業務に精励していた。

 友田は、課長を取り巻く審議員や補佐を遠巻きに眺めると、不意に20年後の自分がうっすらと浮かび上がってきた。同時にどす黒い倦怠感に苛まれたのは、決してアルコール成分だけが原因ではないはずだと感じたのだった。



 8月22日(木) 自嘲自棄 


「どう思う?」

 奥山がパソコン越しに首をひょっこりと上げて友田に尋ねた。奥山が何故「どう思うか?」と言ったかというと、彼が担当している事務の関係で行われるシンポジウムが東京であり、その関係で出張することとなるわけだが、県の出張費というのが、これが大変ややこしい仕組みとなっていて、例えば担当者会議が東京であり、お昼から夕方の5時まで行われたとして、その後担当者の交流会がある場合は、通常飛行機で当日中に県庁まで帰ってくるのは不可能となる。しかしながら交流会は「要は飲み方でしょ?」という庶務(庶務班長はいつも「オンブズマンが・・・」という言葉を接頭語に乗せる)の判断から、出張旅費は当日分のものしか支給されない。ここで奥山が腑に落ちないのは、

「交流会費が公費で賄われない」

 ことでなく、また、

「出張旅費が当日のみしか支給されないので、仮に交流会に出席したため宿泊した場合、その宿泊費が自腹である」

 ことでなく、ましてや、

「自腹で宿泊したとしても翌日仕事が入っているのでゆっくり帰って来れない」

ことでもない。納得いかないのは、

「東京往復の航空チケット代(日帰り)よりも、1泊2日のパック料金の方が安い(何故安くなるのか?の仕組みについてはよく分からないが)今日この頃のご時世のなかで、敢えて日帰り(高い方)が認められ、宿泊(安い方。当然この場合宿泊費及び交流会費は自腹であることを前提だが)が認められない」

という旅費の仕組みに対してである。

「結局、予算執行とは、経費を安くあげるということではなく、“県職員がいい思いをしない”、ということに軸足を置いているんだろう。」

 これみよがしに大きな独り言を言う奥山に、窓際に鎮座する橋本審議員が独り苦笑していた。



 8月23日(金) 随意契約は悪で一般競争入札は善か? 


 地方自治法施行令第167条の2には、官公需において随意契約に関する決まり事が記載されている。 

 ちなみに「随意契約」とは何か?これは何らかの業務の委託、又は物品の購入をする場合において、「ある特定の者」に頼むことをいう。

 「ある特定の者」とは誰かというと、広く一般から受託者を募ることが困難又はその必要がない場合を限定して契約を結ぶことが認められている者をいい、それ以外の契約の場合は、原則広く公募のうえ入札に応じなければならないとされている。

 確かに一般競争入札の場合、ある一定の仕様書をもとに、門戸を広げた平等な手続方法と言えるが、実際の実務を行う場合必ずしもそうでないケースもあり、杓子定規に割り切れないものもある。

具体的には、行政法の改正等に伴うマニュアル等の改正を外部に委託する場合、発注に対し多くの印刷業者が入札に応じることがある。この場合、通常委託者が予め作成する仕様書と積算基礎(見積概算額)を記載のうえ県庁のHP等により公募するが、基本的に積算基礎又は予定価格は非公開である。そのため受託を希望する業者は、公開される仕様書の範囲で同業他社の応札希望者と競争して価格を下げていくこととなるが、昨今以下の問題点により落札価格が暴落する傾向にある。

 第一に、自動読取機能のあるスキャナーの低価格化により、事業者が容易にマニュアルを作成することができ、結果「受託事業者の矜持」が価格決定要因となってしまうという問題である。

 つまり、誤字脱字にまみれたマニュアルが激安価格で落札・納品されてしまうということで、委託者側がこれを防げないということである。

 一般的にスキャナーによる文字の読取りは、余程のことがない限り文字データに変換する時点において相当数の「誤字脱字」が生まれる。そしてこれを正すには、「誰かが目視で確認して校正」するしかない。マニュアル等の時点修正を行う場合、この人間による確認作業に最も多くの時間とコストがかかるのである。

 それではあらかじめこの発注時点において、仕様書に「誤字脱字」のないよう記載しておくべきなのだが、この世から誤字脱字をなくすことは困難であり、それを予め仕様書に記載することは不可能である。

 結果、ろくに確認もしないまま、ほぼ紙代だけで落札した業者が、スキャナーの読み取りだけを行い、誤字脱字まみれの文字データを納品することとなり、委託側の担当者が夜を徹して確認と修正に明け暮れるという悲劇が生じる。

 先に「矜持」と述べたのは、そういったコストのかかる校正を「常識」と思っている有難い業者が、結果こういった価格競争に勝てず撤退していくため、件のスキャナー読み取り業者だけが市場に残るといった悪循環となってしまうのだ。

 「誤字脱字は1文字につき1万円の罰金課す、と仕様書に書けばいい」

 奥山が何か凄い事を閃いたかのように立ち上がって拳を上げた。

 奥山にしては強ち悪い作戦ではないな、と心の中で思った友田であった。



 8月26日(月) 災害査定で昔日の官官接待を懐かしむ 


昨夜の大雨の影響で、県内全域に大雨洪水警報が出た。山間部の急傾斜地区では、ご多分に漏れず土砂崩れと普通河川の溢水が発生し、そのことが昨夜から当直待機している地域事務所の水防班からの報告で判明した。水防班は、毎年梅雨から秋にかけて波浪を除く警報が出た場合、災害に備え予め待機しておく臨時組織のことで、係長以下の職員がそのローテーションに加わっている。

幸いにも、24時間総降雨量の割には人的被害がなかったものの、果たして地滑り地区を通る国道の法面崩壊など多少の被害が報告された。

通常土木部では、これらの復旧工事を行うため、最寄り議会での補正予算要求と、管轄地方整備局に災害復旧補助金の申請を行う。他方管轄地方整備局では、自治体から上がってくる当該申請を査定するため、災害現場に赴き自治体の復旧計画と査定額を吟味する。

昭和の頃であれば、自治体の溢れ出る胸三寸を国役人にほだすための手練手管が陰に陽に認められていたものだ。国役人の方もベテランになるほど心得ており、あくまで受動的にその施しを享受していた。

会計検査院も同様の阿吽の呼吸があったが、それは多少はばかられることから、またの機会においておくこととする。

「ベテランの官は宵越しの金を持たないねぇ」

当然のように居酒屋での酒宴を無銭飲食でやり過ごす国役人の背後から、聞こえるように厭味をいう奥山に対し、このときばかりは密かに声援を送る橋本であった。

また、読者に語弊の無いように、昨今の国役人は、このような飲食は、無銭はおろかその機会さえ設定しない清廉な方々であることを、強く強調したい友田であった。



 8月27日(火) 「はしごを降ろす」とは? 


部下が比較的自己判断するタイプの場合、一般的に上司は細かな指示をしないでいい代わり、独善的に進める部下の暴走により生じるミスの尻ぬぐいをするリスクを負い、結果進捗を適宜監視しなければならないことから、一概に楽というわけではない。

しかしながら役人の場合、その独善的な部下が失敗しない場合は放置するが、失敗した場合は「聞いてなかった」事を理由に、全責任を部下になすりつける。組織側も、その独善的な部下を擁護することはないので平和である。

一方部下の側からすると、独善的であることはリスクでしかないため、一部の性癖のある者を除き、上司の指示がなければ自らの考えを述べることはなく、ただひたすらに微笑みを絶やさない上司と部下が、延々と解決することのない課題を揉み続けている。

大抵は、しびれを切らした上司が解決策案を指示するか、上司の丸投げ圧力に屈して、毒にも薬にもならない解決策案を上奏するかのいずれかである。政治評論家などが、これらの対応を見て政治や行政の無策を嘆いているが、これはひたすら上司と部下による高度な政治的駆け引きの帰結であって、決して無能だからではない。

しかしながら、この風潮は国や自治体の傾向だけでなく、大企業にも巣くう病理であることから、この国の永きに亘る停滞の要因が、デフレだけにあるとは必ずしもいえないのではないか。

「...この方針決定に当たり、関係各位から梯子を外されてもよろしいか伺います。」

友田は、奥山から回ってきた奥山の起案文に仰天した。奥山に言わせると、梯子を外されないための予防線とのことだった。誠にパンクな発想だなと驚嘆した友田であった。



 8月28日(水) 県庁は腐った死体製造工場 


昨日述べた理論によると県庁にいる職員のタイプは、職階順に、「①豪腕のプレーイングマネージャー」、「②日和見の中間管理職」、「③腐った死体(出世に見放された老人)」、「④イエスマンの兵隊」、「⑤独善家のドンキホーテ」、が一定の割合でいることになる。私見でその割合を推測するに、各①5%、②25%、③20%、④40%、⑤10%、と見立てるが読者の皆様の推測は如何であろうか。

因みに上記のうち、①及び⑤と②及び④はそれぞれ同一タイプであり、各々は単に時系列的な違いによるものである。なお、①と⑤、②と④に数値上の違いがあるのは、「⑤独善家のドンキホーテ」のうち「①豪腕のプレーイングマネージャー」になれるのが半数で、それ以外は「③腐った死体」になる。また「④イエスマンの兵隊」のうち「②日和見の中間管理職」になれるのが約63%で、それ以外は「③腐った死体」になる。稀に宗旨変えする者もいるが誤差の範囲である。

現在県職員の平均年齢は50歳に到達しようとしているが、概ね上記①②③のいずれかである。「③腐った死体」は50代全体の約4割を占めており、これと「②日和見の中間管理職」が10年後自動的に定年延長され、全員が「⑥腐った兵隊」に転生する。

「オレ様は⑦腐った王様だな!」

奥山はいつものように拳を握りしめ豪語していたが、思わず

「然もありなん」

と呟いてしまった友田であった。



 8月29日(木) 聖域 

「聖域なき行政改革」

とは良く使い古されたスローガンだが、行政には削減することが出来ない聖域が多数存在する。

額の多い順に言うと、族議員関係団体関連予算とか、インフラ関係予算、首長肝煎り予算などは主な聖域だ。

ところが近年、国政イシューを踏まえた国策関連予算は、国費負担率も潤沢であることから、中身や効果の議論よりも申請額の多さで国への従順さを示す傾向にある。

とりわけ「地方創生」というイシューが難解で、東京一極集中解消のため地方に移住する人を応援する施策を展開しているが、そもそも東京をはじめとした「都会」は、人を引きつける重力が存在し、その重力の大きさによって集まる人の多さも比例して増えていくのである。

その重力に逆らって地方に移住させるには、人が宇宙空間に飛び出す位のエネルギーをもってしないと、容易には達成しない。その実感が地方の現場にいる人ほど濃厚に、中央にいる人ほど希薄になっていく。

直近のデータによると、一人当たりGDPの全国平均を1とした場合、47都道府県中1を超える都道府県が6あるが、その殆どが関東であり、東京都がダントツで他を上回っている。その理由は、本社機能の殆どが東京都に集中していることと、資本集約産業が住民の割に極端に多いせいだ。

要は福祉政策やインフラ整備の充実度だけでなく、移動アクセスなど様々な時間効率が都会に有意なデータとなっている。

笑えない不都合な事実として、移住定住施策を担当する部課長のご子息やご令嬢の出身大学や就職先がどうなっているかを一覧表にしてみるといい。恐らく、医者か弁護士か公務員を除き、地元に帰郷している者はいないだろう。

「橋本審議員の息子さんと娘さんは、東京の国立大から現在は東京にマンションを購入し、東京生まれのお嫁さんを貰い、東京生まれのお孫さんに囲まれている。移住定住を進めるのであれば、橋本さんが東京に移住定住するのが一番の解決策ですなww」

奥山が、移住定住促進検討会議に向かおうとする橋本の背に向かってそう口走り、その場の空気を一瞬で凍らせた。奥山は、やはり不都合な真実をばらまく不都合な人物だなと改めて実感した友田であった。



 8月30日(金) 夏休の消化 







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